Diary: 02/18/2013 Mon.

Had lunch with a friend at K town. Maybe it’s 3 or 4 more years since we met last. So long time. Talked several things, study, work, social life on campus or in NYC, money, future jobs, unfitness within a streamed line etc.

After meeting with her, I went back to campus and did readings and a homework assignment for tomorrow classes. I feel a little difficult to change my mode and go into texts after meeting with such persons with whom I open my feelings. After lunch till getting a sheet at library, my vision was a little bury and felt being somewhere between dream and reality. I need to find better ways for me to switch myself smoothly and quickly from one side to another so that I can deal with my study at school or work in company (in the near future) as my public or social duty and my expressive work activity such as writing as my personal way at the same time.

From one of the reading articles, I’ve learned an interesting phrase. “Give me chastity and continence but not yet” by Saint Augustine. Though I know about him, I have’t read his book in English.

I don’t know about foreign music very much, but sometimes I happen to meet with a famous song through wired radio at cafe. This time it was Bon Jovi, “Living on a Prayer.”
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=lDK9QqIzhwk]

We’re half way there
Livin’ on a prayer
Take my hand and we’ll make it – I swear
Livin’ on a prayer

外国の音楽にはあまり、というかほとんど詳しくないのだけど、時折有線で往年の名曲というか、そんな僕でも知っているような曲が流れる。今日はBon Joviの “Living on a Prayer.”

俺たちまだまだこれからさ
そう祈って生きてる
手を取って きっとうまくいくから
祈りながら毎日生きてる

人と会ったり本を読んだり文章を書いたりすると感情の弁が開くのだけど、それをうまく折りたたんで、宿題やら予習に集中するまでの、モードの移行を、もっとスムーズに出来るようになりたい。狭間の時間、たとえば図書館を歩きまわって座席を探している時とかは、視界が少しぼやけて夢と現実の狭間を歩いているような感覚がする。歩いている自分から魂がほんの少し斜め後ろに抜け出ていて、微妙な距離感で後追い観察している。大学院での勉強とか、それから卒業してからの職場とか、社会の中で義務や役割を果たす時間と、自分のパーソナリティを見つめたり開示したりする時間と、バランスよく両立出来るようにならないと、どっちもうまくいかないもんなぁ。

明日は東京から友達が来る。一週間ほど自室に泊まっていく(友達泊めるの初めてだなそういえば)から、日曜日に掃除をしたのだけど、バスタブの配管が詰まってしまった(しばしば起こる)。修理をHousing Officeに依頼しようと思ったら今日は祝日で空いていなかった。明日の朝一にお願いすれば、うまくいけばその日のうちに直してもらえるのだけど、オーダーからどれぐらい時間がかかるかはまちまち。こういうのはもっと早くから動いておくべきなんだよね。快適に過ごしてもらいたいのなら。ホスピタリティーとか気遣いの類って、相手に気づかれないぐらいに速やかかつひっそりとなされていなければならないと思うのだけど、まだまだ色々と甘いなぁ。先学期、NYに来てから余裕がなかった時期に本当に色々と助けてもらった友達がいて、今年から隣の州に行ってしまったのだけど、彼は本当にそういうところが立派で。色々な調べ物とか、チケットの手配とか、その人のことを思っての本や人の紹介とか。それらをなんでも、さらりと、やってのけるんだ。他者に対して、「好きだよ」とか「大事だよ」とか「大切に思っているよ」とか、そういう月並みや友情や愛情の言葉を直接言うことなしに、それを行動で伝えてしまえるやつなんだ。話がそれたけど、とにかく、せっかく来てくれる友達だ。一週間、楽しんでいって欲しい。

改革を望む世論が定期的に高まりつつも、結局は政策が現状維持 status quoに陥りやすいことを取り上げた記事を読んで、そこで目についた表現があった。アウグスティヌスからの引用とのこと。”Give me chastity and continence, but not yet.” こういう、古典からのこなれた比喩というのはノンネイティブにはなかなか難しい。引き出しを増やしていきたい。

また髪が伸びてきたな。美容師さんにはいつも驚かれる。伸びるの早いですねぇ、って。