Not yet in full bloom / 地球のみんながしくじり先生

I went to a branch house of the local government, and passed a marriage notification to an officer, with my partner. Then she, my wife now and I walked around a small valley near the office. A little colder than yesterday. Cherry blossoms are not yet in full bloom. But I knew spring is coming to Tokyo.

3,2,1ドンの日に入籍をした。気づけばもう3月も終わりに近づいている。桜もぼちぼちと色づいているが満開にはまだ至らず、花粉症に苦しむ周囲の人々を横目に春がそろそろ来るんだなぁなんて思う。職場近くの目黒川は、この時期花見で人通りが多くなるのだが、そういえば一昨年も去年も、自分はゆっくり花見をすることもなく通り過ぎていたなと思う。今年ぐらいはどこかでのんびり見ようか。

「実感」なんてものはどこかを境目に突然生まれるものでもなく、いつだって自覚より先に現実が動いていくのである。婚姻関係や家族関係などといったものにいまだしっかりとした立ち位置を見つけられていないが、私がどう足掻いたって時間は過ぎていくもので、家や仕事やあれやこれやと乗り越えているうちに、いつの間にか「夫」になっていたり「父」になっていたり、するんだろうな、たぶん。

それはさておき「しくじり先生」の深夜放送最終回、オリラジあっちゃんの講義は神回すぎる。あと杉村太蔵回。入籍前日深夜になに観てんだという話だが、私は人生だいたいしくじりこじらせ続きで、もっと言えば彼ら講師陣のように別に大きく成功した時期があったでもなく、しくじりどころかくすぶりという形容詞の方が合っているぐらいであるから、しくじりをビビったり後悔している場合じゃないのだ。4月からまた新しい仕事が始まる。中田先生の名言「地球のみんながしくじり先生なんだよっ!!」を胸に刻みつつ、どんな時でも「お任せください!」の精神でいくSHOZON

What makes his/her behavior “problem”? / 「困った人」は「困っている人」

I and my company colleagues are attending “Amenity Forum,” the largest forum of human services in Japan for two days. Lots of professionals dedicated to welfare services gathered to the forum, and made presentations about their services, newest research outcomes, and so on.

Our company named LITALICO runs more than 100 centers to provide people with disabilities with job support and education services so that they can find the way to learn and work that suit for them, and choose their own way to live.

I attended a symposium about severe behavioral disorder. in general, it is said that people with severe behavioral disorder makes “problems” such as screaming, self-injury, attacking others etc. But the speakers at the symposium said that, a behavior itself is not a “problem,” but a problem is caused by an interaction between people and surroundings. I agree with that. For example, if a man scream in his own room, that isn’t annoying for others. So it’s not a problem. But if he screams in a classroom, office etc. and that disturbs other people’s life. And, there must be a reason why he screams in the classroom. Something must have made him scream as an antecedent stimulus. So our mission is to replace such stimulus to other stimulus that doesn’t make him scream, or provide other options for him. To achieve the mission, we make detailed assessment on him and his surroundings. It is not easy, but if we never give up, gradually his behavior will change.

Now I’m not working as a field staff. My current job is research and management at office. But today’s session encouraged me so much. Whether field staffs or managers,all of us are working as professionals to improve qualities of lives of people with disabilities and disorders. They themselves of their behaviors are not “problems.” There must be signs they send to us, and we should catch them.

ここ最近はろくすっぽ日記も書けていなかったが、熱気に当てられたのでホテルで久しぶりに。「アメニティフォーラム」という福祉関係の事業者・実践者・研究者が集まるフォーラムに参加している。今年は第20回ということでかなり気合が入っている。会場は滋賀県の大津、琵琶湖の目の前にあるプリンスホテル。全国から1000人ぐらい集まる3日間の大型イベントだ。途中懇親会も入るが、基本的にはシンポジウムやゼミがぶっ通してで、ついさっき、深夜の24時まで続いていた。

プログラムは多岐に渡るが、興味があって多く参加したのは強度行動障害支援のセッション。ハッシュタグ#アメニティフォーラムでツイートしたが、いくつか抜粋してここにもメモしておく。

強度行動障害については、以下のように定義されている。

“強度行動障害児(者)とは、直接的他害(噛みつき、頭突き、など)や、間接的他害(睡眠の乱れ、同一性の保持例えば場所・プログラム・人へのこだわり、多動、うなり、飛び出し、器物損壊など)や自傷行為などが、通常考えられない頻度と形式で出現し、その養育環境では著しく処遇の困難なものをいい、行動的に定義される群” (1988年『強度行動障害児(者)の行動改善および処遇のあり方に関する研究』(財団法人キリン記念財団助成研究)より)

ポイントとしては、強度行動障害は、上記に記されたような「状態」が続くこと、であり、個人だけに帰責されるものではないということだ。そうした行動を起こすには必ず理由があり、奇声や噛み付きは表層に見えている「氷山」の一角に過ぎないと我々支援者は考える。「困ったひと」ではなく「困っているひと」であり、いわゆる「問題行動」の下には、その人がそうしてしまう、本人と環境の相互作用がある。我々は「アセスメント」という技法を使ってその人の日々の生活を記録し、その行動の原因や本人が抱えるニーズを丹念に分析する。その上で、そうした問題行動が起きないための環境構築や、本人への働きかけを行う。つまり、「行動障害」は「二次障害」であり、本人が行動障害を起こさないための予防環境づくりが肝だということだ。

そもそも何をもってその人の行動を「問題行動」とするのかという問いもある。「奇声を上げること」は、それ自体常に「問題」なのか。たとえばある人が、自分の部屋の中で奇声を上げることは、他人に迷惑をかけないかぎりとくに「問題」ではないと言える。それが、学校や職場や公共空間など、集団生活の中で奇声を上げるということになると、周りが迷惑を被るから「問題行動」とみなされるわけだ。その行動が問題とされるには、当人の行動を周りが問題だと受け止めるから、あるいは問題を感じる環境・文化があるから「問題行動」なわけである。

つまり、行動には意味や役割があり、それは固定的ではないということだ。その行動が「問題」だとされるなら、その理由=行動を起こす本人の意図や困り事や願いを見極めること。その困りごとが起こらない環境を整えたり、願いが叶えられる代替行動を習得できるようにすること。たとえば、子どもにとって、「頭をたたく」という自傷行動が「母親を呼ぶ」という役割になってしまっている場合、「ブザーを押す」「声をあげる」など、同じ役割を持つ別の行動に置き換える学習が必要になる。

……と、いうのが支援における基本的な考え方やスタンスなわけだが、言うは易しで、実際の支援現場は毎日が試行錯誤の連続である。テレビが宙を舞う、窓ガラスが割れる、噛みつかれる。それが成人男性の行動だったら、スタッフも当然、怖い。あるいは、家族支援。障害のある子どもの親への支援研究はまだまだ少ない。周りの不理解、子どもの行動に対する悩みで孤立する家族。夫のDVや子どもの暴力で追い詰められた母親が、自分も子を虐待しそうになる、あるいはしてしまう。自分を責める。ひとつひとつの事例報告を聞いていると、本当に壮絶なケースが多々あった。(だからこそ支援を属人化せず、地道に居住環境を整えたり、テキストや研修による支援者養成をしたり、地域や職場でチームを作って対応したり、という組織プレーが重要になるのだが…)

私自身は、今は現場で直接対人支援をやっているわけではなく、企画・編集やマネジメントの仕事がほとんどになった。また、現場支援をやっている時も、今回のような重度の行動障害のある人を担当した経験はない。それでも、今回のお話は自分の心を強く打つものがあった。

支援の現場は野球で言えば「1割バッター」のようなものである。残りの9割、ほとんどは失敗の連続である。だけど支援のプロフェッショナルは、その9割の失敗を決してムダにしない、試行錯誤の積み重ねで1割の成功を生み出す。そんな話をされた方がいた。

失敗して、失敗して、試行錯誤して、ようやくその人の行動が少し変化する。魔法のステッキはない。でも、だからこそ、続けるんだよな。現場だろうとなかろうと関係ない。それぞれの持ち場で、ヒットを打つための試行錯誤を重ねるのだ。

祖父の病室

関西出張に合わせて休みを取り、母方の祖父の見舞いに行った。神戸で母と合流して車で岡山へ。美作市という、田畑が広がる県北東部の田舎町が母の出身地である。

祖父はここ数年でずいぶんと弱り、入退院を繰り返している。以来、母は働きながら月に2回は岡山に帰り、見舞いに行くという生活を続けているが、私は留学やら仕事やらにかまけてほとんど顔を出していなかった。

強い雨風に降られながら、高速道路を抜け、母の実家近くの小さな病院にたどり着いた。昨年も大きな手術があり、その間は県の中央病院で措置を受けていたが、少し落ち着いてきたため、最近転院してきたそうだ。

地図を読めない母は、「2階」という情報だけを頭に入れて、受付も案内図も無視して上階へと上がっていく。案の定変なところに迷い込む。1階受付まで連れ戻して職員さんに聞くと、祖父の病室は別館にあるらしい。

渡り廊下を渡ってエレベーターで東館の2階へ。1階受付で聞いた番号の部屋にたどり着くと、違う人たちの表札が張ってある。あれれと思ってナースステーションでもう一度聞いてみた。

「あ、今朝、部屋変えたんですよ」

案内された部屋は2人部屋で、祖父のベッドは窓際にあった。

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「景色も見えないと飽きるだろうと思って。ここだと電車も通るから。田舎だから1時間に1本ですけどね。」

祖父は眠っていたが、母と私が声をかけると目を覚ました。

母が問う。
「お加減いかがですか?」「みてのとおりじゃわ」
「この子の名前覚えてる?」「ゆ うへい か」「そうそう。孫を久しぶりに連れて来ましたよ」

私も話しかける。
「帰ってきたよ」「いつきたんだ」「今日着いたところ」
「※●※■○んか」「え、なんて?」
発音が不明瞭なのでところどころ聞き取れない。
「くぅあできたんか」「あ、そう、車で来たんよ」

「今度結婚するんよ」「どこのひとなんあ」「東京の人」「いつするんだ」「3月頃かなぁ」「そいたらわしはいかれえんなぁ」
祖父は、もう自宅には帰れないだろうと言われている。
 
 
16時になったので、テレビをつけて水戸黄門を流した。寝たままでも見られるようにテレビは天井から吊り下がっている。枕元にあるイヤホンを引っ張りだして祖父の片耳にはめる。「恐怖!凶賊卍衆」という回。イヤホンが両耳分あれば一緒に視聴することができたのになぁ。

少し遅れて、従兄弟兄弟もやってきた。同じように祖父に話しかける。ほどなくして食事の時間となり、看護師さんがやってきた。

祖父はもう自分で飲み食いをすることはできないので、胃ろうカテーテルで栄養を摂取する。ウィダーインゼリーのようなパックに入った栄養剤を看護師さんが注射器に詰め、それをチューブに指して祖父の胃に流し込む。透明でほとんど水みたいなものや、薄橙色のドロリとしたものなど、何種類かの栄養剤が4回、5回と流し込まれていく。「食事」が終わるとチューブには蓋がされ、脇にある医療台に使用済みの注射器が並び置かれた。一連の動作が実になめらかで、私はしばし見とれていた。

17時が過ぎて、母も夕飯の支度をするというので、祖父とお別れをし、その日は母の実家に泊まった。祖母も、母の兄弟夫婦も、従兄弟兄弟も、その他親戚のおじさんおばさんも、一族郎党がぞろぞろと集まってきた。母の実家は、夕食も宴会もシームレスに続いていくのが特徴で、ちびちびと飲み食いしながらうだうだと夜遅くまで話し続ける。私はだいたい2時間頑張れば良い方で、早々に布団のある居間へと退散してしまう。
 
  
*  
 
翌朝。病院から祖父の意識がなくなったと電話がくる。その後すぐに回復したのだが、母と、従兄弟兄弟家族と揃ってもう一度病院に顔を出す。一日経ってもう一度対面した祖父の顔は、少しくたびれていた様子である。

6人ずらり。みんなが祖父を取り囲んでまた例のごとく「名前覚えとるか?」と聞く。祖父は順番に答える。「僕は?」「じゃあ私は?」スムーズに名前が出てくることもあれば、「なんだったかなぁ」と思い出せないこともある。その時は頭文字を言ってヒントを出す。母が私を指して「じゃあこの人覚えてる?」とまた同じ質問をする。私は答えられても答えられなくてもどちらでも良いと思いながら聞いていた。

名前を尋ねる、というやり取り。放蕩者の私が気まぐれに顔を出した昨日・今日に始まったことではない。ここ数年、母や従兄弟家族は何度も何度も繰り返してきたのだ。その度に祖父は、思い出せたり、出せなかったりしながら、少しずつ、少しずつ弱っていく。

もう家に帰ることも、自力で歩くこともない。
カテーテルで胃に直接「食事」が注入される。
「お茶を飲みてぇなぁ」といっても叶わないから、霧吹きで水を吹き入れる。
時おり痰が詰まって酷く苦しそうに咳き込む。

小康状態はあっても、「良くなる」ことはない。
未来ある私たちが「自己決定」を合言葉に遮二無二走っている世界とは対極の時間が、祖父と、祖父の周りには流れている。

それでも
親族は見舞いに来る度に祖父に名前を尋ねる。
看護師さんは毎日おむつを取り替える。
祖父は、毎日16時には水戸黄門を観る。

続く限りは、同じようなやり取りを繰り返す。

Train music / 帰省

When I’m back from Paris to my family’s home, Kobe, a friend called me to Kyoto. She invited me to an wonderful concert. It was a small music live in the train!

Eizan Dentetsu, a small local train leaving from Demachi-yanagi to Hieizan, a famous Buddhism mountain. Today, on train was chartered for the concert. We, all the participants, organizing staffs and 4 groups of musicians rode on the train, and the first group began playing. All the songs were so matched with the tiny stage, and soon all of us excited together. Two bottles of Heineken, and joggling train and music made me drank enough!

パリから帰ってきて、ほんの1日ばかし実家に顔を出した。
父母姉祖父母叔母ともろもろの話をする。
大いに反省と感謝をしつつ、こういう人生線の我が身のやる方なさを思う。
祖父母はますます老いて、特に祖母のヒステリーは進む。
私もいつか老いる。
と達観理解をしながらその時を恐れている。
借りた金は存命中に返せそうもない。
その前に親も老いる。
その時に私は子としてするべきことをする。
ための蓄えが今から大事だ。

放蕩。

風邪と歯ぎしり

「もう11月だからね。その格好寒いでしょ」
「季節感ないってよく言われるんですよね。衣替えのタイミングがみんなよりいつもワンテンポ遅い」
「それだけ毎日があっという間に過ぎているってことだね」

学生時代からお世話になっている吉祥寺のセレクトショップ。最近移転拡張したお祝いがてら、冬物を買いに行って、着心地が良かったものだから、着てきたものを袋に入れてもらって、そのままほぼ一式着替えてお会計を済ませた時の会話。引き始めだか治りかけだか分からぬ、大した重さでもないくしゃみていどの風邪をこじらせながら、確かにもうこの薄手のジャケットでは寒いなと思った。

遡って昼下がり。先日直したばかりなのにまた落としてバキバキになったiPhoneの画面修復のため、渋谷のアップルストアに行った。待っている間、向かいの紀伊国屋書店で、講談社『過剰な二人』林真理子×見城徹という本を買って読んだ。

林真理子さんの本はまだ一冊も読んだことがない。一時期書店に平積みされていた『野心のすすめ』の帯写真で、「あ、なんかすごい業が深そうな人だなぁ」という印象を抱いていたぐらいだ。見城徹さんのことも、幻冬舎という出版社はさすがに知っているものの、編集者としての彼自身の仕事については詳しく追うこともなかった。最近では『殉愛』や『絶歌』関連の騒動で、その名前を目にすることがあった程度だ。

なのでジャケ買いである。

“二人はいかにして 
コンプレックスと自己顕示欲を
人生のパワーに昇華させてきたのか。”

という帯の文言。

表紙の二人の写真。
自分には及びもつかない修羅場をくぐり抜けたことを想像させるドッシリとした佇まい。
しかしその眼にはなおギラギラした光が宿っている。

これは今読まねばならない本だと知った。

10月は色々なことに翻弄され、イライラと焦りが募った。
それは周りにも伝わる。
日中、気がついたら歯を食いしばっていた。
夜も寝ていて歯ぎしりがあると指摘された。

自己顕示欲と自己嫌悪の振れ幅の大きさが人をつくるという話。
仕事上の運をつかむのは自分の意思であり、圧倒的努力でしかないという話。
幼い頃に卑屈さを溜めた性格の根っこが変わらないとしても、人間関係のコツを掴んで生きやすくなることはできるよいう話。

まだまだやれることはあるなと知った。

Lightness of free-will / 手持ちのカードで

I want to protect the right to self-determination on my life, and I do respect other one”s right to that. But sometimes I suspect substantiality of ‘free-will.’ Whenever we make a decision, we consider external factors, resources we can manage, other one’s expects, social norms etc. My life and your life influences each other, and both keep changing. Last week I went back to my home, because of ‘obon’ season, Japanese holiday. Especially in Japan, band of family is strong. Parents’ and grand-parents’ will sometimes put pressures on children on their lives. I do thank and respect my families, of course, but when they ask many questions on my life, especially my career, income, private love affairs, I feel irritated. Well, but it’s also my life and my self-decision on how to communicate with my families. Though their life and their will inevitably influence my life, at least I can choose the way to face them.

午前はだらだらと寝て過ごし、午後から稼働。某所で「合理的配慮」の話をした。障害種別やニーズに応じた個別の手立てに関しては色々な例示が出ているが、じゃあそれを実施するまで誰といつどうやって相談すれば良いの、実施した後はどうなるの、と合意形成やメンテナンスの「プロセス」に関する情報がまだ曖昧であるからみんな困っている、というのが現状。このような法律的文言が出てくる前から、やれている学校はやれていただろうし、法律が施行されてからも、うまくいかないところはうまくいかないだろう。地域ごとに、人材育成や設備投資をはじめ基礎的環境もまちまちだから、与えられたカードでどううまくやっていくのかという、生きた知恵を届けていく必要がある。

基本的には、お互い、持てるものを差し出し合う。その中で出来ることを共に探求し続けることだと思う。これは狭義に「障害」の分野とか「学校・家庭関係」に限った話ではないはずで、どちらの側にも「答え」が見えない時のお作法だ。

配慮を必要とする当事者・保護者はできるだけ具体的に困っていることを表明・相談する。配慮を提供する側は、現状のリソースで出来うることを整理して提案する。曖昧なところがあればそれぞれの状況に対してお互いが聴き合う。当事者対当事者では言語化が難しい状態であれば第三者が翻訳に入る。その繰り返し。しんどいけど、その繰り返しの中にしか見えてこない、と思う。

それにしたって、保護者の方々は本当にお子さんのことを考えて多くの不安や疑問を抱いているのだと思う。こちらからのお話を終えた後に質問が途切れなく続き、そのことを強く感じた。少しでも多くのモデル事例を自分たちで作っていくこと、手立て・制度・組織運営…リサーチの網を絶えず広げていくこと、それらを分かりやすく編集して届けていくこと。自分の役割だ。よりスピードを上げていかないと。

仕事を終えて夜に電話を2件。「やるべきこと」、「頼まれて断らずにやること」、「自分がやりたいこと」があったとして、あなたは前2者の優先順位が高すぎるのだと言われ、それはわたしの人生おおむねずーっとそんな感じだなと認めつつ、ある種主体的に受動的である戦略をとっているというか、前2者をやるなかで学ぶこと、気づくこともあるしなー、みたいな、まぁそれは言い訳なんだろうけど。パンクするのか飽和するのか、うまく比率をスライドしていくのか。そうだねぇ。

先立つものは金である。借金返さにゃならんのだよ。

先日帰省して、例のごとく実家の親族一同とのやり取りを淡々とやり過ごしたのだが、また彼らのことを思い出した。

思うに、「新しい世代」の恋愛観・結婚観・家族観がどれほど変容したって、生まれた家に連なる親・祖父母世代との縁を断ち切らない限りは2世代50〜60年の幅で価値観のギャップと向き合わざるを得ない。テクノロジーと自由主義が生殖と育児すら解体する未来が来るかもしれんがだいぶ先だろう。

父方の祖母はお金にがめつく、また悪気なくどこでも誰に対しても自分の好き嫌い、特に嫌いの部分を脊髄反射で言葉に出す人で、そんな人に「ヨメ」や「稼ぎ」のことを聞かれる度に暗澹たる気持ちになる。「結果、ああなった」戦中戦後育ちの祖母の物語に何も言うつもりは無いが。自分はこの人の孫なのだという厳然たる事実。

まぁ、他人の物語の圧力とどう対応するかも含めて自分の物語だ。向き合うのか逃げるのか、向き合った結果、消化するのか、押し潰されるのか、引きちぎるのか、距離を空けるのか。選ぶ余地がそもそも小さいことも往々にしてあるが、それでもやはり、与えられたカードの中から選択する意思は持てるのだ。

「長く短い祭」 椎名林檎
さいきんずーっと聴いてる。

PLAYBACK NY in TOKYO

At another Blue Note in Tokyo. Same jazz band, same opening song I listened in New York. What a coincidence, a friend invited me to his live last night. Bitter flavor of lager beer reminded my memory. About 1 and a half year has passed after I came back to Tokyo. Is it long? Still short? Doesn’t matter. I just enjoyed this wonderful night.

His name is Takeshi Ohbayashi, a jazz pianist in NY. He’s originally born and grown up in Hiroshima, Japan. When I was in NY. a friend who was a friend with Takeshi in Hiroshima came to NY for a short travel, introduced him to me. We went to Blue Note NY, and listened his play. He was in TAKUYA KURODA QUINTET, a great NY Jazz band.

This time, another friend reconnected us. She’s working in a company that produces music instruments, and she’s in charge of producing and selling shinthesizer. One day she and Takeshi contacted, cos Takeshi was interested in her shinthesizer. She checked his Facebook and found that he and I were mutual friends. Soon we contacted together, and Takeshi invited us to the concert last night. What a small world!

Last night’s concert was, “JUJU JAZZ LIVE 2015 with TAKUYA KURODA QUITET from NY.” JUJU is a famous Japanese singer song writer, who I like very much. And, yes, TAKUYA KURODA QUINTET was the band Takeshi played and I listened in NY. The concert was really really nice. I forgot the time, and swung my body and heart.

After the concert, three of us met again, enjoyed whiskey for a while, and said good bye, promising to meet again NY, Tokyo, or somewhere in the world. Music must connect us!

友遠方より来る。それも2人。再開の地はBlue Note Tokyo。一人は演奏者として、もう一人はゲストとして。あの日NYで彼の演奏を聴いた時と同じ曲、場所は違えど同じBlue Note。ラガーの苦味が記憶を蘇らせる。

演奏者の友達は、Takeshi Ohbayashiという。広島出身のジャズピアニストで、NYを拠点に演奏しつつ、今回のようにツアーで世界各地を回ることもしばしば。僕がNYに滞在していた頃、偶然こちらに遊びに来た、彼と広島時代からの幼なじみである友人の紹介で出会った。

帰国してから1年半ほど経った今日この頃。これまた別の友人からの連絡が。大学時代の同級生・同居人で、いまは某社でシンセサイザーの企画・販売をしている。たけちゃんと仕事でやり取りすることがあったらしく、Facebookで共通の友人を調べたら僕がいてびっくり、とのこと。そのまま3人で連絡を取って、東京で会おうということに。タイミングが合い、たけちゃんの好意もあって、最終夜のライブへ招待してもらった。

この日のライブは”JUJU JAZZ LIVE 2015 with TAKUYA KURODA QUINTET from NY”。この黒田さんのクインテットが、NYでたけちゃんのピアノをはじめて聴いたバンドである。たけちゃんと黒田さんとJUJUの3人は、NYで出会った縁らしい。

ライブはとても楽しく、あっという間だった。1曲目がNYでのライブの1曲目と同じ曲で。そうだと思い出すのに一瞬時間がかかって、気づいた時の感動と言ったら!2曲目からJUJUが登場、明らかに体験談入ってるだろっていう、濃い〜恋の物語をMCでしゃべりつつの、恋にまつわるJAZZの名曲の数々を披露。なんか乙女とスナックのママを足して2で割ったというか、行ったり来たりしてるようなキャラでかわいらしかったけど(笑)さすがに歌も演奏も素晴らしく、「Take 5」なんか最高にオシャレでした。アンコールはJUJUのオリジナルナンバーである「PLAYBACK」をラテン調アレンジで。Blue Noteなのに会場ほぼ総立ちで手拍子とコーラス。

終わってから終電間際までたけちゃんともう一人の友人と3人で語らう。楽屋プレゼントの赤福を持ってきてくれて、ウイスキーと一緒に食べた。Blue Noteで赤福食べる人なんて僕達がはじめてじゃないだろうか。

今度はNYか浜松か東京だね、なんて言いながら解散。それぞれ住む場所は違うのだけど、プロの演奏者と、楽器を売る人と、ペーペーの素人と、「音楽が好き」というシンプルな1点で結ばれているよ。

レーモン・クノーの『文体練習』より その11 以下の単語を順に用いて文章を作れ

指定語句: 持参金 銃剣 敵 チャペル 空気 バスティーユ広場 手紙

ある夜私は、見合い一度で結婚を決めたという一人娘に渡すための持参金を握りしめ、山手線に乗り込んだ。車内はやや混雑しており、私は反対側の扉の脇までつめて一息をついた。少し一後に組のカップルが乗り込んできて、私のすぐ背後に立ち止まった。男はやせ型でやや背が高かったが、おかしなことに銃剣を持っていない。銃剣を持っていないでどうして傍らの女を守ることが出来るのかと、私は訝しく思った。そんな私の懸念をよそに、二人は車内広告を見ながら「バルタン星人だ」「宇宙忍者なんだって。知ってた?」などと呑気な話を繰り広げている。そんなことではが襲いかかってきたときにどうするというのか。仮にもし今その広告から怪獣が飛び出してきたとしたら、男は銃剣も持たずにを撃退することができるのか。いつかはチャペルで幸福な式を挙げるつもりだろうに、と、そこまで考えたところで私は、自分の娘と例の男の場合は神前式とチャペルでの式と、はてどちらだったかなと思考を巡らせた。ところが考えてみても答えが出るはずもない。なぜなら私は相手の男に会ったこともないのだから。一方、私の逡巡をよそに二人の男女は、額をコツリと当て合いながら、甘くまどろんだ空気を醸し出していた。

10分も経たないうちに電車は新宿駅につき、私は持参金を落とすまいと再び強く握りしめながらホームに降り立った。向かいまで移動して中央線を持っていると、列の前にいる中年の女がスマートフォンで懸命に敵と戦っている様子が目に入った。その攻防はさながらバスティーユ広場での血戦という趣きである。そうこうしているうちに電車がやって来たので乗り込んだが、私は迂闊にも中野止まりの電車に乗ってしまったことに気がついた。私の行き先は中野よりはるか西である。おまけに娘に渡すはずの手紙も忘れて来ていたことに、気がついた。


レーモン・クノーの『文体練習』より その10 虹の七色

人々が家路に着き、若者の街・渋谷が紫色のカーテンに包まれる頃、私は藍色のコートにギュッと身を包んで寒さをしのぎ、青色のイヤホンをして音楽を聞きながら、緑色した電車に乗り込んだ。混雑具合は中程度といったところで、私は迷惑がかからないように反対側の扉まで詰めていった。背後には若いカップルが並んでいて、私の頭上の壁面広告を眺めている。黄色い発泡酒の広告には目もくれず、「バルタン星人だ」、「宇宙忍者だって」と隣の金融屋の広告について話している。その後、橙色のマフラーをした男は、連れ合いの女性に頭をコツンコツンと2回当て、親密そうに身体を寄せ合った。新宿駅で電車を降りてホームの向かいの列に並び、中央線を待っていると、前方の女が一生懸命スマートフォンをいじる様子が目についた。何かのゲームのようで、戦いで体力を消耗したのか画面が赤色に点滅している。激戦の行く末に気を取られるあまり、私は誤って中野止まりの各駅電車に乗り込んでしまった。

From East to West – A way to cultivate “New Local” /寒中見舞いたい。

Left Tokyo early in the morning, and now I’m on the way to Obuse-town, Nagano, 2-3 hours west from Tokyo. Though the smallest village in Nagano, Obuse, whose culture is open to outsiders, is famous for its unique way of community building. I’ll meet with one of my friends who moved to Obuse from Tokyo 2 years ago, and now committing himself to community building in Obuse. We’ll discus our project to write and publish a book about Obuse to spread a new vision and model for local community.

What we may call “new local” has a different characteristics from what previous local community had. Though people involved are committed to local community action, each of them do not necessarily live in the same are. I mean, though locally and mentally connected, they may be geographically remote. They work on small projects that aim to re-activate local town, business, food, culture etc. Each of them stands at different position, has different perspective, different skill set. Sometimes, a leader or majority of the project members are not original residents of the town where projects emerges.

Though I still only have hypothesis, I’m convinced such new movements is a key to vitalize local communities.

あ、年明けてた。2015ってか。あれだっけ、バック・トゥ・ザ・フューチャーの年だっけ、それからテレビ版エヴァな。「時は、西暦2015年」的な。汎用人型決戦兵器に乗って地球を守る中学生たちの、いつのまにやら倍の年齢になりましたよ僕は。アラサー。こんにちは2015年、さようならを言うヒマがあったっけ、2014年。

12月後半から。会社の方は、怒涛の冬期講習。よう働いた。夏より短い分、早くて、濃い〜。子どもたち、一年よくがんばった。冬期講習というのは年をまたぐので、全然収まったり始まったりの感覚がありません継続戦です。

年賀状、書けてません書けてませんはい書けてませんよ。はがき買ったんですよ。1/6に。気づいたら寒中見舞いの時期ですよ。払い戻して同じ枚数買い直す流れだよこれ。

年末に駅構内にデカデカと貼られた「ちゃんと年賀状、ちゃんと大人」の広告フレーズが頭をよぎりますはいダメな大人ですか私。いや、おっしゃることは分かるし、あと手書きの良さというものもある程度同意するし、こういう節目の慣習を無理やりにでも意識して継続することで、メリハリもつくってものだし、いや、まぁ、はいわかります。「大切な人だからこそ手間暇をかけて年賀状を」とか「忙しいなかでも逆算してタイムマネジメントをして宛名整理からデザインから宛名印刷から発送までを年内に終わらせるのが立派な大人です」とか「年賀状の字には人柄があらわれます」とか色んな正論が思考の彼方から飛んできます。でもねあれなんですよ、いまとなってはLINEやFBメッセの方が飛んでくるスピードが早いし、受け手からしてもそっちの方が楽だって人もいるし、必ずしも出すことが受け手へのベストな思いやりの表し方とは限らないあれにもなってきているわ、出すなら出すでちゃんとしたいわなのでお金も時間もけっこうなパンチとなるわで、色々トータル考えてるうちに時間が過ぎていくわけで年賀状どうする問題は意外と難しいのです。

とかいったら「年賀状かメールかの判断も含めて、相手の状況やニーズを事前によく見極め、新年の挨拶の経路方法タイミングを分け、それぞれが年始に間に合うように逆算して準備行動するのが立派な社会人です」とか更に正論を上乗せできそうなので、もはや黙るしかない。

出してくださった方ごめんなさい届いてます読んでます超嬉しいです近々寒中お見舞いしつつお返事お送りしますよごめんなさい。

冬期講習が終わりまして、早朝新幹線で長野県は小布施町に向かっております。去年取材に行ったご縁で、出版関連のプロジェクトが立ち、その相談とインタビューに。

以下、メモのような、ほんとにただの日記。

12/26(金)
子ども向けのプロジェクションマッピング講座、2回目。大盛況。ゲスト講師のみなさまお世話になりました。

12/27(土)
冬期講習。記憶、ない。

12/28(日)
冬期講習。会社の年内締め日。配属拠点は数字の上でもバッチリ結果を出して気持ちの良いお酒が飲めましたとさ。マネージャーとパイセンと3人でハブに流れこんで「終電までな!」と言いつつ見事に逃す。2amぐらいまで飲む。来年以降のこととか、根本的な課題のこととか、たくさん話す。タクシー相乗りで順次降りていく感じで解散。

12/29(月)
汝、論文を書くべし。渋谷の方の別の会社に出社。そっちも前週で締まったはずなんだけど、同い年のプロパー社員とオフィスを開けて仲良く作業。夜、担当記事のインタビュイーと合流してモツ鍋つつきながら追加インタビュー。完成は年明け持ち越し。夜の渋谷が思ったより人少なかった。

12/30(火)
汝、論文を書くべし。
書けた。

まだ東京にいた同居人2人と大掃除をした。共用スペースは綺麗になったけど、自分の部屋は、まだ。そもそも物が少ないが。3人で昼飯を食った。中華、と、ビール。阿佐ヶ谷の商店街、えらい賑わってた。年末感。

夜、友人のシェアハウス、通称「田端の実家」に顔出す。みんなで鍋つついて、そのまま当然のごとく宿泊。実家感半端ない。人生儲からんなっちゅう話をした。楽しいけど。
早く労働者からヒモに転職したい。

12/31(水)
渋谷の方の会社でお世話になってるパイセンと会って来年の相談をした。関われる時間も限られてるなか色々考えて挑戦させてもらってるので、よく考えねば。問い立てをもっと精緻化しよう。
良いものと、面白いものと、売れるものは必ずしも一致しないって話。売れっ子編集者さんの言。大前提として良い物を作らなきゃなので、起点の問い立てや動機は超大事だのだけど、その先、面白くして、売ってくところまでは、編集=演出が鍵。
来年は連載を持つぞぉ。

汝、メルマガを書くべし。
書けた。

汝、記事を書くべし。
1本、書けた。もう1本、書けてない。

夕方、新幹線で神戸の実家に帰ろうと、荷造りをして家を出た。そういえば、と、年の瀬の挨拶の電話を一本。バタバタしてて年末会えなかったので。「まだ阿佐ヶ谷にいるの?実家は終電で帰れれば良いんでしょ。高円寺に飲みにおいでよ」

行った。飲んだ。気づいたらオフィスに移動してみんなでボードゲームをしていた。いわきは「貴千」のかまぼこがあった。うめぇんだこれ。みどりのたぬきを買って年越しそばを食べた。ボードゲームをしながらテレビをつけて紅白を横目で見た。
年が明けた。2015!
あれ?
ま、いっか。

1/1(木)
3時か4時ぐらいまでボードゲームして解散。うち2名と近くの神社に初詣。まさか高円寺で年越しするとは思わなんだ。これもまたよし。
安定の末吉。
そのまま始発で新幹線乗れば9時台には神戸の実家に帰れるだろう、そのまえにいったん阿佐ヶ谷に帰ってシャワー浴び用。

起きたら8時。
あれ?

電話、実家母、呆れる。
実家家族、初詣は京都伏見が恒例。というわけでお昼頃に京都で直接合流することに。
伏見、めっちゃ人多い。去年より様々な国からのお客さんが増えた。飛び交う言語が多い。よきことだ。
参拝。山、登る。
途中から、雪。どんどこ降る。
祖父、もう90歳。元気は元気だが、やはり年なので、本人強がるが、休み休み、登る。
岡山の母方の方のじいちゃん、だんだん弱ってる。今回顔出せなかった。色々考える。
父、髪が薄くなった。仕事、苦労している。円安。

夕方、鶴橋へ。花園でラグビー観戦していた石巻の頃の団体のしゃちょー夫妻とその友人夫妻とあともう一人大学のパイセンと合流。試合観たかった。めっちゃ良かったらしい。
コリアン街、ほとんど店空いてなくてシャッターも降りており、ちょっとしたトルネコの不思議のダンジョン。
この頃すでに大雪。寒い。
予約してくれてた店に入る。あったかい。
サムギョプサルうまー。
良き新年会であった。

年賀状、書けてない。
はがき、持ってない。

12月の家計簿をつけた。
コンビニのレシートばっかりで、凹んだ。
食が、まずしい。まづしいよ。
専門はヘルスケアです。もっというと習慣形成とか行動変容です。はい。
来年は、いやいや今年は、もうちょい健康的な生活をだな。

1/2(金)
大阪で、久しぶりの再会。
初売りで、ルクアが戦場のようだ。
バーゲンに興味はなく、ランチ目当てだったのだが、えらい時間かかった。もうちょい中心離れた場所にすればよかったか。まあいいか。
ワインを開ける。ピザを食らう。

帰宅。隣の祖父母家に、茨木のおじおば、来る。挨拶。
実家の父母よりネットリテラシーある。
名前でググられてた。なんならツイッターとか見られてた。
白目。
まぁ、いいか。

夜、高校の同窓会。40人ぐらいか。うだうだ飲みながら話した。東京に来た人けっこう増えたね。仕事とかで。

からの、まさかの小学校同窓会。
びっくりした。
高校同窓会にいた、小学生からの同級生の誘いで参加。 男子8人。意外と覚えてるもんだ。
とても良かった。

なんばへ。
積雪の影響で夜行バスが出発一時間遅れ。
これ、長い旅になりそうだ。

1/3(土)
案の定、渋滞、到着2時間半遅れ。
新宿まで待てず横浜で降りて電車に切り替え。
阿佐ヶ谷に帰ったの10時。疲れた。
身体バッキバキやで。

シャワーを浴びて、なぜかそのまま7kmほど走った。
そのあとスクワットもした。
こういうのを1月病という。

翌日の仕事の準備とか、書き物とか、した。

年賀状、はがき買えてない。
原稿、まだある。

1/4(日)
仕事はじめ。
冬期講習は絶賛継続中。当然のフルコマ。
楽しかった。新年の挨拶もかわしーの。

でもなんだか体調がおかしい。寒い。
あと、すんげー筋肉痛。
完全にこれ昨日の長旅と運動のせいだわ。
知ってました。

1/5(月)
あ、これ、体調悪い。
知ってました。

昼、本社へ。
社内の英語講師と面談。
留学から帰ってから全然日本で英語使わないので危機感あって受講していたのだ。来期どうしようね、すでに余裕で合格ラインだよねって話。まぁ、そらそうだわなぁ。
自分でなんか企画して英語でリサーチや提言をするみたいなのにしようか。

午後、渋谷の方の会社へ出社。
明けましておめでとうございます。
が、打ち合わせしたい相手がいなかったので、ひとり作業。
あ、これ、体調悪い。
帰ることにした。

途中から寒気と関節痛がしたのね。
あ、これやばい、インフルだったら多方面に超迷惑かかるどうしようやばいれ
と思って慌てて阿佐ヶ谷のクリニックに行った。
めっちゃ混んでた。1時間ぐらい待った。
熱はかったら36度台。全然だった。あれ?
待ってる間にうたた寝。
起きたらちょっと楽なってた。
インフルエンザ、陰性。まぁ、熱なかったしね。
じゃあこれなんなんだ。
総合風邪薬だけもらって帰宅。
寝た。

1/6(火)
休みだけど会社の人とランチしながら面談。
来年度のことを色々話す。
やるぞぉ。

年賀はがきを買った。

あ、やっぱりこれ、体調悪い。
インフルじゃないのに。
吐き気と、胃腸の気持ち悪さ。
謎。
マツキヨで漢方を買う。
飲む。
家でなんかとりあえずしょうがとか健康に良さそう系の食材ありあわせであったかいもん食った
寝た。

1/7(水)
冬期講習、絶賛継続中。
記憶ない。
あ、やっぱりこれ、体調悪い。
早め、といっても21時半だが、に退勤して寝る。

ごめんなさいこれ年賀状書けないです。

1/8(木)
冬期講習。
よく覚えてない。
色んなものを飲んで体力は持たせた。
メールとかだけ済ませて、寝た。

1/9(金)
あ、回復気味。
出社。冬期講習。
外部機関の方と面談あり。
また色々考える材料をいただいた。悶々。
働いた。

1/10(土)
冬期講習。
働いた。

1/11(日)
冬期講習。
高校受験が近い。がんばれ。
また色々考える材料をいただいた。悶々。
冬期講習おわた…

Advent / 4本のろうそく

When I visited an exhibition of Venetian glass at a museum, I found an explanatory text which described “Advent,” a religious season and custom of Western Cristian. Advent, the term meaning “coming,” is a four-week period of expectant waiting and preparation for the celebration of the Nativity of Jesus at Christmas. During the four weeks of Advent, Western Christian families fire a candle on each Sunday until Christmas. When I wrote the explanatory, I suddenly saw a vision of a small family firing a candle. Parents and a girl smiling. Though I’m not a Christian, nor am I not belonging to any specific religion, I realized how religion supports people. Religion makes culture. Culture instills customs in people’s life. Customs make rhythms that supports their minds. Prayer as a custom, may purify you. It’s long time I’ve lost a rhythm to pray (for something).

ヴェネチアングラスの展示を見た。作品解説の板に「アドヴェント」というキリスト教の時節・習慣のことが記してあって、それを読んだ。クリスマス・イブまでの4週間、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間だということだ。毎週日曜日に、1本ずつろうそくを灯し、その数を増やしていく習慣があるらしい。

読んだ瞬間にビジョンが浮かんで、それは、今か今かと興奮してイブを待つ少女を中心に、一本目のろうそくに火を灯す、どこかの国の小さくつつましく敬虔な家族であったのだけど、あぁ、宗教が人を支えるというのは、こういうものだなと感じた。

身の回りの友人にも、神に仕えることや、祈ることを自身の道とする人も少なからずいる。一方、僕はとんと霊感もなく、特定単一の宗教に帰依しているわけでもなく、ただぼんやりと日本的小市民なりの俗っぽさと信心深さを併せ弄んでいるだけである。だけど、信心や霊感や実在はさておいて、態度としての宗教、または文化や習慣としての祈ること、には人を支える力があると確信している。アドヴェントの間、毎週1本ずつ灯されていくろうそくは、寒い冬、小さき人の心に、ひとひらの希望とひとすじの緊張感をもたらすに違いない。そういう”習慣”が根付いている宗教というものを、美しく思う。

これを書きながら一人の友のことを思い出した。1年半ほど前か、渋谷の沖縄料理屋で食事をしていた時に、「祈る時間がもっと必要だなと、最近思う」と彼が言っていたことを。好きではない女とセックスをした時に涅槃の心境に至ったとも言っていた。元気にしているだろうか。

レーモン・クノーの『文体練習』より その9 語順改変

斜め前方の、カップに、乗ると、マフラーを巻いた、月曜夜の、バルタン星人が、山手線に、気づいた。車内に、乗ってしまった。ほどよく混雑した、やせ型の、中年女性が、小柄な、男と、代々木駅で、カップルが、宇宙忍者だと、うとうとしながら、話しているのに、いじっている。壁広告の、指輪をした、中年男性が、女の、頭を、コツンと、ぶつけた。中野止まりの、マックコーヒーの、男は、降りて、夢中で、立っている。女は、スマートフォンを、口に当て、新宿駅に、降りると、フリースを着て、また乗り込んだ。

レーモン・クノーの『文体練習』より その8 予言

月曜日の夜8時過ぎ、君は渋谷駅から山手線に乗り込むことになるだろう。車内の混雑具合は中程度のはずだが、乗客の中に若い男女のカップルがいることに気づくと思う。男は170cm強のやせ形で、ピーコートにマフラーというあまり特徴のない冬の装いをしているはずだが、車内の壁広告にあるバルタン星人の姿を見て、「宇宙忍者だって」と言い出すはずだ。女は茶髪のボブヘアーで、手にはマックコーヒーのカップを持っていると思うが、君はその手に目を向けた時、左手薬指に輝く指輪の存在に気づくだろう。壁広告をきっかけにした世間話がひとしきり終わった後、二人はじゃれ合うようにして、頭をコツンとぶつけ合うに違いない。

さて君は、3駅先の新宿駅のホームに降り立つわけだが、そこで向かいのホームの女性の後ろに立つことになるだろう。黒い上着を着てずんぐりとした体型の中年女性なのだが、手元のスマホゲームに夢中になっているはずだ。君はその様子を彼女の肩越しから見つめるわけだが、観察に夢中になるあまり、中野止まりの中央線各駅電車に乗ってしまうに違いない。

レーモン・クノーの『文体練習』より その7 夢

 長く長く続く暗いトンネルのなか、まばらに掛かったカンテラだけが僅かに辺りを照らしている。どうやら私以外も大勢人がいるようだが、どんな顔で、どんな格好をしているのかほとんど検討がつかない。進むでもなく戻るでもなく静かに立ち尽くしている。ふいに後ろから声がしたので振り返ると、明かりの下に二人の若い男女がいて、何やらひそひそ声で話している。揃いのマフラーを巻いて身を寄せ合う二人は、この暗闇がどこまで続こうとも関係ないさという、ある種の楽観を備えているようだった。
 また別の夢。私は大きく開けた平地に立っている。どこからともなくラジオ放送が流れてくるが、何を言っているのか理解できない。10歩、20歩と歩みを進めると、一人の女性の背中にぶつかった。しかし彼女は何の反応も示さず、ただひたすらに手元の銀盤を指で叩いている。私はその行為の意味を推理し始めた。だが、その答えが出る前に、私の思考は寸断された。突如眼前に巨大な馬車が現れ、中から伸びた手に首根っこを掴まれて、そのまま連れ去られていってしまったのである。

レーモン・クノーの『文体練習』より その6 びっくり

いやぁ、おかしいのなんの!こないだの山手線の会話!なにがおかしいって?突然バルタン星人の話を始めたんだよ!後ろのカップルがさ!「宇宙忍者なんだって。知ってた」だと!は!知ってるさ、そんなことは!こちとら幼少期からVHSでウルトラマン全話視聴して育ったんだぜ!挙句の果てに、男の方が「宇宙海賊スペースコブラみたいだ」なんて言い出しやがってさ!女が「なにそれ?」って聞き返したのに男の方は「知らない。なんか先輩がこないだ言ってた」知らねぇで言ってやがんの!その後そいつらは仲よさげに頭をコツンて当て合うわけさ!ウルトラ頭突きってか!

それから新宿駅でホームに降りて、何を見たと思う?中年の女が夢中でスマホゲームを弄ってやがんの!指をクルクル回してさ!何やってるか分かったもんじゃない!おまけにその女の観察に気を取られた俺は、それが中野止まりと気付かず中央線各駅停車に乗ってしまったってわけ!降りてから次の電車を待つまでの退屈さと言ったら!