指定語句: 持参金 銃剣 敵 チャペル 空気 バスティーユ広場 手紙
ある夜私は、見合い一度で結婚を決めたという一人娘に渡すための持参金を握りしめ、山手線に乗り込んだ。車内はやや混雑しており、私は反対側の扉の脇までつめて一息をついた。少し一後に組のカップルが乗り込んできて、私のすぐ背後に立ち止まった。男はやせ型でやや背が高かったが、おかしなことに銃剣を持っていない。銃剣を持っていないでどうして傍らの女を守ることが出来るのかと、私は訝しく思った。そんな私の懸念をよそに、二人は車内広告を見ながら「バルタン星人だ」「宇宙忍者なんだって。知ってた?」などと呑気な話を繰り広げている。そんなことでは敵が襲いかかってきたときにどうするというのか。仮にもし今その広告から怪獣が飛び出してきたとしたら、男は銃剣も持たずに敵を撃退することができるのか。いつかはチャペルで幸福な式を挙げるつもりだろうに、と、そこまで考えたところで私は、自分の娘と例の男の場合は神前式とチャペルでの式と、はてどちらだったかなと思考を巡らせた。ところが考えてみても答えが出るはずもない。なぜなら私は相手の男に会ったこともないのだから。一方、私の逡巡をよそに二人の男女は、額をコツリと当て合いながら、甘くまどろんだ空気を醸し出していた。
10分も経たないうちに電車は新宿駅につき、私は持参金を落とすまいと再び強く握りしめながらホームに降り立った。向かいまで移動して中央線を持っていると、列の前にいる中年の女がスマートフォンで懸命に敵と戦っている様子が目に入った。その攻防はさながらバスティーユ広場での血戦という趣きである。そうこうしているうちに電車がやって来たので乗り込んだが、私は迂闊にも中野止まりの電車に乗ってしまったことに気がついた。私の行き先は中野よりはるか西である。おまけに娘に渡すはずの手紙も忘れて来ていたことに、気がついた。