Surely I need… / 夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ

“Maintenance” doesn’t mean no-change. Keep changing, that only can balance your life.

After coming back to Japan, I’m still living on busy days, and have not yet completed preparation for a new life from 1st April, nor haven’t finished a few works I’m involved in. Yes, I know, life doesn’t change so easily, nor in a so simple way. Every transition is gradual process, so I need to manage my time by myself. While starting new job and life in new town (Asagaya), I need to meet finished writing and reporting, and meeting friends who welcome me back. Yes, it’s my fortunate, so many person take care of me, and give opportunities. It’s my responsibility to reply to them, and I hope to do so. Surely I need a little change.

Only one simple fact is, this is Spring. Cherry blossom and warm weather makes me happy.

午前は健康診断。中央線各停に乗って阿佐ヶ谷から大久保、新宿検診プラザへ。今日も人身事故があり、電車に遅れが出ているらしい。僕は、駅に着いた際にその遅れてきた電車に乗ったから、別に影響は受けていないのだけど。車内アナウンスを聞きながら、考えた。中央線はよく停まるが、その発生頻度と原因はどのように分布しているのだろう。つまり、電車が停まるようなアクシデントが起こるのはどの駅が多いのか、またその原因のうち、悲しいことに飛び込み自殺や転落事故による死亡・負傷がどれぐらいを占めるのか、線路上にちょっと人が入ってきたとかゴミが飛んできたとかいう、大事に至らないトラブルと比べてどれぐらい死傷事故が多いのか、それぞれのケースにおいて復旧に要する時間はどんなものなのか。そのオペレーションは。気になった。JR車内にはもちろんデータが蓄積されていることだろうと思うが、それは対外的に公表されているのか、インタビューすれば教えてもらえるものなのか。学問的にどのような調査研究があるか(実態調査か、予防・減少のための介入研究か)。都内のどこかで電車が停まるたび、その情報は瞬時にtwitterで流れてくるような時代にあって、なんなら乗客の立場としては「こんなときに人身事故かよ、急いでるのにふざけんなよ」と、余裕がなければそんな気持ちにもなる世の中に生きて、だけれどもその内実は何も知らない。亡くなった人の個人としての物語はおろか、それよりマクロな、統計上の数値、概観すら、実は知らないのだ。

もちろん日常生活でいちいち事故の詳細、たとえば死体が、どんな壊れ方をしたかなどという情報を全員に知らせていては、それはそれで社会がどんよりしたものになる。そんな懲罰的に耐えられる精神を持った人はほとんどいないだろう。だから日々の平板な「人身事故により運行に遅れが生じております」アナウンスも、社会のひとつの優しさである。

午後に田口ランディさんと村上光照師の対談イベントに行った。座禅とかみさまとほとけさま、というタイトル。ランディさんの新刊刊行記念とのこと。ランディさんを生で見るのは初めてだ。本がとても好きなのだ。想像していた以上に小さかった。それからランディさんと村上先生の笑顔はびっくりするほどかわいかった。

身の回りにスピリチアルだったりリリジャスなものに従事している人が多く、それ以外でもなんというか震災後のご縁は地方指向とかロハス・エコとか、狩猟と屠殺とか、食文化とか、ものづくりとか、舞踊とか、身体性重視な感じの人が多くて、自分もまぁなんだそっちの方向に向かっている気がしないでもないしとはいえ霊感はからきし無いしなんだけど、難しいのが僕はまだ「一抜けた」できないというか、やっぱり向上心とか反骨心とか悔しさとか寂しさとか欲とかそういう負の感情が自分を奮い立たせドライブしてくれている部分も非常に大きく、なんだ、若いんだ。要は。

だからこういう場にいて、時間を過ごすというのはいつも難しい。自分で選んで赴いているのだけど、どうも場違いな気がするし、自分にとってこういう類のものが必要なのかもまだ必要でないのかも微妙なところだ。

白金でちょっとだけ会って、桜のポストカードを渡した。
夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ。


うとうとしながら丸の内線で阿佐ヶ谷南駅に降りてそこから北上して帰宅する過程で横浜家系ラーメンの店があって以前から一度入ってみようかなという気になっていたのでこの際いいかと思い入って食べてみたら案の定もう僕の身体はとんこつラーメンがそんなに好きでないようでもちろん確かに美味しいのだけど単純にしんどくて最後までスープを飲みきれず「お残しは許しまへんで」の日本人的美徳を守ることもできずあーあとなって帰宅した。いつもより早い時間に帰宅した。色々やることがあるから進めようと思ったけど結局そのまま電気も消さずに朝まで寝てしまった。

それにしたって部屋が散らかっていて不可ない。家具もまだ揃っていないから本が床に平積みなのだ。

ちゃんとごはんをつくろう

Different scenery / ふたり、祝い、それからおうち

To attend my close friend’s wedding, I went to Yokohama, and on the way I looked over buildings in Tokyo from the train window. When I go through Nakameguro and Jiyuugaoka stations, I remembered that I had explained to those Japanese friends who traveled to NYC while I lived in Park Slope, Brooklyn, that Park Slope in NYC corresponds to or Jiyuugaoka or Nakameguro in Tokyo since they shared similar characteristics (quiet neighborhood, good café and restaurant, relatively higher-income residents). But, I’ve realized they are different cities. Though similar functions in the two metropolitan cities, everything is different: building, street, train, people, color in the sky… and then I again realized, I had left NYC and came back to Tokyo. Of course I don’t miss the past days. I don’t miss NYC. I don’t regret to come back to Japan. It’s not a question of which city I like better. In my life I’ve never ‘chosen’ places to live and work, I had just moved, stayed and enjoyed each time, and then moved again when I got the time. Well… so this description is nothing to do with my emotion. I just understand I’m back now, and I’ve found how I loved NYC.

「ブルックリンのパークスロープって、まぁ東京で例えれば中目黒とか自由が丘みたいなエリアでさ」なんて日本から遊びに来た友人に説明していたところの中目黒が、だけどやっぱり似ても似つかない街並みだということを見せつけられ、僕は電車に揺られそのまま横浜へ。午後からは友人カップルの結婚式、披露宴、二次会。かれこれもう7年ぐらいの付き合いになるのか、ふたりとは。

別に結婚でなくとも良いのだけど、2人の人間がパートナー関係にあって、そのどちらか一方とだけ友人なのは誰でも普通にあることだけど、カップルの両方とも知っていて、仲良しだというのはそんなに多くない。今回の2人はその数少ない友人カップルの1つで、なおかつ、2人のためなら自分にできることはなんでもしたいと思えるぐらい慕っていて大好きな、もっと数少ない2人組の1つである。

とても良い式だったのさ。

2人が添い遂げて、婚姻関係、家族関係に入るというのはとてもすごいことで、久しくそれがうまくいかないでいる僕には奇跡のように思える。とかいって、自分に引きつけて比べて考えるとどんどん自分のことばかり考えだしてしまうのは僕の悪いくせで、そうなるともう相手の話じゃなくなってしまうのだけど、今回は上述の通り数少ない僕の大好きな2人、2人として慕っている友人達の祝いの席なものだから、そんな小賢しいことを考える余地もないぐらい素直に嬉しく楽しく幸せな気持ちになった。

帰国が間に合って本当に良かった。

お祝いの品は何にしようか。

ところで2人が住んでいて、僕もしょっちゅう遊びに行き、しまいには昨年の夏、仕事での一時帰国中は居候させてもらっていた阿佐ヶ谷のシェアハウスがある。で、2人が結婚に伴い退去したので、僕が入居した。お客さんと居候を経て本住人である。このシェアハウスも、かれこれ6,7年続いているんじゃなかろうか。披露宴の席には、歴代住人とオーナーさん家族が集まっており、なんというかこう、会社や高校、大学、ご家族など他の枠でご出席の方々と並ぶぐらいの一大勢力をなしており、ここまでくると一族郎党と言って良いぐらいである。

2人が出て行って僕がちょこんと入ったわけだ。歴代住人とにもともと付き合いがあった人も多いけれど、なんだか今日は今までとちょっと違う心持ちになった。相変わらず未来は不透明の浮浪者気質で、阿佐ヶ谷にもいつまで住むか分からない。けれど、ともかくも、僕はこの町の市民として、この家の一員として、暮らすのだ。NYから帰ってきて、ここが次のホームなのだ。

そういえば僕は今まで住む場所や働く場所を、複数の選択肢の中から自ら「選んだ」ということがない。来たご縁を受け止めて、の繰り返しである(その意味では自ら意思決定しているけれど)。そうしたもんかな、とも思うが。

風は吹いたり止んだりする。

Any day, any time

“You’ve not been here long time.”
At Cafe Martin, beginning of March, He said to me.
“I’ve been crazy busy these days. I’ll leave NY next Monday.”
“Back to home?”
“Yes, Japan.”
“How do you like NYC?”
“I love it, I really enjoyed. I also like here.”
He never smiles as always, and pass me a cup of latte.

Yes, actually, I had been crazy busy during the last a few weeks of February and March before I went back to Japan. I had already finished my MPH course in December last year, but had stayed for 3 month more in NYC still. Working remotely for a research project on home care in Europe, I dedicated myself for the two events in early March to spread stories of my loving people in Tohoku. The first one was on 1st and 2nd March at J-LABO Brooklyn by J-COLLABO, “Kaleidoscoping Tohoku – 3 years after the disaster in 2011 –”. Second one was a symposium by Consortium for Japan Relief (CJR) “”

Cafe to cafe, meeting friend to friend, filled with love and caffein (and beer and wine at night).


Before opening the CJR symposium. After 3 years since the Tohoku disaster, now I have more and more precious friends working together for Tohoku, across generation, language, nationality, ethnicity, place, and profession. I didn’t expect that when I came to NY in Fall 2012. I was empowered and raised up by NYC and you, friends here.


The last jazz at subway station before my flight.


My friends held a farewell party at my apartment for me. Much of love, food, drink and live painting. Thanks.

At Cafe Martin, on 10th March, in the morning.
“What time is your flight today?”
He asked me, without smile, as always.
“1 pm from JFK”
I answered, though I didn’t expect he remembered the exact day of my flight, and even asked me the time.
“Thank you so much.”
I received a cup of latte and said.
“See you next time.”
He replied.

「なんだぁ、帰っちゃうんだ。悠平くんそのままNYいるもんだと思ってた」
「いやぁ、次の仕事が日本であって」
「NY離れるの寂しいんじゃないの?」
「や、大丈夫っす、またすぐ帰ってくるんで!」
「お、言ったなー」

この街はいつでも誰でも受け入れてくれるから、だからいいんだ。

Ice vs. salt and shovel / 歴史へのまなざし

It got a little warmer, snow melted half, therefore streets are terribly tough to walk with dirty melted water at neighborhood. I enjoyed a cup of morning latter at Cafe Martin, read articles for a while, and then went back to home to do snow shoveling. This time’s harder than ever. Despite half melt snow, surface of the street was covered with hard ice. A snow plough I usually use never worked. So I bought bags of salt for melting.

Sprinkled the road with the salt, and waited. But it rarely helped, the ice was so strong!

A man working at a neighbor design studio helped me with stronger steel-made shovels. We used them and attacked the ice.

Well, we’ve done well, now the road is safe. But… soon it began raining. I guessed it would be iced again during the night. Was my work in vain? Better than nothing, hopefully.

というわけで雪かき、というか削氷作業をしたのだけど、作業中に雨が降り出して、せっかく綺麗で安全になった路上にはまたポツポツ水が溜まり、今夜の気温如何によっては水は夜更け過ぎに氷へと変わることが予想だれ、全部とは言わないまでも路面の一部はツルツルに凍ってしまうのじゃないかという話で、まったくもって山下達郎どころじゃないよという心境であります。

誰だっけか、北海道に住む人がしていたツイートを思い出した。雪国に住むと、「やってもムダな抗いだけどやらないともっと酷くなること」の重要性を雪かきを通して学ぶことができるとかなんとか、そういうの。ここは雪国というほどではないけれど、まったく同感である。Better than nothing, hopefully. 世の中の仕事の多くはそういうものなんじゃないか、と思う。若いとイノベーションだのインパクトだの息巻くけど、雪かき的、あるいは沈みゆくボートから水をかき出す作業的なものってどうしても必要で、それが辛うじて社会を支えていたりもするのだろう。

帰国日は3/10に決めてチケットも取ったから、その日までの家賃をまとめて引き出したら、ドル口座の残金が200ドルぐらいになって、ちょっと笑えた。まぁ節制すればギリギリかなというのと、日本の円口座で入金される仕事をここ数ヶ月はいただいているから、そこでがんばれって日本のクレカ払いすれば大半問題ないのだけど、3月は3月で帰省やら引っ越しやらで出費がかさむし、4月が次の会社の入社月なので4月〜5月末までは3月までの仕事の収入でなんとか乗り切らなきゃいけないし、これはなかなか綱渡りでもあって、飛行機チケットや引っ越し荷物の発送など、大きな出費の引き落とし日を、クレカの決済タイミングによって微妙にずらすという芸当が求められる。ということで、大学院も終わって自由の身、NY満喫して帰る、というわけにもいかず、シコシコとデスクワークをしながら、合間にあまりカネのかからない遊び(学生証使って美術館行くとか、散歩とか)をして、3月には最後の仕上げとして東北関連のイベントをして、そんで帰国、ということになりそうです。デトロイトとか、ニューオリンズとか、サンフランシスコとか、願わくばショートトリップしたいなとか思っていたけどとてもとても。まぁ仕方ない。

夜は3月の打ち合わせも兼ねて食事をした。こちらでの暮らしが長い人は、やはり経験的に、色々なリスク想定が僕よりはるかに広く及んでいて、勉強になる。特に社会的イシューになると、色んな視点、価値観の人が、色々なことをおっしゃるから、全方位気を配って準備していかなければならない。がんばろう。うん。

打ち合わせをしながら、その人の生きてきた歴史に思いを馳せて、ちょっとひそかに感動したりもしていた。勝手に。今日みたいに、年長の方、自分より長く生きている方とお話するとよくある。いや、歳下や同年代でも勿論あるのだけど。こういう時にrespectという言葉がピッタリなのだと思う。

これまた雪かきのところでふれた話に戻るけど、若いとどうしても「今」に思考と目線が集中しがちで、そして若いということは確かに新しいものが見えているということもあるから、役割としてそれでも良いのだろうけど、やはり歴史へのまなざしが大切なのじゃなかろうかといつも思う。若い世代(僕もその中に入るのだろうけど)からしたら古臭く非効率でナンセンスに見えることは世の中に少なからずあるのだけれど、そうなった、そうある理由も必ずあって。その歴史を全体として見つめることができれば、少しは傲慢さが抑えられるのではないかなと思う。

歳が離れれば世代論、同世代間ではリア充・出世競争、所属が違えばエイリアン。とかく世間は騒がしい。世の中そうしたものさというペシミズムと、そんなものほんとはすり抜けられるはずなのにという諦めの悪さがある。現在だけを切り取れば価値観は否めない。惚れもすれば嫌悪もするだろう。だけど、その人や自分の中に刻まれ折り重なった、個人史・社会史・人類史への眼差しを持つことができれば、どうだろう。何かを悪く言うのは、とても難しいことではないだろうか。

「そう生きるしかなかった」結果の、たとえば木綿のハンカチーフを、どう掴むことができるかな。やさしくそっと受け取れるかな。

Meet with Chagall / 現在から見た未来と未来からみた現在

After lining for almost one hour, I met with Chagall at the Jewish Museum on the last day of the Exhibition “Chagall Love, War and Exile.” The exhibition mainly focused on the era of WWII during which Chagall’s works highlighted his sorrow, anger and anxiety against the war and persecution on Jews (that also revoked his identity as Jewish). I really loved his early fantastic and beautiful works with silent night blue, but didn’t know well about the works of the era on the exhibition. These were, though still beautiful, astonishing and vivid expressions.I stopped and only kept standing by one of the works “Study for the Revolution.”

夜はブルックリンで友人と久しぶりに会って彼の彼女と、ちょうど来ていた日本の後輩と夕食を食べた。ピタが美味しい中東料理の店。今日はずいぶん暖かいけどまた明日は雪が降るらしい。参った。

その後輩は、大学4年生で内定者で最後の春休みで卒業旅行中である。ニューヨークで暮らしたり留学したいとのことで、仕事のことや暮らしのことを色々質問してくれた。正直な子で、それがとても良いことだと思うけど、26,7でまたヒヨッコの俺らが、ただNYにいるというだけのことでもって期待値を上げてもらっても、キラキラした将来を見ている22歳の彼女に何を言ったものかなというのは少し困った。困った、といってもキレイ事でごまかしたり遠慮する間柄でもないので、ただ思うこと、日々のことを話した。地味に。

帰ってFacebookを開いたら友人がハフポストの「仕事が残ってても休みます」経済大国ドイツの人の働きかた」を紹介していて、その際のコメントがバランスも取れていて自分の実感もこもっていて良いなぁと思い、少しチャットした。そのまま最近の「働き方論」の過剰さと、それぞれが感じていることをしゃべった。しゃべったというのはチャットね。FBの。当該記事自体は別にどっちでも良いのだけど、クオリティオブライフやらワークライフバランスやらの最適値が仮にあるとしても、働く本人のキャパや価値観って、自己認識も他者評価も変動的かつ不可知かつ個人差あるから、「働き方」「生き方」系の記事・コンテンツをいくら読んでも分かるもんでもないし、それゆえネタ配給は止むことがないなぁというのが思うところだ。

で、それで、夕食中に彼女にも言ったことなのだけど、キャリアと、それに付随する収入や社会的評価、できることって必ずしも単線的に伸びていくものではないから(たぶん)、芽が出ない時期もあるのだけど、ひとまずの仮説を元に、時には更新し時には捨て、日々を地道に重ね続けるしかないのだという話。現在から見た未来と未来からみた現在は違う景色だから。

表現する人とその作品に対してできること

10年ぐらい前は、世の中には「アーティスト」という人種がいて、そういう人たちはお茶の間のテレビを通してしか見ることのない特別な世界に生きているのだと思ってた。

もちろんそんなことはなくて、実際に会ってみると、ちゃんと同じ人間である。色んな人がいるが、ともかくも生きていれば腹が減るので、メシを食う必要がある。表現だけしてもそれ自体では腹は膨れないので、色んな方法で身銭を稼いでいる。そして食っていっている。

写真家さんや被写体さんやメイクさんは、スタジオを借りて一緒に「作品撮り」というものをする。自分たちの表現を追求するためでもあるし、評価の対象となる、ひいては仕事のきっかけともなり得るポートフォリオを増やすという意味もある。しかし作品撮り自体は自費折半なので、撮られた作品がすぐお金になるわけではない。なので、雑誌やテレビや広告で、クライアントありきの仕事を請けたり、写真スタジオに勤めたりして、日々の稼ぎを得たりする。こういう人たちは、一つの生業に専従しているとも言えるけれど、表現物の自己表出性と商業性は、一部重なりつつ微妙に幅を持っている。

生活の糧と表現活動を分離している人もいる。普段は全然違う仕事をしてお金を稼いで、生活の余剰で作品制作をする。そうして作った作品自体が売れることもあるけれど、それ自体を主たる収入源としては位置づけていない。表現活動を、余暇や趣味と捉えていたり、あるいは真剣だからこそお金や商業性と分離したいと思っていたり、その動機は色々だけれど。

作品制作一本で勝負している人もいる。パトロンを見つけるなりグランツを取るなりして制作費をなんとかかき集めて、作品をある程度まとまった数作り、展示やパフォーマンスの機会を作り、あるいは営業をして、作ったもののうち2つでも3つでも、単価100万や200万で売れれば収支トントン、みたいなサイクル。NYにいる間、このタイプのアーティストの個展の手伝いを何度かしたことがある。日本から大判の作品を大量かつ厳重に空輸してNYで展示するプロセスと労力を目の当たりにして、「いやこれ大変っすわ…」としみじみ思った。結婚していて子供も2人いて、これ一本で一家を養っている人なんかも、いた。うひゃあ。

生活設計全体で考えればこの他にも色んなバリエーションがあるだろうけれど、ともかくも、作品を買ってもらうというのは大変だ。まずもって生活必需品ではないものを、欲しいと思ってもらい、財布の紐を弛めてもらうのは、そう簡単ではない。

なおかつ近年では、テクノロジーの発展によって、プロとアマの距離が大きく縮まった業界もある。代表的なのは写真。日本で知り合って、NYにもちょくちょく来られるベテランの写真家さんが、ここ数年で何人も知り合いが廃業したと言っていたのは印象深かった。昔はプロの技術でないとできなかったことも、機械が勝手に調整してくれるから、無理にプロに頼まなくても事足りる事例と領域が増えたのだ。だからこそ、写真一本でプロとして仕事を貰い続けるには、世界観とか、視点とか、文脈づくりとか、技術以外の差異が必要になってくる。それから文章も。インターネットで誰でも世界中に向けて書くことができるし、プロでなくても良い文章が出てくる。書いた原稿や本にお金を出してもらえるハードルが高くなったという点では、ライターさんや作家さんも、大変だ。

別にギョーカイに詳しくなったわけではない。でもとにかく、表現をすること、より正確には表現を「続ける」ことの大変さは昔より実感を持って理解したと思う。伴って、表現する人や作品に対する接し方が変わってきた。端的に言うと、お金や時間をより多く表現物に向かって使うようになった。もっと使えるようになりたいと思っている。

表現物を「買う」ことは一番シンプルかつストレートな応援だから、自分が好きな人、応援している人の作品はなるべくお金を出して買いたい。ただ現状のところまったくもって稼ぎが少なく、なんだったら学費で借金まみれでもあるので、すぐに買えるのは、本・CD・DVDや、ライブ公演・映画のチケットなど、販売・配信規模と利用者規模ゆえに比較的単価が低く抑えられる種類のものぐらいだ。

表現作品の価格は、制作に必要な物理的な資源・経費の多寡と、作家本人の「格」-地位や名声のセットで上下する。だから大判の絵画や書画、石や鉄の彫刻、家具や家なんかはちょっと今は手が出ないし、自分が見つけて好きになった時にはすでに売れっ子である人の作品とかは、目眩がするぐらいに値札のゼロの数が多い。そういう場合はせめて、展示会などがあればなるべく足を運ぶようにしている。そこで作品を観て感じたことを、考えて言葉にして、後日感想を送ったりするようにもしている(買った場合でも勿論そうだけど)。

だから最近は、もっとたくさんお金を稼ぎたいなぁとも思うようになった。自分のためだけではなくて、この人たちの作品にお金を使いたい、と思える人とのご縁が増えたから。

お金を稼ぐだけじゃなくて、その人達の表現する世界に恥ずかしくないだけの、感性とか思考とか、もっと言えば生き方を目指さなきゃいけないなぁと、思うようにもなった。

つまり、総合的に言って、「欲」が出てきた。お金とか贅沢に対しての欲じゃなくて、「成長」とか「投資」に対する欲と言って良いのか、これらの言葉が100%しっくりきているわけではないけど、何か、そう言っちゃっても良いような前のめりな熱が、自分の中に育ってきているのを感じる。もうひとつ言うと、自分自身が表現することに対する欲も。僕の場合は書くことで。勿論まだ全然売れてないんですけども。

作品づくりは、エネルギーが要る。それは表現する人の生命の、生き方の写し絵でもあるから。作る方も、受け取る方も、テキトーではやってられない。

作品と向き合う、向き合える自分であろうとすることはつまり、より善く生きるということなのだと思う。

Visit to Red Hook Initiative / 生活問題としての「書くこと」

On Monday, I visited Red Hook Initiative, an organization to empower local community.

Crossing by red brick buildings, went down to Red Hook area from my neighborhood Park Slope.

Cross the river.

Then I found their base, within 20 minutes from home.

Red Hook is one of the areas seriously damaged by Hurricane Sandy in 2012. I contacted them to know their efforts and actions after Sandy. They are providing several programs such as an educational support for children and youth in community, setting wifi networks around the neighborhood to close digital divide. These days, they’ve launched a campaign named 500 FUTURES to call for support for youth empowerment. I attended an information session to tell us what they do and will do, and to involve more allies into their actions. What impressed me was that high school students themselves are also dedicating themselves to RHI activities. AT the session, 3 youth members made a small speech and self-introduction. Though they looked a little bit shy, I felt they are surely proud of what they do and where they live. I made a small talk with staffs, and now think about if I can do something for or with them by sharing my experience at Tohoku, disaster area in Japan.

On Tuesday, a brutal winter storm come to our town. Soon the street become covered with snow. I just stayed at home, and did my research work, without imagining about going out into the cold night.

On Wednesday, fortunately, storm ceased. I shoveled snow in front of the building again. I went to the cafe as usual, bought a cup of latte, and walked around streets in the quiet evening with a little breeze.

先週末に書いた神戸の震災に関するエッセイに対して、地元の高校の先輩にFacebookでいただいたコメントにどう返したものかなと煩悶した週末だったけれどようやくそれを書いた。でも結局長々と書けば書くほど不可ない気がして、これはもうオンラインではどうにもならなず、3月に神戸に帰った時にお話できるかな、あるいは自分が各地を巡るなかで地元や神戸の震災や祈りについての思考や書き物を具体的に継続していくしかないかな、という感じである。どちらが正しいとか理解・誤解という問題ではない気がしている。文体やタイミングやメディアの問題でもあるかもしれない。いずれにせよ僕にはユーモアが足りない感じはする。だから落語をやりたいんだってば。

地元というのは、むつかしい。誰にとってもそうだろうけど、むつかしい。19年を過ごしてから東京に出て大学に進学し、卒業と震災が同じタイミングでやってきて石巻で過ごし、それから大学院でNYに行き、夏には東京に帰り、福島を訪ね、といったプロセスで、物理的にも心理的にも思考の面でも難しい距離が生まれたことはまぁ仕方がない。木綿のハンカチーフ現象というのは、誰の人生にもやってくる。

やれ文化資本だ学歴だ所得だ階層分化だとインテリぶって他人事の議論してるうちは気楽なもんだ。昔いたところを出る、自分も他人も変わりゆく、だけど捨て切れない、繋がっている。そんなのは誰にでも地べたの体験としてあり、自分の生としてそれにどう対応するかの方がよほどしんどい。また、しっかり考えなきゃいけない時期にきてる気がする。「」付きでない、のっぴきならない問題として。震災とか地元とか実家とか家庭とか恋愛とか介護とか健康とか障害とかお金とか会社とか学とか文化とか。3月半ばまで残りのNY生活、実家の神戸やじいちゃんばあちゃんの岡山に顔を出し、石巻へ帰り、ふくしま各地へ遊びに行き、再び東京へ帰って新生活の準備や手続きをし、4月から次のお仕事が始まり、そのぐるーっと回るプロセスで。

その手段として僕は結局書くことにしているのだけど、これもまた年を取るごとに難しくなってくるのだろう。リサーチの仕事を一緒にやっている会社の先輩と、打ち合わせのついでに、最近のこと、帰国後のこと、これからやっていきたいことなど話した。4月からの会社の人とも、よう話さなならんなと思う。務め人として事業的・組織的にやっていくことと、自分の日々の思索や書き物と、中心テーマが重なる場合はそう簡単ではない気がする。プロフィール欄によくある「発言は個人に属します」なんて防護壁、炎上事例を見るといざというとき何の役にも立たんだろう。

「個人の時代」とか「フラット化」とか「360度評価」って実際さほど牧歌的ユートピアでもなくて、場・相手Aに対応するペルソナAで思考・行動したつもりが、全然関係ないBやCの人から叩かれるということはいくらでもある。かといって、匿名でやれば良いという話でもなく、それでは絶対失われる文体がある。組織とか出自とか社会経済階層とか民族とか、そういう自分に付着するもろもろのラベル・絆(きずな/ほだし)・歴史を受け止めながら、間に橋を架ける文体を実現できればと思う。途中で破綻するかもしらんが。

書いたものを、どの範囲で、誰に向かってどの程度出すかというのは、日々自分と関わってくださる人たちと要所要所相談しなきゃなんない。社会の中に生きている限り、「表現は自由だ」なんてのはだいたいにおいて嘘くさい。
 
オンラインでin publicに書くのと、個人・コミュニティごとに話す・書くのと、二者択一でもなくって、うまくバランスとって社会で生きて、かつ表現してかにゃならん。

考えて、書いて、反応があって、また考えて、変化して、書いて…凝り固まらぬよう、その繰り返し。
 
教条主義に絡め取られないためには、言葉はだいたいいつでも消耗品だと思って生きるぐらいが良い。

Life goes on as such

I still rarely do small talks with a silent master at a cafe near my house. I just order and he serves coffee without smile. But gradually he remembers my preference, last day he asked me “Latte?” before I order, and today he said “see you soon” when I leave. Life goes on as such, with subtle changes.
 
 
In the evening, I met with CJR members and talked about our symposium in March. Last month, still we couldn’t figure out what we will do and who we will invite for the third year anniversary after the northern east disaster in Japan, but these two weeks we had progresses. Soon we’ll finalize guests and venue and publish ads.
 
 
At night, went to an event by RICOH, “Beauty Beyond Boundaries,” which highlights RICOH’s new product “THETA,” spherical camera.
 

近所の小さなカフェのダンディなマスターは実に寡黙で、僕も未だ注文時ほとんど世間話などしないのだけど、通うなかで顔を覚えられ好みを覚えられ、先日は注文するより先に「ラテか?」と聞かれ、今日は帰り際に「また来いよ」と言われ、そういう風に日々は続いている。

「正しくお金を貰う」「正しくお金を払う」ということをよく考える。まっとうな価値を提供できているか、あるいは貰ったものに対する敬意をまっとうな額で示すことができているか。所属や居住地が流動的で、働き方も文化も関係性も様々だから、自分なりの物差しを常に意識して持っておく必要がある。儲けとか割に合うとかばっかり気にしてもよろしくないし、かといって自分だけが極端に疲弊するような使われ方をするのも、つらい。このバランスは難しい。自分の場合は留学関係でけっこうな額のお金を借りているということもあるから、あと何年間でいくら、みたいなのも意識しなきゃいけないのだけど、それと個別の仕事でバランスするかは別の話。早く借金を返したいというのは常にあるのだけど、だからといって儲けばかり考えて仕事はしたくない。一方で、「学生だから」とか「まだ若いから」って足元見られて小間使いさせられるのもしんどいものがある。我慢しつつ挑戦しつつ、感覚を掴んでいくしかない。借金とは別に、早くしっかり稼ぎたいなと思う大きな理由は、「作る人」にちゃんとお金で敬意を表したいというのがある。つまり、作ったもの、表現物を、気に入ったのならちゃんと自分のお金で買うってこと。今も、CDとか本とかは好きなアーティストの作品はちゃんと買うし、個展やライブやイベントはなるべく行く。ただまだ、絵画とか書画とか彫刻とか、どうしても単価が大きい作品は、良いなぁと思っても買えない物が多いから、これまた分野によってラグがある。我慢。

In society / とどまる

Sometimes when I’m writing, I suddenly feel myself crazy. My thoughts sound abnormal, far from standard in society. Today was such a day. Almost became embarrassed or depressed. Safely I met with friends in the evening. A duck noodle I ate at a Thai food restaurant with them was delicious. While I was talking with them, or eating it, I realized again each people in the world, though having lots of sufferings and challenges for each one’s life, still manage to live a day, and keep going on. This simple fact saves me, encourages me, and remains me in society.

文章を書いてるとだんだん俺頭おかしいんじゃないかという感じになって社会生活に差し障りが出る。なんでまたインターネットに向かって言葉を投げているのだと、自分が狂人なんじゃないかという気がしてくる。生きるのが恥ずかしくなる。書いている文章も、世の中の皆様に害悪をまき散らしているに過ぎないような気がしてくる。こういうのは定期的に来る。しかし、セーフだ。夕方、友人と会う。近況を聞く。仕事、学業、子育て…今日もみんなはそれぞれ踏ん張って、どうにかこうにか生きている。晩飯にタイ料理やで食ったDuck Noodleが旨い。ちょうどまた調べ物の仕事が来た。忙しくできる。それらの事実に、社会との接点に助けられる。ふみとどまる。

Welcome to America with a suspended degree

It was first time to come to campus after the year-end. I met a friend and her research colleague and had lunch together. She was in the same cohort during the first semester and also an international student from China. We were struggling with terrible classes and exams every week, but it’s almost one-year before and now we can just laugh on it.

Yes, it’s over. I’ve done all the program last month, and should receive MPH degree soon. But, here’s America, things don’t go smoothly. The reason why I came to campus today was, to talk with Dean of Students on a issue of my registration and tuition status which prevents my degree certificate. Last month on 19th, while I’m working on finals, suddenly the Office of Student Affairs emailed me “You owe school $16,754 in tuition, and cannot get a degree until you pay” “What!? I took all the course necessary to graduate and paid tuition each semester as billed!” After emails and phone calls now I figured out what happened on me. Columbia MPH Health Policy Management Department has choices of 16-month and 2-year programs, but most of us take 16-month one as default. But I was mistakenly registered as 2-year program as default, and neither I and my department faculties knew that, cos the office of Student Affairs never told or warned that. Tuition is based on flat rate, not per credit base for our school, and 2-year and 16-month programs have different rate per semester. So, accumulated difference of tuition per semester is now billed at one time, at the end of the year. OK, now I understand the official correct tuition for my 16-month program was higher than I paid, and agree I need to pay the remaining for graduation. But who expects $16,754 is billed at one time? If I was correctly placed on the 16-month program and told the correct tuition per semester, I could have taken actions to prepare money earlier.

The office closed from the week of Christmas. I checked all the previous document and email related to registration and tuition, and confirmed I had no fault. Then, today I met with the Dean of Students. They admitted their fault and gave me apology, but told they can nothing to do that happened. Because of segmented departments, Office of Student Affairs cannot compensate anything or discount anymore. They confirmed me to write any documentation to prove my academic qualification if necessary anytime, but an “official” MPH degree will be never issued unless I pay extra. I gave up cos it’s waste of time and needs further stress and energy if I sue them. Hopefully I can prepare money within a year by working hard.

年末急に降ってきたトラブル。プログラムの登録ミスで、僕に請求されていた学費の額が間違えており、正しく登録されていれば支払うべき学費に$16,000ほど足りない、支払うまで学位は出せないという通知が突然学生課の方から来た。僕は入学を一年延期したのだけど、その合格・延期・入学の間に学部のプログラムが変わり、そのとばっちりで登録ミスがあったのだけど、見落とされていたようだ。こちらにミスはなく、請求された額を遅滞なく払っており、過去のメールからもその違いを認識する余地はなかった。正規の額を払う分には文句ないが、いくらなんでも突然年末に言い渡され(謝罪もなく)、あと2ヶ月で用意しろと言われても無理がある。そりゃおかしいでしょ、なんでそんなことが起こったんですかと、学部・学生課の担当者に聞いてもお互い「分からない、あっちに聞け」となすりつけ合うばかり。結局今日、Dean of Studentsと話すことになった。結論から言うと、誤ってはくれたけど、支払いと学位の件は、担当部署が違うからどうにもならないと。ちゃんと学業を収めてMPHに値する能力がある旨を説明する書類は、必要となったらいつでも発行してくれるとのことだが、正式なMPH学位は支払いが終わるまでペンディング。Late feeは取られないし、まぁ4月からの勤め先も理解あるところなので、学位なんぞの紙切れがなくても人生に支障ないのだけど、それにしても納得がいかない。お金はまぁ、1年働けば用意できる、と思う。しかし今回被った迷惑に対する慰謝料とか、減免措置とかは無し。日本でお金を稼ぐから、支払う際もアメリカの口座への振替手数料かかるのだけど、そういうのも負担してくれるわけでもなし。訴訟とか面倒だから、これで我慢するしかないけど。なんだかなぁ。NY暮らしが長い友人には、Welcome to Americaって言われた(笑)

Shovel again / 昼夜逆転、長い1日

It’s getting colder and colder. Snow keeps mounting. Owner of the building told me it was not enough that I shoveled snow yesterday. Yes, sorry, I wrote I did snow shoveling yesterday, but actually I never knew enough what is snow shoveling. Yesterday I saw other community residents just moderately shoveled snow so people at least managed to walk through, so I did the same. But it’s not enough. If I left small amount of snow on surface of the street, it would ice up during the night and cause people slipping, that’s too dangerous. A senior man in the same building taught and helped me shoveling again, asking me “Where’s your hometown?” I answered Kobe, west side of Japan where snow rarely piles, and he said “that’s why you don’t know how.”

This is how I should have done.

Even just for living a day, there is a plenty of learning.

In the afternoon, I worked at our new gallery, J-LABO Brooklyn. I painted pipes by white paint. It looks easy and simple job, but still needs some knowledge about accurate mix of paint and water to paint smoothly each material at each situation, without letting color splattered on clothes, walls and the floor. After struggling with Sunday DIY job, the owner gave us warm and delicious soup for dinner. Outside is still awful cold.

先月に大学院が一段落ついてから、調査研究の仕事にようやく本腰を入れられるようになり、年末からほとんど机に向かって過ごしている。日本の人と一緒にやっていて、あちらの1月7日にけっこう大事な中間報告のタイミングとして検討会があるから、ここ数日は特に激しい追い込み。だんだんと昼夜逆転気味になってくる。5日と6日は2日間というより長い1日だったという感覚がある。ともあれ、こちらの6日夕方、あちらの7日朝には一段落ついた。精度の国際比較というのは難しい。まずもって言語の壁がある。英語ならまだ良いのだけど、僕が担当している国のひとつはスウェーデンだから、なかなか大変。Google Translateにお世話になっている。また、一次データの収集方法も違うから、相互に比較分析可能なようにデータを整理するのが重要だ。最後に資料や報告書をまとめる段階には、脚注をしっかり示さなければならないのだけど、普段からの整理整頓を怠っていると、メモ書きの引用元がどこにあったかと探すのにまた時間がかかる。振り返ると色々もう少し効率的に早くできたなと反省することもしばしば。調査事業は3月までで、現地調査は昨年秋に行った。あとは本当に報告書をまとめるペーパーワークの段階。緻密に、丁寧に、調べてまとめてのプロセス。しっかりやろう。

Snow and Latte

Little earlier than last year, winter storm has come. My town Brooklyn are filled with snow, of course in front of my building. Maybe it is just the second or third time for me to shovel out.

Chilly cold, but it’s ok, good exercise. Street is brighter than usual, thanks to snow reflecting the sunlight.

All the trash, refuse, recyclable materials that I and other residents threw at night, are covered with white.

After that, I went to my favorite cafe near my house. When I stand by the counter to order, the cafe master, a dandy middle aged man, quiet with little words, asked me “Latte?,” and I found that he’s remembered everytime I ordered latte. Unfortunately, today I took a cup of regular coffee! But it was still happy to know that my life in this town is peacefully continuing from 2013 to now, 2014.

去年より早いウィンターストーム。除雪剤をガンガンに巻き、各ビルの暖房効果によって比較的雪が溶けやすいマンハッタンと違って、こちらはがっつり積もった。人生で2,3度目かぐらいの、雪かき。
近所のカフェには、寡黙なナイスミドルのマスターがいるんだけど、今日もそこに行ったら注文するより先に「ラテか?」って言われた。残念ながら今日は普通のコーヒーの気分だったのだけど、いつもここでラテばかり頼んでいるのを覚えてもらったらしい。仕事に追われてなんだか大晦日も正月も知らぬ間に通り過ぎてしまったようだけど、だけど生活の時間はちゃんと連続している。2013年から2014年。

Snow allows me breathe / 心のヒマ

雪降りて 閑のとまりし メトロかな
Train easily stops or delays in this town, especially a day with such a weather. Today NY had the third snow this winter. These days I’m packed with many final papers, presentations and exams for the semester end (and for graduation), and my research and writing works, and I’m gradually losing a room to breathe. It was also the case for today’s morning. I rushed out my home in Brooklyn, and got on the train. But, as expected, train never starts, because of snow. I and other passengers waited for more than 10 minutes, and finally changed a train from R to F line. First I felt worried to be late to the class (it takes more than an hour from Park Slope in Brooklyn to my campus at Washington Heights in Upper West Manhattan), but soon I found my mind changed. Who in the world has to be in hurry in so much in life? What is so much important? I decided, to just enjoy this train trouble, and let it go slowly. I open a book of a my favorite writer’s novel and poem and enjoyed it for a while, and when a dance performance on the train by a group of boys suddenly started, I closed the book, without feeling irritated, and just enjoyed their dance (it was good than I expected).

さすがに学期末となると試験やらレポートやらで慌ただしくなる。ましてや今学期が最終学期、もうすぐ卒業となればなおさらだ。1年前と比べるとずいぶんと慣れたものだが、いただいているお仕事やら文章やらも今月がけっこう佳境であり、日々の雑事と冬の眠気も手伝ってか思うようには進まない。平静さを失っているわけでもないし、まぁなんとかできるレベルではあるが、あまり方方を待たせたくないし、「まずいなぁ」とどうにも焦る気持ちは出てくる。畢竟、呼吸も思考も浅くなる。サボっているわけでもないし、やることやっちゃあいるし、そういう時期なのだと捉えれば良いし、世俗的な意味で「充実」していることを良しとする向きもあろうが、どうしたって感性がパサツイている自覚は拭えない。こういう状態では会えないなぁという幾人かの顔が浮かぶ。「なにを瑣末なことにかかずらっているのですか」「いやそうは言ったって仕方がないのですよ」などと言い訳はすまい。

そんな折の雪である。案の定家から出るメトロは停まり、立ち往生?座り往生を食らうことになった。東京の鉄道網と比べればMTAの悪天候に対する脆弱性はその比ではない(東京は人身事故やらなんやら別の悲しい理由でよく停まるのだが、それでも本数が全然違う)。いったい我々現代都会人の生活というのはどれだけ電車に支配されていることだろう。電車が止まるだけで身動きが取れない。田舎へ行けば行ったで車社会なのだが、そうはいっても線路と道路では自由度が違う。ブルックリンの自宅からマンハッタンの北端のキャンパスまでは1時間以上かかるものだから、午後の授業のプレゼンテーションに遅れやしないかとやきもきする。しかしここで『寄生獣』という漫画のラストシーンを思い出した。人間は「心にヒマがある」から素晴らしいのだとミギーが新一に語りかける。そういうわけで、「ま、いいか」と思い直し、宮沢賢治を開き、のんびりと読み始めた。銀河鉄道とは行かないが、鈍行メトロも悪くはない。ヒマを作るのがヘタな現代人にとっては、これぐらいよくダイヤが乱れるのがちょうど良いのかもしれない。

雪降りて 閑のとまりし メトロかな

お粗末。先日久しぶりに開いた「思い出すことなど」の中で、病床の漱石が句や詩を詠んでいたことに影響されていることは勿論認める。心にヒマができたときは詠じてみようかと思う。

Close to the year end / 思い出す間もなく

As early as November, NYC had already been filled with Christmas illumination, but now December, after Thanksgiving holidays, it is the season at last. M&Ms chocolate sold with a christmas package, L’Occitane and Sabon feature christmas special gift sets (soap, oil, perfume etc.) Performers at train, platform, and street play seasonal set lists. In the afternoon today, I met a group of four middle aged guys on a Manhattan bound R train. They sang a christmas song, which I must have heard before but don’t know the name of. They had a paper bag colored with red and green, I mean christmas color, to gather tips. I felt happy to know such a tiny, but seasonal work. Every time what impress me is such train performers clearly know the time from station to station. So they start singing a song at some point between the two stations so they can timely end the one when we get to the next station. Today was also the case, and ah, genius! they got off the train and immediately rode on the next car of the same train!
海を隔てた母国では竹内まりやと山下達郎が街を席巻している頃であろうか。こちらでも聞いたことがあるようなないようなクリスマスソングが街に鳴り響いている。大学の後輩が出張で来たというのでマンハッタンまで出て行った。テレビドラマやミュージカルの影響か日本の女性にはNYに憧れがある人が多い印象があり、彼女もセックス・アンド・ザ・シティが大好きだというので今回の出張を楽しみにしていたらしい。なにかニューヨーク的なものを、というのでロックフェラーセンター前のスケートリンクに行くことにした。そうしたtypicalな観光スポットなどは、ひとたび住んでしまうと「まぁいつでも行けるだろう」と億劫になるので、こうして来客があるときに自分もその恩恵に預かって「観光」する次第である。東京やNYにかぎらず、定住してしまえば誰でもどこでもそんなものだろう。ニューヨークのクリスマスシーズンに華やかなイメージを持たれている人にはすまないが実際問題とにかく寒いのでこの時節出歩く際はみなもっさり着込んで防寒ばっちりなのでオシャレやファッションなどどこへやらである。「オシャレは我慢!」(詠み人知らず)という日出づる国の格言に従って女子高生よろしく生足など出してしまえば奇異の目で見られるであろう。
While I’m lining for the skating rink at the Rockefeller Plaza with her, suddenly people cheered out. I looked the rink and found a man gave an engage ring to his girlfriend, and made the marriage proposal. Everyone and I cheered and crapped hands loudly, and the chilly ring was filled with a full of joy. こういう公開プロポーズの類は、日本でもyou tubeの動画などで話題になり、また実際実行に移す人もちらほらいるのだろうが、どうなのだろう、公開プロポーズをその場に居合わせた人々が即座にかつ自然に受け入れ賞賛するだけの文化的素地というか、空気がこの街にはあり、実際周りの我々もハッピーな気分になるのだが、日本で実行に移すとなると少しズレがあるように思う。居酒屋でのサプライズ暗転&バースデーソング&ケーキのコンボはもはや定番となっており店員のテンションとアルコールも手伝って別に抵抗はないのだが、プロポーズとなると我々大和民族が実施するにはどこか気恥ずかしさやぎこちなさが伴うのではなかろうか。リップダブプロポーズなどは一時期ソーシャルメディアでも話題になっていて、どちらかというと男性が「こういうのやりたい!」とポジティブな反応をしていたのに対し、女性の反応は半々であった印象がある。「私もこういうプロポーズしてもらいたい…!」と感動している子もいれば「まじそういう男の自己満みたいなプロポーズ無理…」みたいなこと言ってる子もいた。男性諸氏は要注意であろう。

When I was waiting for an F train back to my home, I looked a different train car from usual one the other side of the platform. A man standing next to me said to his friend, “that is an original train, only this time every year running.” When I’m back home, I googled “MTA special train” and found it here. The Vintage train runs on the M line, every Sunday, November 25 to December 30. The classic style train matched well with dim lights and dirty railways of MTA.

どうにもやることが多く慌ただしい日が続くので、どうしたものかなと思って、今日は出かけるときに久しぶりに漱石を持ちだして電車に乗った。「思い出すことなど」という、危篤状態に陥ってから回復した漱石が病床での日々を回想した書き物である。意図せずしてでが、この話を初めて読んだのはちょうど1年前頃だったと思う。11月か12月か1月か分からないが、だいたいそのぐらいだ。当時はとにかく大変弱っておりおろおろ生きていたものだからいたく染み入ったものだった。作中では漱石が俳句や漢詩を披露している。健康で忙しく働いているときはとても俳句や漢詩をつくる心持ちになれなかったのが、身体が衰弱してはじめてそれをできるだけの平和な時間が訪れたというようなことを告白している。今、自分は1年前とくらべてずいぶんと安定した心持ちで日々を過ごしている。それは幸いなことなのだろうが、どうにも心中ぱさついてはいないかと危惧するところもある。電車から降りる頃には雪が勢いを増し、路駐の車の窓にははやくも積もり始めていた。立ち止まるほどの感慨よりも寒さと用事に終われる心中が勝り、小走りで家に駆け込んだ。今朝方の停電はまだ直っていない。

First snow in NYC, one year after / 海をまたいだいくつかのこと、一年前の雪のことなど

When I woke up and saw outside, it’s snowing! Though tiny particles, and soon ended, it was the first snow this year I see in NYC. And, I realize, winter is really coming. Since I was in Europe last two weeks and these days were so busy (but exciting!), I didn’t enjoy enough autumn mood this year. And I realize, next month I will graduate Mailman. Almost one year ago, when I also saw the first snow in NYC in 2012, it was so hard time for me. Because of tough and intensive study in the first semester, and some other private issues, I was pretty depressed in that time. I could never imagine that I’m now enjoying the winter arrival in a rather moderate mind. Last year, I was overwhelmed with lots of new medical/clinical/biological terms and statistics. Also my English was not so good. Now, I see the points where my experience in field or issues in Japan can contribute to class discussion and give another perspective than other classmates have. Also, since each of us has shared foundation of public health theory and perspective, and experienced summer practicum in various place, I really enjoy learning from my classmates. Outside campus, gradually networks of those who are interested in northern east of Japan post-disaster activities are expanding, and I’m feeling seeds of further actions are growing. …School ends in December, and my time in NYC ends in March. I know the time and my capacity is limited, but I do strongly want, to do anything I can do for my friends, and my town NYC.

At late night I visited Dambo, before coming back to home in Park Slope, in Brooklyn, and met with Jake Price. We enjoyed one glass of beer and two plates of pizza at a nice bar, and then went back to his studio, and talked about his next trip plan to Fukushima, and his documentary project. Jake cannot speak Japanese well, but every time I met with him and saw how he communicate with local persons in Fukushima and Miyagi, I’m impressed with his passion, dedication, and sincerity to local persons and community. That’s why I feel like doing anything I can do to support him. Compassion connects people across countries over the sea, certainly.

起きたら雪が降っていた。今年のニューヨークの初雪、いよいよ冬が来たかと身震いする、と共に少しわくわくする。TwitterやらFacebookやらに現代っ子らしく雪が降った旨つぶやいたら、日本も急に寒くなったよーとか、ボストンも降ってるよとか、色々な反応が来て、あったかくしてね、とかこういう日はスープやシチューがいいねとか、槇原敬之の「冬が始まるよ」を思い出したりなど、つれづれと思考やテキストが泳いだのだけれど、なんだか不思議なテレパシーのようなシンパシーのような、嬉しい気持ちだった。

こういう寒い日は、外の移動販売車で売ってる安っちいけどやたらと温度は高い紙カップのコーヒーを砂糖とミルクで味をごまかして飲むのが一番だと思う。そのことは去年の冬から確信していて、今日もまさにそんな日だと思って買ってみたのだけど、残念ながらそのコーヒーはアツアツではなくて、でもまぁ安っぽい甘さは健在だから、いいか、とかなんとか。

海を越えての嬉しいことと言えば。他にも色々。夏に福島いわきでお世話になったおふたりが石巻・牡鹿旅行に行くということで、張り切ってオススメスポットを伝えたり、向こうの仲間を紹介したりして、無事会えて盛り上がったみたいで、それは本当に嬉しい。他方、学部の頃からずっとずっとお世話になっている人が、今の東北の諸々で協働している人と偶然会ったみたいで、首に下げているOCICAネックレスからmutual friendだということが分かって僕の話をしたようで、その旨双方からメールをくださって、これまたとにかく嬉しい。それから英語の方にも書いたけど、Jakeとブルックリンで久しぶりに会ってビールを飲み、彼の月末の福島の浪江訪問について相談に乗った。その時僕が身につけていたIIEの会津木綿ストールと、その物語をいたく気に入ってくれたらしく、是非会津にも行ってみたいと。会津の作りてさんが、世界に発信していきたいなんて言っていたけど、それは意外と早く本当のことになりそうだよ。

ずっと書きあぐねていた文章がようやくまともな形になった。まだ脱稿ではないけれど。色々考えてしまってずいぶん遅くなって反省もする一方、喜んでもらえたりもし、はぁ。

授業の前に友達と少しチャットをして、あまり元気がないようで、悩むポイントが僕と似ているな、とか思ったり、まぁとにかく夜更かしは気が滅入って不可ないからあったかくして寝なよとか言ったり。

ちょうど一年前、同じように初雪をニューヨークで見たとき、僕はso depressedで。今こんな状態であることを当時の僕は想像もできないだろう。留学直後はやはり非常に大変であり、また個人的なことでも辛いことがあったので、雪を見ては涙を流してオロオロ生きていた。その時のことをどう整理して位置づけるか、というのは今はあまり意味がないことのように思う。ただとにかく、当時そんな状態の僕に対しても働きかけてくれた人々、向き合い言葉を交わしてくれた人々にはただただ頭が垂れ下がるような胸がぎゅっと締まるようなとにかく色んな思ひだ。