1 市民農園を借りた

 畑をやることにした。

 きっかけは生理不順で婦人科を受診したことだ。血液検査で引っかかり、別の病院の内科を紹介された。今年アラフォー世代に突入する私は、食事を改善し運動しなければ後がない。ものぐさなので、スポーツジムに通ったとしても行かなくなるのが目に見えている。秋にはあんなに大好きだった散歩も冬の寒さで億劫になってしまった。

 だから前からやりたかった畑をやることに決めた。年が明けてすぐに友人と市民農園へ見学に行くと、そこは自宅から徒歩20分ほどの場所で、歩いて通うのにちょうどよい距離感だった。往復するだけでも良い運動習慣になりそうだ。

 料金も格安で、25平米をなんと年間2000円で借りることができるという。畑の近くで調達できるか心配していた水は、昔ながらのポンプを使って地下水を汲んで使用するらしい。これを見て心が踊った。

 いつから畑に興味があったんだっけ、と考えていて思いあたったのは、保育園児だったときのことだ。「あすなろ保育園」という子どもの私にとってすばらしい場所に通っていた。

 自然の中であそぶ機会がとにかく多い保育園で、園児は山で椎の実を拾って食べたり、シダの葉や木の枝を使って秘密基地をつくったりした。竹やぶへ竹を切りに行って竹馬をつくったり、川へイモリを取りに行って飼育したりもした。園庭に植わっている柿の木から実をもいで干し柿をつくったことも覚えている。

 園の敷地内でラディッシュを育てたり、ペットボトルと脱脂綿を使ってかいわれを育てたりもした。そのときはじめて「まびき」という言葉を覚えた。うまく言えず「まんびきしなきゃ!」と言って保育士に笑われた記憶がある。それらの体験が畑や農作、野菜への関心の原点となったように思う。

 いま私には今年小学生になる子どもがいる。彼もまた自然の中で遊ぶことや畑で虫と戯れることが大好きなようだ。年明けの暖かい日、契約した市民農園へ連れて行くと、土を掘り、虫を探すのに夢中になっていた。持って行った赤いバケツの底に、ミミズをいっぱい集めて入れて喜んでいた。

 「ママにミミズを見せないで!」と悲鳴をあげつつも、内心「これはいい」と私は思った。私と子どもと、それぞれ楽しみながら同じ場所で一緒に過ごすことができる。野菜を自分で植えることで、子どもの野菜嫌いだって変わってゆくかもしれない。

 畑をやることにして以来、生活に張りが出た。日常に彩りが添えられた感じだ。知人から初心者向けの畑の本(藤田智監修、NHK出版編『藤田智の新野菜づくり大全』など)を紹介してもらい、土づくりや植え付けの計画を立てたり、ホームセンターにクワやスコップ、移植ごてを買いに行ったりしてはニヤついている。SNSや動画サイトでも畑や農業関係の投稿を見る習慣ができた。

 先日は石灰や肥料を買いにホームセンターへ行った。25平米に必要な量をあらかじめ本で調べて行ったのだが、実際に物を前にすると、思ったよりたくさんの量で不安になった。店員さんに聞くと、やはりそれくらい必要なのだという。

 土づくりはちゃんとできるだろうか。有機栽培でうまく育つだろうか。育たないことはないにしても、自然災害に見舞われて心が折れたりしないだろうか。はじめてで分からないことや不安なことだらけだ。

 しかし誰か人に聞いて学ぼうとするのではなく、本で学び、その通りにやろうとしているところが私らしい、なんて思っている。育てる野菜の種類も、本でおすすめされたものにした。それは教えてくれる人が身近にいないからでもあるのだが。やっているうちにそういうつながりもできていったならうれしい。

 ところで、最近読んだエッセイ(※)にこんなくだりがあった。

 「動き、しゃべれる人間も、動けない植物も、言葉を話せない動物も、魂の求めるところは同じだ。それは魂が快を感じながら、楽しんで己を生きるということだ。多くの人が忘れているだけであって、命の横顔はみな似通っている。」

 魂が快を感じながら、楽しんで己を生きるということ。私は子どもと共に、そのように生きてゆきたい。植物という自然、この地球にあるいのちと触れ合いながらそれを直に感じて生きたい。畑はその一助となってくれる。そんな予感がするのだ。

※寺尾紗穂『天使日記』「スーさんのこと」。