東京旅行記2日目

東京旅行2日目。二人とも早くに目が覚めてしまい(というか私がすごく早く目覚めてしまい、ホテル客室内のオンボロ椅子に座ったり立ったりしてぎしぎしやっていたら夫も目覚めてしまった)、ダラダラした後、9時過ぎ頃に永山にある「竹取の湯」というスーパー銭湯に向かった。ここには何回も来たことがあり、東京詣でをするなら寄っておきたかったところなのである。中には岩盤浴やマッサージの施設、ゲームコーナーや食事処、リラックススペースなどがあり、郊外の寂れた駅前をそれなりに(その土地に合った風情で)華やかにしてくれる憩いの場だった。

我々は岩盤浴や食事、リンパマッサージを楽しみ、銭湯ですっきりした後に東京旅行の最も重要な用事である「私の祖母宅訪問」に向けて竹取の湯を後にした。

色々入り組んだ事情があるのだが、現在祖母とは電話でのやりとりができず、アポなしでの訪問であったため、かなり緊張していた。永山駅前で小さなブーケを買い(祖母は花が好きなのだ)、京王線に乗り込む。京王永山の隣の隣である稲城駅までついて、祖母宅までの道のりを夫婦で歩いてゆく。緊張。そうしている間に祖母宅に着く。アポなしなので、最初玄関前まではちょっと顔を出さないでいてくれと夫に頼み、チャイムを鳴らす。ピーンポーン。待つ。反応がない。ピーンポーン。またチャイムを鳴らす。ピーンポーン。反応はやはりない。コンコンコン、とドアをノックしてみるあたりから胸のあたりに嫌な予感を感じる。

駐車場側に出て祖母宅の窓を見てみると、私がいたときとは違う柄のカーテンがはためいている。あぁ、もう引越ししてしまったのか(伯母の家に引き取られたのか)、それにしても何の連絡もなかったな……このまま帰るわけにはいかない、と、伯母に電話をかける。伯母とは確執があるとはいかないまでも、自分の持病で散々迷惑をかけてきたので、結婚の連絡も年賀状1枚送っただけで、そのままになっていた。電話口に出た伯母に、「口頭で結婚したことについてご挨拶するべきでしたが申し訳ありません……」と言うと、伯母は優しい声で結婚を祝してくれた。ホッと胸をなでおろし、「ところで今祖母の家に居るのですが、祖母がいないようで……」と話すと、「今おばあさんはその家から引っ越して某施設にいます。年末年始から入退院を繰り返していて、今はさらに大たい骨の骨折もしていて、リハビリの施設にいるのです。そこはコロナの影響から、予約制で月に1度の面会しかできず、スマホも解約しようとしています。手紙なら私を経由してお渡しできますよ。」との返事が返ってきた。あまりの情報量の多さに、そうなんですね、色々ご対応いただき本当にありがとうございました、云々ということを伝え、その電話は終わった。電話の勢いに圧倒されてしまい、呆然としていると、夫に「おばあちゃんとの想い出の場所に、行く?」と言われ、そうだね、じゃあ駅前のパン屋がいいな、と言う。駅前のパン屋に行くと、そこでドッと感情が溢れてしまい、「おばあちゃん、骨折してどんだけ痛かったやろう、それから、もう死ぬまで会えないかもしれない(家庭の事情から)、辛い…」と号泣してしまった。パン屋さんにとっては迷惑な客だっただろうなと思うも、ここで祖母とふたりあの席で珈琲を飲んだなぁとか、そういったことが思い返されて物凄く辛かったのだ。しばらく泣いて、メイク崩れたかなぁと鏡を見ると、それはそれは酷いパンダ目になっており、情けないなぁと思いながらメイクを直した。

その夜は私の友人(元彼なのだが)と我々夫婦が会うというイベントがあったため、これではだめだ、気持ちを切り替えようとなる。このイベントがなければ1日落ち込んでいたかもしれないと思い、少し救われた気分になる。

パン屋を後にして、有楽町まで電車に揺られる。有楽町、銀座。陽性症状が強く出ていたときによく徘徊していた街だ。懐かしいなと思うとともに、今回の旅は陽性症状が強く出ていた時期の自分への鎮魂の旅かもしれないなとふと思う。永山にホテルをわざわざとったのも、竹取の湯でゆっくりしたのも、稲城の祖母宅に行ったのも、それらの場所が辛い想い出と共に思い出される部分が少なからずあったからで、しかし今はその思い出を乗り越えることができたということを確認するための旅、だったのかもしれない。

さて、先に店についた我々はとりあえずお冷を頼む。銀座にあるその焼肉店は完全な個室になっており、周りの人々の話し声や騒ぐ声がほぼ全く聞こえない。元彼には「ドレスコードは黒でお願いね」と言われていたのだが、私たち夫婦のワードローブはほとんどが黒なのであまり気にせずに普段通りの恰好で行く。

夫と元彼がそもそもなぜ会うのかという点が普通の人にとって(?)かなり疑問だと思うのだが、二人はTwitterで繋がっており、尚且つ私がその人とよくLINEや電話をしていること、ツイキャスというラジオ配信をその元彼がしているのを私達がよく聞いていることなどから、半分知り合いのような感じで会う流れとなった。

18時ぴったりに現れた彼と会うのはおよそ3年以上前ぶりだったが、ちっとも変っていなくて安心するとともに、「私が場を最初はつながなきゃ……」という謎のプレッシャーを感じていたので、「こちらは夫の〇〇です、会社員です!よくTwitterで活動しています!」という雑すぎる他己紹介をする。夫に元彼の紹介もしなければならないなと思い、「こちら友人の〇〇くん、Twitterで活動しています!えっと…会社員です!」という雑紹介のミルフィーユのような繋ぎ方をしてしまった。(私が一番緊張していたのかもしれない)。その後出てくるごはんはとても美味しく、雰囲気もよく、二人の会話に入っていくのも楽しく、私は酒を一滴も飲んでいないのだが、完全にいい気分になってしまい、というか3人でいるのがとても心地よく楽しかったため、「2軒目行きたい!」と珍しく私が言い出した。そこで元彼がスマートに2軒目を予約してくれて、有楽町の街を歩きながら楽しいなあと思っていた。が、2軒目に着いた瞬間私の眠気がピークになってしまい、ほぼ眠りそうになりながら机の上でうとうとしていたからか、元彼と夫に「こういうときはツイ活(Twitter活動)が足りてないんじゃん?」「ツイ活ツイ活ゥ!」と囃されてみんな自分のスマホからTwitterで現状を投稿したりして、それもまた楽しかった。そんなこんなであっという間に22時頃になり、解散となった。私としては元彼は大事な友人であることに変わりはなく、そして公私ともに幸せでいて欲しい人であるので、そんな人に夫を紹介できたことがとても嬉しかった。後々夫から、「〇〇くんってエスコートを本当に自然にするしスマートだよね、できる営業マンって感じだよね」と聞いて、本当そうなんだよなぁと思っていたら翌日もその後も同じことを繰り返し言っていたので、やはりそうだよなぁと思うなどした。

銀座駅から京王永山まではまた遠い道のりだったし、駅に着いてからホテルまでの地獄のような坂(階段)は憂鬱極まりなかったが、本当に濃密な1日を過ごしたなぁと思った。

悲しいことも楽しいことも順々にやってくるし、どちらもおそらく長くは続かない。禍福は糾える縄の如しという言葉が身に染みるのであった。