こと:何を、どこへ向けて書こうとするか
短歌が好きです。
短歌。57577、31文字で作られる定型詩。決まったかたちがあることは一見不自由で窮屈なようですが、そこから広がる宇宙には目を見張るものがあります。
中学生のころから短歌の読者になり、数年前からぽつぽつと作るようになりました。3年ほど前には文学好きの友人と3人で小冊子「歩っぽ」を作り、私は短歌と掌編を載せました。
「歩っぽ」を作っていたころは、友人に短歌をよく読んでもらっていました。
そのころと比べて頻度は落ちましたが、今でも私はたまに短歌をつくります。誰にも読んでもらっていません。PCのフォルダにそっと蓄積されていきます。
私は、誰に向かって短歌を書いているのでしょう。
誰も読まないもの、といえばまず「日記」が思い浮かびます。ですが私は短歌を日記だと思ったことはありません。たとえば歌人のエッセイに収録されているような、その日の出来事に1首が添えられた「歌日記」に憧れはありますが、書いたことはありません。
57577のかたちに収める以上切り落とすものが多いし、最初書きたかったかたちと随分違うものになることも多々あります。そのことを考えると、私の力量ではとても短歌を日記とすることはできないな、と思います。
誰にも読まれない短歌は、どこに向けて世界を開いているのでしょう。私なりの答えを提示できるわけではないのですが、このお題をもらったときにふと、考えてしまいました。
誰もいない空間に向けて短歌が窓を開いている、というイメージが浮かびます。窓の内側ではその歌の世界が展開されていて、ちょっとしたパラレルワールドのよう。
そういった想像に、私はちょっと愉快になります。
とき:どんな時間・瞬間に書く?
以前は、音楽を聴いているときに書くことが多くありました。「インスピレーションを受けて」というとやたらかっこいいですが、その曲と私の内側のテンションが近しかったんだと思います。
たとえばこの歌。
昨日あけたピアスもピンクに染めた髪もいいねだなんて言わないで、ばか
私はピアスも開けてないし、髪は真っ黒です。この歌を作ったときのことを覚えていないけれど、たぶん大森靖子の曲を聴いていたんだと思う。「絶対絶望絶好調」とか「子供じゃないもん17」あたり。
(余談ですが、私は大森靖子が大好きです)
今は、動揺しているときや違和感が拭えないときに書くことが多いです。
駅前の大きなビルにも戦争が起こったことにも慣れるのだろう
これは今年のはじめごろに書いたものです。違和感をことばにして、さらに定型に当てはめることで落ち着くことがあります。これが散文だったり、不定形の詩だったりしたら私はあまり落ち着けないかもしれない。
書くタイミングが変わっていったことで、短歌にも変化が生まれたように思います。私の気持ちに沿った歌を作るようになりました。今の短歌は、ちゃんと私のことばで書かれているような気がする。
ところ:どんな場所で書く?
バスや列車など、乗り物の中でよく書いています。私は地方民ですが、車の運転ができません。運転席に座っていないからこそできることです。
バスに乗ることが多いからか、バスの歌が多々あります。
ばあちゃんAはばあちゃんBと乗ってきてばあちゃんCとの連鎖が起こる
ちょっと伝わりづらい歌だな、と思うのですが、つまりこういうことです。
…バスがバス停に停まる。ドアが開き、ばあちゃんAとばあちゃんBが乗ってくる。バスの中にはばあちゃんC。3人は顔見知りらしく、女子特有の「あらー!!!」が爆発する…
バスはどうしてもお年寄りが多く乗ります。何度も見た光景です。
自室で、ベッドに転がっているときに書いていることもあります。大抵、混乱して感情が昂っていたり、心が落ち着かなかったりするとき。ベッドの端に寄って、壁に背中をつけて心を定型に収めようとしています。
道具:どんな道具を使って?それらをどう組み合わせて?
短歌にしたいことを思いついたら、すぐにスマホのメモアプリに書くようにしています。アプリはスマホに元々入っていたもの。もっと便利なアプリがあるようにも思うのですが、慣れてしまって結局使い続けています。
短歌がたまってきたら、PCのWordに清書します。連作としてタイトルがついたものもありますが、今は発表する予定がないので書いた順に並んでいます。
清書するときに書き直すこともよくあります。メモの段階ではまだ短歌にしきれなかったものを短歌にしたり、ちょっと気に入らなかったものを整えたり。原型をとどめない、までにはいかないけれど、下の句全体を変えることはよくあります。
PCはNECのLAVIEです。
女の子のイラストはマウスパッドにしているハンカチです。宮崎のイラストレーターさんのものでとても気に入っています。