[日記] 「一刻」の長さ 2025年9月8日

「マンガワン」という日替わりで漫画が読めるアプリがあって、連載中のいわゆる新作だけではなく、昔の名作とかも「毎日一話無料」みたいな感じで流れてくるのだが、ちょっと前に高橋留美子の『めぞん一刻』がこの毎日無料枠に入ったので、これを読むのが最近の朝の楽しみになっている。『めぞん一刻』は僕がとても好きな作品のひとつで、マンガ原作とアニメどちらも読んだ・見たことがあるのだが、最後に読んだのがけっこう前なので、読み返してみて、自分の記憶・印象との実際の作品内描写にギャップがあったことに気づくなど、色々発見があって面白い。

『めぞん一刻』は、「一刻館」というオンボロアパートに、音無響子さんという未亡人の管理さんがやってきて、主人公の五代裕作が一目ぼれして、ドタバタと話を過ごしながら、だんだんと関係が深まって、最後結ばれる、 簡単に言うとそういうラブコメ漫画である。全161話、物語の中では最初五代くんは大学受験浪人で、無事合格して大学生をして、就職浪人して、就職できて…と、たぶん作中で5,6年の年月が経っている。

五代くんの方は、会ったときから恭子さんにひとめぼれしていってもうずっと好き、響子さんは未亡人で、亡くなったの夫のことを胸に抱えていて、なかなか前に進んでいけないみたいな、簡単に言うとそういう構図なのだが、読み返してみて意外だったというか、僕の記憶・印象と違ったなという発見があった。

響子さんから五代くんに矢印が向くっていうか、好きになるのってけっこう時間がかかって、物語最後の方、ようやく両思いになるような記憶・印象だったのだが、今回読み返してみるとそうでもなくて、今その「マンガワン」アプリで僕が読んでいるのはまだ9話なんだけど、結構もう前半っていうか、序盤も序盤から、響子さんの方も割とまんざらでもないっていうか、五代くんのちょっとどんくさいんだけどなんか憎めない感じとか、不器用ながらも自分を気遣ってくれたり好意を示してくれたりするのを、響子さんの方も初期から割と好意的に受け止めていたのであった。

五代くんが大学に合格して、部活の女の子とかと街歩いてたりすると、普通にヤキモチやいてたりして、なんならもう「や、すでに五代くんのこと好きじゃん」ぐらいの描写がされている。

ただ、ここがかえって『めぞん一刻』のミソというか、響子さんの方もかなり初期から「まんざらでもない(なんならけっこう好き)」になっていてもなお、最終的に、亡くなった前の夫の惣一郎さんの存在を胸に抱えながら、五代くんはそれすらも全部受け止めて、結婚して一緒に生きていくようになるには、161話、作中で4年とか5年の年月が必要だったということ、これが面白いなっていうか、読み返しておいて、作品の魅力でありコアなんだなと思ったのだ。早くから五代くんに惹かれていたとしても、でもやっぱり一歩踏み出すのに、それぐらいの時間が必要だったということ、その年月、4年,5年というそれなりの時間(五代くんの方は、この間、浪人して大学に入って卒業してまた就職浪人してようやく就職して…とライフステージが2段階変わっている)を一途に待ってくれて、そして共に歩もうとしてくれる五代くんだったからこそ、なんだろうなと。タイトル『めぞん一刻』の「一刻」、時がほんのひと刻み動くのに、それぐらいの年月が響子さんにとっても五代くんにとっても必要だったというか、特に響子さんの方は、夫を喪ってから彼女の中の時間にある種止まってしまった部分があり、その時が動き出す、そういう意味も込められたタイトルなのかななんて思ったりした。 

そういう、物語の縦糸が161話かけてゆっくり進んでいく作品なのだが、基本的には一話完結のドタバタラブコメの形を取っており、毎話毎話のテンポの良さがすごく良くて、読んでいてとてもおもしろい、いや、高橋留美子やっぱすごいなというのを改めて思ったわけです。

時間がゆっくり流れていく物語がけっこう好き。最近だと、漫画はまだ読めてないんだけど、アニメの方で放送してる分だけ見た『葬送のフリーレン』も好き。エルフのフリーレンが、自分より先に亡くなった勇者ヒンメルと仲間の足跡を、新しい世代の仲間たちと一緒に旅して辿っていくというもので、この作品も時間の流れがゆっくりしている。 一つの村に滞在して、そこで頼まれ仕事やって、一話の中で2週間とか1ヶ月とかまとまった時間を過ごしてる描写があって、そこに余計なセリフとかも挟まず、日常仕事してる様子が穏やかな音楽とともに淡々と流れていく、これいいなーと。

時間の流れっていうか、それをコンテンツで表現するのは難しい。活字であれ映像であれ、コンテンツっていうのは、何ページとか30分とか1時間とか、結局その枠、尺の中に収めるために、どうやったってある程度省略したり切り取ったりするということからは逃れられないので。僕が、そういったコンテンツの制約、宿命の中でも、なるべくゆっくりとした時間をゆっくりと描く作品を、好きだなって思うのは、僕の日頃の活動の影響ももあるかもしれない。障害の介助とか、刑務所アートとか。何か書いていつでもWebで発信して常時SNSで他人と共有できる時代になってしまったが、これは別に当たり前のことではなくて、ただ自分の言葉を伝えるとか、それを受け取るだけでも、昔は手紙とか飛脚とか、今のように電子メールなかった時代なんかは当然、ただメッセージを送って受け取るにも時間がかかったわけで、それは別に現代でもゼロになったわけではない。身体とか、環境とか、言葉の違いによって、時間がかかる、タイムラグがどうしたってある、そういう現場に身を置いてるからなのかもしれないな、と、そんな話をWebに書いてブログにアーカイブするのも矛盾しているようではあるが、公開・アーカイブはついでの話であって、日記は呼吸と同じなので、はい。とにかく『めぞん一刻』は名作で高橋留美子はすげえなという話でした。