未来へ

10年くらい後の自分に向けて、言葉を残しておこうと思う。

今の僕は表面上はビジネスパーソンで、文学や音楽やありとあらゆる芸術を愛しながら、その世界とは全く異なる、表面的で、嘘臭い世界に、未だに身を置きつつ、そしてその世界のことを、完全には諦め切れないでいる。

僕は最近、7年連れ添った妻と離婚し、それは大きな悲しみと喪失をもたらしたけれど、同時に自由も与えてくれた。子らとも元妻とも関係は円満で、ありがたい日々だ。僕は今、生きている。これまでも、生きてきた。生かされてきた。

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小説を書きたいという想いは、僕の中でずっと続く変わらないテーマだと思う。それは、僕の多動性によって、常に掻き乱されてきた。現実世界の面白さが、僕を混乱させる。でも僕は本来、あまり現実世界には興味が無い。いやどうだろう、あまりにも興味があり過ぎる。だからこそ、現実世界の情報量に耐え難いのだ。外面と内面の夥しい量の乖離の、バランスを取るために、書くということは僕にとって必要なことなのだと思える。然しそれに全身と全霊を費やすだけの、様々な条件が中々揃わないのだ。

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次に何をするか、は何でも良いのだけど、曲がりなりにもビジネスという世界に生きてきて、この世界の醜さも美しさも知ってきた以上、この世界での僕なりの答えを見つけてからでないと、次に進めない気がするのだ。

そうでなければ、安易に、気軽に、批判しやすい対象として、ビジネスだとか、ビジパだとか、企業という存在だとかってものを、捉えてしまいかねないと思うのだ。

それって凄く、ズルいと思う。誠実でないと思う。嘘臭いと思う。

というかまぁ、僕が単純にしっくりこないのだ。

僕はまだこの世界に失望しきっていない。この世界でしか出来ないことがあると思っている。救えないものがあると思っている。学術でも、アートでも、文学でも出来ないことがあると思っている。完全に失望しきるほど、僕はまだこの世界をやり切ってはいない。

何かを成し遂げるか、あるいはとことんまで失望するか、それなくして、次には進めないと思っている。

くそう

みんな最近は手のひらを返したようにビジネスのことをバカにするけど、それはバカにしやすいからしてるだけであって。これまでどれだけビジネスがこの世界を円滑にしてきたか。誰でも安く飯が食えるようにして、誰でも生理用品やオムツをつけられるようにして、誰でも無料でコンテンツを楽しめるようにしてきたのは誰なのか。同時に起きてきたことの悲劇だって知っている。農家がめちゃくちゃ楽に安定して作物を作れるようにしてきた会社は軒並み悪魔のような扱いを受けている。全てのことには功罪がある。だからみんな闘うんだろう。それぞれの領域で闘い続けるから世界は均衡を保つのだろう。生態系とはそういうものだ。ちゃんと殺し合えば良い。

本来大嫌いなはずの世界に足を踏み入れてしまって、本来合わないはずだったのかも知れない生き方の人と結婚してしまって、それによって沢山の喜びをもらって、沢山迷惑をかけて、そしてそれによって複雑な苦しみを抱えることになったけれども、それはとても良かったことだと思っている。そうでなければ、僕はかなり多くのものを、気軽に否定しながら生きてきてこれてしまったろうからだ。その二つの世界には、心から感謝をしている。

自分が憎みたいものを憎み、愛したいものを愛することが出来たら楽だろう。僕は気付けば、憎みたいものを愛し、愛したいものを愛せない生き方の方を選んでしまったかのようだ。

それに不服はない。そうでなければ簡単過ぎるからだ。無自覚に人を傷付けてしまうからだ。愛したいものだけを愛して満たされることなど、本来求めていないからだ。

それは荊の道かも知れない。いやでもそれこそが楽しいのだ。安易な答えなんて求めていない。みんなが白と言う色の中にある無限のグラデーションにこそ、豊かさがあるはずだ。それを黒だなどとは言わせない。僕は考え続けたい。遊び続けたい。見ていたい。そうして辿り着く先が絶望だとしても、僕はきっと、笑っている。やっぱりそうだったね、なんて言って。