タイトルなし―2022年6月19日の日記

 ギリギリ朝というか午前中と呼べる時間帯に、ようやく起きた。何度息子から「ママおきて」と声をかけられたことだろう。息子は腹をすかせたまま、YouTubeを見てずっと待っていた。

 身支度を済ませ、久しぶりにイオンへ出かける。靴下に下着、歯磨き粉。生活に必要なものを買って、食料品売り場を回っていたら、メロンタルトと目が合ってしまった。今日はどうやら父の日らしい。一旦通り過ぎようとしたけれど、やっぱりおいしそうだなと思って、買った。

 実家へ着く。息子はすぐに母と裏山へクワガタ取りに行ってしまった。私はリビングの床に寝そべり、今週届いたいくつかのメルマガを開く。

 友人に教えてもらった「Lobsterr Letter」から。「森とことば」と題された文章は、読み進めるほどに味わい深いものだった。私たちはつい植物を擬人化して語りたがりがちだけれど、そこには「人間中心的」眼差しが存在しているということ。人間や動物のボキャブラリーだけを使って、自然界を理解しようとすることの危うさについて。

 私も畑についてのエッセイを書いているけれど、そこに驕りが生まれないようにしたいなあと思いつつ、圧倒的な威厳を感じられる自然と対峙したい気分に駆られる。そうだなあ、たとえば椎葉村の大久保のヒノキが見たい。感じたい。

 そうこうしているうちに息子と母が戻ってくる。「6センチのクワガタをとったよ」「モンシロチョウを2ひきつかまえたよ」。かまびすしい話し声が、私を内面の世界から現実世界に引き戻す。少し煩わしく感じつつ、息子に感謝する。なぜなら私はいつも、この子の明るさに救われて生きているからだ。おやつに、みんなでメロンタルトを食べる。

 息子が「畑に行きたい」とリクエストしてきたので、畑へ。すじなしインゲンがたわわに実っている。獲っても獲ってもまだまだある。息子がはしゃぎながら一本一本数えると、71本もあった。すべてを母のところへ持っていき、茹でてもらって茹でたてを食べる。きゅうりは塩もみして食べる。おいしい野菜に勝るおやつはこの世にないかもしれない。

 夜、小さなうれしいことが立て続けに起こる。ずいぶん前にライターを辞めた友人に再び創作意欲が芽生えたとのこと。最近会った友人が、私との再会と私が書いた日記を喜んでくれていたこと。小さいけれど確かな幸せが私を満たす。外が暗くなって、寂しいという気持ちをどう転がしたらいいのか分からぬまま持て余していたが、急に満ち足りた気分になる。単純だ。いま関係を編んでいる一人一人に心から感謝がこみ上げてくる。

 誰かを愛したとして、誰のことも完全に理解することなどできない。だけれど、私は私の見ることができる側面と、私の見ることのできない側面を人が持っているという事実を胸に、精一杯人を愛し生きていこうと思う。