痛みや喜びを、手放さずに生きるということ-2022年10月2日の日記

 昨夜は、心身ともに疲れていた。そんなときこそ、いつも通りお風呂に入って、心身をリフレッシュさせて、早く寝ることが大切なのに、いつまでもだらだらとスマホを見続け、寝たのは日付が変わって1時過ぎだった。怠惰に敗北した。

 しかし、スマホをいじりながら自分を振り返るなかで、物わかりのいい、いい子ちゃんな自分の気持ちや言葉ではなく、根っこにある素直な不満と向き合えたのはよかった。基本的には無理して我慢したり自分を抑えたりする必要はないはずだ。でも、そうすると人間関係が滑らかに回らなくなってしまう。だから、自分が我慢して円滑に流れるのならと、先回りして物わかりのいい自分を演じてしまう。その限界が来たのが昨日だった。

 ヤマアラシのジレンマとはよく言ったもので、大切な相手こそ大事にすることがむずかしい。大切だから無自覚に我慢を積み重ねてしまうのだけれど、限界が来てそれを相手にぶつけてしまうことがある。そんな繰り返しをしてきたような気がする。

 奇しくも昨日は、普段あまり男性と交流のない私が、珍しくその魅力に気づくことの多い日でだった。それは素晴らしいことなのだけれど、異性間に限らず、親しい仲でのジレンマを解消していかなければ、たとえ異性と仲良くなっても、苦しい思いをまた繰り返してしまうと感じた。でも、この苦しみも痛みも含めてその人を思いやるということなのであれば、それもまた幸せの一部なのかもしれない。そんなことを書いていたら、昨日本音をぶつけた相手に「少し言い過ぎた」と謝ろうという気持ちになってきた。

 ひととひとの間で生きるという痛みや喜びを、手放さずに生きてみようと思う。