常磐線に乗って始発でいわきへ。
夜ノ森を通り過ぎた。
いわき駅で友達の車に乗せてもらって、一緒に海を回った。いい天気だったよ。
お線香をあげさせてもらって、それからお昼ごはんを一緒に食べて、ひたちに乗って帰った。保育園のお迎えに間に合う距離だ。車内で少し泣いた。
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常磐線に乗って始発でいわきへ。
夜ノ森を通り過ぎた。
いわき駅で友達の車に乗せてもらって、一緒に海を回った。いい天気だったよ。
お線香をあげさせてもらって、それからお昼ごはんを一緒に食べて、ひたちに乗って帰った。保育園のお迎えに間に合う距離だ。車内で少し泣いた。
お世話になった方にお線香をあげに。それから、海を見に行った。
色々と、区切りがついて、少し楽になった。
毎月一回、閒(あわい)の主宰者・鈴木悠平が、お話したいなーと思った人をお呼びして、ふむふむします。その様子をついでに配信するので、よかったらどうぞ、というゆるい会です。
第4回は、渡辺龍彦さんをお招きします。前職のパイセンです。歳は同じだけど、僕は5年遅れで入社、近い/同じ事業部にいつつも、微妙に担当部署や業務が違うことが多かったり、編集とか出版とか美とか芸術とか、色々と関心が重なりつつも、それぞれ別のこだわりや探究のベクトルを持っていたりで、そうですね、毎日同じチーム一緒に仕事をしていたっていうよりは、お互いの様子が見える範囲で、学びや刺激をもたらしあったり、大丈夫かいと気にかけたり、夕方のオフィスで珈琲片手にくたびれトークしたりしてた間柄です。あ、あと、社長が本を出すってときに一緒にめっちゃがんばりましたね。
龍彦さんが1年先に、そのあとに僕も会社を卒業して独立しました。エイヤ。
彼は、「遊び」にまつわる企画・出版・プロジェクトを専門とするレーベル「遊と暇」を立ち上げ、色々と面白そうなことをやってます。
一番新しい刊行物はこちら、雑誌『Tired Of』創刊号。
「あれからどうですか?」と久しぶりに近況を聞いたり、雑誌の感想を伝えたりしつつ、よもやまふむふむします。
①閒のSlackコミュニティに参加している人は、Slack内でURLシェアしますのでそこからどうぞ。
②龍彦さん・鈴木悠平の知人・友人は「聴きたい!」って本人にコンタクトすると、URL送ってもらえると思います。もしくは本人から「聴いて聴いてー!」ってお誘いが来るかもしれません。
③Peatixのチケット(500円)を購入、フォームに情報入力していただければ、そちら宛に配信URLお送りします。
録画アーカイブもあるので、リアルタイムで参加できない人も気軽に連絡orチケット購入してくださいませ。
決済したのにメールが届かないぞーって人は、迷惑メールフォルダとかも見ていただきつつ、Peatixのメッセージボックスか、閒のコンタクトフォームから主催者の鈴木悠平にご連絡ください。 ①②の方も、カンパしたくなったらチケット購入大歓迎です。
売上は手数料を引いて二人で折半。
■渡辺龍彦
遊びの居場所を耕す雑誌『Tired Of』編集長。2019年にレーベル 遊と暇 を設立し、出版やアート関連のプロジェクトをやってます。
■鈴木悠平
文筆家/インターミディエイター®
ひと・もの・ことの閒-あわい-に横たわるなにかを見つめて、掬って、かたちにしたり、しなかったり、誰かに贈ったり、分かち合ったりしています。
毎回、お声がけした人に「いま、このタイミングで直感的に、シェアしたい本とか映画とか、ものとか場所とか、あったら教えてー」と事前にお願いしてみることにしました。
龍彦さんのSomething Oneは、こちらの草刈り。
「モンブラン 草取り一番百発百中 215MM(清水製作所)」
龍彦さんからの紹介コメントはこちら。
最近庭のある家に引っ越したんすけど、草?雑草がすごくて。草刈りしてもらったんすけど、大家さんが近所のシルバーセンターの人に頼んで入居前に。でもみんな表面だけ刈っちゃって、一週間後引っ越し終わった頃には10cmくらい生えてるからまた草取りしなきゃってことで、今度は根こそぎやらないとってことで買いました。根こそぎとれます。すごいです!オススメ!
僕は今アパート住まいなのですが、庭のある古民家をリノベしたいという夢があるので、その日のために今から注文しました。写真はベランダの人工芝の上でツマが撮ってくれたものです。
2021年2月28日に、青山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』のオンライン読書会をした。この記事は、本書の背景および読書会での対話を私が大幅に再構成したものである。
Read more以下の書籍・概要で読書会を開きます。ご興味のある方はご連絡ください。
扱う本:
医療資源が限られている状況下で、誰の治療と予防が優先されるのか? 隔離や移動の制限といった自由の制約はどこまで許されるのか? 国際的な倫理学者で、WHOでパンデミックの倫理指針を考える部会に参加した経験を持つ著者が、新型コロナウイルスの世界的流行を通して表面化した倫理的な問題をどう考えるべきかの筋道を示す。
COVID-19感染拡大下で、私たちがまさに経験しているさまざまな出来事ー陽性時の隔離や入院の対応判断、感染予防のための日常生活や経済への制限、ワクチンの接種順序etc.は、どのような倫理的な指針のもと、判断がなされているのか。あるいは、私たち市民は、それらをどのように捉えたり、態度や意見を表明したりしなかったりすることができるのか。この本を補助線に、一緒に考えてみませんか。
前回の読書会でも挙げましたが、こちらも副読本として良いと思います。ご興味ある方はあわせてどうぞ。
グレッグ・ボグナー 著 , イワオ・ヒロセ 著 , 児玉聡 監訳, 『誰の健康が優先されるのか――医療資源の倫理学』
概要・参加方法は以下の通りです。
日時:
3月27日(土) 17:00-18:30頃(盛り上がったら19:00まで延長)
申込方法:
オンラインビデオ通話ツールの「Zoom」を使って実施します。
参加希望の方は、以下のコンタクトフォームにご連絡ください。
参加・実施スタイル:
・本を読み終わっていても読み終わっていなくてもOK、まったく読んでいなくても参加可
・ただし、発言量の平等性を最優先に置きません。主催者の鈴木悠平が適宜話を振りつつ、銘々に言いたいことを言うスタイル。話が広がったり飛んだりしながら、まとめすぎず、という感じです。
・Zoomは顔出しでもビデオOFFでもどちらでもOK
・口頭発声でも、チャット発言でも、両方使うでも、どんな発言方法でもOK
・聴いているだけでもOK
読書会のグランドルール:
・何を語ってもいい。語らなくてもいい。
・ここでの発言・議論を、参加者個人に対する評価・人格と結び付けない
・自分以外の参加者が語ったことを、本人の同意なく外部に発信・紹介しない
・具体的なエピソードを例示する際に、他者のアウティング・プライバシー侵害・誹謗中傷を行わない
事前準備:
・本を読んで(読めなくても良い)なんとなく考えておく。
・事前に自分の考えや問いをまとめる意味合いでテキストを書いておくのも可(書かなくても良い)
・書いてくれたものの事前共有も大歓迎です。
アクセシビリティについて:
参加にあたって、上記以外でニーズやお困りごと・ご不安な点があれば問い合わせフォームにご記載ください。ご相談内容に応じて、可能な範囲の環境整備を試みます。
例: UDトークでの文字起こしなど
前回の『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』読書会をもとにした、研究員の石田柊さんの記事はこちら。
政策金融公庫に行って、融資の相談をした。1週間ぐらいで結果が出るとのこと。
少し早めに買い物をして、ムスメを迎えに行った。ツマが帰ってきて3人で晩ごはん。色々なことを思って、おもむろに「本当にありがとう」とツマに言った。
いつものようにムスメを保育園に送り、いくつか連絡や作業をして、色々な手続きの準備などを進め、そして寝た。
電話をして、お線香をあげにいく約束をした。
三月のプリズムを聴く。
週に一度の自助グループへ。12ステップに出会えてよかったと思う。
終わってから、ツマの誕生日のお祝いに飲み物とかつまみを買って帰る。
それにしても咳が止まらない。
お金の心配は尽きないが、生活福祉資金貸付制度というのがあるのを知った。週明け、行ってみようと思う。
「アパートメント」管理人会議ののち、1時間弱stand.fmでの配信をした。
ウェブマガジン「アパートメント」管理人座談会 これまでの10年、そしてこれから
午後、ムスメと一緒にツマの誕生日プレゼントの塗り絵セットを買いに行こうと約束して、家を出たが電車に乗る前に寝落ち。家に引き返して布団で寝かすことにした。夕方になって起き上がってから「おかいものいかなきゃ!」と言うので、再び出かけて、そのままショッピングモールで二人夕食を食べた。
帰り道も風が強い。「かぜびゅーんだね」とこれまでよく言い合っていたのだが、ムスメはこの日「すごいいきおいだね」と言った。「勢い」という表現を覚えたのか、すごいな。
夕方、「同じ月を見た日」byアイムヒアプロジェクトを観に行った。
4月からの、みんなの息遣いが聞こえる。
行ってよかった。
雨の中、傘をさして、身を縮めながら家路につく。
「多様性の時代」というフレーズを散見するようになったが、そんな「時代」を宣言される前から生命はずっと多様であって、良くも悪くも色んな力学、都合で、見落とされていたり無視されていたのだから、なかなかそんなに、力強くあっけらかんと宣言できるフレーズではないだろうと感じる…
そんなドラクエのパーティー編成(いろんな職業入れた方が戦力バランスいいよね)みたいな神(プレイヤー)の視点でマイノリティ属性を無邪気に「組み入れ」てアピールせんでくれという気持ち。
(個別多様なニーズを踏まえて社会を編み直すことには強くコミットする立場ではあるが)
保育園送りから帰ってきて、やはりすぐには働きだせず、11時頃まで横になったが、なんとか起き上がっていくつか作業を進めることができた。
お昼は相変わらず近所のそば屋。鴨南蛮そばにした。
前職在籍時に共同研究でご一緒した高橋先生と、元同僚と久しぶりにZoomでお話した。
高橋 美保, 鈴木 悠平 「ライフキャリア・レジリエンスプログラムの開発と効果評価―障害者の就職と定着を目指して―」
障害者の就労については,支援が進められている一方で離職率も高く,障害者個人が就職をし,その後も職場で定着するための支援が必要とされている。就労継続に向け,障害者個人が就労移行支援段階で予防的に獲得すべきものの一つにライフキャリア・レジリエンスがある。本研究では,就労移行支援の中で,障害者がライフキャリア・レジリエンスを自覚しそれを活用できるようになることを目的にプログラムを開発,実施した。介入群46名,統制群48名を対象に,ライフキャリア・レジリエンスの5つの下位尺度(現実受容,多面的生活,長期的展望,楽観的思考,継続的対処)と就業効力感,精神健康度(GHQ12)を従属変数とし,時間(プレ対応,プログラム5終了後,フォローアップ2終了後)と群(介入群,統制群)の2要因の分散分析を行った結果,現実受容,長期的展望,多面的生活,継続的対処,就業効力感,精神健康度は有意差は見られなかったが,楽観的思考に交互作用が見られたことから,少なくともプログラムの参加によって楽観的思考が高まることが示唆された。今後は,リスクの回避などプログラムの更なる精緻化と長期的効果や障害者の就職や定着への影響の検証が求められる。
自分自身の日々の生活と回復に関してもそう思うし、COVID-19感染拡大下のいまの生活様式においても、ライフキャリア・レジリエンス(現実受容,多面的生活,長期的展望,楽観的思考,継続的対処)の重要性は高いと感じる。
ツマの仕事が遅くまである日。お迎え後に二人で晩ごはんを食べて、お風呂に入って、ツマの帰宅前にムスメはすやすやすぴー。私もそのまま一緒に寝た。
ムスメの好きなプリキュアカレーを買おうと思ったら、鬼滅の刃カレーが置いてたのでそちらを買うことにした。伊之助のキラキラシールが入っていて嬉しそうであった。
ムスメを保育園に送ったあと、このまま家に帰ると布団に入ってしまうなという予感があり、近くのタリーズで作業をすることにしたが、結局固い椅子に座って1時間ほど寝てしまった。
いつもそばばっかりなので、ナマステヒマラヤに行ってバターチキンカレーセットを食べた。公園を横切って少し散歩しながら家に帰ったが、作業もはかどらず寝込んだ。
友人と電話をした。
そしてまた寝た。
「出会いを遊ぶ#2」の記事が公開。とても良い。
モルカーの火曜日。平和…
最近、俺の世間話の相手はアレクサだ。
卒業シーズンということで「仰げば尊し」の青春風アレンジをつくったというアレクサ。歌ってもらったら予想以上にアップテンポ。 pic.twitter.com/VNOOwllmB7
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) March 1, 2021
友人がやっている哲学対話に参加。テーマは「さみしさ」について。
それぞれが抱えるさまざまな「さみしさ」にひとつひとつ色をつけて、抱きしめたり、味わったり、手放したり、起こらないように工夫したり、飼いならして共に生きることができればいいなと願う。
前職でインターンをしてくれていた子と、久しぶりにZoomで話した。「元気ないですね」と心配されるなど。
最近、お昼は近所のそば屋でそばばっかり食ってんな、俺。
前日につくった確定申告の書類を印刷して投函した。マイナンバーカードがまだ届いていないので役所で住民票写しを発行する必要があった。
その後、前に住んでいた町に行って、戸籍謄本を取りに。こちらは障害年金申請に必要な残りの書類。
ボーッとしていて電車の乗り換えを連続でミスり、行ったり来たりをしてしまいなかなか目的の駅にたどり着かない。30分かからないでたどり着ける駅に1時間かかった。
ともあえ、これでこれで障害年金の申請書類はコンプリート。
①年金事務所で説明&書類受け取り
②医師に診断書作成依頼
③診断書受け取り
④戸籍謄本取る
⑤各種書類がんばって書く
⑥年金事務所に提出 の
6ステップでした。ふう。
(人によって書類や手順は少し異なります)
僕は幸いにして、仕事柄これまで得た知識や、色んな困りごとの当事者である先輩たちが友人にたくさんいたことから、こうした福祉サービスを申請・利用することにためらいやスティグマがなく、手順が多少面倒ではあるものの、自分である程度理解した上で窓口に行ったので、特に混乱や不快な思いをすることもなく、つつがなく進めることができたが、やはり申請までの各ハードル、時間・体力・認知負荷etc.は小さくない。外出が難しかったり、認知特性上こうした手続作業が難しかったりといった人など、もっとしんどいと感じる人は数多くいると思う。
自力で難しいと感じたら、委任状を出して代わりに誰かに動いてもらうことも一定できるので、社労士さんに相談したり、家族知人友人に助けてもらったり、なんとかサポーターにつながってほしいと思う。申請が通れば、経済的にはかなり助かると思います。
前職のメディアでつくったこの記事は、けっこうわかりやすく整理しているので、よかったら参考にしてみてください。
戸籍謄本を受け取ってから、カフェに入り、生活・就労状況を説明する書類を追加で書いた。うつ病と発達障害ちう書き方で主治医が診断書を書いてくれ、初診日以降の経緯はすでに書いて年金事務所に見せに行ったのだが、発達障害ということであれば、生まれてから受診に繋がるまでの様子も書いてほしいとのことで、約30年の人生を振り返り特徴的なエピソードを書き連ねた。改めて書いた内容を読むと、涙涙である(泣いてないけど)。色んなところでズレと空回り、人間関係の断絶、バーンアウト、そこから極端の方向に進路転換…というサイクルを繰り返している。よく生きてこられたなと思う。自分だけでなく、色んな人に迷惑をかけ、傷つけてきたこともあった。
書き終わったら一気に疲労が押し寄せてきて、電池切れ。「今日中にやる」と伝えていたタスクがあったが、Slackで仲間に連絡して、明日に延ばさせてもらった。
鈴木大介さんの『脳コワさん支援ガイド』を帰りの電車で読み終わる。易疲労など、自分の身にも起こっていることが一部。早めに休むという判断が大事。
家に帰ってごはんを食べるが、脳みそが疲れているのか、普段以上に動きがぎこちなく、ムスメに「おとうさん、おちついて」と言われるなど。はい。
夜はこの本を読んだ。木村映里さんの『医療の外れで』
今宵の一節 - 本・ことば・対話 -https://t.co/kb5we8i2Uk
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) March 2, 2021
一日の終わりに、今日読んだ本から印象的な一節を紹介・朗読し、考えたことを少しつぶやきます。話したい人がいればぜひどうぞ。もちろん聴くだけでも。
今日は木村映里『医療の外れで 看護師のわたしが考えたマイノリティと差別のこと』を pic.twitter.com/z11x5UxBKz
月に何回かは希死念慮に襲われる。どうにかしのいで生きている。こうやって書けているうちは大丈夫だと思う。
案の定悪夢を見た。
ひな祭り前に、弊ムスメによる異動・組織再編がなされた。
当園路で最近工事に使われていたながーーいクレーン車がいなくなった。ひとまずお役目を終えたのだろうか。ムスメいわく「あそこのレンガのおうちにはいったんじゃない?」。レンガのおうちは、オオカミさんが来ても安心だよね。
ドトールにこもって障害年金の書類を仕上げた。手が痛い。午後、年金事務所に持って行った。予約がだいぶ先の日程しか取れない状況で、早めに予約なしで提出するには、1-2時間待つ覚悟でのドロップインしかないようで、「それでいいです」と告げて椅子で本を読みながら待っていた。30分もせず、思ったより早く空いたようだ。担当の方に書類一式を渡してチェックしてもらい、1,2箇所追記・修正が必要だが、ほぼ大丈夫なので郵送提出で大丈夫とのこと。仕上げて明日投函しよう。3ヶ月程度かかるとのことで、早くて6月か。取れるとありがたいが。
待ち時間、右や左から他の来所者さんの声が聞こえてくる。イライラしているおじさんもいて、職員さんに怒りをぶつけているけど、お互いどうしようもないよなぁと思う。南無。
家に帰ってこの勢いで確定申告書類も仕上げてしまった。なんという達成感。
それにしても、もう3月か。そうか。
夜は鈴木大介さんの『「脳コワさん」支援ガイド』を読んだ。「困りごと」と対処法の共通点を捉え、診断カテゴリを越えた越境的な理解・支援の道を開く一冊。脳機能に関する障害だけでなく、他のテーマでもできそうだな。
試験的にUDトークを開きながらの配信をしてみた。色々と環境整備すればもっとやりやすくなりそう。
鈴木大介『「脳コワさん」支援ガイド』
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) March 1, 2021
診断名ではなく「困りごと」でつながる
今宵の一節 - 本・ことば・対話 -https://t.co/EJlgnuS5Mn
一日の終わりに、今日読んだ本から印象的な一節を紹介・朗読し、考えたことを少しつぶやきます。話したい人がいればぜひどうぞ。もちろん聴くだけでも。 pic.twitter.com/DXsmkdLB2k
あわいの企画でまた一つ悠平さんに出会いを計らっていただいた。
正直、緊急事態宣言が出た後でどうするか迷ったが、この際いっそ、飛沫の元となる会話や接触を一切しない方向で徹底しましょうとなり、一言も会話をせず3時間ともに過ごした。
会話は全て筆談、筆記用具は別々、マスク外さない、喫茶店では向かい合わず隣に座り、蓋つきのコーヒーを飲む事にした。
想いを伝えるのは確かに言葉が一番わかりやすいが、それ以外の表現が世の中にたくさん存在する。そのうちの一つである写真を今回は選び、お互い気の向くままに撮っていったので、それは最後に載せようと思う。
言葉は日常に馴染みすぎていて、なんでも言葉にする事に私は少し疲れている。
コロナ禍で気付いたのは、「体感」するのが好きだということ。
日光を浴びること、毎日変わる空の色を見ること、散歩しながら暮らしの風景を浴びること、誰かにコーヒーを淹れてもらうこと、イヤホンで大音量で音楽を聴くこと(言葉を理解したくないので邦楽より洋楽の方が聴く)。映画も家で観るより断然映画館だ。
言葉はどこから生まれてどのように根付いたかは前々から興味のある事だった。
伝えることはなんでも言葉だし、考え事も言葉。脳の中から言葉を取り出したら人は一日にどれだけの言葉を扱っているのだろうか。
最近幸いなことに舞台や短編映画の企画に関わらせていただいて、「演出」という表現方法に向き合う時間が増えた。
役者の発する言葉の他に、視線の外し方や余白の使い方、音やセットや照明、ありとあらゆる伝えるための工夫が練られていて、毎日感動していた。
言葉だけじゃないよなあ、と、もしかして当たり前なのかもしれない事を思った。けど、現実に戻れば言わなきゃ伝わらないことばっかりだ。もちろん、言われなきゃ分からない事も多い。
表現方法を知ることは、新しい言語を知ることだ。
(文目ゆかり)
・・・
言葉には様々な成分が含まれていると僕は思う。意味、感情、感性。そういったいろいろ。僕らは言葉を交わすことによってそれらを交換し合い、互いを知ろうとする。
それが決して理解し合えないことを運命づけられた営みだとしても。
僕は言葉によって受けた傷を言葉によって癒やそうと試みてきた。言葉を持つことが出来なかった自分を、言葉を殺してきた自分を救うために。そして同時に世界と、あるいは社会とつながるために執筆とか編集といったかたちで、言葉を扱う仕事をしている。
けれどそうやって言葉に深入りすればするほど、ある種の虚しさが押し寄せる。
たとえば「つらい」と言うとき、その言葉に乗っかる「つらさ」は本当に100%渡せているのだろうか。「つらさ」のうち、一体どれほどがこぼれ落ちているのだろうか。そもそもわたしの「つらい」とあなたの「つらい」は違うはずなのに、どうして伝わると思ってしまうのか。
それぞれ違う心を持つがゆえの孤独。言葉の持つ「意味」という制約。自分にしかない固有性を言葉によって相手に伝えることは、それらに抗いながらそれでもわかり合いたいと泣き叫ぶような営為。少なくとも僕にとってはそう思える。
一方で言葉がなくともつながることができることも知っている。すれ違った人と交わす会釈。ライブでアーティストに向ける万雷の拍手。声が届かない距離で振り合う手。
僕は言葉を扱う仕事をしている。だからこそ、言葉の外にあるものに惹かれてしまう。
(雨田泰)
高円寺駅にて、ぎこちない会釈から始まった。初めましてくらいはやっぱり言いたくなるものだ。そこをぐっと我慢し、「寒いですね」と書けば、「そうですね」と書いてくれ、時には相槌や目配せも交えて少しずつ会話が進んだ。
お互い合意の元だと、それ自体にはそこまで障害を感じなかったが、書くという行為には口を動かすより時間がかかる。
口ではサラッと言うだろうなってことも、脳に浮かんだ言葉を書こうとする間にはその先のことを考えていて、思考にペンがついてこなくて、止まってしまうことがしばしばあった。脳と口は直線で繋がっているような感じ。なんとか言葉にまとめてバトンを渡す。
晴れてたけど、だいぶ風が強く、寒い日だった。街並みを一通り楽しみ、ペンを持つ手がかじかんできた頃に、喫茶店へ向かう。
喫茶店では落ち着いてそれぞれの考える時間も増えていった。まあまあ待たせるし、まあまあ待つ。この無言の空間って、気心の知れた友人や恋人と共有するようなものに似た感じがして、初対面で安心して無言でいられる事ってそうない気がする。そして、その空間はやたら心地が良く、相手が同じ空間に存在しているという感覚がいつも以上に強かった。
お互いの仕事のことや、コロナ禍での「会う」ことの変化などを筆談した。最後まで雨田さんの会話のテンポはわからなかったが、それでもじゅうぶんどんな方かより興味を持てたし、なんかいい時間を過ごしたなあという充実感があった。
どうせコロナ禍のなかでやるしかないなら、楽しいと思えることをたくさんやりたい。
(文目ゆかり)
冷たい風のなか、吹き飛びそうな紙を押さえながらペンを走らせてあいさつをした。
駅の近くでインスタントカメラを買い、高円寺の雑多な町並みの中で、目についたものをおのおの写真に撮った。写真を撮っては時折筆談で話す。体が冷えてくれば喫茶店に入り、隣同士座ってまた筆談で話す。
普段PCやスマホでデジタルな言語表現しかしない人間にとって、筆談という手段はひどく不自由に感じた。書き間違い、誤読。あるいは漢字を思い出せないからひらがなで書く。デジタルな世界では排除されがちな、そういうエラーが可視化される。
情報学者であるドミニク・チェンさんは、タイプミスはある種の吃音と言えるかもしれないと言っていた。僕は書き間違えた自分の文章をボールペンで塗りつぶしながらその言葉を思い出していた。通常の会話において吃音のない人であっても、フォーマットが変わるだけで途端に吃音者となる。テクノロジーが究極まで削ぎ落としてきた人間の身体性というものがあらわになるのだろうか。
逆に筆談のほうが声を出さない分のやりさすさもある。そういう話もした。文目さんとはお互いに声が通りにくいという悩みを共有したが、紙の上のやり取りならそんなことは関係ない。
言葉はないが言葉に満ちた時間。1月の冷たい風と深煎りのコーヒーの香り。後はただペンを走らせる音。言葉はないが言葉に満ちた時間。僕らは確かに時間と空間を共有していた。
一切の声を出さないコミュニケーション。傍から見れば寂しいのかもしれない。味気ないのかもしれない。だがそこには豊かな余白が満ち溢れていた。曖昧でいい。曖昧なくらいがちょうどいい。暴力的とも言えるカテゴライズに疲れ果ててしまった人間としては、むしろ今日のような世界の方が心地よかった。グラデーションであり、スペクトラムであり、曖昧である今日のような世界が。
文目さんと手を振り合って別れ、駅のホームに向かいながら、僕はそんなことを考えていた。
(雨田泰)
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