働き続けるために自分を守ること

行き先は分かっているのに、駅の構内地図前でしばらくぼーっと立ちつくしていた。
そのことに気づいてからもしばらく動けないでいた。
地図を見る視線と焦点が定まらない。これはまずいなと自覚した。

エネルギーの総量が減っている。対人業務とか急ぎの書類だけ瞬間最大風速で乗りきってる感じ。それも徐々に消耗する。

仕事に関して、今年は変化が大きい。
新しいプロジェクトを同時並行で走らせながら、出来たばかりの組織の今後の展開について考えなければならない。
プロジェクトごとに関わる人はいるのだが、フルタイムの同僚や直上の上司がいるわけではないので、なかなか難しい。
「変化は自らつくるもの」と教わり、心得ている。
組織体制については周りと相談しながら、少しずつは進んでいる。
とはいえ、コミュニケーションや時間配分について、自分で制御しきれないしんどさはある。
また、未来を見据えて計画を立て、それを相手に伝えて状況を動かす、というのにはエネルギーがいる。

この状況が一朝一夕で楽になるものではないし、自分にとっても重要なステージではあるから、投げ出さず続けて、動かし切るつもりでいる。
直近コントロールできるものは何か。自分自身の生活である。時間の使い方である。

ストレスチェックをするとけっこう高く出た。
このまま放置すると不味いなという自覚を持てるぐらいには冷静で、とはいえ日常のパフォーマンスや集中力は明らかに落ちていて気分も沈んでいるから、今月は自己防衛を最優先にすることにした。

仕事で認知行動療法だの行動変容だのマインドフルネスだのレジリエンスだの自己決定だの当事者研究だの言っている場合かというものである(笑)
(社内や同界隈の友人ともよく話すが、対人支援職のヘルスケアというのも冗談ではなく重要な社会課題であると思う)

働き続けるために、より多くのことを成し遂げるためにも、自分自身を守るということは重要だ。
頭では分かっていても、目先の仕事の忙しさ、周りの期待値の内面化、休むことの機会損失などなどで、なかなか踏ん切れないのが20代後半の働き盛りだと思う。

こういう時はルールを作って可視化するのである。そして計測する。
目標は達成可能なものからスモールステップで取り組む。
結果が即時に見えるフィードバックの仕組みをつくる。
ってこれ、普段他人に言ったり教えたりしてる方法じゃないか(笑)

というわけで、以下のような行動指針をつくった。
Googleフォームで日次で達成状況をチェックして蓄積し、週次で評価をする。12月はこれで様子を見つつ、年明けに振り返って1月以降より適切な指標に調整していきたいと思う。

基本方針としては、1)無理をしないこと、2)睡眠を最優先項目とすること、3)対人交流を制限すること、の3点を重視する。なので下に書いた事項が全て達成できなくても良い。心身の回復度合いにともなって柔軟に調節していく。「丁寧な暮らし」にはほど遠いが、死なないための暮らしが出来れば上出来とする。

飲食に関しては基礎知識と健康意識もあり、そこまでひどい生活はしていないと思う。
が、人付き合いが多いため、流されて飲み過ぎるとか、仕事で帰りが深夜になるとか、その結果寝付きも寝起きが悪く、朝食も食べない…とか、そういった仕事や人間関係による悪循環の要素が大きいと思う。脱、NOと言えない日本人

こうして書き出してみるとそれだけで多少気分がすっきりするものである。

手遅れになるまえに生活習慣を立てなおそうと思う。

■睡眠
・7時間の睡眠時間確保を最優先とする
・電気を消して寝る
・シャワーを浴びてから寝る
・パジャマに着替えて寝る

■運動
・無理して強度の運動はしない
・週に1度、30分〜1時間程度の散歩をする
・夜寝る前にストレッチを行う
・朝と夜に5分程度の瞑想を行う

■食事
・家で朝食をとる。納豆、バナナ等時間のかからないものを少量でも良いので摂取して外出する
・昼食では、糖質の低く、あたたかいものを、可能な限り摂取する(コンビニおでんなど) 
・来客・ランチMTG等で外食する時は注文時に分量を減らすようにお願いする
・家で夕食をとる。ゆで野菜や海藻、豆腐等を中心にあたたかいものを摂取する
・作りおき、栄養バランス等、気にしすぎるとキリがなくかえってストレスのもとなので、基本的に上記以上のことを自分に求めない

■飲酒
・しばらく控える
・付き合いの場では最初の一杯だけ飲む。あとはノンアルコール
・二次会には行かない
・断ることが可能な予定は年内全て断る

■仕事
・21時までには退勤する
・極力昼休みをとる

■臨床的介入
・直近、可能な日程でメンタルクリニックに行く
・その日の場面から非機能的なものがあった場合、1つをピックアップし、以下のフォーマットで認知再構成法を使う。
(参考: 大野(2014)、「認知行動療法の基礎と展望-特集-認知行動療法」、PTジャーナル第48巻第12号)

12/12/2015

状況
知人に誘われたメンタルヘルス関係のワークショップに参加した。前半スピーチセッション中も頭がボーッとしてあまり集中できなかった。後半グループワークでは、精神障害当事者が運動をするきっかけや方法を考えるワークであったが、自分のテーブルは議論が発散している様子で、交通整理の必要を認めたが、脳がうまく回転せず、この場に貢献できないと思ったので、開始早々に「予定があるので」と言って退出した

気分
不安と焦り

自動思考
いつもならもっとうまく話せるのに、今日この場では何のパフォーマンスも発揮できていない。このまま時間を過ごしていても役に立てないし自分にとっても良いことがない。とても誰かを支援できる状態ではない。情けない。

根拠
同程度の規模、似たような話題や方式の対話の経験はあり、自分も参加者もより活発にかつすっきりと議論を整理することができることの方が多いのに、今日はまったくそのようでなかった。普段の業務上、より緊張感と要求度が高い仕事を抱えているのに、オフの場でこのパフォーマンスではまずいと思った

反証
人間、心身ともに疲れがたまるとパフォーマンスが下がるのは生体反応として当然のこと。同じ人間、同じような話題・活動でもうまくいかないことは当然ある。

気分の変化
その場で自分のコンディションを判断して、退出・休息を最優先と判断できたのは良かったと思う。

てんやの天丼

今朝、訪問販売があってさ。寝起きで頭働いてないし、表情見れば成約しないって分かるだろうに、妙な粘りを見せてくる恰幅の良いおねえさんで、身体に優しい牛乳とか売ってくる前にあなたの優しさをくださいよ勘弁してくださいよ。と思った。

人と会う用事がいくつか入っていたので、着替えて出かけた。

人と会った。仕事の話をした。
人と会った。仕事の話をした。
人と会った。仕事の話をした。

報告をして、事実確認をして、だれがいつ何をやるかを決めて。
だいたいのことはそうやって冷静に粛々と進める以外にないのであって、今日もご多分に漏れずそういうことだったのだけど。
もやっとしたことがあったので、ちょっと、言葉に、出した。

肝心のところで吃る。

それぞれの人たちがそれぞれのところで大変なこと日々いっぱい抱えてるんだろうな、ということを踏まえてブレーキをかけてもやっぱりもやっとがもやっとしたままもやっと出てきた。

肝心のところで吃る。
 

家に帰ることにした。
電車に乗った。いくぶん冷静になって。勉強になったな、と。反芻した。 
 
 
阿佐ヶ谷に帰ってきて駅前のスタバでひとしきり作業をした。それでもやっぱりどうにも元気がでないので、「あぁ、今日はほっとする場所でほっとするものを食べないとだめだ」と考え立ち、高円寺にある知り合いのカフェでビーフストロガノフを食べることにした。歩いて15分ぐらい。休みの日だった。もうラーメンでいいやという気分になったけど、高円寺のラーメン事情に詳しいわけでもなく、「高円寺 ラーメン」と検索してもろくすっぽテンションが上がらず、きっと半ラーメンだって食いきれないだろうというぐらいろくすっぽテンションが上がらず、最近の不摂生もあるので、やっぱり今日は家で自炊しようと考え、高円寺駅から電車に乗り、あやうく新宿方面に連れ戻されるところ、ドアが閉まるギリギリで気づいて外に飛び出し、阿佐ヶ谷駅に降りてとぼとぼと歩き出して、結局駅北口ロータリーにあるてんやに入った。

てんや。何の変哲もない。てんや。
駅を降りればすぐ目に入る黄色い看板。
座れば3分であたたかいものが食べられる安心感といったらない。

隣のバーガーキングには入ったことがない。
バーガーキングには良い思い出がないからだ。

毎月18日の「てんやの日」には390円の「サンキュー天丼」が食べられるのだけど、500円だって今の僕には十分サンキューだ。テーブルの上には、子持ち白魚と活〆穴子の早春天丼(税別769円税込み830円)の写真があったのだけど、今の僕には穴子がなくたって普通の天丼と普通のお味噌汁とあったかいお茶があればサンキューだ。

てんや。何の変哲もない。てんや。
てんやの天丼。天丼美味しい。

食べてから家に帰った。
 
 
 
そういえば今朝、訪問販売があってさ。寝起きで頭働いてないし、表情見れば成約しないって分かるだろうに、妙な粘りを見せてくる恰幅の良いおねえさんで、身体に優しい牛乳とか売ってくる前にあなたの優しさをくださいよ勘弁してくださいよと思ったのだけど。

あの人も、明るい笑顔と、よく通る声と、粘りの営業トークを武器に、お宅訪問を繰り返しながらも、たくさん断られて、たまに成約して、たくさん断られて、で、やっぱりちょっと、落ち込むこともあるのだろうか。

きっとあるのだろう。それでもまた翌日も翌々日もお宅訪問を繰り返すのだろう。

身体に優しい牛乳、売れると良いですね。

表現する人とその作品に対してできること

10年ぐらい前は、世の中には「アーティスト」という人種がいて、そういう人たちはお茶の間のテレビを通してしか見ることのない特別な世界に生きているのだと思ってた。

もちろんそんなことはなくて、実際に会ってみると、ちゃんと同じ人間である。色んな人がいるが、ともかくも生きていれば腹が減るので、メシを食う必要がある。表現だけしてもそれ自体では腹は膨れないので、色んな方法で身銭を稼いでいる。そして食っていっている。

写真家さんや被写体さんやメイクさんは、スタジオを借りて一緒に「作品撮り」というものをする。自分たちの表現を追求するためでもあるし、評価の対象となる、ひいては仕事のきっかけともなり得るポートフォリオを増やすという意味もある。しかし作品撮り自体は自費折半なので、撮られた作品がすぐお金になるわけではない。なので、雑誌やテレビや広告で、クライアントありきの仕事を請けたり、写真スタジオに勤めたりして、日々の稼ぎを得たりする。こういう人たちは、一つの生業に専従しているとも言えるけれど、表現物の自己表出性と商業性は、一部重なりつつ微妙に幅を持っている。

生活の糧と表現活動を分離している人もいる。普段は全然違う仕事をしてお金を稼いで、生活の余剰で作品制作をする。そうして作った作品自体が売れることもあるけれど、それ自体を主たる収入源としては位置づけていない。表現活動を、余暇や趣味と捉えていたり、あるいは真剣だからこそお金や商業性と分離したいと思っていたり、その動機は色々だけれど。

作品制作一本で勝負している人もいる。パトロンを見つけるなりグランツを取るなりして制作費をなんとかかき集めて、作品をある程度まとまった数作り、展示やパフォーマンスの機会を作り、あるいは営業をして、作ったもののうち2つでも3つでも、単価100万や200万で売れれば収支トントン、みたいなサイクル。NYにいる間、このタイプのアーティストの個展の手伝いを何度かしたことがある。日本から大判の作品を大量かつ厳重に空輸してNYで展示するプロセスと労力を目の当たりにして、「いやこれ大変っすわ…」としみじみ思った。結婚していて子供も2人いて、これ一本で一家を養っている人なんかも、いた。うひゃあ。

生活設計全体で考えればこの他にも色んなバリエーションがあるだろうけれど、ともかくも、作品を買ってもらうというのは大変だ。まずもって生活必需品ではないものを、欲しいと思ってもらい、財布の紐を弛めてもらうのは、そう簡単ではない。

なおかつ近年では、テクノロジーの発展によって、プロとアマの距離が大きく縮まった業界もある。代表的なのは写真。日本で知り合って、NYにもちょくちょく来られるベテランの写真家さんが、ここ数年で何人も知り合いが廃業したと言っていたのは印象深かった。昔はプロの技術でないとできなかったことも、機械が勝手に調整してくれるから、無理にプロに頼まなくても事足りる事例と領域が増えたのだ。だからこそ、写真一本でプロとして仕事を貰い続けるには、世界観とか、視点とか、文脈づくりとか、技術以外の差異が必要になってくる。それから文章も。インターネットで誰でも世界中に向けて書くことができるし、プロでなくても良い文章が出てくる。書いた原稿や本にお金を出してもらえるハードルが高くなったという点では、ライターさんや作家さんも、大変だ。

別にギョーカイに詳しくなったわけではない。でもとにかく、表現をすること、より正確には表現を「続ける」ことの大変さは昔より実感を持って理解したと思う。伴って、表現する人や作品に対する接し方が変わってきた。端的に言うと、お金や時間をより多く表現物に向かって使うようになった。もっと使えるようになりたいと思っている。

表現物を「買う」ことは一番シンプルかつストレートな応援だから、自分が好きな人、応援している人の作品はなるべくお金を出して買いたい。ただ現状のところまったくもって稼ぎが少なく、なんだったら学費で借金まみれでもあるので、すぐに買えるのは、本・CD・DVDや、ライブ公演・映画のチケットなど、販売・配信規模と利用者規模ゆえに比較的単価が低く抑えられる種類のものぐらいだ。

表現作品の価格は、制作に必要な物理的な資源・経費の多寡と、作家本人の「格」-地位や名声のセットで上下する。だから大判の絵画や書画、石や鉄の彫刻、家具や家なんかはちょっと今は手が出ないし、自分が見つけて好きになった時にはすでに売れっ子である人の作品とかは、目眩がするぐらいに値札のゼロの数が多い。そういう場合はせめて、展示会などがあればなるべく足を運ぶようにしている。そこで作品を観て感じたことを、考えて言葉にして、後日感想を送ったりするようにもしている(買った場合でも勿論そうだけど)。

だから最近は、もっとたくさんお金を稼ぎたいなぁとも思うようになった。自分のためだけではなくて、この人たちの作品にお金を使いたい、と思える人とのご縁が増えたから。

お金を稼ぐだけじゃなくて、その人達の表現する世界に恥ずかしくないだけの、感性とか思考とか、もっと言えば生き方を目指さなきゃいけないなぁと、思うようにもなった。

つまり、総合的に言って、「欲」が出てきた。お金とか贅沢に対しての欲じゃなくて、「成長」とか「投資」に対する欲と言って良いのか、これらの言葉が100%しっくりきているわけではないけど、何か、そう言っちゃっても良いような前のめりな熱が、自分の中に育ってきているのを感じる。もうひとつ言うと、自分自身が表現することに対する欲も。僕の場合は書くことで。勿論まだ全然売れてないんですけども。

作品づくりは、エネルギーが要る。それは表現する人の生命の、生き方の写し絵でもあるから。作る方も、受け取る方も、テキトーではやってられない。

作品と向き合う、向き合える自分であろうとすることはつまり、より善く生きるということなのだと思う。

未来の劇場から、美しいふたりへ ― 映画「風立ちぬ」

夏に日本に帰っている間に「風立ちぬ」を観た。僕が観に行く頃にはすでに多くの人が鑑賞した後で、TwitterやFacebookを開いた時に感想・レビューの投稿やブログが流れている状態だったが、なんとなく、そういうものは今回は見ない方が良い気がしたので見ないで放っておいた。公式サイトとか監督インタビューといった類のものも見ずに劇場に足を運んだ

 戦前の日本が舞台であることだとか、どういう人達の話なのかもほとんど全く知らない状態で入った。堀辰雄の原作も知らないし、堀越二郎が零戦の設計者だということも、映画を観終わって初めて知った。
 
 1回観た時は、じんわり感動した。「後半は泣きっぱなしだった」と語る友人もけっこういたのだけど、そういう感じではなかった。「あぁ、いいなぁ」って感じの、静かな感動。
 
 なのに結局1回では飽きたらず、出国する直前にもう一度観に行っている自分がいた。その時も、だいたい同じ箇所で、じんわりうるりと静かに感動した。やっぱり「後半泣きっぱなし」というわけにはいかない。
 
 だけどどうしたことか、こうしてNYに帰ってきてからもずっと、「何か書かなきゃ」という気持ちが底の方に続いている。バタバタして結局9月も下旬というところで、筆をとっている。
 
 
 「こないだ『風立ちぬ』を観たよ」と友人たちに話すと、テンション高め、というか思い入れを持った語調での食いつきを見せてくる人がけっこういた。そういう人たちの感想は賛否両論分かれていて、どちらかというと男は賛・女は否の傾向がある印象だったが、でもその多くは二郎や菜穂子の生き方に同性として共感・感情移入・自己投影できるか、あるいは異性として惹かれるか・容認できるかという恋愛論・男女論に終始しているようで、それはなんだか違うのではないか、と思った。僕の場合は、映画を観ているとき、二郎に「共感」するとか「自己投影」するような気持ちは全く起こらず、なにか美しいものを「眺めている」という感じだったからだ。

 この映画は結局、”あまりにも若すぎた”、二郎と菜穂子の二人が、”ほかの人にはわからない”、”けれどしあわせ”な生を全うしたという、ただそのことに尽きるように思う(主題歌: 荒井由実 「ひこうき雲」)。二人の命は、現代に生きる僕たち「外野」から向けられるいかなる重力—記号的な男女論・恋愛論もすり抜け、時代の暗雲を突き破って空へと飛んだ。その姿に対して、僕は上映後に口からぽつりと出た「美しい」以外に「感想」を持たない。


 恋愛・結婚・家庭・男女・働き方といった観点以外での、映画に対する「社会的」な反応は他にも色々あった。「上流階級のインテリのエゴだ」とか「結核の妻の横でタバコを吸うなんてけしからん」とか、果ては「戦争賛美だ」なんて全くズレた声もあった。
 
 事実、この映画の中にはそうした反応を促すかのような要素がふんだんに散りばめられている。ぎゅうぎゅう詰めの三等客席、線路沿いを歩き、橋の下で休みながら仕事を求めて歩く人びと、銀行での取り付け騒ぎ、二郎から施されたシベリアを拒否する貧しい姉妹、関東大震災と第二次世界大戦、結核とタバコ、仕事に邁進する夫と難病の妻…当時の貧富の差や、男女・夫婦関係の対比は、劇中、枚挙に暇がない。宮崎監督は、それらに対するあらゆる反応を見越して意図的に配置したのだろう。そして、そうしたいかなる「社会的」な重力も振り切るだけの跳躍力を二郎と菜穂子の二人に与えた。


 出自や所属や立場や働き方でもって、他人を批判することはたやすい。あるいは、現代の「フェミニズム」からの男尊女卑社会の批判とか、当時の帝国主義・国家主義に対する反省とか、なんらかの「イズム」でもって大上段に語ることも、たやすい。しかし、小さな個人の生を全体として見た時、そのような「社会的」な賛否は果たしてそんなに簡単だろうか。
   
 二郎や菜穂子に限らず、僕たちは生まれてくる時代と家庭を選べない。「自己決定」や「自己責任」といった言葉は響きが良いが、個人の力で人生を変えられる範囲はおそらくとても小さなもので、多くの運命は、生まれた時代環境と、周りの人たちとの出会いや関係性の複雑な掛け算によって決定づけられているように思う。一人ひとりができることはその限界目一杯を振り切るように抗い抜くことだけだ。
  
 日本がまだ貧乏だった頃で、しかし戦争があったからこそ飛行機作りを含めた軍需産業に予算が回ってきあったこと。菜穂子を見舞いに来てすぐ職場に戻ろうとする二郎に対して、菜穂子の父も「男は仕事をしてこそだ」と言って送り出すような社会通念であったこと。結核がまだ治らない時代であったこと。二郎が大学に行けるだけのお金と教養のある身分の家に生まれたこと、菜穂子も同じように当時としては上流階級のお嬢さんであったこと。そして二郎が近眼であったこと。それらは全て偶然のめぐり合わせに過ぎない。社会的には、「幸運」で「恵まれた」出自だっただろう。その生活環境はその他大勢の「不幸」で「恵まれない」人びとを下敷きにして成り立っていると言うこともできるかもしれない。それならば飛行機作りも「上流階級のインテリのエゴ」なのかもしれない。
 
 でも、だからといって、二郎と菜穂子に、あれ以外の生き方を選ぶことができただろうか。
 
 きっと、他には無かったのだろう。飛行機という「呪われた夢」に創造的人生の10年を捧げ切ること。二郎にはその生き方しかなかった。
  
 事実、職場へ向かう道中に銀行での取り付け騒ぎに遭遇したり、小さな兄弟にシベリアを差し出して拒否されたことを本庄に「偽善だ」と一蹴された後も、二郎がそうした社会的・経済的な格差や悲劇に対して思い悩む描写は全く無い。ましてや、そのことによって飛行機設計に対する情熱が削がれることもなかった
  
 同じく戦争の帰趨に対しても二郎と本庄の態度は極めて淡々としていて、「破裂だな」の一言で終わる。二郎と本庄にとっては戦争の中で「美しい飛行機を作る」ことだけが重要だった。


 同様にして菜穂子にも、あれ以外の生き方(あるいは死に方)しか無かったのだろう。当時としては治る見込みが少なかった結核を治すために、孤独な高原病院に移ったことも、あるいはそこを飛び出して二郎のもとに駆けて行ったことも、どちらも運命的に出逢った二郎と「共に生きる」ための彼女の闘いだった。

 
 二郎と菜穂子、それぞれの行動は、決して「家庭や妻を顧みない夫と、献身的な妻」といった図式に回収されない。お互いの存在を想い、愛しつつ、自分の役割を全うした、「ふたり」の人生だった。
 
 妹の加代に「菜穂子さんがかわいそうだわ!」と叱責された後、わずかに唇を歪めながらも、「加代、僕たちは今一瞬一瞬をとても大切に生きているんだ」と、加代を諭すように、あるいは自分に言い聞かせるように語ったことがその象徴のように思う。

 
 庵野秀明の声優起用が話題になっていた。彼の演じる二郎は始終淡々とした話し方だったが、声を震わせ、感情の昂ぶりを見せた場面がほんの数カ所ある。奈緒子が高原病院を飛び出して二郎と駅で再会した時の「帰らないで」と、その後黒川の家で結婚の儀を上げたときの、菜穂子に対する「綺麗だよ」、そして最後に、菜穂子の幻影が二郎に「生きて」と伝えたときの「ありがとう」だ。
 
 二郎と菜穂子、ふたりの生の輝きは、この「帰らないで」「綺麗だよ」から「ありがとう」の間、ふたりが一緒に過ごしたほんのわずかな時間に凝縮されている。

 それは同時に、零戦がこの世に生を受けるまでの時間でもあり、菜穂子がこの世を去るまでに残された時間でもあった。
 
 Le vent se lève, il faut tenter de vivre
  
 風が立つなか、ふたりの夢を乗せて空を駆けていく零は、たしかに美しかった。

岡山・美作、じいちゃんの田んぼ、カエルの音

母方の実家は岡山の美作にあって、この土日久しぶりに帰っていた。じいちゃんとばあちゃんは農家である。僕は生まれも育ちも父の地元である神戸だが、このじいちゃんばあちゃんのお米と野菜を食べて育ち、小さい頃の夏休みなどは、年のほとんど違わないいとこ兄弟と一緒に野山を駆け上がったりNintendo64をして遊んだ。

じいちゃんとばあちゃんは農家「である」と言ったけど、半分ぐらいは農家「だった」という表現も当てはまるかもしれない。ばあちゃんはまだ元気に畑をいじっているが、じいちゃんの方は、父方の祖父母とは比較にならないほどここ数年で衰弱してしまい、もう田んぼを耕せる身体ではない。そういうわけで、田んぼの方は親戚のおじさんが引き継いで管理してくれるようになった。じいちゃんが弱ったのは、心筋梗塞や肺炎などが色々と重なってのもので、今年僕がNYにいる間も、かなり危ない状態に一度陥った。母は、退院後に事後報告でメールをくれたが、親族一同、いよいよかと思うほどであったそうだ。今回帰ってきて僕自身がじいちゃんと対面した限りにおいては、1年前の印象とそこまで変わらなかったけど、それは別に元気ハツラツという意味ではなく、弱った状態でしかしどうにかこうにか命が続いてくれているというだけの話だ。毎食後に4,5錠ほどの薬を飲んでいる。よく痰がからむ。

じいちゃんばあちゃんの土地も含めて、家の周り一帯の田んぼでは田植えももう終わっていた。畦を散歩しながら、時折しゃがみこんで水の張られた田んぼを覗き込むと、大小様々な虫やカエルたちと出会う。帰ってくる直前に読んでいた本、宇根豊『農は過去と未来をつなぐ』によると、日本の田んぼには5,600種あまりの生き物がいるそうな。

夜、縁側に横になっていると、カエルと虫たちの鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。昼間とは比べ物にならない物量で、縁側の窓ガラスを一枚隔てた外の世界は、文字通り彼らの音で隙間なく満たされ埋められている。窓を開けて外へ出れば、きっと僕もその中に溶けることができたのだろうけど、帰国直後の東京と関西間の頻繁な移動による疲れと、NYとの温度差に驚き夜を半袖で過ごしたために、ここ数日少し風邪をひいてしまったものだから、立ち上がって駆け出すほどの元気も持たず、くしゃみをしながら座椅子でうたた寝をした。

さっきまで僕もいた台所では賑やかな話し声が聞こえる。食事の後もそこに残って飲んでいるのは、母と、いとこ兄弟の両親、つまり母の兄弟であり僕からしたらおじさん・おばさんと、それからその、じいちゃんの田を引き継いで耕してくれている親戚のおじさんと、そのおじさんの姪っ子夫婦。ばあちゃんは居間でテレビを見ている。じいちゃんはその隣の寝室で早々に眠りについた。僕がそこを抜けだして縁側に来たのは、まぁ里帰りの常で、NYで何をしている、将来どうする、仕事は結婚は…となかなか決まり悪く恥ずかしく答えにくい質問が飛んでき出したからで、要は緊急避難である。

ほどなくして、「風呂が沸いたからはよへぇれ」とばあちゃんが起こしにきた。続いて母も同じことを言う。もう少しじっとしていたかったけど、一度言い出すと僕が動き出すまで気をもんで何度も言ってくる二人だから、重い腰を上げて風呂に移動した。風呂は田んぼや畑がある側とは反対側だから、縁側ほどではないけれど、湯船のなかからもやはりカエルの声が聞こえてきて、そこでまたゆっくりする。布団に入って本を読みながらそのまま眠りにつく。

翌日日曜日は9時過ぎまでゆっくり寝て、午前中に母とじいちゃんばあちゃんと一緒に墓参りにゆき、山の中腹にあるその墓の草むしりをして線香をあげ、「ばあさんがいんでしもたらここに入れてくれな」などとばあちゃんに言われ、昼はそのばあちゃんがいつも揚げてくれる大好物のコロッケを頬張り、それから車で神戸へと発った。

問題

キャンパス近くのカフェで槇さんと久しぶりに会った。槇さんは不思議な人だ。年齢は三十代半ばぐらいに見えるけど、実際のところはよくわからない。彼といつどこでどうやって知り合ったかも、よく覚えていない。いつの間にか、年に数回会って話すようになった。

 「久しぶりだね。最近どうだい」
 「充実しています。だんだん慣れてもきたし、自分の関心の方向性ぐらいは、見えてきました」
 「そりゃ何よりだ」
 「でも…友人連中が目標に向かってひた走っている様子を見ると、やっぱり焦ったり嫉妬したりします」
 「君だって、毎日のんびりしてるわけじゃあるまい」
 「それはそうですが、彼らに比べて自分は、『自立』の二文字からずいぶん遠い位置にとどまっているように思うのです」
 「それは、経済的にってことかい」
 「それも大きいですが…まだ、自分の役割が見えません」
 「役割」
 「役割が見えないから、政治や社会の課題に対して目標設定が出来ないのです。それで相変わらず、身近な街や人のうごめきばかり気になっています」
 「それに、何か問題でも?」

 そう返されて、僕は黙ってしまった。目線を下に落として、コーヒーカップに手をやる。僕が黙っていても、彼は特に気にした様子もなく、窓の外を眺めている。そう…これは「問題」ではない。それはわかっている。

 「自分が他人の悩みを聞く側になると、調子よく『焦って他人と比べることないよ』なんて言う癖に、自分のことになるとすぐ他人と比べてしまう。誰かの真摯な相談を、そういう自分の不安を覆い隠す道具のように使っているように思える時もあります。下劣です」
 「今日はまたずいぶんと自分を卑下するね」
 「でも、『自分は下劣だ』と卑下することで赦された気になって、そこから進もうとしないのはもっと下劣です」
 「自覚できているなら、やることはひとつだろう」
 「さっさと社会に出て働けば、もう少しまともな根性になりますかね」
 槇さんは答えなかった。浅はかなことを言ったな、と最後の一言を反省した。
 
 「そろそろ行こうか」
 槇さんはそう言って席を立った。カップにわずかばかり残っていたコーヒーを口に入れて、僕も後に続く。気づけばもう六時前、外はすっかり暗くなっていた。 
 「君、素直でいい奴だが、少し危なっかしい」
 駅までの帰り道、前を向いたままで槇さんはそう呟いた。
 「生煮えの状態でなんでも素直にさらけ出すもんじゃないよ。色んな連中がいるからね。あらゆるものから、うまく距離を取るんだ」
 「槇さんとも、ですか」
 「僕に対してもそうだし、自分自身に対しても。自己分析はほどほどにしておくことだ。今日みたいなのは特にね。僕らは玉ねぎの芯を探すために生きているわけじゃない」
 改札間際で彼はそう言って、駅に入っていった。
 
 「方向性」と、自分で最初に言った。道が見えているのなら、ゴールがあろうとなかろうと、ここから歩き出すことになんらの支障もない。だからやっぱり、これは「問題」でもなんでもない。確かに生煮えだったな、とまた反省した。