未来の劇場から、美しいふたりへ ― 映画「風立ちぬ」

夏に日本に帰っている間に「風立ちぬ」を観た。僕が観に行く頃にはすでに多くの人が鑑賞した後で、TwitterやFacebookを開いた時に感想・レビューの投稿やブログが流れている状態だったが、なんとなく、そういうものは今回は見ない方が良い気がしたので見ないで放っておいた。公式サイトとか監督インタビューといった類のものも見ずに劇場に足を運んだ

 戦前の日本が舞台であることだとか、どういう人達の話なのかもほとんど全く知らない状態で入った。堀辰雄の原作も知らないし、堀越二郎が零戦の設計者だということも、映画を観終わって初めて知った。
 
 1回観た時は、じんわり感動した。「後半は泣きっぱなしだった」と語る友人もけっこういたのだけど、そういう感じではなかった。「あぁ、いいなぁ」って感じの、静かな感動。
 
 なのに結局1回では飽きたらず、出国する直前にもう一度観に行っている自分がいた。その時も、だいたい同じ箇所で、じんわりうるりと静かに感動した。やっぱり「後半泣きっぱなし」というわけにはいかない。
 
 だけどどうしたことか、こうしてNYに帰ってきてからもずっと、「何か書かなきゃ」という気持ちが底の方に続いている。バタバタして結局9月も下旬というところで、筆をとっている。
 
 
 「こないだ『風立ちぬ』を観たよ」と友人たちに話すと、テンション高め、というか思い入れを持った語調での食いつきを見せてくる人がけっこういた。そういう人たちの感想は賛否両論分かれていて、どちらかというと男は賛・女は否の傾向がある印象だったが、でもその多くは二郎や菜穂子の生き方に同性として共感・感情移入・自己投影できるか、あるいは異性として惹かれるか・容認できるかという恋愛論・男女論に終始しているようで、それはなんだか違うのではないか、と思った。僕の場合は、映画を観ているとき、二郎に「共感」するとか「自己投影」するような気持ちは全く起こらず、なにか美しいものを「眺めている」という感じだったからだ。

 この映画は結局、”あまりにも若すぎた”、二郎と菜穂子の二人が、”ほかの人にはわからない”、”けれどしあわせ”な生を全うしたという、ただそのことに尽きるように思う(主題歌: 荒井由実 「ひこうき雲」)。二人の命は、現代に生きる僕たち「外野」から向けられるいかなる重力—記号的な男女論・恋愛論もすり抜け、時代の暗雲を突き破って空へと飛んだ。その姿に対して、僕は上映後に口からぽつりと出た「美しい」以外に「感想」を持たない。


 恋愛・結婚・家庭・男女・働き方といった観点以外での、映画に対する「社会的」な反応は他にも色々あった。「上流階級のインテリのエゴだ」とか「結核の妻の横でタバコを吸うなんてけしからん」とか、果ては「戦争賛美だ」なんて全くズレた声もあった。
 
 事実、この映画の中にはそうした反応を促すかのような要素がふんだんに散りばめられている。ぎゅうぎゅう詰めの三等客席、線路沿いを歩き、橋の下で休みながら仕事を求めて歩く人びと、銀行での取り付け騒ぎ、二郎から施されたシベリアを拒否する貧しい姉妹、関東大震災と第二次世界大戦、結核とタバコ、仕事に邁進する夫と難病の妻…当時の貧富の差や、男女・夫婦関係の対比は、劇中、枚挙に暇がない。宮崎監督は、それらに対するあらゆる反応を見越して意図的に配置したのだろう。そして、そうしたいかなる「社会的」な重力も振り切るだけの跳躍力を二郎と菜穂子の二人に与えた。


 出自や所属や立場や働き方でもって、他人を批判することはたやすい。あるいは、現代の「フェミニズム」からの男尊女卑社会の批判とか、当時の帝国主義・国家主義に対する反省とか、なんらかの「イズム」でもって大上段に語ることも、たやすい。しかし、小さな個人の生を全体として見た時、そのような「社会的」な賛否は果たしてそんなに簡単だろうか。
   
 二郎や菜穂子に限らず、僕たちは生まれてくる時代と家庭を選べない。「自己決定」や「自己責任」といった言葉は響きが良いが、個人の力で人生を変えられる範囲はおそらくとても小さなもので、多くの運命は、生まれた時代環境と、周りの人たちとの出会いや関係性の複雑な掛け算によって決定づけられているように思う。一人ひとりができることはその限界目一杯を振り切るように抗い抜くことだけだ。
  
 日本がまだ貧乏だった頃で、しかし戦争があったからこそ飛行機作りを含めた軍需産業に予算が回ってきあったこと。菜穂子を見舞いに来てすぐ職場に戻ろうとする二郎に対して、菜穂子の父も「男は仕事をしてこそだ」と言って送り出すような社会通念であったこと。結核がまだ治らない時代であったこと。二郎が大学に行けるだけのお金と教養のある身分の家に生まれたこと、菜穂子も同じように当時としては上流階級のお嬢さんであったこと。そして二郎が近眼であったこと。それらは全て偶然のめぐり合わせに過ぎない。社会的には、「幸運」で「恵まれた」出自だっただろう。その生活環境はその他大勢の「不幸」で「恵まれない」人びとを下敷きにして成り立っていると言うこともできるかもしれない。それならば飛行機作りも「上流階級のインテリのエゴ」なのかもしれない。
 
 でも、だからといって、二郎と菜穂子に、あれ以外の生き方を選ぶことができただろうか。
 
 きっと、他には無かったのだろう。飛行機という「呪われた夢」に創造的人生の10年を捧げ切ること。二郎にはその生き方しかなかった。
  
 事実、職場へ向かう道中に銀行での取り付け騒ぎに遭遇したり、小さな兄弟にシベリアを差し出して拒否されたことを本庄に「偽善だ」と一蹴された後も、二郎がそうした社会的・経済的な格差や悲劇に対して思い悩む描写は全く無い。ましてや、そのことによって飛行機設計に対する情熱が削がれることもなかった
  
 同じく戦争の帰趨に対しても二郎と本庄の態度は極めて淡々としていて、「破裂だな」の一言で終わる。二郎と本庄にとっては戦争の中で「美しい飛行機を作る」ことだけが重要だった。


 同様にして菜穂子にも、あれ以外の生き方(あるいは死に方)しか無かったのだろう。当時としては治る見込みが少なかった結核を治すために、孤独な高原病院に移ったことも、あるいはそこを飛び出して二郎のもとに駆けて行ったことも、どちらも運命的に出逢った二郎と「共に生きる」ための彼女の闘いだった。

 
 二郎と菜穂子、それぞれの行動は、決して「家庭や妻を顧みない夫と、献身的な妻」といった図式に回収されない。お互いの存在を想い、愛しつつ、自分の役割を全うした、「ふたり」の人生だった。
 
 妹の加代に「菜穂子さんがかわいそうだわ!」と叱責された後、わずかに唇を歪めながらも、「加代、僕たちは今一瞬一瞬をとても大切に生きているんだ」と、加代を諭すように、あるいは自分に言い聞かせるように語ったことがその象徴のように思う。

 
 庵野秀明の声優起用が話題になっていた。彼の演じる二郎は始終淡々とした話し方だったが、声を震わせ、感情の昂ぶりを見せた場面がほんの数カ所ある。奈緒子が高原病院を飛び出して二郎と駅で再会した時の「帰らないで」と、その後黒川の家で結婚の儀を上げたときの、菜穂子に対する「綺麗だよ」、そして最後に、菜穂子の幻影が二郎に「生きて」と伝えたときの「ありがとう」だ。
 
 二郎と菜穂子、ふたりの生の輝きは、この「帰らないで」「綺麗だよ」から「ありがとう」の間、ふたりが一緒に過ごしたほんのわずかな時間に凝縮されている。

 それは同時に、零戦がこの世に生を受けるまでの時間でもあり、菜穂子がこの世を去るまでに残された時間でもあった。
 
 Le vent se lève, il faut tenter de vivre
  
 風が立つなか、ふたりの夢を乗せて空を駆けていく零は、たしかに美しかった。

岡山・美作、じいちゃんの田んぼ、カエルの音

母方の実家は岡山の美作にあって、この土日久しぶりに帰っていた。じいちゃんとばあちゃんは農家である。僕は生まれも育ちも父の地元である神戸だが、このじいちゃんばあちゃんのお米と野菜を食べて育ち、小さい頃の夏休みなどは、年のほとんど違わないいとこ兄弟と一緒に野山を駆け上がったりNintendo64をして遊んだ。

じいちゃんとばあちゃんは農家「である」と言ったけど、半分ぐらいは農家「だった」という表現も当てはまるかもしれない。ばあちゃんはまだ元気に畑をいじっているが、じいちゃんの方は、父方の祖父母とは比較にならないほどここ数年で衰弱してしまい、もう田んぼを耕せる身体ではない。そういうわけで、田んぼの方は親戚のおじさんが引き継いで管理してくれるようになった。じいちゃんが弱ったのは、心筋梗塞や肺炎などが色々と重なってのもので、今年僕がNYにいる間も、かなり危ない状態に一度陥った。母は、退院後に事後報告でメールをくれたが、親族一同、いよいよかと思うほどであったそうだ。今回帰ってきて僕自身がじいちゃんと対面した限りにおいては、1年前の印象とそこまで変わらなかったけど、それは別に元気ハツラツという意味ではなく、弱った状態でしかしどうにかこうにか命が続いてくれているというだけの話だ。毎食後に4,5錠ほどの薬を飲んでいる。よく痰がからむ。

じいちゃんばあちゃんの土地も含めて、家の周り一帯の田んぼでは田植えももう終わっていた。畦を散歩しながら、時折しゃがみこんで水の張られた田んぼを覗き込むと、大小様々な虫やカエルたちと出会う。帰ってくる直前に読んでいた本、宇根豊『農は過去と未来をつなぐ』によると、日本の田んぼには5,600種あまりの生き物がいるそうな。

夜、縁側に横になっていると、カエルと虫たちの鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。昼間とは比べ物にならない物量で、縁側の窓ガラスを一枚隔てた外の世界は、文字通り彼らの音で隙間なく満たされ埋められている。窓を開けて外へ出れば、きっと僕もその中に溶けることができたのだろうけど、帰国直後の東京と関西間の頻繁な移動による疲れと、NYとの温度差に驚き夜を半袖で過ごしたために、ここ数日少し風邪をひいてしまったものだから、立ち上がって駆け出すほどの元気も持たず、くしゃみをしながら座椅子でうたた寝をした。

さっきまで僕もいた台所では賑やかな話し声が聞こえる。食事の後もそこに残って飲んでいるのは、母と、いとこ兄弟の両親、つまり母の兄弟であり僕からしたらおじさん・おばさんと、それからその、じいちゃんの田を引き継いで耕してくれている親戚のおじさんと、そのおじさんの姪っ子夫婦。ばあちゃんは居間でテレビを見ている。じいちゃんはその隣の寝室で早々に眠りについた。僕がそこを抜けだして縁側に来たのは、まぁ里帰りの常で、NYで何をしている、将来どうする、仕事は結婚は…となかなか決まり悪く恥ずかしく答えにくい質問が飛んでき出したからで、要は緊急避難である。

ほどなくして、「風呂が沸いたからはよへぇれ」とばあちゃんが起こしにきた。続いて母も同じことを言う。もう少しじっとしていたかったけど、一度言い出すと僕が動き出すまで気をもんで何度も言ってくる二人だから、重い腰を上げて風呂に移動した。風呂は田んぼや畑がある側とは反対側だから、縁側ほどではないけれど、湯船のなかからもやはりカエルの声が聞こえてきて、そこでまたゆっくりする。布団に入って本を読みながらそのまま眠りにつく。

翌日日曜日は9時過ぎまでゆっくり寝て、午前中に母とじいちゃんばあちゃんと一緒に墓参りにゆき、山の中腹にあるその墓の草むしりをして線香をあげ、「ばあさんがいんでしもたらここに入れてくれな」などとばあちゃんに言われ、昼はそのばあちゃんがいつも揚げてくれる大好物のコロッケを頬張り、それから車で神戸へと発った。

問題

キャンパス近くのカフェで槇さんと久しぶりに会った。槇さんは不思議な人だ。年齢は三十代半ばぐらいに見えるけど、実際のところはよくわからない。彼といつどこでどうやって知り合ったかも、よく覚えていない。いつの間にか、年に数回会って話すようになった。

 「久しぶりだね。最近どうだい」
 「充実しています。だんだん慣れてもきたし、自分の関心の方向性ぐらいは、見えてきました」
 「そりゃ何よりだ」
 「でも…友人連中が目標に向かってひた走っている様子を見ると、やっぱり焦ったり嫉妬したりします」
 「君だって、毎日のんびりしてるわけじゃあるまい」
 「それはそうですが、彼らに比べて自分は、『自立』の二文字からずいぶん遠い位置にとどまっているように思うのです」
 「それは、経済的にってことかい」
 「それも大きいですが…まだ、自分の役割が見えません」
 「役割」
 「役割が見えないから、政治や社会の課題に対して目標設定が出来ないのです。それで相変わらず、身近な街や人のうごめきばかり気になっています」
 「それに、何か問題でも?」

 そう返されて、僕は黙ってしまった。目線を下に落として、コーヒーカップに手をやる。僕が黙っていても、彼は特に気にした様子もなく、窓の外を眺めている。そう…これは「問題」ではない。それはわかっている。

 「自分が他人の悩みを聞く側になると、調子よく『焦って他人と比べることないよ』なんて言う癖に、自分のことになるとすぐ他人と比べてしまう。誰かの真摯な相談を、そういう自分の不安を覆い隠す道具のように使っているように思える時もあります。下劣です」
 「今日はまたずいぶんと自分を卑下するね」
 「でも、『自分は下劣だ』と卑下することで赦された気になって、そこから進もうとしないのはもっと下劣です」
 「自覚できているなら、やることはひとつだろう」
 「さっさと社会に出て働けば、もう少しまともな根性になりますかね」
 槇さんは答えなかった。浅はかなことを言ったな、と最後の一言を反省した。
 
 「そろそろ行こうか」
 槇さんはそう言って席を立った。カップにわずかばかり残っていたコーヒーを口に入れて、僕も後に続く。気づけばもう六時前、外はすっかり暗くなっていた。 
 「君、素直でいい奴だが、少し危なっかしい」
 駅までの帰り道、前を向いたままで槇さんはそう呟いた。
 「生煮えの状態でなんでも素直にさらけ出すもんじゃないよ。色んな連中がいるからね。あらゆるものから、うまく距離を取るんだ」
 「槇さんとも、ですか」
 「僕に対してもそうだし、自分自身に対しても。自己分析はほどほどにしておくことだ。今日みたいなのは特にね。僕らは玉ねぎの芯を探すために生きているわけじゃない」
 改札間際で彼はそう言って、駅に入っていった。
 
 「方向性」と、自分で最初に言った。道が見えているのなら、ゴールがあろうとなかろうと、ここから歩き出すことになんらの支障もない。だからやっぱり、これは「問題」でもなんでもない。確かに生煮えだったな、とまた反省した。