5 初夏の恵み

 晴れたなら、息子を学校に送り出した後、朝一番に歩いて畑へ向かう。農道に入ると、春ほどではないけれど、鳥の鳴き声が聞こえてきて、脳にいい刺激をもらう。しかし同じ農道でも、鳥の鳴き声がしないところとするところがある。全体として、3~4月と比べて静かになっている気もする。

 何の違いがあるのか。一つ思いあたるのは、茂みがあるかないか。春に茂っていた草や麦が刈られてしまった。路傍の草が燃やされてしまったところもある。田植えの準備なのか、耕されてしまったところもある。茂みがあれば、敵から姿を隠せるのだろうか、など考えるが、正確なことは分からない。

 歩きながらさまざまなことが頭に浮かんでは消えてゆく。おもしろいのが、車の通る大通りではあまり考え事が捗らないのに対して、農道に入った途端に思考がクリアになることだ。周囲に緑が広がり、静かになり、小鳥のさえずりが聞こえる。考え事にも自然環境はいいのだろう。

キュウリの赤ちゃん

 畑に到着すると、土が乾いていたので水をやる。キュウリは日に日に大きくなっている。ミニトマトは苗全体にその香りをむっとまき散らしている。ジャガイモの蕾がまた開いた。本来なら、実に栄養が行くように、ジャガイモの花は摘み取るものらしい。きれいなのでまあいいやと残している。じょうろで水をやると、ズッキーニの花に水が溜まった。何か童話がはじまりそうな一瞬だと感じた。

 帰り道、すずめのような小鳥の群れが休耕田から農道に向かって飛び立った。そこに何か黒い大きなものがシュッと飛んできて、小鳥の群れに突っ込んだ。とんびのような大きな鳥だ。小鳥たちはパッと散って逃げる。大きな鳥は、瞬く間に何か獲物を捕らえ、空の向こうに飛んでいった。清々しい光景だった。捕らえられた獲物がすずめだったのか、はたまた農道を歩いていた何かなのかは分からない。

 大きな鳥の見る力を思った。どんな目をしているのだろう。遠くから獲物を見定め、すばやく仕留める。視力の悪い私は、自然のなかで生きていくことになったら圧倒的に不利であろう。

初収穫のキュウリ

 翌週の晴れた日曜日は収穫祭だった。ジャガイモにキュウリ、ミニニンジン。キュウリは息子に収穫してもらおうと思ったのだけれど、棘を怖がって「ママがして」と頼む。私が収穫してその場で食べる。採りたては歯ごたえが違う。キュウリが嫌いな息子にも強く勧めると、ひと口だけ食べて「おいしい」と言った。

 ミニニンジンは葉が長く伸び、これから次々と収穫時期を迎えるだろう。土から見える頭が2cmほどになっているものを選び、引っこ抜く。中には二股になっていて、今にも歩き出しそうなものもある。

 ジャガイモの葉が少し枯れ、そろそろ収穫時かなと考えていたら、お隣の畑がすでに収穫を終えているのに気づいた。ちょうどお隣さんがいらしたので、「収穫したのですか」と話しかけると、「うん。もう腐っちょったよ」とおっしゃるので、私も収穫を急ぐ。翌日から雨予報だし、ちょうどいいかもしれない。

 葉を抜き、スコップで土を掘る。息子も「ぼくがやる!」と意欲を燃やしている。実を傷つけないように、息子にはアンパンマンのプラスチック製スコップを持たせる。一つも腐っていない。思ったより大きく実っている。全部で20個の立派なメークインが掘り出された。

 日の影ったベランダで風にさらし、土を落とす。夕ご飯に収穫したジャガイモを使って、フライドポテトを作った。実は白く、詰まっていておいしい。初夏の恵みだ。

収穫したジャガイモ