今日あったこと/今日にしかなかったこと

ずっと使っていた有線のイヤホンマイクが壊れてしまって、以前買ったままにしていたワイヤレスイヤホンを耳にさしこみ、椎名林檎の曲をランダムに聴きながら文章を書く。私と夫のことをまた書いてほしいというリクエストがあって、とても嬉しく思うと同時に、書いてみるとなんだか平たい文章にまとまってしまうので一旦寝かせる。なんでもかんでも、急ぐというのはよくない。寝かせる時間も必要だ。

昼頃起きると友人からLINEが入っている。なんだろうなあと思ったら私がプレゼントしたLINEギフトでメロン味のフラペチーノを買った写真とスタンプが送られてきていた。律儀な人だなぁと思いながら、「おいしかったです」という文字にすっかり嬉しい気持ちになってしまう。私がこの間Uber Eatsで頼んだものを飲んだ瞬間に「これはこの友人に」と思ったので、贈って本当によかったと思う。まぁそんな、大それたものじゃないんだけれど。

今日は本当は東京から来る友達に会う予定の日だった。色々あり予定は流れてしまったけれど、生きてさえいればいずれ会うこともあるだろう。別に会わなくても、連絡を取り合わなくても、私がその人を大切な友達と思っていることには少しも変わりがない。slackを見ると、その人がどこに行こうか迷っている様子だったので、「嵐山と龍安寺がおすすめ」とだけ伝える。そして昼ご飯を食べて、また眠りに落ちる。

小一時間眠った後に起きると、夫が私に「さっきさとみん『こんなに働いてるのに手取り15万』って寝言で言ってたよ」と伝えてくれる。リアルだ。私が外で勤めていたころ、手取りは約15万だった。別に生活に不自由はしなかったけれど、もう少し欲しかったなぁと思う。だが、ほぼほぼ専業主婦になった今、5万円を稼ぐことすら大変なことだと思う。特にライター業は、本当に本気でやらないと、あるいは文字単価が上がらないととてもじゃないけど5万円も稼げない。私みたいにゆったり働いているだけでは、本当に数千円しか稼げない。そういう世界だ。自分の今の仕事との付き合い方ももう少し考えなければなと最近とみに思う。自分は一体何を目指し、どこに向かっているんだろうという、漠然とした不安がある。眠り続けているだけでは何も生まれないから、こうして文章を紡ぐ。そして何とか自分の人生に答えを見つけようと足掻く。そんなもの、はじめからないだろうになぁ。でもいいじゃないか、足掻くことそのものが美しいことだってあるだろう。

さっきの友達は結局龍安寺に行ったようで、そのことについて「とても素敵な時間が過ごせました」と言っていて、嬉しい気分になる。私も京都にUターンしてきて一度、いや何度でも行きたい場所が龍安寺だったので、代わりに友達が行ってくれたような気分になり嬉しい。私は友人に「代わりに行ってほしい場所」がそういえばたくさんあることに気がつく。私が行けない場所。例えばそう、前住んでいた東京の最寄り駅のスーパー銭湯。母校の教会。下北沢のバー。全部東京だから行けないというより、私が外出することが難しいから行けないというだけで、発作さえ出なければ、ひとりで東京にだって行くと思う。だけれどそれは叶わないから、部屋でこうして自分の言葉を紡ぐ。

夫が勉強をしているようだったので、「一緒に作業しない?」と声をかけたら、いいね、と返ってきて、ダイニングテーブルに向い合せになって、二人でPCに向かって作業をしている。イヤホンを外し、夫の打鍵音をBGMにしばらく作業していたら、「こういうのも悪くないね」と夫からの言葉が返ってくる。うん、こういうの、悪くない。

私は多分これからも文章を紡ぎ続ける。迷い道のような人生の中に言葉で印をつけて、本当の意味で迷子になってしまわないように。そしてそれは私にとって、生きるということと同義なのだ。