一粒の。-日記と音楽-

ここ最近、兎にも角にもいろんな事が、自分自身の内側と周りであった。

あれよあれよと物事が進み、展開され、起こっていくのと並行して、私の感情もぽこぽこと小さいものから大きいものまで、いろんな色合いのものが溢れていった。

そして初めは周りに対する認識や捉え方、最終的には自分自身に対する捉え方、自分の人生とこれからに対する捉え方がまたもや変化していった。またもや、と言ったのは、既に今年の3.4.5月で自分の中では生き方とそれに付随する働き方が大幅に変わり、大きなアップデートを迎えたと思っていたにもかかわらず、この5月半ば頃からの2ヶ月、いや1ヶ月半の間にまた大幅なアップデートがあったからである。

一体今年の上半期はどうなっているのかしら?ふふふ。と、半ば他人事のように自分の人生について見て感じていなければやっていられないほどには、ここ最近の出来事は、私にとっては目まぐるしいものであった。

だけれど。決して今年の上半期、に関わらず、人生の時々で起こるこれらのアップデートを、私は否定したり、悪いと思っている訳では決してない。そりゃ渦中にいる時はなかなかにしんどいものの、それでも、そこから少し抜けた頃にはいつもたくさんの気づきと、次への道しるべみたいなものが現れる時が多い。だから、決して悪いことだけじゃないと思っているし、そもそも一つの物事は良いか悪いかだけで決める事はとっても難しいと今回の出来事でも改めて思った。色んな、色んな感情や捉え方が、芽生えてくるんだよね。そしてそれは、私だけが感じる事ができる、私の所有物。

そして。私は創作活動が好きで、時々思ったことを歌詞にして、メロディをつけて曲にしてなんて事を趣味でしてたりするのだが、そうした、しんどいけれどなんとかそこからでも歩き出そう、と曖昧な最中にいる時にこそ、よく自分の中から、あぁこれだ、これが私の今の素直な気持ちと想いだったよね、というような、歌詞やメロディが新たに生まれてきたりするのだ。その事は私にとってはとても豊かな事なのである。

今回はそんな最近の出来事から生まれた曲をここに載せさせてもらって、この文章を閉じたいと思う。

自分が作った曲を、仲の良い友人には見せたりもするが、こんな公の場で発表するのはもしかしたら初めてかもしれない。でも。自分のためにと、自分の中から溢れる想いから生まれた素直な曲が、もしかしたら誰かの何かにも届くかもしれない、そんなことをなぜか今回思った。

だから。ほんの少しの勇気を持って、ここに載せてみる事にした。

どうかこれを読んでくださったあなたもどうかどうか、しあわせに。


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“一粒の。”

(1番)

“おはようございます”とか

“こんにちは”とか

“おやすみなさい”とか

刻々と過ぎる日々の中で

何度もその言葉たちと

共に過ごしたなぁ

それだけで満足できる生き物であればと

何度も何度も願ったよなぁ


だけれどそれだけじゃ足りないの

わたしたちは欲張りだから

それだけじゃ足りないの

たった一つだけじゃ

生きてはいけないんだよ ごめんね

自分のことで手一杯で

周りが見えてないこと

頭ではわかってるの

でもうまくそれらと向き合えるほど

できたわたしたちじゃないから

…..ごめんね


(サビ)

ねぇ どうか神さま

今をもがきながら生きるわたしたちに

ねぇどうか神さま

寂しい夜に強くなろうと

一人で過ごすわたしたちに

一粒の気づきと

そこから掬い取れるしあわせが

ありますように


不安定な今を

ただそこで過ごすという事が

いつかの安らぎに繋がってますように

そう願って

ただ 今を耐え忍び

今日を終えてく


(二番)

最初は良かったの

慣れ親しんだ様子で

“こんにちは”って笑ってれば

うまくやれる気がした

楽しいって気持ちだけ

好きって気持ちだけを見てたら

それだけで生きていける気がした

でもダメだった

感情は一つじゃないから

ただそれらをぶつけ合うことが

賢い生き方じゃないことだけは

わかっていたから


….季節は移り変わり

雨続きで草木の匂いがより一層

感じられるようになった頃

わたしたちはまだ不完全まま

それぞれがそれぞれに

ひとりになった


(サビ)

ねぇ どうか神さま

今をもがきながら生きるわたしたちに

ねぇ どうか神さま

寂しい夜に強くなろうと

一人で過ごすわたしたちに

一粒の気づきと

そこから掬い取れるしあわせが

ありますように

不安定な今を

ただそこで過ごすという事が

いつかの安らぎに

繋がってますよね?


(ラストサビ)

ねぇ どうか神さま

とてもとても不器用なわたしたちは

自分のことに精一杯で

誰かのことを考えれる時間は少ないけれど

でもそれでも

誰かの幸せを想っている時間が

過去もあって今もあること

それだけは否定しなくても良いですか


ねぇ どうか神さま 

この刻々と過ぎる日々を

一人で過ごすには

あまりにも寂しくて

あまりにも退屈なことがよくあるけれど

それでもいろんな方法を使って

その時その時を過ごすことが

この先の私と誰かの幸せに繋がってると

思って良いですよね


そんな時間がわたしたちには

必要だってこと

今はまだ心で理解できなくとも

噛み締めて生きていけたらなと思います

きっとまた失敗するだろうけど

ただ今はそう想って生きることにします


ねぇ

どうかどうか

みんな しあわせにね