聴き手・書き手として物語を紡ぐなかで、体感的に掴んできたことをうまく言語化していきたいと思っている。
最近では、「物語」という言葉が、マーケティングや政治キャンペーンの文脈でも多く見られるようになってきたんだけど、物語が「出口戦略」の道具に堕していくことにちょっと危うさを感じることもあり。
長い長い線としてその人固有の「小さな物語」を掬うこと、一方で、ピリオドを打たないこと。"軽やかさ"と"強度"について。
考えながらツイートしたのでちょっと生煮えだけど、近日整えるとして備忘録的に。
最近では、「物語」という言葉が、マーケティングや政治キャンペーンの文脈でも多く見られるようになってきた。「物語」には人を動かす力があるということを多くの人が認識してきたということだろうけれど、あまり疑問なくその力を行使しようとすると危ういだろうなと思う。
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
ポジティブな成功物語であっても、呪縛となって本人を苦しめることがある 「時代の寵児」「次世代のリーダー」「当事者のロールモデル」etc.いつしか物語が自分の身の丈を超え「自分はこうあるべき」の呪縛に。周囲も「私はああはなれない」「あんなのは特別だ」「本当の○○はそんなものじゃない」と
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
「物語」が本人や周囲にとって"呪い"として機能してしまうのはどんな場合であろうか。仮説が2つある。1つは当人たちの手に余る「大きすぎる物語」であること。もう1つは、単線的・相対的な物差しでしかその人の物語を描けていないこと。
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
学歴、出身、性別、年齢、職業、民族、障害etc.何かひとつのラベルだけでならして見てしまうと、自分と同じような人はいっぱいいるように思えてしまう。また、共通のラベルを持つ集団内でひとつの物差し(経済力など)だけで比べてしまうと、上だ下だ、勝ちだ負けだといった「結果」が前面に出てしまう。
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
また、社会のシステムー医療やテクノロジー、政治や経済はいつだって発展途上で、漸進的に改善していくものだから、どんな時代で切り取っても、進歩の恩恵に預かれない、システムのすき間に落ち込んでしまう人は出てしまう。いつだって「足りない」何かがある
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
もちろん、だからといって、社会のシステムを変えていく、インフラの質やカバー範囲を向上させていく様々な運動が無駄だとは言わない。明るい未来に向けて「課題を解決する」んだという意思は重要だろう。しかし…個々人のウェルビーイングに立ち戻ると、システム的アプローチだけではやはり限界がある
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
出来合いの「大きな物語」や、短期・単線的な成果に紐づく物差しを手放してみて、長い長い線として、そのひとりの「小さな物語」を辿ってみると、どうだろう。少し違った景色が見えやしないか。その人をその人たらしめる歴史と身体、固有性が見えてくるはずだ。
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
個人の「小さな物語」を辿ってみると、その人が「そうであるしかなかった」選択の積み重ねー歴史が見えてくる。それを明らかにすることは一見、先述した"呪縛"に繋がるのではと思われるかもしれないが、体感的には、むしろ逆である。それはなぜか…
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
ここからは私の聴き手・書き手としての実践体感からの仮説になるが…手触り感の良い「小さな物語」は、自分の人生の"肯定"、"赦し"となるのではないか。「こうであるしかなかった」それでも「これで良かったんだ」、という…
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
その人にしかない固有の「小さな物語」を見つめてみると、誰ひとり平々凡々な人生を送ってきた人はいないし、みんなそれぞれにここまで”ふんばってきた”ことがわかる。現在や未来から見ると不十分なリソース配分だったかもしれない。でも手持ちのカードで、どうにかこうにか、<あなた>は生きてきた!
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
手札はロクなもんじゃないし人生無理ゲーだ!と当時は思ったかもしれない。でもどうにか手持ちの札をやり繰りして今まで生きおおせてきた。そりゃ今も苦しい、困難は続いているかもしれない。でも過去を線として振り返ってみると、決して停滞はしていない。景色は変わっている。そしてこれからも変わる
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
その人にしかない、その人が今まで生きてきた軌跡を「小さな物語」として掬うことができれば、それ自体が、"呪縛"ではなく、"変化"の可能性を、ダイナミックに示してくれる。あなたにはすでに、「回復し続ける」レジリエンスが宿っている。
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018
そう、だから僕は、結論のない、ピリオドを打たない物語を、紡いで差し出していきたいの。「ああ、自分はここまで来れたんだな、無駄じゃなかったんだな」と自分の生を肯定できる"強度"と、「でも、もっと変わりたい、次はこうしたい」と思えって歩き出せる"軽やかさ"の両方を大事にしたいから。 https://t.co/kzlgpNWKhz
— 鈴木悠平 (@YuheiSUZUKI) January 4, 2018