「あー、もうダメだぁしんどい」
「東藤さん、ほんとにうつ治ったんすかそれ笑」
そんな毎度のやり取りを交わしながら、友人宅でビール片手にグダグダとローテンションで語らう時間が僕は好きだ。
「ローテンション飲み会」のお相手は、東藤泰宏さん。
IT系企業でディレクターとして働いていたのだが、うつ病を発症。「あ、これ俺うつ病だわ」と自覚し上司に伝えてからも、「そうか。いいから企画書仕上げてね」と引き続き働かされるなど、相当にブラックな環境(当時)だったのだが、その後どうにか脱出。デザイナーからエンジニアまで、全員でうつ病当事者だけでチームを組んで起業、「U2 Plus」という、うつ病当事者のコミュニティサービスを立ち上げた。
東藤さんは、その後しばらくして僕の勤め先である「LITALICO」にU2 Plusを事業譲渡。今は、「CAMPFIRE」というクラウドファンディングサービスで働いている。
僕が東藤さんと出会ったのはそんな経緯で、だいたい1年ちょっと前ぐらいのこと。LITALICOに合流してからのU2 Plusの事業活動だけでなく、いくつかの活動を共にしたのだけど、よくよく考えるとそういう「仕事」っぽいことを一緒にやったのは数えるほどしかない。
根暗で文学青年でそのくせさみしがり屋だという共通点があるからかもしれないが、なんだか気が合う飲み友達って感じで、気付いたらよく会う仲になった。
東藤さんがすごいのはその愛され力で、絶妙に人を惹き付けるんだなこれが。
「うつを克服して起業しました!社会変えていきます!」的なマッチョな感じではなく、うつを抱えたままその温度感でサービスを立ち上げた人だから、周りに変な緊張感や圧迫感を与えることが一切ない。
実際仕事上でも、ちょいちょいダウナーな感じになるのだが、周りも今さら驚いたり遠慮したりせず、そのままお互いに自然体で付き合っている感じだ。
彼がイベントで登壇するときも、だいだい遅刻ギリギリで到着したりするんだけど、「東藤さん今日生きてるかな?来れるかな?」と待ってる側もなかば想定内。
本人も
「いやー、道に迷っちゃって歩き回ったからもう体力ない」
とか、
「今日は元気ないからあんまりしゃべれないかも…」
とか言ったりして、ややヘロヘロな状態で登壇。そんな自分のコンディションもあけっぴろげに開示し、自虐ネタも交えて毎回会場を爆笑させるのだからずるい。
終わったあと、「疲れたから先帰るわー」と早々に姿を消したと思ったら、途中でさみしくなっちゃって「駅で待ってるからみんなも早く来てー。飲みにいこー」と我々を呼びつけたりする。
そんな東藤さんを半分茶化しながら親しみを込めて「うつ界のアイドル」と僕は呼んでいて、気づけば共通の友人界隈にもその呼び名が定着したんだけど、まぁ、そういう愛すべき人です。
*
「うつ」というもの、もう少し広く言うと精神保健や精神疾患というテーマに僕が興味を持ったのは、大学生の頃、友人がうつになったことがきっかけだ。
それまで熱心に勉学に勤しんでいたのが、ある時からだんだんと様子が変わってきて、相談なのかなんなのか焦点の定まらない電話をしてくるようになった。最初は「ん?」と思いながらもそのまま電話で話を聞いていたのだが、次第に症状も悪化し、ある日の昼間に当時住んでいたシェアハウスを訪ねてきて、ひとしきり話をしたと思ったら泣き崩れた。僕は当時ほとんど知識もなかったけれど、ゼミの先生に相談したり、本人に付き添って大学のカウンセリング室に行ったりして、とにかく出来ることを手探りで行い、そのまま彼が休学するまでを見届けることとなった。
自分の対応が適切だったかどうかもわからぬまま、でも、うつになろうが休学しようが彼は彼で、僕は彼の友達で、彼の身に起こったことはどういうことだったのか、知って何が出来るわけでもないけれど、知りたくなって、大学の授業や本で精神保健の勉強をするようになった。
その後も、過去にうつ病や双極性障害、統合失調症などの精神疾患を経験したと話す人や、実際に仕事や大学を休んでいたり、そこから回復途上であったりという状態にある人と、本当に全然珍しくない頻度で出会い、関わってきている。
医学的に「うつ病(大うつ病性障害)」と確定診断されるには色々と基準があり、僕自身はそういったレベルでの「うつ病当事者」となったことはないのだが、いま振り返ると「あー、けっこうヤバかったなあの頃」という時期が何度かあった。とにかく寝ても醒めても悲しみが胸に染み渡っていて、わけもなく一人で泣いた。
そんなわけだから、僕の人生経験上、「うつ」その他精神疾患というものは、わりかし身近な存在というか、「まぁほんとに誰でもなり得るよなぁ」という感覚なのだ。
日本社会全体でも、軽症を含めると15人に1人はうつ病を発症したことがあると推計されていて、決して珍しい疾患ではない(参考記事)。
だけど、実際に発症して当事者となるまでは、まさか「自分がそうなる」とは想像もしていないという人が、世の中の大半なんじゃないかと思う。
共通の友人がうつで休んだという話題になっても、「あー、あいつ病んじゃったの」と、どこか遠くの他人事のような反応をする人はけっこういた。
そういう感覚の人がいること自体は別に不思議なことではない。人はなにか一つの出来事だけで突然うつになるわけではないからだ。
気分の落ち込み自体は誰にでも発生する。だけど、たいていの場合は、適度に休憩をしたり息抜きをしながらうまい具合に踏ん張って生きていく。
ストレスを感じる出来事が重なったり、ストレスが多い環境でずーっと暮らしたり働いたりしていると、次第にダメージに対して回復力が追いつかなくなってくる。そしていつの間にか坂を転がり落ちていき、気付いたときには自分ひとりでは這い上がれないような”病的な”うつ状態になっている。
「踏ん張れている状態」から「坂を転がり落ちる」までの境目は実はけっこう紙一重なのだけど、「踏ん張れている状態」の時はなかなか想像しにくいのが難しいところ。
セルフケアが出来れば理想かもしれないけれど、人間そこまでパーフェクトじゃない。大切なのは、「誰でもなり得るけど、それがいつなのかわからない」という前提のもと、いざというときに依存し合える関係性を個人としても、社会としても、網の目のように張り巡らせていくことだ。
僕自身、「あー、けっこうヤバかったな」の時期に、転がり落ちかけつつも踏ん張りなおせたのは、自分の状態を打ち明けられたり、助けを求めて頼ったりできる人が周りにいたからだと思う。あるいはこうして、「文を書く」という自分の足場を、オフラインの環境とは別に持つことが出来たことも大きいかもしれない。
何かひとつのこと、ひとつの場所でうまくいかなくても、ポキっと折れたりしないために、いくつかの依存先を持っておくこと。
真面目な人ほど視野が狭くなって自分を追い詰めがちだから、「こっちの道もあるよ」「こっちに逃げてきてもいいよ」というオプションを、見えやすい場所に置いてあげること。
世の中にもっと「クッション」を増やしていきたいなと思う。
*
「うつの当事者としての活動は今日をきっかけにやめようと思う。うつ病の人がみんな起業すればいいわけでもないし、たくさんのサポートするサービスも生まれている。今はいち会社員として活動していくというのも、ロールモデルとしてありなんじゃないかと思う。」
東藤さんがそんな発言をしたのが年末のイベントでのハイライト。
「うつ病当事者が起業した」という東藤さんのストーリーは、世間的にも耳目を集めうるものであり、うつ病当事者にとっても、社会にとってもある種の希望であっただろうし、その意味ではほんとに「アイドル」たり得る人だった。
だけど僕は、この「引退宣言」をとても嬉しく思った。
だって東藤さんは東藤さんであって、「うつ病起業家」という名前の人ではないからだ。
「うつ病当事者」としての発信を続けることで、その「当事者像」が自分自身の等身大より無駄に大きくなっちゃうと、自分を縛っちゃったり、「それ以外」の自分の要素が覆い潰されちゃったりして、結局しんどいもんね。
東藤さんに「うつ病当事者」というラベルが付着しているかどうかは、僕にとってどうでもよくって、彼がうつをこじらせてヘロヘロになってる状態も含めて、なんだか人間くさくって面白いなぁ、好きだなぁと思うから一緒にいるのである。
僕自身も色々こじらせてメンタルの波は大きい方だと思うが、お互いに上がったり下がったりしながらも引き続きどうにかこうにかサバイブしていきたいと思うのだ。
そんな引退アイドルのラストメッセージは
「つかれたら、休め」
という、ごくごく当たり前の教訓だった。
当たり前のことが当たり前に出来ない環境がまだまだあちらこちらに残っているというのが、現代社会の哀しさである。
会場に来てくれた人の中にも、今まさにうつや双極の当事者だという人がいたし、こうしたイベントに来るだけでも相当エネルギーを使ってくれたんだろうなと思う。
「今日は、わたし、しんどい」ということを口にしたっていいんだよ。
しんどい時は休んでもいいし、しんどいままでも、一緒にいたっていいんだよ。
少なくとも自分が関わる人や場においては、そういう当たり前のメッセージを発し続けたいと思うし、自分も疲れたらちゃんと休んだり他人に頼ったりできる人でありたい。
ねぇ東藤さん。
僕らどうにか2016年も生き延びましたね。
来年もうまくやっていけるといいですね。
だけど、疲れたらまたあの家のベランダでビールでも飲みましょう。
タバコも一本分けてくださいな。