毎日のジャーナリング - 「書く」とき・ところ・道具とわたし #8

 私の「書く習慣」はいくつかあるのだけれど、そのうちの一つはジャーナリングだ。「書く瞑想」とも呼ばれるそれは、ノートに手書きで思いつくままを書き連ねていくというもの。

 子ども向けの「おえかきちょう」、無地で真っ白なページに、そのとき脳内にあるものを書いて降ろしていく。書く内容のテーマは、設けるときと設けないときがある。何日も同じテーマで書き続けるときもある。

 でも大抵は、書くことを思いつかなくて困るところからスタートする。だから、前日に起きたことから始める日もあるし、たとえばある日のジャーナリングで言えば、「きれいなことを書かなくていい。」と自分に呼びかける形で始めることもある。

 ジャーナリングは誰に見られることも想定していない。自分で読み返すことすらしないことがほとんどだ。つまり完全に自由で、何を書いてもいい。誰かの愚痴をこぼしてもいい。誰にも言えない感情を吐露したっていい。一人で妄想を書き綴ってもいい。何を書いても、紙とペンが受け止めてくれる。

 文章を書くことはコミュニケーションの一種であるとも思うのだけれど、ジャーナリングについて言えば、私と紙とペンで完結するもので、そこに他者は介在しない。誰かに何かを伝えようとしなくていい。伝わらなくていい。ただ私の脳内のお掃除ができれば、それでいい。書いているうちにあらぬところへどんどん飛躍していく脳に制限をかけることなく、ただ自由に筆を走らせる。

 できれば3ページほど書くといいらしいのだけれど、1ページ書けたら良しとすることにしている。時間は30〜40分ほどかかる。

 自室の仕事机に座って書く。大抵そこは、本や資料が乱雑に置かれたままになっているけれど、時々思い立って片づけると、筆も進むから不思議だ。椅子は、ニトリで買った3万円くらいする、私にとってはけっこういい椅子を使っている。在宅で仕事をし始めたときにからだのことを思って買ったものだ。

 私と紙とペンだけが知る密やかな時間を、私は今日も重ねていく。