先日、某所で対談したときに「優しさもリソース配分」で、誰にどこまで責任を終えるのか見極めないといけないよねという話になって、そこでふと思い出した言葉がある。
西村佳哲さんが、箱根山テラスで言っていたっけ、働く上で何を選ぶか、「自分が他人事ではいられないことを」選ぶのだということ。
優しさーというか、心のキャパシティは有限であるので(そしてそれは時間や体力よりもすり減りやすいように思う)、出会う人全員に同じだけのエネルギーと時間でもって向き合っていくだけのキャパシティはとても僕にはないので、自分が、誰と、どんな風にインタビューの場を開いていくかというのは、よくよく慎重にならねばなるまいなと思う(あるいは期待値の調整を誤らないこと)。
これはインタビューに限った話でもないし、もっと言うと、「仕事」に限った話でもない。
「仕事」と「家庭」が別々にあるのではなくて両方インクルードして一生活者として「暮らし」を全体として編んでいくという方がたぶん自然で、他人事でなく責任を負っていくのは誰との、何に対して、どの程度、どのように、なのか?という問いの下、自分の心と身体をなめらかに使っていくことなんだなぁ。