28 August 2012 Tue.
Richness and Complexity of the Word “Identity”
We had a whole day long session “Self, Social & Global Awareness” with the same members in a small group. Guided by a faculty and TA, we reflected our own background and identity and then shared that with the members. Through knowing about each one’s background, we were supposed to be aware about diversity of students’ identities and imagine the same or more various situations in social or global contexts. We talked about which element is dominant or nondominant in the group, which dimension has power or privilege, and how it changes in other situations or environments.
The group consisted of 23 members (21 women and only 2 men!) with various identity element such as physical appearance, sex, gender, economical/socioeconomical class, race, ethnisity, nationality, religion, spirituality and language… What was impressive for me was that how diverse element each student has and how complexly such element interact with various dimension to consist his or her whole identity. For example, I talked with two women students both with Chinese-origine ethnicity. But one is Canadian citizen and less speak Chinese, another is a international student from Beijing. The theme, identity of oneself is that I’ve been interested in thought for long time, so this case was not totally new or surprising for me. But anyway it was impressing to see such difference and diversity directly. In Japan, of course there are various people, but the majority of Japanese citizens have homogenous ethnicity and speak same language, and such occasion above is not so familiar with the most of Japanese.
By the way, this time I felt I did better than yesterday. Partly because the theme was familiar with me and the group was small, but mostly through the session, the group had a comfortable mood with tolerance and open to each one’s feeling and opinion. OK, I got it. I never need to worry. Just open my mind, act as usual with curiosity to others and the world, and with honesty to my own feelings.
ーー日本語ーー
2012年8月28日(火)
アイデンティティと、その多元性
今日はほぼ一日中同じグループでのセッション。昨日のイントロに続いてSelf, Social & Global Awarenessというテーマで、より少人数でのセッション。軽い自己紹介を終えてから、自身のアイデンティティを形成する要素を紙に書きだしていき、その中からいくつか重要だと思う要素をみんなに話すというワークショップから始まった。そこから、特定の要素を切り出して、それはこの集団の中ではdominantな要素か、あるいはnondominantな要素か(直訳すると支配的/非支配的か、となるが、多数・少数ぐらいのニュアンスでとらえてくれれば良い)、などといった話に。で、それがdominantかどうか、というのは置かれた環境によって違ってくるよね、とか、また、それぞれの要素があることで、自分がpowerあるいはprivilege(力や特権)を持っているかどうか、という質問、またそれも文脈によって違いますね、とか、異なるバックグラウンドを持つ者同士で対話・理解を進めるにはどうすれば良いか、とか、そういった話題でのワークショップを夕方5時まで延々と…
このセッションのグループは、合計23人。男性2人の女性21人。圧倒的だなぁ…(笑)人種や民族という観点で見れば、なかなか多様である。東アジア、中東、ヨーロッパ、アフリカ、南米、北米…それぞれの地域をオリジンに持つ学生がいた。一方、国籍をどこに持つかという点で見ると、アメリカ国民である学生の方が留学生より多数派のようであった。
とまぁ、そういうバックグラウンドの差異を、グループ内で可視化しながら話を進めることで、アイデンティティの多様性に対するawarenessを喚起しようってな趣旨のセッションだった。
印象的だったのはレセプションでの一幕。レセプションになると、やはり親近感や不安もあるのか、顔を見て、自分と近いethnicity同士で自然と集まる(笑)で、日本人の僕一人に、 中国系の女性4名、みたいな構図になったのだけど、中国系だからといって全員が留学生というわけではなく、生まれてすぐ、あるいは生まれた時からカナダやアメリカにいて、citizenshipもカナダだったりアメリカにあるという学生も勿論いて、さらに、そういう学生の中でも、中国語もちゃんと話せるように教育を受けたか、英語しか話せないかなど、使用言語に差異がある(もっと言えば中国内でも地方によって全然言葉が違うのだけれど、今日は北京出身留学生ばかりだった)。
外見・セックス・ジェンダー・宗教・人種・民族・国籍・出身地・言語…その人を構成するアイデンティティは多々あれど、それらが一本の柱だけで構成されているとは限らない。
人のアイデンティティについては、昔からずっと考え続けていたテーマでもあるから、別に驚いたり初めて知ることではないのだけど、「あ、やっぱりそうだよな」と肌感覚で実感した一日であった。大多数の日本在住者(勿論そうではない人もいるが)にとって、国籍・言語・民族・出身が「日本」あるいは「日本語」というもので一致対応するというのは、僕たちにとっては自然な感覚かもしれないが、世界的に見ればそうとも言えない。
手応え
昨日はハイテンポの会話に圧倒されてグッタリしてしまったけど、今日はかなり、話ついていけた感触がある(1日だけで一喜一憂する話ではないが…)。ついていけた、というより、うまくやれた、ぐらいに言っても良いかもしれない。さすがにこの歳になって「聞き取れた!発言できた!わーい」ってレベルで喜んでいるわけではなくて(笑)話題に即して、それなりに意義ある投げかけもそこそこ出来たという感触。上述のような、自分に興味があり、また経験にひきつけて考えやすいテーマだったこと、昨日よりは少人数のグループで過ごす一日であったことも大きいが、一番大きかったのは、それぞれの意見に耳を傾けようというcomfortableな雰囲気が醸成されてことだと思う。他の学生より話し方もたどたどしく、スピードも遅いのだけど、しっかり目を見て聞いてくれている(そして意味もどうにか伝わっているようだ)。一対一でインタビューをするセッションもあったのだけど、石巻での仕事のこと、自分のバックグラウンドのことなど、興味深く聞いてくれたようだ。
昨日のエントリの通り、上述のような、アイデンティティやバックグラウンドに関するテーマを理解することは、公衆衛生実務に携わるにあたって非常に重要なことなのだが、なかにはそういった議論に馴染みが無い学生もいたようだ。今日話した相手の一人は、中国生まれだけどすぐにカナダに行ってその後大学学部卒業までずっとカナダ育ち、理系の研究ばかりやっていたから、アイデンティティなんてほとんど考えたことないし、「あなたはどう感じる?どう考える?」なんて聞かれ、答えるような授業に馴染みが無いということだった。だから、僕と違って英語は勿論ネイティブ並なのだけど、何を話していいか分からなかったというような感想だった。
勿論、だからといって僕が彼女より優れているとかそういう話ではない。ただこれは、大学側が話している通り、一人ひとりのこれまで辿ってきた道筋や興味関心が広範かつ多様であることを実感出来るエピソードとして興味深かった。それぞれの得意不得意(僕の英語力が他のメンバーよりいささか劣っていることもその一つに過ぎない)がデコボコであっても修士1年の段階で同じ土俵に乗り、成長していけるだけの教育システムが整備されている、ということなのだろう。
ともあれ、その子に、「よく意見を話せているし、文法はむしろ私なんかしっかりしている」と言ってもらえたのは少し嬉しかった(「そんなまさかぁ」とも思ったが)。
ふむ、つまり、そういうことだな。臆せず、現状出来うる限りのことをしていくだけだ。
日本のソフトパワー…?
ランチタイムやレセプションでは色んな学生と話したけど、僕が日本出身だと分かると(欧米圏やアフリカ・中東圏の学生からしたら、パッと見中国人や韓国人と見分けがつかない)、漫画だのアニメだの、日本の話題でよく盛り上がる。特に中国からの留学生(中国人留学生の人数自体も多い)
やはり「ワンピース」や「ナルト」や「銀魂」が人気のようだ(「銀魂」途中で読むのやめちまったなぁ、俺…)。あと、小説だと東野圭吾、知ってる子がけっこう多かった。
一方で僕は現代中国のポップシーンや、若者のライフスタイルについては何も知らないなぁ、と実感。僕は中国にはまだ行ったことがないから(アジアだと、韓国とタイには行ったことがあるが)、仕方ないと言えばそうなのだが、彼女たちの中には日本に一度も行ったことがないけどアニメ・漫画はめっちゃ好き、という子もいた。ただまぁ、彼女達が日本の戦国時代や幕末モノが大好きだということで、そこで僕は中国だと三国志や封神演義が好きだってな応答をしたし、その他古典・歴史・教養レベルでの古代から戦後らへんの話やら、中華料理の話は出来るけど、話題の相がちょっと違うのだよな。
まぁ、そんなこと言ってりゃ出会う人の国や地域の文化全部観て回らにゃならんわけで、キリ無いのだけど、やはり感じたのは、日本人であるというだけで、こんなにも他国の人々と日本の文化について盛り上がるのだということ(あと、東大出身っていうと、アジアの留学生はだいたい日本でのそれと同じようなリアクションをするw)、それだけの求心力を日本の(とりわけ漫画・アニメ等の)文化が持ちあわせているのだということ。だから、ともすれば質問を受けて僕が日本のことを紹介するだけにもなりうるわけで、そのことにあまりに安住してしまうと、ある種の”Soft-Imperialism” に陥りかねないな、と。
昔から「日本人論」が国内で繰り返しヒットするように、僕たちは「他者から、自分たち日本人がどう見られているか」には非常な関心があるのだけど、自分たちから他者を見ることは、つい疎かになりがちだと思う。相対化の視点と姿勢を、常に持ち合わせていたい。