日々の記録から-2023年3月

▶1日
正式に合格通知書が届いた。ほんとうに大学生になるのだなぁ。
息子、自分でアレクサに「眠くなる音楽かけて」と言って秒で寝た。

▶3日
夢の中で料理をしていた。夢の中でも段取りが悪かった。
今年も11月に宮崎市で「zine it!」(zineのイベント)があるだろうから、それに向けて「土に呼ばれてvol.1」をつくろうと思う。
息子と同じ布団で寝るのはそろそろ限界なので、2つ布団を並べることに。

▶4日
今年からアナログで家計簿をつけている。計算が合っている感じはしないけど、デジタルのときより断然お金が見えて、無駄遣いが減ったので、継続して使う。最終的な集計が目標ではなく、日々の(主に食費の)無駄遣いを減らすことが目的。

▶5日
『二十歳の息子』には記事に書かなかった好きな場面があって、一つは勇気が歩道を歩くときに向かい側の車道から車椅子に乗った人が通り過ぎていくところ。もう一つは勇気が川沿いを歩いているときに謎に釣りをしながら?歩いている人が映っているところ。ふとしたときに何気ないそういう場面を思い出す。

納屋が新しくなって、それと引き換えに納屋のそばに生えていた木が切られてコンクリートで塗り固められてしまったことを嘆いている。

▶6日
集団登校の集合場所が玄関から見えるので、息子はいつも階段に座ってみんなが集まるのを見てから家を出るのだけど、今日は見過ごしたのか、集合時間を10分過ぎてもまだいて、途中まで送ってきた。小学生たちがたくさんいる交差点からは一人で行った。成長。それにしても今日は暖かい。啓蟄。

▶8日
モクレンのつぼみがふくらんでいる。

▶10日
昨日の雨でつくし第二弾が顔を出した模様。

▶12日
『メゾン・ド・ヒミコ』を久しぶりに観た。

▶14日
部屋と食生活が荒れている。なぜなのか考えてみると、やっぱりインフルエンザ感染がきっかけにはなっている。あれでリズムが崩れ、回復と同時に新しい仕事が始まった。短期間に取材を3つもしたし、某施設の説明会も消耗した。生活を犠牲にしつつも、これをこなせている私は超人かもしれない。いや、これではやはりダメで、無理のないように見直して立て直さなければならない。しかし明日は忙しいし、木金は熊本旅行。変化に弱い私がよくやっている。土日休んで、月曜日(20日)から立て直そう。

▶15日
ツクシがスギナに変わっている。モクレンの花が開いた。

昨日友人と通話しているときに、息子がお絵描きの紙を取りにわたしの部屋に来た。通話を終えて居間に行ってみると、絵を描いていると思っていた息子が一生懸命字をたくさん書いていた。何を書いているのか尋ねると、水の生物?とかなんとか答えた。あつ森の図鑑を書き写していた模様。

Facebookに5年前の投稿をシェアした。今は亡きわたしの大事な方と、あるじを失った大事な場所と、幼かった息子の写真をその日のエピソードと共に投稿したもの。こういうのが残るって、SNSっていいなと思った。その人が生きていようともう亡くなっていようと、わたしの人生において大事な人がいるということは、わたしが生きてきたことの何よりの証に感じる。

▶16日、17日
熊本旅行。

▶19日
夢の世界は自由なようで不自由で、なんか好き。若い頃、失恋するとたくさん眠って過ごした。はじめのうちは寝て起きては泣いて、現実を受け入れたくなくてまた寝ることを繰り返すけれど、だんだん起きていられるようになってくる。睡眠を通して心が癒されていく。睡眠は偉大。

わたしは幼い頃から自分が世の中の「はずれ」にいるような感覚を持って生きてきた。けれど30代になって、それは違うなと思うようになった。世の中のマジョリティのスタンダードというものはあるのかもしれないけれど、わたしの人生を生きているのはわたしで、わたしの目に映っている世界がわたしにとってのスタンダードなんだ、と。それ以来、人の目に映る世界というものに関心を抱くようにもなった。世の中は「わたしの見ている世界がスタンダード」と割り切れる人たちばかりではないけどそれはそれでいいし、わたし自身も完全に割り切って開き直れているわけではないし、どの程度開き直れているか、どの程度マジョリティや他者の価値観に合わせようとするか、にその人の個性や傾き、生き様が現れるのだと思う。

▶20日
今は個人事業主としてやっていて、それに至るまでにはもう少し大きな規模の起業を考えたり紆余曲折あった。その過程で、ビジネス界の勇ましい言葉をたくさん浴びた。たとえば「やる人はやる」とか「考える前にやれ」とか。それを聞いて、文化のあまりの違いに驚いたり、焦ったりすることもあった。でも何も焦る必要はなくて、自分のタイミングがあるし、自分に合った事業の形を選べばいいし、結果的に会社員を続けるのもまたいいし、違和感のある言葉はスルーしつつ、違和感を生じるポイントを自分で理解していけばいいんだと思う。自分よりだれかが大きく見えて悔しくなったり焦ったりするときの個人的なお守りの言葉は「いまは雌伏する時だ」。

▶21日
こんこんと眠りたい。

▶22日
気分がなかなか上がらないので、小田朋美をかけながら、髪にアイロンをかけた。少し気分がスッキリ。

▶24日
家庭というのは密室になりやすい。だから子育て支援が大事だし、親の大事な役目の一つは、社会とつながっておくこと。

▶26日
夕方、紙にいろいろ書き出していて思ったのだけれど、ここ一カ月ほんとうにわたしは疲れているなぁと。ほんとうによく眠る。

▶27日
小説、完全に行き詰っていて、もう応募は諦めようかな、という気持ちになっている。

『エルマーのぼうけん』シリーズを読み終えて、今日から『モモ』を読みはじめた。読み聞かせながら「これ案外むずかしい言い回しが多いな」と思っていたら、案の定「ねぇママ、これなんか意味わかんないし、絵があまりない」と息子。でも「読むのやめる?」と質問すると、「最後まで読む」とのこと。さてどうなることでしょうか。

相手に合わせて主張を変える人より、相手がどんな意見であろうと忖度せず自分の意見を主張できる人を素敵に感じる。

友だちは大切だけれど、友だちは友だちでしかなくて、だから自分があって友だちがいる、という順番を大事にしたい。一方で、時には友だちを優先にして自分が動く、動きたいと思える、そういう人こそが友だちなんだと思う。
それぞれがそれぞれの人生を編んでいる。わたしはわたしの人生の主役で、友人もまたそう。刺激し合いながら生きる。

わたしは息子と、自然に囲まれて物語を読んで、静かに生きていくことができない……ので、二人の世界を出て、社会とかかわり、他者から助けられて生きている。だから、「自分さえよければ社会のことはいい」なんて思えない。自分のために文章を読み書きし、畑を営むのと同時に、大学で学び、学びをいつか社会に還元させられる方法を探る。仕事や活動で、身近な人が生きやすい社会をつくるための役割の、ほんの一端を担う。ささやかだけれど、これがわたしの幸せな在り方なんだと思う。息子がわたしの側を離れぬうちは、わたしが見ている世界にできるだけ連れ出してやりたい。息子がわたしの側を離れはじめたら、息子の思うおもしろい道を歩ませてあげられたらいい。だけれど、現状そのための資源がいろいろと追いつかないから、日々を一歩一歩生きる

▶29日
わたしの尊敬する人や好きな人たちに共通することは、わたしのいいところを教えてくれること、力を引き出してくれること、エンパワメントしてくれること。わたしもだれかにとってそうでありたいとは思っている。

▶30日
延岡を出たい。

▶31日
ひと足先に友人がわたしの36歳の誕生日祝いをしてくれた。明日から4月!新年を迎えるくらいのまっさらな気持ちでいきたい。