幸せと呼ばれるもの-2022年8月22日の日記

 仕事は後回しにして、朝一番で日記や原稿を書く。中には友人たちからコメントをもらった原稿もある。そのコメントを咀嚼し、さらに原稿に反映させる作業はけっこう骨が折れるけれど、一つ一つ問いを更新していく作業がおもしろく、より良い原稿にしたい気持ちで取り組む。まだ言葉になっていないことを言語化することはむずかしくて大変な作業に思えるときもあるけれど、一つずつ丁寧に言葉をとらえる瞬間がおもしろくて書き続けてしまうんだと思う。

 毎月20日前後は帳簿をつける日にしていて、今月は今日がその日だった。めんどうな作業なんだけど、スペチャ(オンラインチャットツール)に入って友人と話しながら終わらせたら、あっという間に感じた。ありがたい。そのまま話しながら昼ご飯をつくる。冷蔵庫にあったスンドゥブの素に、しめじ、もやし、厚揚げ、豚肉、うどんを入れて煮込む。辛くておいしくてついつい食べ過ぎた。

 少し昼寝して、午後は友人宅へ。おしゃべりしつつ、ホームページの文言を整えたり、もろもろ作業をする。こうして会って作業をすると、ひとりでやるときよりずっと捗る。

 夕方は畑へ。育ちに育って私よりも丈が高くなったオクラとシソを抜く。どちらもまるで木のような枝ぶり。なかなか抜けず苦労した。キュウリも抜いた。汗だくになった。ピーマンとナスだけ残して、少しずつ秋冬野菜の準備。

 息子を寝かしつけてほっとひと息つくと、いつも「食べたい」気持ちが襲ってくるのだけれど、今日はその気持ちを「うんうん、分かるよ」と認めてやり過ごすことができた。そういう些細なことで満たされて眠りにつく。こういうことを幸せと呼ぶのかもしれない。