先日自宅を片づけたので、快適で一日中家にいたい。だけれども、日曜日の外出を楽しみにしている息子は、しきりに私に外へ連れ出すようせがんでくる。そういえば図書館に返さなければいけない本があったことを思い出し、車で出かけた。本が入った手提げバッグは重い。それもそのはず、図鑑や紙芝居など大型の本が合計10冊も入っているのだ。息子は図書館で借りる絵本を選ぶのが大好きだ。今日も上限の10冊めいっぱい借りようとしていたが、またどれも大型本ばかりなので「自分で持てる数にしよう」と声かけする。結局5冊借りていた。
ふと「お風呂に行こう」と思う。何の準備もしていないので、一旦家に帰らなければならない。帰り道に畑に寄り、オクラ、ピーマン、すじなしインゲンを収穫した。実家にお裾分けし、そこでバスタオルを借り、お風呂へ向かう。ヘルストピアといって、市の指定管理施設だ。息子はとても喜んでいる。髪とからだを洗い、湯船に向かう。ここには息子が2歳前後から来ていたから、かつてのよちよち歩きの幼い息子の姿を思い出す。なんと大きくなったことだろう。湯船にもいくつか種類があって、露天もある。薄曇りのなか青空がのぞいていて暖かく、湯の温度も心地よくて、快適だった。息子は湯に浸からずに、歩き回っている。
ヘルストピアを後にして、実家の近くにある定食屋へ向かう。うちでは、7の付く日のほか、日曜日の昼は外食すると決めている。息子はお子さまセットを、私はチキン南蛮定食(ライス小盛)を頼む。ここの店員さんには息子と同い年の子どもがいるのだが、「背が伸びたねー」と息子に声をかけてくれる。ついさっき私も同じことを思っていたから、感慨深い。食べる量もとみに増え、以前は食べきれなかったお子さまセットをぺろりと平らげていた。
地震だ。この日記を書いているとき、熊本地方を震源とした最大震度5弱の地震が発生した。延岡も揺れた。震度3。息子が生まれたばかりに発生した熊本地震を思い出す。あのとき延岡は震度4で、生後2カ月の息子を抱いたまま不安な夜を過ごしたことを覚えている。奇しくも今日は、熊本で橙書店を営んでいる田尻久子のエッセイ『みぎわに立って』を読んでいた。まだ1章を読み終えただけだが、その中に熊本地震のときに迎えた夜明けについてのエッセイがあって、短いながらも、そのときの感動が読者である私にもありありと伝わってきた。夜が明けることは希望のメタファーとしてよく使われるけれど、その意味がよく分かるエッセイだと感じた。熊本の人たちは、無事だろうか。
息子の寝息が聞こえてくる。私の家は3部屋から成るが、仕事部屋にエアコンが付いていない。だから夏場はエアコンの付いている居間にデスクを移動して、そこで仕事をしたり書き物をする。すぐ隣は寝室で、2部屋を隔てるふすまは開けたままにしているから、自然と息子の寝息を聴きながら作業することになる。地震で一瞬緊張した心が安らぐ。私はこの愛すべき人に、日々支えられて生きている。