「ここではないどこか」へ―2022年6月25日の日記

 「そうか、私はゆくゆくは延岡を離れたいと思っているんだな」と理解した。子どもがひとり立ちしたら、別の場所で暮らしたい。それがどこかは、時間をかけて考えたい。

 午前中、フォルケホイスコーレのイベントに参加した。フォルケはデンマークで180年続く、大人の「人生の学校」だ。北海道の東川町で、日本でフォルケホイスコーレを作った人たちがいて、その人たちが主催するイベントだった。そこは、「私のちいさな問いから社会が変わる」をコンセプトにしていて、「余白」「社会の手触り感」といったキーワードを大切にしている学び舎だ。イベントに参加してみて、フォルケに参加してみたい気もしたけれど、案外、日常生活や活動のなかですでにできていることも多いのかもしれないなと感じる。しかしそれでも物足りないものがあるから、延岡を離れたいと感じているのかもしれない。

 午後からは、延岡詩話会に参加した。今日の詩人は高村光太郎で、『智恵子抄』から「レモン哀歌」と「値ひがたき智恵子」を読んだ。普段文章を書いてて思うのは、人への愛情、それも恋愛感情を描くのは難しいということ。その点、好きかどうかは別として、高村光太郎は愛する人のことを詩にして、それも漠然とした「愛」の話ではなく、個別具体的な「智恵子」のことを書いていて、すごいなぁと思った。今日は、「レモン哀歌」と「値ひがたき智恵子」を読んだのだが、「レモン哀歌」は読めば読むほどリズムがいいし、朗読したくなってくる。

そんなにもあなたはレモンを待っていた

という書き出しがまず秀逸で、「そんなにも」という形容の仕方が胸を打つし、先が読みたくなる。

かなしく白くあかるい死の床で
(中略)
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

からは、ある種病的なまでの清潔感が伝わってくるし、「トパーズいろの香気」からは透明感が、そして「天のものなるレモンの汁は」からは、高村光太郎が過剰に智恵子を讃えているように思えてきて、切なく苦しくなった。

 「値ひがたき智恵子」には

智恵子は現身のわたしを見ず、わたしのうしろのわたしに焦がれる。

という部分があるのだけれど、そういう智恵子に高村光太郎が苦しみや虚無を感じているだけでなく、高村光太郎だって、高村光太郎の方こそ、智恵子を見ていなかったのでないか、とだんだん思うようになった。そういう時間だった。詩話会には、たとえ私が延岡を離れたとしても参加したい。それほど豊かな時間である。

 俳句の鑑賞会の日でもあった。桂信子の俳句をもっと読みたいと思うのだけれど、検索してみても、好みの表紙の本がない。どなたかおすすめがあれば教えてほしい。

ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜

という句が好きだ。なんだろう、きっと恋を詠んだ句なんだろうけれど、大人の余裕が感じられて好きなのかな。色気もあるし。「蛍」という季語は好きだ。池田澄子の

じゃんけんに負けて蛍に生まれたの

も好きだ。

 飯田蛇笏の

採る茄子の手籠にきゆァとなきにけり

も、読むたびにすごいなぁと思う。茄子が「きゆァ」と「なく」とは作者にしかできない表現だろうし、茄子のつややかに黒光りする様子や、句には書かれていないけれど、畑の背景に広がっているおそらくきれいに晴れているだろう夏の空の様子にまで思いが馳せられる句だなと思う。

 こうして書いてみると、私は十分延岡を楽しんでいて、もしかしたら、「ここではないどこか」へ行ける可能性と自由を信じたいだけかもしれなくて、それはどこかに行ったとしても解消されるものではないのかもしれない。そう思いつつ、そう考えること自体が、私らしいと思う。私は今だって、十二分に自由だと思っている。そりゃあ経済的な制約はあるけれど、幸い今の私の生活はすでに余白ばかりなのである。