朝の登園路、この日も出発がギリギリになり、園バスに間に合うようにムスメを抱っこして(もうすぐ年中、身長体重も年齢に応じて増えているので、だんだん腕と腰がキツくなってきているw)ダッシュ。急いでたから僕は前しか見てなかったんだけど、ムスメが道中の老人ホームのところに梅の花が咲いてることを教えてくれて、季節の変化に気づかせてもらった。
ほんで、「きょうひなまつりだから、それにまにあうようにうめのはなさかせたんじゃない?」ってオシャレなこと言ってた笑
Slackの雑談で、「自給自足」がちょっとした話題になった。元来イメージされるような、田畑を自分で耕し食べるものを確保し、その他必要なものは近隣ネットワークの中で共有・交換し、というような村落共同体的自給自足生活をできる人は多くはないだろうが、自助/共助/公助、営利/非営利、交換/贈与、個人/友人/配偶/家族/共同体、労働/経営、消費/創造、都市/農村、オンライン/オフライン、ローテク/ハイテクetc. どれかひとつ、あれかこれか、ではなく、自分に合うものを探しながら色々組み合わせてやっていく、というのが、つまりは現代における「(多数多様なあり方での)自給自足」と言えるのではなかろうかと、そんなことをぼやぼや考えた。
毎週木曜は重度訪問介護ヘルパーのお仕事。シフト後の時間、少し実習という形で、まだ習得・担当していない介助動作(入浴、外出等)を3月いっぱいかけてやっていき、4月以降フルタイムで入れるようにしていこうという方針の今月。なんらかの介助動作に入る際の身体の向きや角度、どちらの腕を使ってどこに力を入れるか、身体のどの部分で支えるか、各種道具の置き場所や並べ方etc. 利用者と介助者の間で培われてきたひとつひとつの動作には(言語化可能なものもそうでないものも含めて)合理性がある。まだ初めて半年の僕の動作は、ある程度合理化・身体化されてきたものと、まだまだぎこちなくまどろっこしいものと、それらの凸凹が大きい。このタイミングで改めて、一つ一つ、ベテランヘルパーさんの動きを真似て、利用者さんの指示を理解・実践し、ということをしっかりやっていきたい。
それはさておき、この日、本人の執筆仕事を手伝っている中で(介助者として言われた通りにタイピングするということを基本に、しかし時折内容についての意見助言を求められることもある、それゆえ僕は、執筆介助中は「手足としての介助者」に完結はせず、2-3割は自然と「編集者」的な役割を担うことになる)、なんかふと、脳内にビビビと来まして。
そうか!理解した、「編集者」「介助者」を俺自身もまた必要としていたのだ!(謎のエウレカ)
ってなった。ここ最近の体調不良の理由とか、久しぶりにこのブログ日記を再開したこととか、なかなか頼まれ仕事の執筆や編集が進まんなぁってこととか、一方で自分が書くべきこと書きたいことを書けてない感覚とか、そういうのが色々つながって「わかった」感じがした。
予定より少し早めに実習が終わったので、乗換駅の永田町の駅内カフェで少し休憩して帰宅。家に帰って家族3人でちらし寿司パーティー。