毎夕、息子が「畑に行きたい」と言う。酷暑で、夕方と言えどいつまでも暑い。19時頃になってようやく家を出る。私たちの畑がある農道まで車で走り、道が細くなる手前で駐車して、そこから歩く。息子はじょうろを片手に、勢いよく走っていく。私は農道を駆けていく息子の姿と、前に広がる景色を見つめながら、スマホで写真に収める。それが晴れた日の私たちの日課だ。
畑に着くと、息子が「水やりしたい」と言い、地下水を汲み上げるポンプでじゃぶじゃぶとじょうろに水を注ぐ。履いている靴を濡らしながら。水やりに飽きると、息子は虫取りに興じる。私の畑は雑草がいっぱいだから、虫たちの住み家なのだ。コガネムシにカメムシ、それからバッタ。クモやカタツムリもいる。息子が好きなのはバッタ。手づかみで捕まえては私に自慢してくる。「ママ、みてー!おっきいでしょ」。
ある日、斜め向かいの畑をやっているおばあちゃんから話しかけられた。「暑いね」と言われただけなんだけれども、おばあちゃんのきれいに手入れされた畑を見ていたら、草ぼうぼうの自分の畑をなんだか言い訳したくなって、「ぜんぜん手入れできてなくて」と返した。おばあちゃんは「草があった方がいいと思うわ。こんなに暑い中、私たちみたいに(草を刈って地面を)丸裸にしてると、(苗たちが)可哀想だわ」と嘆く。なるほどそういう考え方もあるのかと思った。
しかしである。あまりにも草が伸び放題ではないか。恥を忍んで、読者の皆さまに私の畑にどれだけ草が茂っていたかお見せしよう。……そうなのだ。過去形なのである。息子の大好きな虫たちの居場所であり、おばあちゃんからはいいと言われた草たちを、あるとき私は刈ってしまった。見ていたら、刈りたくなったのだ。
近所の量販店で、草刈りカマを手に入れ、わっさわっさと刈っていく。汗はかくが、心が気持ちいい。どうせ刈っても刈っても生えてくるのだ。そうすればまた、虫は戻ってくる。刈りながら、ふとあることに気がついた。ミニトマトが、「これはいったいどこから伸びてきているんだ!?」と不思議に思うほど、謎な育ち方をしていたのだが、草で隠れていた部分が見えるようになったことで、その理由が明らかになったのだ。
本芽は以前折れてしまって、脇芽が残っていたのだが、その脇芽が伸び、伸び、伸びて地を這い、なんと脇芽の節から根っこが生えていたのだ。畝と畝の間を伝って隣の畝のキュウリのところにまで伸びてきていたわけだ。何という生命力と私のずぼら力……。まだ青いミニトマトがいくつか発見されて、ちゃんと育っているのだなと思った。植物すごい、すごい!
言葉だけで伝えられたか分からないので、絵に描くとこういうことである。厳密に言うと、ミニトマトは右の枝と左の枝は高さが揃わないので、インチキであるのだが。
水やりや草刈りを終えると、私たちは再び農道を通って帰路に着く。またもや息子は先に走っていく。大空の下を子どもが駆ける姿に勝るものはなかなかない。空の向こうには山が広がって、その上の空に夕焼けが広がっているときもある。一日で一番美しいと感じる瞬間だ。
夕飯には毎日のように畑で採れたものが並ぶ。ある日は、枝豆を茹でたものに、牛肉とピーマンの炒め物、きゅうりの塩和え、オクラと納豆、フライドポテトと、畑の恵みたっぷりの晩ごはんだった。忙しい日々のなか、カップラーメンや冷凍食品で済ますこともあって、それもおいしいのだけれど、自分たちで育てた野菜を調理していただくのは、また格別な幸せなのであった。