わたしのノート。 - 「書く」とき・ところ・道具とわたし #5

こと:何を、どこへ向けて書こうとするか

 書くことで、なんとか自分を勇気づけ、保ち、前に進めてきた。私はこれまで何を書いてきたのか、振り返ろうとして、頭に思い浮かぶのは、私が記してきた数々のノートたちだ。

 ミドリのMDノートから始まって、時にはキャンパスノートだったり、モレスキンだったり、自由帳だったりしたそれは、10年ほど続き、今15冊目になる。これとは別に、スケジュール手帳もほぼ毎日書きつづけてきたから、合わせると25冊は超えるだろう。

 書き始めたのは、2012年1月9日。1年休学して1年留年し、合わせて6年間を過ごした大学の卒業を控えた年の初めのことだ。当時の私は、今よりずいぶんと自分に自信がなく、また病んでいた。今とはだいぶ筆跡の違う私の文字が、そこには綴られている。

 読んだ本の著者名とタイトル、感想や本の引用、ちょっとしたつぶやき、悩み事や考え事など、紙とペンはいつだって私の思いを受け止めてきてくれた。 

とき:どんな時間・瞬間に書く?

 私が書くのは、孤独だからだろう。とはいえそれは、必ずしもネガティブなことを意味しない。ひとりであるとき、私は私でいられる。そのときの私が、私は一番好きだ。

 子どもを学校に送り出し、家にひとりになった朝。子どもが寝静まり、ひとりになった夜。私はペンを持って紙に綴る。

 ほら、ずいぶんと筆跡が違うでしょう。書くことで、筆跡とともに私自身がゆっくりと変わってきたのだと思う。

ところ:どんな場所で書く?

 コワーキングスペースやカフェで書くこともあるけれど、自宅で書くことが圧倒的に多い。寝室や居間で書くこともあるが、自室の仕事机に座って書く。そこは私にとって大切な場所なのだろう。なぜなら、ほかの誰にも、唯一の家族である息子にすら、座ってほしくないと思うからだ。

道具:どんな道具を使って?それらをどう組み合わせて?

 ジェットストリームのボールペンと、モレスキンのノートあるいは自由帳。本の抜き書きはモレスキンの罫線があるノートへ。自由に考えをめぐらしたいときは、無地の自由帳へ。誰にも侵せない私だけの領域。それが私のノートたちだ。今日も書くことで、私は私を取り戻してゆく。