巷に雨の降るごとく - 2022/06/14 Tue.

メモアプリに書き出してあるToDoリストが空っぽになることは決してないし、なんなら下の方には年単位で塩漬けになっているものもあるのだが(だいたいそういうものはToDoの粒度まで落ちてないし、さりとて相手方がいてお尻が決まっているものでもない)、未来の楽しみに取っているだということにして開き直れば良い。僕は「本は積めば積むほど徳を積める」という宗教に帰依しており、知人友人にも仲間はたくさんいるのだが、だいたいこの宗教に入っている者たちは本だけでなくタスクも積む傾向があり、しかもなぜだか、本とは違ってタスクを積むと罪悪感に苛まれるようで、しばしば自己肯定感35%低下のステータス異常にかかってしまう。この謎を解き明かすためにアマゾンの奥地に向かおうものなら道中迷子になること間違いなしだからそれはやめたほうが良いのだが。

なんの話だっけ。

朝、ムスメを送ってから例のごとく松屋/マイカリー食堂に行き、120円おかわり自由コーヒーで粘りながら、本をいくつか読んだり日記を書いたりして、家に帰ってからちょっと仮眠を取り、その後税務署に行って書類を出したり、信金さんに行って市民税県民税を収めたり、肝機能が要精密検査ですと言われた健康診断の二次検査予約を取ったり、なんだりかんだりと細々した作業を進めていった。どれも本丸の手前の細々したToDoなわけだが、とはいえ後回しにするとよろしくない類のものを、まとめて3つ4つやっつけたので今日の俺はえらい。

相変わらずカネは無いが、納税をするのは好きだ。好きだっつーのはなんか変な話だが、お金を下ろして信金に行って、役所から送られてきた支払い用紙と現金を渡して、ハンコをポンと押してもらって家に帰る、という10分そこそこの行程は、別に大したことしてないのだが「ひと仕事終えた感」を得ることができる、つまりちょうど良いフィードバックを脳にもたらしてくれる月一のミニイベントなのだ。また、反社の妖怪人間である私がかろうじて「市民」やれてるなという実感を持つことができるのが「納税」という行為でもある。納税、いい言葉だ(小学生の習字みたいだが)。払ったお金が原資となって、私の自立支援医療とか、うちのムスメの児童手当とか、色んな制度が維持されるのだ。最近は「早く人間になりたーい!」とベムのような切実な願いを持つことはもはやなくなっており、社会の外側かすみっこかスキマかその辺り、基本はちょこんとひっそりと存在していて、納税やら投票やら子育てやらでたまーに、申し訳程度に社会と接続してるやつ、で良いかなという気分。

夕方、家を出て電車に乗り、都内某所のクリニックの依存症デイナイトケア利用者の人たち向けに、自助グループのメンバーで出張ミーティングへ。1時間、読み合わせと分かち合いをして帰る、ということを月に一度、有志で行なっている。

雨。少し寒い。

ミーティング中、仲間たちの分かち合いを聞き、自分も少し話し、またその間頭の中では、それぞれに色々ありながらも生きている、友人たちのことを思い浮かべ、色々なことを考えたが、何か結論を出す必要もなく、時間が全ての味方であるなあと当たり前のことを実感するなどした。

雨。

「雨降って地固まると似てるけどちょっと違う、海外のおしゃれな詩の引用してるシーンがあったな」と思い出して「ガンダムX  雨」でググったら、見つけた、そうだ、「巷に雨の降るごとく」だ。

『機動新世紀ガンダムX』第9話、ジャミルとテクス、イケオジ二人の会話より。

テクス「マイクロウェーブを直接水面に当てて水蒸気爆発を起こさせるとはな。それにこの奇跡の雨だ、洒落てるな。濡れてしまったな、包帯を変えよう。」
ジャミル「……すまん」
テクス「巷に雨の降るごとく。わが心にも雨ぞ降る。……ランボーの詩だったか?」
ジャミル「いや、ヴェルレーヌだ」

ここで引かれたヴェルレーヌの元の詩はまだ読んだことはない。読んだらそれはそれで良いんだろうけど、元の詩を知らなくてもこのシーンそのものが良くて、思い出補正もあってこのまま味わいたいという気持ちもあり、なかなかオリジンを辿りに行けない笑

巷に雨の降るごとく。わが心にも雨ぞ降る。

巷に雨の降るごとく

巷に雨の降るごとく