「書こうと思っても書けない!ってときはどうすればいいんですか?」
「いいこと言おうとしてるからなんちゃうの。その日起こったことを書けばええやん」
今月末でうちのライターインターンを終了して関西に帰る子が、締めくくりにと自分でイベントを企画して呼んでくれた。その場にもうひとり別の子で、同じくうちでインターンしてる子から上記の質問をされ、そして応答したわけなのだけど、この回答はそのまま私にもブーメランとして返ってくるわけで、変に技術や欲がついてくると筆も重くなるし大して面白いことも書けなくなるわけだから、この日記ブログは原点に立ち返るというかなんというか、ほんとに日々の日記そのまま、自動筆記よろしく、時間内に手が動いた分だけ書き進めようというあれで書き始めた。書き始めた、というのが牡蠣始めたと変換されて、そういえば最近牡蠣食ってないなと思い出す。
1月も終わりに差し掛かるが、新年から継続的な運動をするぞとはじめた多摩川ランはなんとか続いている。当初、週に3日と目標立てて、それは毎週達成とはいかなかったのだけど少なくとも週末土日の2日間は汗流して河川敷を走る、ということがそれほど苦ではなくなってきた。あ、そうそうラジオ体操もやってるんですyoutubeで。あれは全身200ヶ所だかなんだかの筋肉がまんべんなく使えるように設計された実はすごい体操なんだぞと高校の体育の先生が言っていた。ラジオ体操第二の最初のキン肉マンポーズやっぱり恥ずかしいよねなんか。多摩川ランが続いているのは文明の利器のおかげもあり、NIKE RUNとApple Musicの合わせ技で、音楽聞きながら運動できるというのがなかなかに快感なのである。最近はもっぱら水曜日のカンパネラを聞いており「千利休」とかいいですね、へそで茶ッが沸ッく!的な言葉遊びが楽しくって。そういえば年末年始に読んだ雑誌『考える人』(これはもうほんと言葉とかメディアに携わる人は誰にでもおすすめなのだけど)の中に圏外編集者・都築響一の「足し算の美学」というエッセイがあり、これまで伝統的な「紙」の世界で限られたスペース内での「引き算の美学」をやっていたが、最近はフリースタイルラップに注目しており、空白をただひたすらにトランス状態で埋めていく、埋めていったその先にある思わぬ言葉との出会いが面白いということだった。僕はフリースタイルはやらないけれどもほとんどウェブで書いている人間なので、スペースに際限がないなかでの遊びということは知っている。Delete Allさんの「Everything you’ve ever Dreamed」とか、上田啓太さんの「真顔日記」とか、たしかにフリースタイルに近いものがある。
というわけで、土日ともに朝は早起きして快調な滑り出しなんだけどその後の一日が生産性マックスかというとそうもいかなくて、昨日、友人からの悪魔の囁きで「遊戯王デュエルリンクス」をダウンロードしてしまった私は昨晩から今日一日はほっとんどデュエリストとしてデュエルに勤しんでいたのだ。なにこれこの中毒性。アラサー世代の厨ニ心をくすぐる遊戯王のコンテンツ力。ほとんど作業ゲーなんだけどさくさく進んでどんどんレベル上がるしそこそこにレアカード出るし。気がついたら一日でレベル19、ステージ15までいってしまったわけよ。おかげで土日の間にやるつもりだった仕事がぜんぜん終わっていないAM1時です。そろそろ敵も戦略が巧みになってきて力押しの脳筋プレーでは勝てなくなってきた。やーどうだろうなぁこの辺で飽きてやらなくなるというパターンもあるのだけどこのまま意地で続けるという可能性も濃厚だなぁ。目覚めてもデュエル寝てもデュエル、どうしよう。にゃんこ大戦争にはまった以来だわこれ。ポケモンGOはそんなにはまらずに終わったのだけど、どうだろうねぇこわいこわい。
最近思うのは、執筆・企画・編集の個別技術についてはそれなりに教える場やら本やらがあるのだけど、「マネジメント」としての編集長業務に関しては、とんと情報が少ない。人材採用・育成とかビジネスモデルをどう組むかとか。あまり体系化されてない印象。ただまぁ、組織や人材の話は最小単位の型としては経営書やマネジメント論の古典を参照可能だろうから、それを、ウェブメディアというまだ若い業界のビジネスモデルや人材市場の実情を踏まえてどう応用していくか、ケーススタディ的なものが必要なのだろうな思想哲学やそのメディアのミッション、ヒト・モノ・カネをどうするかのビジネスモデルやマネジメントに話題を絞って、各誌編集長のから寄稿・インタビュー&ケーススタディからなる「編集長事始め」的なマガジンをnoteかmediumでやりたいと思っている。思っているけどまだ着手していない。2月にはやろうな。はい。
先日、アパートメントにも、「『私は発達障害なのか?』問題に直面した生きづらめなオトナ達に贈る長い手紙、あるいはひとりごと」という文章を書いたが、こういった仕事をしていると、身近な知人友人から、自分自身や身近な家族・友人の特性凸凹や疾患、生活で生じる困難・障害について開示や相談を受けることが多くなってくる。そういうときには可能な限り具体的なサポートをできればと思うが、究極的にはその人自身が自分の物語とサバイバル術をどう編み直していくかという話だから、私その他の事例は参考程度にしかならず、やはりこう、救えるというような慢心は持ちたくないし、両手の届く範囲など限られているのだが、自分の時間のなかでできうる限りはなるべくいつでも寄り添い話を聴ける準備はしておきつつ、ともあれ本人の歩みを見守るしかない。
年末に井上先生と「おやじりんく」の金子さんと一緒に行ったイベントを思い出す。障害受容なんてできない、障害は生涯続く、できることはわが子の障害と一生向き合い続けるだけ、という話。あの人は障害の受容ができている・できていないという、ステージ論的な推断、はそもそもできないとおもうし、ましてや障害受容ができていない、ことをまだ”遅れている”段階、とする見方には引っ張られないように気をつけたい。
三歩進んで二歩下がる、または螺旋階段のようにぐるぐるしながらちょーっとずつ登っていく、みたいなものだと思う。たまに転げ落ちることだってあるし。私もそうなるとも限らんよ。