福島第一原発で働く作業員の中継基地となっている「Jヴィレッジ」を見学してきた。福島県立医科大学が主催する第4回福島災害医療セミナーのコーディネートで、セミナー参加者の医師・看護師・放射線技師などの方々と共に訪問した。施設内は担当の東電社員の方にご案内いただいた。写真撮影は許可されていないので、文章で出来る限り現在の様子を伝えようと思う。
今でこそ原発事故収束のための拠点として名前が知られているけれど、Jヴィレッジはもともと日本最大級のサッカートレーニング施設だった。設立から現在までの経緯はWikipedia記事に概要が載っている。東京電力も出資社の一つだ。
福島第一原発からちょうど20kmのところに位置し、2011年3月15日からは、政府・東電・自衛隊・警察・消防隊などが事故収束に当たるための最前線基地として機能していたが、同年9月以降は、作業員の宿泊施設がいわき市内に移ったため、Jヴィレッジは作業前に作業服に着替えるための中継基地となった。
最初に案内されたのは、福島第一原発で勤務する東電社員や作業員の怪我・疾病に対応するための診療施設である「Jヴィレッジ診療所」。2年間で約6900人が利用し、受診者の症状の半分は感冒症状(要は風邪)であり。他には、ゴム手袋の長期着用による皮膚かぶれなどの症状が多いとのこと。受信者の2割ほどが東電社員で、残りはほとんどが作業員とのこと。100人程度はその他、周辺地域で除染作業に従事していた人や周辺一般住民が日中怪我をして運び込まれてくるケースなど(一般住民も当診療所を利用可能)。大人数が駐在する施設であり、感染症の蔓延も重要なリスクであるため、インフルエンザの予防接種なども行われていた。
次に案内されたのが、作業員の着替え・装備着用の部屋。もともとロッカールームだったであろう部屋で、作業員の方々が防護服に着替え、手袋などを着用していた。その隣の部屋には作業用マスクが置かれていた。作業する場所によって粉塵などのサイズも違うため、大型の特殊なマスクから簡素なものまで、いくつかの種類があった。説明を受けている時に、作業員の方が何名か入ってきて、リーダーらしき人が、その日初めて派遣されてきたであろう人に、マスクの種類やサイズの説明をしていた。福一での作業を終えた作業員が脱衣・スクリーニングをするための設備が置かれた部屋も案内された。汚染拡大を防ぐために入退出の導線が管理されている。
敷地内には小さな売店もあり、近くでは防護服を着用した出発前の作業員の方々がタバコを吸ってくつろぐなどしていた。ランチは施設内のカフェテリアでいただいたが、「ハーフタイム」という名前で、なんともサッカー施設らしい。館内を歩くと、もともとのサッカー施設としての名残を感じさせるポスターやタペストリーに、東電や作業員への応援メッセージが書かれた色紙、横断幕や、種々の事務案内(バスの時刻表や、東電からのお知らせや、社外相談窓口など)が混在していた。
震災直後は相当に緊迫した現場だったのだろうけど、今となってはとりたてて張り詰めた雰囲気はなかった。正社員もおり、バイトの中でも経験日数の多いリーダーも新入りもおり、短いながらも休憩時間があり、出発前には他愛のない世間話を交わす。昔何度か経験した派遣の日雇い肉体労働と似た雰囲気を感じた。
働きに行く現場が福島第一原発であること、被曝に備えるための装備・検査が徹底されていること、積算被曝線量が基準値を超えたらそれ以上は働けなること、危険度が高い分だけ日当が高いこと、そうしたいくつかの点は「特殊」だと言えるだろうけれど。
さて、このJヴィレッジだけど、6月末をもってその機能が大幅に縮小する。こちらの資料で発表されている通り、入退域管理施設が福島第一原発の正門付近に新たに建設され、6月30日から運用開始予定だからだ。作業員の本人確認や装備着用、スクリーニングや除染、疾病・傷病者の医療・診療行為は全てその入帯域管理施設で行われることになり、Jヴィレッジは自宅や宿から集まった作業員の構外移動車両への乗り降りと、その車両のスクリーニング・除染を行うのみとなり、中継基地としての役割は終了する。
Jヴィレッジの敷地全体はJFAのものだが、このJヴィレッジ診療所のみ楢葉町の所有物であり、当診療所は6月末で閉鎖されて楢葉町に返還される。診療所内にあるWBC(ホールボディカウンター)は町民の健康調査のために引き続き利用されるらしい。
JFAはJヴィレッジをいずれサッカー施設として再び利用する計画らしい。太陽の下、ここでサッカーのプレイ風景が再び見られるのはいつのことだろうか。