I cannot believe it’s already the end of November. The day passed so fast with discussion, exam and presentation. Most of the classmates seemed stressed with the exam of Social Determinants of Health module with the large amount of studies, so do I(though I like the topics). Anyway, we’ve done. These days, I prepare for the exam with two friends by holding regular study groups, asking and telling about lectures and materials to clarify our understandings. Through this process I realize the range and gap of mu understanding about each topic, issue and area. I should consciously stretch my energy and knowledge toward various topics even though I’m not so interested in particular ones. The friends at the study group and me, sometimes use each one’s own experience as an example of some health issues. Although I know statistics never tells us about an individual, individual’s experience may do reflect each one’s social, environmental and biological backgrounds. Soon after the exam, I had a presentation session for the module of Professional Development Program. 6 classmates and I made a group and made 3-4 minutes presentations in turns, telling each personal story related to career, work, travel, identity etc. It’s really interesting and impressive time for me, cos I don’t have so many opportunities to listen to classmates’ personal stories(most of the talks between classes are preoccupied with homework and exam…). Though still tough and busy days continue, I wish to have as much as time to know about mu classmates well.
あっという間に11月も終わり。最終日はディスカッションに試験にプレゼンにと、あっという間に過ぎていった。最近は友達と3人で毎週スタディグループを開いて試験対策をしている。分かりにくい論理を説明するときに、お互いの、あるいは知り合いの具体的な経験を引っ張ってくることもあって、そういう時に、一人ひとりの背景がまた少し見えてきて、興味深い。統計は個人については語り得ないのだけど、個人が彼/彼女の背後にある構造や全体を反映することは往々にしてある(勿論全てではないが)。試験後のプレゼンテーションセッションも、今まであまり話したことのなかったクラスメートの個人的なストーリーを聞けて良かった。パブリック・スピーキングに対する抵抗がなくなってきている自分にも気付く。勿論改善点は多々あるが、なかなか楽しめていると思う。授業の合間の会話は、どうしても試験や宿題の話に終始してしまいがちなのだけど、機会とタイミングによっては、もっと開かれることもある。そういう瞬間は見逃さないようにしたい。
すぐには効果が見えなくとも、本当に身についているのか時に不安になるとしても、続けることが大事なのだと思う。勉強していて最近思う。各集団や地域の抱える健康・疾病問題は、その場所と時代の政治・経済・社会・環境的要因によってずいぶんと異なってくる。だから、やはり疾病や地域、システムによっては、日本で生まれ育った僕にはなかなか実感が湧きにくく、「遠い」事柄もある。だとしても、いや、そうであるからこそ、知ることから始めるしかないのだろう。好きなことや大事なことについては、自分の実感やモチベーションといったものにドライブしてもらっても良いかもしれないが、そうでない事柄の方が生きる上では多いわけで、そういう揺れ動きやすい要素に左右されずに一定のエネルギーを出し続けられることもとても大切だなと最近思う。知識のインプットにおいては少なくともそうだろう。そのうちどこかで自分の人生・経験との接点が生まれて立体感を増すかもしれないが、そういうところに達するまでは、ただただ知っていくことだな。
Responsibilityという言葉がある。responseとabilityを組み合わせた言葉だ。日本語では責任と訳されることが多いが、日本語の「責任」とは少しニュアンスが異なるように感じる。他者からの呼びかけに応答する能力、日本的な「責任」概念より外側に、社会や他者へとベクトルが向いているように思う。
日々、一瞬一瞬、自分のもとにやってくる語りかけ、呼びかけ、問いかけに対して、ただただひたすらrespondしていく。今はそれだけで良いのかもしれない。