Diary: 10/14/2012 Sun.

My former teacher at a seminar of the University of Tokyo (actually he’s still teacher for me even after his retirement) came to New York, and had dinner with him and other alumni students at a french restaurant near the Lincoln Center. Whenever I meet him, I fell secure, and cannot help talking about personal matters…

Well, here Columbia is a wonderful place to learn and build my capacity to work as a public health professional. But not only that this one and half year term of staying abroad must be an import “personal” term to think deeply again about myself – identity, worth of living, role in society, relationship with others. Calm down, and walk moderately.

駒場のゼミの頃からずっとお世話になっている船曳先生と、NY在住のゼミ生(&奥様方)で夕食会。リンカーンセンター近くのフランス料理屋。「退官しても教師の癖が抜けないな」と先生もおっしゃっていたけど、どこで集まっても(8月は石巻だった)、どこへ旅行しても、先生は相変わらずで、その場を共にするゼミ生もキャンパスでのゼミと変わらぬノリで、居心地よく話す。

「人間にはインテリとオタクとヤンキーの三つの極があって、君は東大には貴重なヤンキー。」
だなんて話があって、少し前にメールでその単語だけを聞いた時は「まさかぁ」と思ったけど、昨日、その言わんとするところがなんとなく分かった。

このブログはさておき、隙間時間に、憑かれたようにして色んなことを紙に殴り書きにしている。ごくごく個人的なことばかりだが、少しずつ見えてきた。今日、ふと去年の3月からのことを思い出して経緯を書き付けてみた。自分は落ち着いている方だ、と当時は考えていたのだけど、やはり様々な判断や行動、周りの状況を振り返るに3月から8月頃までは”異常な”時期だったと感じる。それを正当化したいわけではない。しかし、あまりにも短い時期に、たくさんの人と出来事に繋がりすぎたためか、短くしかし急激な躁(3~5月)と鬱(6~8月)がやってきていた。今日、初めて「そうか」と理解したけど、去年の9月からの1年は、本当に自分にとって、セラピーだったのだと思う。良い方向へと向かうきっかけが、色々と同じタイミングで起こったのだった。

修士の1年半、勉強や実習はもちろんのことだが、改めて自分のことを見つめなおすべき時期なのだと思う。自分の過去・現在・未来、アイデンティティ、畏れや怯え、喜びや希望、社会の中での役割、他者との距離、愛情…それらをよく見つめなおし、抱きしめる必要がある。

自由とは、きっと受容の先にあるのだ。

期限やスピードで区切れる話でもないから、根気よく付き合っていくしかないな。

ポレポレ。