そうしたもんだ 2022/09/26

月半ばに京都に行って帰って、その次の週も月・金が祝日で休まるどころかかえってドタバタと過ぎていく始末で、元々の病身にプラスオンの疲労を載っけたまま9月の最終週に突入したわけで、なんとまあ。色々とやらなければならないことが溜まっていくのを急ぎのもの手前のものからエイヤソイヤと片付けていくものの当然体力が追いつくわけではなく、ちょくちょく横になって仮眠・休憩を挟みながら、それも含めて自分の速度であろう、そうしたもんだ、と思って過ごしている。

必要に迫られての読む・書くは別として、ここ2,3週間のドタバタで平時の読書習慣が途絶えかけてしまっていたのと、どうもこのままパソコンを開いても作業が進みそうにないなという予感がしたので、ムスメを園に送ってから小一時間、アイスコーヒー片手に(ホットかアイスか判断に迷う季節だ)本を読んだ。谷崎潤一郎『細雪(中)』、御厨貴『オーラルヒストリー』(読了)、古井由吉『東京物語考』、駒澤真由美『精神障害を生きる 就労を通して見た当事者の「生の実践」』それぞれ15分ずつちょこちょこと。『細雪』は上・中・下とあって、2,3ヶ月前からちょっとずつ読み進めてまだ真ん中といったところの長編だが、むしろこの細切れの読み方が日常につかの間の安息をもたらしてくれていてとても良い。戦前の「ええとこ」のお家の姉妹たちが主役で、縁談やら引っ越しやら水害やらなんやかやありつつ、とにかくずーっと淡々と細やかにその日常が描かれており、出来事や話の筋以上にこの活字の流れ方が心地よい。

『精神障害を生きる』の駒澤さんは、僕も昨年入学した(そしてすぐ休学したのだが)立命館先端研の先輩で、昨年博士を取られ、この本も博論をベースにして出版された単著で、先日京都に行ったときに学会で駒澤さんご本人ともお会いし、物販スペースで自ら売り子をやられていたところ、その場で購入したものである。まだ序章を読んだところだが、リカバリー概念の系譜、立場の異なる人たちの定義や論点が整理されていてとても参考になった。自分の経験に引きつけても振り返って考えるところが色々あり、病後の身体が日常となって数年の今、自らの「リカバリー」を、自らの身体、機能や行動、他者との関係、日々の過ごし方などを通してどのように捉え語ることができるだろうか、本を閉じて少し思案した。概ね平穏に、使えるものを色々主体的に使い頼りながら、自己決定も担保されて生きているとは思うので、プロセスとしてのリカバリーは、まあまあいい感じではなかろうかと言えなくもないが、さりとて、ところどころ色々なままならなさ、不自由さは残り続けるわけで、それにやきもきしたりもする。そうしたもんだ、とも思う、が。

午後と夜と、1つずつ、かたまり仕事を片付けることができて、他にも色々あるのだがまあ今日は上出来だろう。関わる人が多い案件は進め方やら表現やら各方面にあれこれ気を回して進めなければならないのでそれなりに疲れるが、それもまた、そうしたもんだ。