この日はツマの誕生日。ムスメの発案で、前日につくって部屋の中に隠しておいた誕生日カードを見つけるミッションが寝起きのツマに課された。カードを見つけたツマは喜んでくれたのだが、30秒ぐらいであっさりと見つけられたため、後ほど通園路の道中で「今朝のサプライズ大成功だったね」とムスメに語りかけると「ううん、だいしっぱいだった。だってすぐ見つかっちゃったもん」とのことで「つぎはもっとみつかりにくいところにかくさないと!」と、さっそく次回の作戦会議が始まるなどした。
日中、ミーティング等の用事は何も入っておらず、作業を進めるには最適な日のはずだったのだが、これがまっっったくはかどらない。論文が3行ぐらい進んだ、以上。みたいな。うーむ。
夕方17時に、Zoomウェビナーで大学学部時代にお世話になった(といっても僕はだいぶ出来の悪いゼミ生だったのだが)藤原帰一先生の最終講義を聴講。世の中がこんな状況で、再び先生の講義を聴くことになるとは。学部長の挨拶が終わって、先生が講義を始める前にちょっとだけ雑談込みの挨拶をされ、「映画を観る合間に仕事をしている」という、例の映画オタク藤原帰一エピソードも一瞬顔を出したのだが、「くだけた話を出来るのはここだけで、今日は残念ながら映画の話も冗談も交えずに話さなければなりません」と、その後すぐに講義に入り、そう、つまり、そういうことなのだな、この状況は、と。「国際秩序における覇権とリベラリズム」という演題が事前にメールで知らされており、その主題は引き継ぎつつも、ロシア・ウクライナの話の比重を大きくして(当然先生は直前まで講義資料の改訂・推敲をされていただろう)、1時間の最終講義。ロシアによるウクライナ侵攻は、国際法上も国際政治の観念上も明らかな侵略戦争であると断言しつつ、電撃戦を準備した相手=ロシアの瀬戸際外交に対してはNATOの抑止戦略が有効に機能しなかったこと(それでもここに至るまでに相当やるべきことをやってきたと評価はされていたが)、電撃戦は明らかに失敗に終わりロシアが戦争に勝てないことは明らかでありながらも、核兵器使用のリスクとNATO介入のジレンマがあることなど、この戦争の、沈鬱な…先生はいつものごとく淡々とした語り口で、またそれを語ることが先生の「仕事」であることはわかりつつも、沈鬱なとしか形容しようがない展望を語られるのを聴いて、あぁ、ここしばらく感じていた目に見えない重苦しさの正体はこれか、と自覚した。物理的に遠ければ関心・関与が薄くなっても仕方ないとは言うつもりはもちろん無いし、募金なりなんなり「出来ること」はなくはないのだが、しかし此度の戦争の帰趨に関しては一市民としてほとんど無力に等しい。国内の自然災害やパンデミックに際しては、もちろん微力でありながらも、まだ現実的、具体的に、自分や、仲間たちと形成するコミュニティを通して、影響・貢献可能な範囲と限界をある程度見極めてなんらかのアクションを起こす余地があり、ひとまずそれにフォーカスすることができたわけだが、そういった手応え・手触りが不在のまま、混濁した情報と人の感情が行き交う状況に身を置かざるを得ない日常は相当なストレスだったのだろう(それゆえSNS等は極力見ないようにするなど自衛はしてきたのだが、メールやらチャットやらで入ってくるものは入ってくるし、自分の仕事に近い領域の学会や団体が声明を出していたりと、そういうものも目にするので、限界がある)。とはいえ…落ち込んでばかりもいられない。先生の講義では、世界戦争の集結が国際秩序の転換期となってきたこれまでの歴史、(東側の”自滅”による)冷戦終結においてはそれがなされなかったという見立て、冷戦終結後の宿題、市民社会のインターナショナリズムの形成、など…”希望”などと表現するのは憚られるが、しかし、沈鬱な現状と展望を踏まえつつも、未来に向けて、考え、備え、実践する余地があるということを、やはりまた淡々と、最後にそういったことが語られた。そうだな、自分の「仕事」において、細くとも小さくとも、遠くまで見据えて、やるべきことをやらねばならない。
講義が終わって少ししてから、園からムスメとツマが帰宅。ツマが予め注文してあった銀の皿の寿司と、ムスメが帰りに選んで買ってきたサーティーワンのアイスケーキと、僕が近所の東急で買ってきた1000円代後半のスパークリングワインで誕生日パーティー。3月は、7日がツマの誕生日、14日がホワイトデー、21日が入籍記念日と、毎週なんらかのお祝い事がある一ヶ月なので、わーお祝いどうしようと私は毎回焦るのだけれど、ツマはいつも通りあっけらかんとしており、「ヘロヘロの人はあまり無理しなくていいよ笑」と言う。まぁとにかく、無理はしすぎず、しかし前向きに、小さな幸せを祝福する一ヶ月にしようと思う。
ちょっとでも論文進めなきゃなと思いつつ、結局作業に入れず(諦めて風呂に入ってあったかくして寝ればよかったものを)、睡眠の質も悪くなり、悪夢てんこもりみたいなすごい夢を見た。途中何度か目が覚めて、「夢だった…」と言い聞かせつつも現実感がなく(夢の方が現実感が強い)、入眠しても再びその続きを見る…ということを2,3回繰り返し、朝になってようやく、いずれも現実に起こらなかったということに安心することができた。いやあ怖かった。