自分が知らない笑顔

私は笑うのが苦手である。

面白いことがあればお腹を抱えて笑うし、関西人なのでツボに入れば机を叩いて全身で笑いを表現する。そう言うことに関して言えば、笑うのは苦手ではない。

私が苦手なのは、笑顔を作ることである。

こと笑顔で写真に映るのは私の特に苦手とすることといってもいい。コスプレという写真に残すことが目的のような趣味を持っているのに、自分で「いい笑顔だ」と思える笑顔の写真はとても少ない。


あまり知らないカメラマンさんに見せる笑顔は、どうしてもぎこちなくなってしまうものだった。「いいと思うんですけどね」と言われたりしても、自分で納得できないこともある。このキャラはもっとこういう顔で笑う。もっと心から、楽しげに、朗らかに。もしくはニヒルに、クールに。

頭の中で思い浮かべる自分の顔と、カメラで撮ってもらったデータの顔の差異を埋めて行くのはものすごく難しい作業だ。


鏡の中の自分に向ける笑顔と、鏡に映らない他人に見せている笑顔は全くの別物であるということを、私は何度かの撮影で思い知った。化粧をしながら鏡で見る顔、自撮りをしながら自分で撮る笑顔は、どれも自分の思った通りの顔をしている。それもそのはず、これは自分の筋肉がどんな風に動いているのか、自分で見ながら調節して作っている表情なのだ。

一方で他の人が構えたカメラに向けて笑顔を作るというのは、見えないくせに形を作るというものなので、言ってみれば二人羽織や福笑いのようなものだ。そう考えると、素人の私達が自分の思ったような笑顔で写真を撮れないというのも納得がいく。自分の頭の中のイメージと自分の表情筋が実際に作っている顔にはズレがあるのだ。


そんな差を埋めてくれるのは、やはりカメラマンの腕にかかってくるところがある。コミックマーケットで一眼レフとレフ板を両手に撮影を申し出てくれる人の中には、腕を持った猛者の方がいる。そういう方は、こちらが素人だというのをわかっているので、会話で笑わせてくれたり、あるいは「もう少し口角が上がったほうが盛れますよ」なんて声をかけて自分のイメージと実際の表情を繋げてくれる。そうして「ここだ!」という瞬間を逃さずシャッターを切る。


私のコスプレを支えてくれている友人の中に、学校カメラマンを職業にしている子がいたりするのだが、彼女なんかは素人を撮るプロだ。コミュニケーションで関係を作り、会話で表情を作り、一瞬を逃さずに収める。

カメラの上手さというと、構図や色合いが挙げられることが多くあるけれど、「人を撮る」ということに関しては、こういうコミュニケーションの上手さがカメラの上手さに直結していると私は思っている。


友人の撮ってくれた写真の中で、私はよく笑っている。

私の一番いいときを狙って撮ってくれているのは重々承知なのだが、彼女の写真の中の私はとてもいい顔をしている。それは、私が彼女との撮影をとても楽しんでいて、私が彼女に心を開いている証拠だと私は思っている。彼女がカメラを通して教えてくれなかったら、自分がこんな顔をできるんだということを私は一生知らずにいたかもしれない。


笑顔の出来は、結局何によって左右されるのだろう。

相手、技術、信頼度、幸福度。要因は様々だろうが、受取り手によってもその印象が変わるのだろう。

「笑顔が素敵ですね」と言われる。昔から自分で自分の笑顔があまり好きではないので、お世辞だろうと思っていたが、大人になってから「割と本気で言われてるのかも」と思うようになった。なぜなら、友人の撮ってくれた写真の中の私の笑顔は、素敵だったからだ。

もしかしたら、私のまだ知らない私の笑顔を知っている人が、世の中には思ったよりいるのかもしれない。