いい「接遇」は、気持ちいい - 2022/09/13

「福祉(welfare)」という概念はとっても大事であらゆる人に関わるものだと思っているのだけど、世の多くの人が「福祉」とか「福祉の仕事」という言葉からイメージする職業や仕事はその概念が包む範囲よりおそらくはるかに狭いように思える、雑に言ってしまえば「高齢者/子ども/障害者を助ける仕事」ぐらいのイメージであり、実際そういった人たちと関わる仕事の従事者の多くがそのほとんどは介護保険法/児童福祉法/障害者総合支援法と紐付く公費事業で職を得ておりその範疇で「福祉業界」が形成され、業界にいる人が自分たちの仕事をことさらに「福祉の仕事」と称することで、そういうステレオタイプが形成・維持されることで、本来もっと広域な問題圏を指しているはずの「福祉(welfare)」が矮小化されるおそれはないかと思うところがあり、いや別に「福祉業界」に喧嘩を売るつもりはないのだけれど、「福祉」「福祉」と口にするそれは一体なんなのかという問いは常に持っておかないとどんどんタコツボ化しちゃうよなぁもにょもにょ…ということを、朝食のトーストもぐもぐ食べながらツマに話しておりましたが、私はそんなことを話し始めるとすぐに脳内会議が展開してしまい、身の回りのことがおろそかになり、気づいたら娘の園バスに間に合うギリギリの時間になってまた今朝も汗だくダッシュ、ということになるのだ。

あと5分10分早く出られれば走る必要もないのだが、①ムスメがのんびりモード②俺が脳内会議始めてしまう③ムスメもしくは俺の起きるのが遅い いずれかの事象が発生するとほぼアウトであり、この①②③「いずれか」が「少なくともひとつ」発生する確率はたぶん9割超えてるから無理ゲーである。

大地が動いて園が我が家に近づいてくれ(乱暴すぎる社会モデル)

午後、髪を切りに行った。伸びに伸びておりここしばらくはだいぶ鬱陶しく、また暑苦しく、かなりQoLを下げていたと思うのだが、7-8月はだいぶ「カネがねえ」モードだったのもあり、なんだかんだと予約を先延ばしにしていたのだった。バッサバッサと切ってもらい超スッキリ。床の毛量に笑った。美容師さんに「だいぶ暑かったでしょ、これで体感温度2-3度変わると思いますよ。風邪引かないように気をつけてくださいね」と言われたぐらいで、俺はこの夏2-3度余計に暑い状態で過ごしていたのかー!ってなった。いやーすっきり。

先日購入したムスメの乱視矯正用メガネは、「治療用装具」に当たるので、協会けんぽの「健康保険療養費支給制度」と自治体の「子ども医療費助成」に申請すれば38000円までは支給が受けられるとのことだ。申請用紙やら処方箋のコピーやらを取りまとめて郵送しようとして、ただ初めてなので不備があるかもしれないと不安になり、協会けんぽの自治体支部に電話をして確認することにしたのだが、窓口の職員さんのコミュニケーションがとてもいい感じで、なんかそれだけで嬉しくなっちゃった。

子どもの乱視用眼鏡を処方されて買ったので、この治療用装具の支給申請したいんですけどと話すと、窓口の職員さんからすぐに「ありがとうございます」という応答があり、またとてもいい感じの声だったので、なんかこう一瞬戸惑ってしまったのだが、考えて見れば当たり前のことというか、「健康保険」というのは、自分含めた加入者が保険料を拠出して運営する「共助」のシステムで、今回含め、何かあったときにその拠出金を原資にして補償が受けられるというものであり、平時は我々の保険料で職員さん仕事も給与も成り立っているのであろうから、まあ確かに「ありがとうございます」かぁ、と後から理解はしたのだが、そういう「筋論」どうこうではなく、単にこの職員さんのお人柄とコミュニケーションが良かったから、僕がいい気持ちになった、ということなのだろう。

書類や手続きの確認もスムーズで分かりやすく、申請から現金支給まで2,3ヶ月タイムラグがあるという説明の際も「すみません、それまでお金をお借りしちゃう形になるんですけど」という一言を添えられて、これまたすごいなぁこの方はと感心した。保険制度の筋論としては確かに加入者の我々が「貸している」のだろうけど、実際の生活感覚は、後で「お金をもらえる制度がある、ラッキー」みたいな素朴なテンションなので、こういう筋論にちゃんと則って適切・好印象なコミュニケーションをしてくれるこの職員さんは素晴らしいな、これぞ「接遇」だなと思ったのだった。