痛みながら、しかし、だからこそ「開いていく」こと ー 介助とヒーロー #2

TBSテレビの日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』を観て、「介助とヒーロー」というテーマのもと、脊髄性筋萎縮症(SMA)Ⅱ型による重度身体機能障害のある愼 允翼(しん ゆに)と、重度訪問介護制度による愼の介助者の一人鈴木 悠平(すずき ゆうへい)が対談する。今回はEp.4「奇跡の出会い」について。

以下、Podcastに公開した音声ファイルのリンクに続いて、同音源の文字起こしを最小限編集・校正したテキストを掲載する。なお、対談内で話者が作中登場人物について語る際、収録音声内では役者名を言っている場合があるが、テキストでは全て作中の「役名」で表記を統一した(福山雅治→皆実広見、大泉洋→護道心太朗、今田美桜→吾妻ゆうき)。

ゆうへい:じゃあ、『ラストマン』の4話について語りましょうか。

ゆに:まずタイトルの「奇跡の出会い」、これは誰と誰の話なんでしょう。普通に考えれば吾妻さんと皆実さんの出会いのことなんだけど、それって4話の一番最後におまけみたいに明かされる、ものの数分しか割かれないエピソードであって、4話全体のタイトルになるような話とは思えないような構造になっているんだけど、すごく重要な意味があると思うんですよ。まずそこから話せばいいのかなと。

ゆうへい:4話現在から10年前、当時高校生だった吾妻さんが、陸上をやっていたときに盗撮被害に遭って外に出られなくなってしまった。そのときにネットの取材記事で偶然、海の向こうの皆実さんー「全盲のFBI捜査官」のことを知って勇気をもらい、慣れない点字で手紙を書いた。で、その二人が時を経てなんと一緒に働くことになった。単純に受け取るならその偶然がまぁ、「奇跡」ってことなんだろうけど、んー…今回あの二人が実際に出会ったという結果は確かにすごい偶然だし、奇跡って言ってもいいと思うけど、たぶん「奇跡の出会い」というタイトル、言葉に込められたメッセージはそれだけじゃないっていうか、実際に会うか会わないかはさておき、人と人は見えないところとか、遠いところで人は繋がり、お互いにメッセージを送り合い、エンカレッジし合うことができる、そういうことなのかなって思う。

ゆに:僕はねこのタイトルとストーリー全体の流れの「不一致」に非常に興味があって。3話までと違って、4話は話のタイトルと事件の内容があんま噛み合ってない、わざと噛み合わせてないと思うのね。どういう意味か。まず簡単に事件をおさらいすると、要人暗殺の連続事件かと思ったら全然違って、痴漢グループに対する報復であったと。ところがその復讐の元になった、自分(犯人女性)の夫の冤罪事件被害っていうものが、実は全く嘘・でまかせで、この夫ー被害者ヅラしていた夫自身が、とんでもない痴漢野郎だったっていうオチ。なんの意味もないことを自分はやったという話だね。

ゆうへい:自分の夫は痴漢なんかしていないのに痴漢冤罪被害に遭って、それで思い詰めて自殺してしまったんだと。冤罪被害者の夫が自殺したのに、本当に悪いことをしている痴漢グループがのうのうと生きているのは許せない、だから自分が抹殺するんだ、というのが4話の犯人女性のストーリーでした。ところが、夫は冤罪ではなく本当に痴漢をしていて、しかも今回ターゲットとした痴漢グループの一員だったという…。

ゆに:そのね、二転三転していく事件の構造のなかに、やっぱ僕はずーっとこう言ってるんだけど、皆実さんが、障害を持っている人あるいは外国の人ならではの、「別の秩序」を持ち込んでくるところが、あの事件の後味の悪さを、なんかね、爽やかにしていく力があると思っていて。これがすごく普遍的な、障害を持っている人の価値っていうものを、あのドラマは訴えているのかなって思ったのね。

ゆうへい:事件はこうかなり、痛々しいっていうかさ…「奇跡」とはむしろちょっと真逆の悲劇の…

ゆに:その悲劇と喜劇(奇跡)の対比が、多分強調されていたんだ。だからああいう変なタイトル付けになったと思っていて、あの犯罪ー殺人のね、浅はかなところっていうのはさ…皆実さんがどこかで、吾妻さんに言ってたセリフかな。痴漢が狙われているっていう行動によって、一気に痴漢の件数が減るんだよ作品のなかで。それで、性的な被害に遭った過去のある吾妻さんが、本当に犯人を捕まえていいんだろうかって言い始めて…

ゆうへい:そのときは、護道さんだね。「だったらこの仕事向いてないんじゃないですか」って。

ゆに:護道さんか、そうだそうだ。で、その後皆実さんが、殺されかけて生き残った痴漢グループの一人を騙し討ちにして、そいつから情報を引き出すときに、我妻さんとちょっとこう、演技をするんだよね。まるでこう痴漢を軽く見て、殺人を重要視して、司法取引しているような印象を、相手に与えるためにわざと吾妻さんと揉めるっていうシーンで、そこで、なんだっけな、とにかく殺人を止めなきゃいけないんだってことを強く言うんだよね(編注:「これ以上犠牲者を出さないためです」)。

この話は最後、吾妻さんの病室での「奇跡の出会い」の話をするところまでに繋がっていくんだけども、とにかくさ、痴漢の最初の被害があって、そこから殺人が動いていく一連の悲劇性の中でさ、すごく人間関係が閉じ込めちゃれちゃってるってことに対する、皆実さんの「NO」っていうものがあると思っていて。

つまり殺人っていうのはやっぱさ、すごく追い詰められて「外側」がなくなった人間関係のなかで起こることなの。自分の夫を殺したのは、この痴漢グループなんだっていう、彼女の思い込み。人間ってさ、ちょっとシビアなこと言うけど、いくら自分が「愛してる」と思ってる旦那でも、痴漢やってないっていう最終的な保証なんかないじゃん。そんなのないんだよ。本当に信頼できるものなんか、ないの。ここをまず皆実さんはすごい冷徹に考えている。

本当に信用できる人間が誰かなんて実は定かではない。ないからこそ、人間関係を「外」に開いて、色んな人と繋がりながら、どんなに大事な人であっても、全体を俯瞰しながら人間関係をつくっていく、この姿勢が実は、殺人っていう行為と対極にあるんだよね。

その辺がすごい良くて、吾妻さんが性的な被害者であっても、痴漢含めていわゆる性犯罪をやっているような男たちに対して、もちろん怒りを持ちながらも、彼女があくまで現場で冷静でいられたのは、やっぱり皆実さんっていう、彼女の世界の人間関係の断固「外側」ね、海またいで向こう側にいる人に向かって心を向けていることによって、目の前の人間関係からちょっといったん距離を置けたっていうことだと思う。

これがね、やっぱり彼女の人生を、(作中の犯人女性のような)殺人犯でもなく、あるいは永遠の被害者でもなくて、警察官っていう…ちょっと語弊がある言い方かもしれないけど「正義」の象徴の仕事に持っていった力なんだよね。で、皆実さんとそこで出会うわけだよね。人間関係を「外」に開いていった「結果」、それがたぶん殺人と対になって描かれてるんだよ。

ゆうへい:今のを聞いて話すと、泉くんが皆実さんに「この捜査から、吾妻を外していただけないでしょうか」って頼むシーンがあって、それも対照的だよね。泉くんは、吾妻さんの過去を知ってるから、かつ好きな女性だから、ある種その気遣いっていうか「思いやり」ゆえに言うんだけど。

ゆに:裏返して言うと、典型的な人間関係の囲い込みなんだよ。

ゆうへい:そうそうそう。で、それに対して皆実さんは、「それは吾妻さん自身が決めることです」と答えるんだよね。あの…なんていうのかな、今回のドラマもね、これ決してその、痴漢とか性的な被害をはじめ、これまでの人生で人が抱いてしまった傷・痛み・トラウマや、それに対する「ケア」っていうものを別に軽んじているとか要らないって言ってることではなくて、だとしても、その上で「開いていく」っていうさ。傷ついたり落ち込んだりした人が、ヒーローと出会って勇気をもらって立ち直るみたいなストーリーを、ありがちだとか表層的だとかシンプルすぎるって批判する人もいるかもしれないけど…

ゆに:いやでもある意味「典型的な話」ではあるんだよね。

ゆうへい:うん。ただ、劇中描写を見ると決してその、そんなわかりやすく人ってさ、簡単に癒されて傷がなくなるわけじゃなくて、彼女は痛み”ながら”、しかし現場に出て、皆実さんと共に働き、危険な目にもあったけど犯人を逮捕して、で最後は「足取りが軽いです」って皆実さんの伴走してジョギングしてるわけじゃん。

※編注:『ラストマン』第4話は、皆実と吾妻が、伴走ロープ(視覚障害ランでは”きずな”とも呼ばれる)を持って一緒にジョギングするシーンから始まる。事件解決後、同じく2人がジョギングしするシーンがエピローグとして流されるのだが、そこで2人は「今日はさらに足音が軽く感じます」「ええ、軽いです」という言葉を交わしている。

ゆうへい:傷やトラウマを抱えて苦しむ人に対して、もちろんその、日々の支援の実践ではさ、本人が安心安全に心身を癒やしていくために「閉じた空間」を用意してケアすることも必要で、病院とかカウンセリングルームがそういう役割を担うわけだけど、でもやっぱり、人と人が完全に閉じてしまわないっていうことが、人が回復していくうえでも大切だと思う。

ゆに:やっぱね、人間関係を閉じないだけじゃなくて、自分の人生を閉じないっていうことだと思うんだ。諦めない。つまり、「性的被害に遭ったこと」”だけ”が君の人生ではないっていうこと。

彼女自身がさ、いうてね、あの手紙一本書くことはもちろん素晴らしいけど、そのあとさ、実際に刑事になるまで10年近くあるわけでしょ、その間ずっと努力してきたっていうこの事実は、ちょっとね、考えてみるとすごいよ。普通はやっぱできない。

ゆうへい:それはやっぱり彼女の「生きる力」で、別に皆実さんのあの取材動画をYouTubeとかで見たからって、翌日に警察官の試験受かるわけじゃないもん。その後、一歩踏み出し続けたのは、彼女の行動だよね。

あぁ…あと4話では”光と闇”が象徴としてもよく使われていたね。皆実さんが屋上で吾妻さんと話したシーンでさ、「西日の暖かさを感じます」って言って、しかもあの時AIカメラあえて外したじゃん。で、「きっと夕焼けがキレイなんでしょうね」って、見えない皆実さんが、”光”っていうその視覚的な表現を語ってたんだけど。

我妻さんには、過去に盗撮被害に遭ったときに、引きこもって出られなくなった時期、つまり彼女にとって”闇”の時間がある。皆実さんとの出会いは、彼女を外の世界へ再び誘う”光”だった。最後、事件が終わった後の病室での2人の会話でも、皆実さんが彼女にお花をプレゼントするんだけど「どうですか、このアレンジは。香りは分かるのですが 見た目が…」って聞いて、吾妻さんが「とてもキレイです」って答えてさ、あれは粋だなーと思ったね。病室の窓からもちょっと柔らかい光り差し込んでてね。

ゆに:もう一回見返して確認しなきゃだけど、吾妻さんが皆実さんに点字で手紙を書いている回想シーン、お部屋の電気消えてんだけど、俺の記憶ではね、カーテンが微妙に開いてたんだよ。あそこで、ちょっとだけでも開いてたとしたら、それはやっぱり大事なことだよね(編注:4話の映像を再確認したところ、同シーンで確かに、カーテンが少しだけ開いていた)。

開いたのか、彼女が開けたのか、それはわからないけど、とにかく「開いていた」ってことが大事で。もちろん人間、閉じ籠もっちゃうこともあるし、閉じ籠もった方がいいときもあるけど、閉じ籠もりすぎないってこと。絶対出ないとか、出たいとかではなくて、いつでも出ていけるし、いつでもひきこもれるようにすること。難しいんだけどね。でさ、こういうのがたぶん、障害持ってる人が一番得意なことで。

ゆうへい:そうだね…そこから繋がることでもあるし、ちょっと話を転がすんだけど、「介助」の話にも関わることなんだけど、冒頭ホテルでさ、護道さんと泉くんが、恋愛話っていうか茶化し合いをしてて、で、バトラーの難波さんはすげえ面白がって聞いてたシーンがあるよね。

ゆに:「難波さん、こっちの会話に全集中するのやめてもらえませんか」ってね。

ゆうへい:「何も聞いておりません」いや聞いてるじゃん、みたいな笑

あれってさ、その、なんていうのかな…たとえば介助とかさ、あるいは他の客商売って、要はコンプライアンスー職務上知り得た情報の守秘義務があって、もちろんそれは原則論として大事だし、僕を含めた介助者のベースのわきまえとしてそういうのあるんだけど、結局人間、距離が近づくとさ…たとえばユニくんに言われたことをパソコンで打ちながら、情報が目には入ってくるし、かつ、なんならユニくんからちょっとその人について話題を…

ゆに:振ってくるよね。

ゆうへい:で、僕はもちろんそれはあの、「外に出さない」という原則で過ごすんだけど、少なくとも「知り得る」じゃん。

ゆに:知り得るし、漏れ得るね。

ゆうへい:人ってそもそもさ、恋愛とか職場の人間関係とか含めて、プライベートな領域の「噂話」が好きな生き物なんだよね。一方で誰もがその、トラウマとか、障害だったり、犯罪の加害・被害歴だったり、家族のことだったり、”センシティブ”と言われるような事情や経験を抱えている。で、現代社会ではそうしたトピックについては勝手に外部の人が踏み込んで聞いたらいけません、というのが大事な社会的コードになってきていて、それはそれでもちろん大事なこと。

でもやっぱり常に人には、「知りたい」っていうのと「隠したい」っていうのがなんか同時にあって、それは一応そういうルールやコードでなんか整理しようとするけど、絶対整理しきれない。話の拍子や業務の中で漏れて知っちゃうっていうのが、現実としてある。4話のホテルでのやり取りも、すげーくだらなさそうな恋愛話なんだけど、その後の、非常な痛みを伴う痴漢の被害・加害という事件への導入というか、あえての仕掛けとして、けっこう面白いなって思ったのね。

ゆに:「あれ?脚本書いてる人、絶対俺のヘルパーさんやってたでしょ」って思っちゃうね笑

ゆうへい:笑

ゆに:障害を持っている人の「強み」がもしあるとしたら、基本的に全部ダダ漏れってことかな。それは、良いとか良くないとかじゃないんだよ。漏れるの。漏らさなきゃ生きていけないの。だって、人の助け要るんだから。それは良い悪いじゃないの、そういうものなの。その現実を、面白おかしく生きている姿っていうのを、まさに皆実さんがさ、外に出て、自分も見せた方がいいんだって、あなたに教えられたってね。

ゆうへい:そうそう、手紙をもらってから”より一層”表に出るようになりましたって言ってたね。

※編注 犯人逮捕後、病室で「10年前の手紙」について語る皆実のセリフを以下に引用

“救われたのは私の方です。
あの手紙をもらってからです。私はなるべく表舞台に出るようにしました。
全盲の捜査官、ラストマンとして、積極的にマスコミに取り上げてもらい、可能な限り目立つことにしました。
私を知った誰かが、勇気を、元気を、もらってくれるかもしれないと思ったからです。
そして日本に来て 奇跡が起きました。
(中略)
あなたは本当に私と同じ道を歩んでいたのだと知り、感動しました。
そして今、私は吾妻さんと一緒にチームを組み、事件を解決し 誰かの役に立っている。
残酷で理不尽なことばかりですが、ある日突然目の前に虹がかかることがある。
人生というものは、やはり素晴らしいものですね。
吾妻さん、あなたに会えて、本当によかったです。
ありがとうございます。”

ゆに:やっぱり障害持ってる人の哲学としてね。すごく古典的ではあるけれど、古典的と言いつつ、近年の障害者論の「医学モデルじゃなく社会モデルが大事なんだ」とか、ああいう話からだいぶ忘れられてしまった、実存主義的な世界観だと思うんだよね。

ゆうへい:やっぱり、なんていうのかな…「いや、みんながみんな”キラキラ障害者”なわけじゃない」とかさ、同じ、○○障害の「当事者」が一定数いたときに、そのうちの一人のAさんは、なんかの本人の頑張りもあったりいろんなタイミングもあったりとかで、なんかあの人はめっちゃマスコミとか取り上げられてると、で、同じ属性を持つけどそうじゃない人が、なんか「あれを全てだと思わないでほしい」とか、「自分だって」とか、なんかちょっとその…忸怩たる思いを抱く。で、それがSNSやら何やらでちょっと漏れ出るってのは、まぁよくある話じゃん。で、うーん…でもやっぱりその…なんていうのかな、結局、運命を受け入れて前に出るっていうか、「あえてそう生きる」勇気を持つというのは、それは別に他の人にも強要するとか、あるいはじゃあその人がその○○障害の「当事者」として全てを代表しているっていうことではないし。

ゆに:そう、そもそもそんなこと言ってないしね。一度も言ったことないでしょ、そんなこと。

ゆうへい:そう、言ってないんだけど、いつもなんかそのような批判がさ、なんか繰り返しいろんなところで語られるんだけど、そういうことじゃないんだよな…って。

ゆに:それさ、僕ね、何度も言ってることではあるんだけど、”忸怩たる思いを持ってる人”がでっち上げてることで、そんなこと言ってないんだよ、表に出てる人は。誰もそんなこと言ったことないし、もし言ったことある人がいるんだとしたら、それはもう論外なんだよね。

1話の題材が、社会から排除された「無敵の人」でしょ。で、2話が「狂った悪」っていうか、ほんとにもうジョジョの悪役かみたいなゴミ以下の犯罪者をどうするかという話し。で、3話がえーとなんだっけ。

ゆうへい:芸能人の不倫スキャンダル。いま不倫というものが社会的に「重い」ゆえに、殺人の方を「軽く」見積もって…っていう話だったね。

ゆに:で、4話も割りとそれに近くて、性的な犯罪と、殺人。毎回毎回、非常に重いテーマをやってるよね。

ゆうへい:あとその、被害に対する報復・復讐と、それに対する私刑、わたくし刑の方ね、それがなんかやっぱり、ともすれば、今それが時に、肯定され…そうになって、すでにいるけど…っていう…ところ。

ゆに:これね、僕、際どいところだと思うけど、いま悠平さんがギリギリのところで言ってくれたから僕も言うけど、私刑というのがおかしいのはね、僕は「刑を下すのは公の役割だから」っていう単純なことではないと思ってる。僕が私刑を否定するのは、私の暴力は別に「刑」である必要がない。というのは、別に復讐っていうのは、SNSで知らしめたり、予告文を出したり、人に知ってしてもらう必要なんか全然なくて、本当に復讐したかったらこっそりやればいいわけ。ってかやれるじゃん。

人間はいつでも、どんなことでもできる。で、それは誰が何を言ったとしても、止めようがない。ところがあの痴漢の話っていうのは、あるいは世の中にある私刑っていうのは、「自分がやってることが正しい」っていうことを人に認めてもらいたいわけ。それはおかしい。認めてもらわなくても何をしていいし、できるわけ。いいっていうのは善って言ってんじゃなくて、できるっていう意味。

ゆうへい:体を動かして人を刺すっていう、暴力というもののシンプルなあり方のことだね。

ゆに:むき出しだから、誰も止めようがないよ。脳にICチップを埋め込んで管理するような社会を健全と見なす極端な秩序主義者とかじゃない限り、それは認めざるを得ないでしょ。

で、これに対してやっぱさ、すべてに「NO」って言って、公的な「正義」の守護者として現れるのが、そういう素朴な暴力っていうものから物理的に排除され続けてきた「障害者」なんだよ。つまり皆実さんね。

そりゃ、皆実さんぐらい強ければ人殺すの容易いかもしれないけど、でもやっぱり皆実さんは目が見えないからね、確実に人を殺すっていうのは健常者に比べれば難しいんだよ。(寝たきりの)俺はもう絶対人殺せないよね。そりゃ俺も、明晰な犯罪計画があればできるかもしれないけどね。俺も、皆実さんもそうだと思うけど、それは「割に合わない」と思ってるわけ。割に合わないっていうのはどういうことかというと、そんなことやってる暇があったら人間関係を外に開いて、一歩外に飛び出せば、もっと面白い人生が待ってるってことを確実に知ってるわけね。

これがやっぱりこの作品のいいところで、もっとこれから頑張ってほしいところなんだけど、どういう事情があったとしても、人間が根本的にできる、「暴力」ってものを取り得ないっていう現実の中にある、障害を持った人が、取り得る現実の中にしかいられない健常者と、全く別の秩序の中で交流する、これはやっぱねドラマチックだよ。

ゆうへい:1話の爆弾作った犯人にさ…彼も排除された人だよね、今の社会は弱い人にとても厳しい社会で、でも必要じゃない人なんて決していなくって、とてつもなく難しいけど不可能ではないってことを言ってて、それと全く同じメッセージを今回も、皆実さんと吾妻さんの話で…

ゆに:ずっと出してる。ずっと出してるね。

ゆうへい:うん。

ゆに:ずっと出してるけど、この言葉はたぶんほとんどの人には響かないんだよ。なぜかというと、ほとんどの人はね、障害もってないもん。人はね、自分の体で体験してきたことしか、最終的に自分の行動原理と据えることができないから。だから皆実さんの言葉は虚しく響いてしまう。だけど決してそれは、誰にも響かない言葉じゃないってことは、吾妻さんや護道さんが作品世界の中で証明しているし、僕も悠平さんもこの作品を語ることを通して一つずつ学んでいる。こういう人は決して多くはないかもしれないけど、ゼロじゃなくて。…という4話でした。5話も楽しみだね。

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