22 魂が喜んだ

 つい一週間ほど前まで宮崎はまだ10月初めかのように暖かかったけれど、ここ最近めっきり冷え込んで、畑の空もすっかり冬の表情をしている。周りの田では刈り取られた稲の切り株が寒そうに顔を出している。季節外れのミニトマトが11月半ばに二株も芽吹き、様子を見守っていたけれど、霜に焼かれたのか、こげ茶色に変色して枯れていっている。植えどきを逃した秋どりズッキーニも同様で、心の中でごめんねと手を合わせた。

 それに比べて元気なのは根菜類だ。ラディッシュはさすがに盛りを過ぎたが、大根や赤大根は今まさに自分たちの季節がやってきたと、うれしそうに根を伸ばす。まだ実は小ぶりで、葉ばかり勢いがよいが、少し早めに数本抜いて、ご近所に住んでいる年の離れた友人や実家におすそ分けをした。

 その友人はわたしが延岡で開いている読書会によく来てくれる。今行っている刑務所アート展のクラウドファンディングも応援してくれたり、わたしのエッセイ集「祈り」を購入したいと申し出てくれたり、何やかやと応援してくれている。わたしは彼女にいつも感謝の念を抱いていて、だから大根が育ってきたのを見て、一番に彼女に届けたいと思った。畑を介してささやかな気持ちの交換を行うのは清々しい体験だ。

 こうした畑を通して人と作物や言葉を交わす心地よさを最近はよく感じている。この「土に呼ばれて」を1冊の本にしたことも大きい。編集者やデザイナーの友人たちに力を借りて、この本はできあがった。彼・彼女の素敵な仕事を経て実際に本を手にとったときは、実に誇らしい気持ちになった。喜びが込み上げた。そのときわたしはきっと満面の笑みを浮かべていただろう。

 その大事な宝物を携えて、先日「zine it ! 」というzine(ちょっとおしゃれな小冊子)のお祭りに参加してきた。「土に呼ばれて」と一緒に過去につくったzineを机に並べて、フライヤーなどで飾りつけをし、道ゆく人たちに声をかける。「こんにちは。よかったら見て行ってくださいね」。素通りする人もいれば、足をとめてこちらに目をやる人もいる。「どうぞ、お手にとってご覧ください」。

 自分の作品を実際に手にとって読んでくれる人が目の前にいることがうれしい。ニヤニヤしてしまいそうなのを堪えて、タイミングを図って声をかける。「延岡で畑をしてまして、そのエッセイをまとめたものです」。ぽつぽつと交わす会話がそれはそれは楽しい。魂が喜んでいるのを感じた。

 イベントが終わってWeb上にネットショップも公開した。Googleフォームで注文を受け付けはじめた。すぐに注文が入り、楽しみにしてくれる人がいることを感じてまたうれしい。遠方に住む人には心を込めた送付状をつくり、実際にお会いしてお渡しできる人とは会う約束をした。

 その中の一人に、何年も前から応援してくださっている方がいる。お会いしてゆっくりお話すると、「萌さんの文章は波長が合う」「魂が喜ぶことしかしないと心に決めていて、心からいいと思っている」とていねいに伝えてくださって心からうれしかった。生まれて初めてサインを頼まれて、「〇〇さんへ 日付 黒木萌」と書いた。文字が小さかったみたいで、「そんなに遠慮しなくていいのに」とその人は笑った。

 畑を営み、本をつくって、言葉を交わして、人と交わる。それがこんなにも喜びに満ちているとは。これを読んでくださったあなたともいつかお会いして畑のことをお話できたならうれしい。もしもあなたも畑をやっていたりはじめたりしたならば教えてもらえたら。いつだってわたしはあなたからの言葉を待っている。