夫と私のよもやま話Vol.6

子どもを産み育てることについての葛藤がある。

以前も書いたかもしれないが、私は今妊娠禁忌薬を飲んでいて、なおかつ妊娠禁忌薬を断薬、かつ妊娠できたとしても、妊娠中は私の統合失調症のための主剤や睡眠薬を飲み続けなければならない。そうでないと生活がままならなくなったり、薬をやめてしまったら、統合失調症が再発してしまう可能性がとても高いからだ。それだけは絶対に避けたい。

私たち夫婦はもうすぐ夫が37歳、私は34歳になる。こと妊娠にかけては、中々難しいお年頃だ。私のように精神障害を持っていない健常な人でも妊娠出産子育てがどれほど大変なものなのかということをSNSや友人づてに見聞きし、見聞きしたことだけは知っている。

夫婦関係がさいわいとても円満でいられるのは、子どもという存在がいないからなのかもしれないと私はずっと信じてきた。私達はふたりで生きていくのも悪くないんじゃないかな、とずっとふたりで話し合ってきた。

でも最近、友人の子どもを見ると「かわいいなぁ」と思うことが明らかに増えてきた。これは自分にとって驚きでもあった。昔は子どもが大好きで塾講師や家庭教師をしていたけれど、いざ自分が「産む側」にまわる可能性が出てきたら、子どものことがかわいいという気持ちより、怖いという気持ちの方が勝るようになってきていたからだ。

ただずっと、子どものことをすっぱりと諦めることはできず、欲しい、いや欲しくない、と私の気持ちの波がある中で夫婦生活を営んできた。

この間調子が悪かったとき、たまたま子どものことについて考えていて、自分の心身に波がある中で子どもについて向き合おうとしているのだから、不安なときに感じる自分の声にも積極的に耳を傾けてみようと思って言語化してみたら、ひとつ腑に落ちたことがあった。

精神障害というハンデを持っているからということが大きく作用しているのは間違いないが、それ以外にも色々なところで「(育児に関して)自分にはできない」「自分では乗り越えられない」という強い強い呪いを私は自分自身にかけているということに気がついたのだ。それは先輩ママたちの阿鼻叫喚をTwitterなどの匿名性の高いメディアで読んできたからということ、乳児期には3時間おきの授乳をしなければならないけれど、それに耐えられる身体が私達夫婦にあるかの不安など、私たち夫婦の個人的な問題から発せられること、そのふたつが主な原因として考えられた。

けれど、呪いを直視してみて、「でも出産・子育てってそんなマイナスなことばかりじゃないよね」ということを同時に考えた。新しく家族が増えるということ。それもとても愛しているひとと私の遺伝子が両方のっている我が子の存在。それってとてもありきたりな言葉になるかもしれないけれど、かけがえのない存在じゃないか。そんな当たり前のことを、「子ども産むの怖い」「子育て自信ない」という考えに押しつぶされて、すっかり忘れていた。

友人に子どものことを色々相談していたら、AMH診断というのを受けてみたらどうですか、と言われた。自分の卵子の状態を知って、妊娠可能性について少しでも情報を得る、一つの選択肢だ。減薬をやみくもにやっていたけれど、もし卵巣の状態がよくなかったら妊娠が難しい状況になり得るだろう。その結果いかんで、すっぱりと諦めもつくかもしれない。ぐずぐず悩んでいないで、一つの指標を持つことは賢明かもしれない。そう思った。

早速夫にそのことを話して、AMH検査を含むブライダルチェック(妊娠を考えている人が子宮や卵巣に問題を抱えていないかどうか一式チェックするもの)をしたいという話をしたら、二つ返事でオーケーしてくれた。

それからその後、「私は今まで妊娠出産育児のしんどい側面にしか目がいかなかったと思う。これからふたりで、子どもができたらどんなに楽しいことが待っているか想像して話をしてみない?」と夫にもちかけた。すると「もちろんいいよ、どんどんやろう」と夫も賛成してくれた。

それからふたりで赤ちゃん動画をYoutubeで再生して「かわいいねぇ」と話したり、子どもをどんな風に育てたいか話し合ったり、子どもの名前を考えたりした。とてもとても楽しい時間だった。私としては「この名前がいいね、間違いない」と思える候補まで出てきて、夫もその名前を気に入ってくれて、その名前を何度も呼び、うん、悪くないね、と言ってくれた。

そんなことがあって、ますます、体調を安定させて減薬を頑張り断薬したい、スタートラインに立ちたいという気持ちになった。

夫はいつもこう言ってくれる。「さとみんの身体が一番大事だし、おれはさとみんと一緒にいるだけで十分満たされているから、子どもはいてもいなくてもどちらでもいいよ。」私はこの言葉にあらゆる意味でいつもとても救われている。ふたりで一生生きていくのも悪くはないと思っている。

けれど、自分も、我が子を抱いてみたい。我が子と手をつないで道を歩いてみたい。我が子の誕生日を夫婦で祝ってみたい。どんなに辛い思いをしても、そういう世界線で生きてみたい。最近の私は、そう思うことも、あるのだった。