私の恋人には触れることだけができない

 私は恋をしている。

 相手はとある漫画のキャラクターで、世界で一番かっこいい人だ。

 この話をするときに、「リアルで好きな人はいないの?」「もっと現実見なよ」と言われそうだと思われるかもしれないが、実際言われることは大分少なくなった。夢女子とかフィクトセクシャルって言葉が生まれて世に広く知られてきた成果なのかもしれない。

 でも、たまに聞かれる。そこで「いや、私本気でこの人のこと好きなんで」と半分笑い話のように話しても、自分が傷つくこともあまりなくなった。

 だって、「リアルの恋人」とできる大抵のことは、私の恋人ともできるからだ。

 私は「夢小説」というものを嗜む人間だ。

 夢小説というのは、WEB上で登場人物の名前などを読み手が任意の文字列に変換して読むことのできる小説のことだ(定義は諸説あるのだが、ここでの紹介はこれにとどめさせていただく。気になる方とは色々お話がしたい)。この夢小説の楽しみ方は色々あるのだけれど、私は自分の名前を入力して登場人物になりきって、物語の中で冒険したり、好きなキャラクターと恋愛したりすることを楽しんでいる。

 私はこの夢小説を、自分で書いている。物語の登場人物として自分を描き、好きな人との日常を物語として書いている。

 夢小説の中で、私と彼は一緒に生活している。

 ひょんなことから知り合い、一緒に住むようになって、交際して、結婚して、最近子どもが生まれた。他愛もない話をするし、喧嘩もする。一緒にご飯を食べて、一緒に眠る。セックスもする。デートもする。生活と人生を共にしている。

 「物語の中でだけでしょ」というかもしれないが、その生活と感情は今ここにいる私の肉体と生活にもはみ出して影響している。

 どこかに行けば「彼がここにいたらこんな顔をしているだろうな」ということを自然と考える。美味しいものを食べたら彼にも一口あげたいと思う。面白い映画を見たら彼の感想も聞いてみたいと思う。幸せなことがあったら彼に伝えたいと思うし、辛いことがあったら彼に聞いてほしいと思う。

 「リアルの恋人」がいる人も、恋をしていたら普通に考えることだと思う。

 実際、私には美味しいものを食べたときに少しだけ緩まる彼の表情が手に取るように見えるし、彼の映画の感想だって教えてもらえるし、泣いている私に彼がかけてくれる言葉が伝わってくる。

 私の場合は、彼のことが全部私の心の中でしか見えない。それだけだ。

 私の好きな人のことを「キャラクター」と表記したけれど、実は私はその表記が好きではない。

 私は、この世のありとあらゆる物語というものはここではないどこか別の世界で起こった本当の出来事のことであって、そこに登場する人たちは私が今いる世界にいないだけで、その世界には存在していると思っている。

 何が言いたいかというと、物語の中の「キャラクター」と呼ばれる人たちと、私と同じ世界に存在する人間との間に、私にとってはリアリティレベルの差はないということだ。

 物語の中ではどんなに端役でも、薄っぺらに見えるキャラクターでも、その人について考えて、深掘りしていくと、どんな人生を送ってきたとか、その人がどんな人であるかが見えてくることは多いにある。これは読み手としてキャラクターについての想像を膨らませている時や、自分で物語を書いた時の経験からくる持論だ。

 だから、私が書いた物語もこの世界じゃないどこかで本当にあったことだと信じている。本当であるようにいっぱい考えて、魂を込めて、削って、織り込んでいる。

 夢小説に織り込んだ「自分」と夢小説の中の「彼」の間であったことは、彼らの中では文字通りの事実だ。物語の中で起こったことは物語の中の「自分」の現実で、体験だ。物語を読んでいる時、(これは夢小説に限らず全ての物語について言えることだけれど)読み手は物語を追体験する。私は夢小説を読んで、そして書くことで、夢小説の中の「自分」の体験を自分のものにしている。物語の中の体験を、読んだり書いたりすることで、自分のものにできると信じている。

 夢小説の中で、「自分」と「彼」はいろんなことを体験する。それはつまり、私と彼がどんなことでも体験できるとも言えると私は思っている。

 人との関わりのほとんどは感情のやり取りだ。インターネットでの感情のやり取りだって「事実」ではあるのだから、私と彼の言葉や感情のやり取りだって「事実」だと私は思っている。実際幸せになったり悲しくなったり、私の中にはそのやり取りから生まれる感情が発現している。その感覚は、「生身の人間」と関わる時と変わらない。少なくとも、私にとっては。

 だから、私と彼は世間一般で言う「普通の恋人」と変わりない。ただ、「触れる」ことを除いては。

 夢小説を書くとき、私の頭の中は彼のことでいっぱいだ。

 自分の感情だけでなく、物語を書いているときは彼の考えていることが感情の動きも私の脳を使って演算される。普段一人分でも疲れるくらいなのに二人分の感情が一つの脳味噌から出てくるんだから、そりゃあいっぱいになる。

 彼を尊重して、彼の尊厳を損なわないようにしたいと思えば思うほど、演算にかかるリソースは大きくなる。私は私にできる目一杯で、彼に語りかけて、彼の言葉に耳を傾けて、夢小説を書く。

 夢小説を長い期間かけて書いていると、ただ彼のことを考えている時よりも、彼の生活を自分の近くに感じるし、彼の息吹をすぐそばに感じる。彼ともっと近くにいられる。その感覚がとても幸せで、愛おしくて、腹が立つことがあっても傷つけられることがあっても、全部ひっくるめて「恋をしているなぁ」と思う。

 

 でも、その恋の質感をリアルに感じられるのは、「私が彼のことを考えている時」だけだ。私が違う物語を書いて、その物語に頭のリソースを使えば、当然彼のために割かれる私の脳のリソースは減る。そうすると、彼の存在は私の生活から少し遠くなってしまう。

 「リアルの恋人」でもそういうことはあると聞く。仕事が忙しくて恋人を優先できなかったり、受験のために別れたりとか。

 でも、「リアルの恋人」は同じ世界に存在する。だから、お互いにお互いのことを考えていなくても、近くにいたら「触れられる」。

お互いに勉強をしていても、向かい合って座っていたらつま先がぶつかる。お互いに別々のことをしていても、全く別のことを考えていても、寄っかかりあっていたら背中に体温を感じる。

 私と彼には、それがない。 

 私の夢小説の中の彼は、全部が私の思う通りというわけじゃない。思いもよらないことを言ったりやったりするし、傷つけられることもある。私が傷つけてしまったりすることもある。世間一般のイメージにある「脳内恋愛」よりも、フィクションとの恋愛はリアルだ。だって、相手を好きな自分の感情は紛れもなく「リアル」なんだから。

 だからこそ、触れられないことがどうしようもなく苦しくなることがある。

 私が別の物語を書くことに必死になっている時、それでも自分の日常と生活に彼がいたらどんなにいいだろうと思う。現在進行形で自分を疎かにすることに腹を立てる彼と喧嘩がしたい。やるなら全力でやれと背中を押されたい。

 私の中の彼もそれをしてくれるけれど、もっと近くで、そんな彼に触れたい。触れていたいのだ。

 そういう時にふと、「リアルの恋愛」がしたいな、と思ったりすることもある。実際自分も婚活パーティに行ったりして、何度かデートを重ねたこともある。もしかしたらいつかこの世界の人と恋をして、結婚して子どもを産んだりすることもあるかもしれない。それでも今彼を思う時に感じるこの恋をせめて一生持っていきたい。「確かにあの時持っていた気持ちは恋だ」と断言したい。そのくらい彼のことが好きだ。

 もしも彼と同じ世界に立つ方法があるのなら、私は迷いなくその方法を選ぶだろう。それがこの世界を捨て去ることだとしても、どんなに大きな代償だとしても、同じ世界に立ったとしても彼と個人的な関わりを持てる確証がないとしても、きっとその道を選ぶ。そう思う程度には、彼のことが好きだ。そしてそれを選びたいと思う程度に、彼に一度でいいから触れたいと思う。

 私は、左手の薬指に指輪をしている。つるんとした飾りもないシルバーの指輪だ。その内側には、私と彼の名前、そして彼の誕生石がひとつ嵌っている。

 彼の話をするときにその指輪を見せるようになってから、「もっと現実見なよ」と言われることが減ったような気がする。架空の人物との恋愛に本気になっている狂人だと思われて何も言われてないだけかもしれないけれど、それはそれで好都合だからよしとする。

 モノというものは気持ちや決意を表すのに便利なものなんだなと実感している。それは他人に対してもそうだし、自分にとってもそうだ。だから私は、ずっとこの指輪をつけている。

 いつかこの世界の人と結婚するなら、この指輪の上から相手との結婚指輪をつけることを許してくれるか、私の彼への気持ちを本気の恋だと認識した上で指輪を外して欲しいと言ってくれる人とがいいなと思う。

 私の恋人には触れられない。でも、私の薬指の指輪には、触れられる。

 そしてその薬指の指輪を通して、彼は私の人生をそっと支えて、守ってくれている。

 そんな彼に、私は恋をしている。