今週のほにゃらら 2022/07/04-07/10

閒(あわい)の住人が、今週観た/聴いた/読んだ/食べたものなどを、本人の紹介コメント付きでいくつか選出してご紹介します。

■行ったところ:近所のおまつり

商店街が主催する近所のお祭りに行った。
普段人かいなく閑散としている小さな商店街に溢れんばかりの人が集まっていた。
友人と2人、ひと通り出店をみて、カレー屋のラッシーを買った。
それからひしめき合う人混みの中で金魚掬いをみつけ、友人が挑戦。結果4匹も捕まえた。
金魚を連れ帰らない場合はおもちゃが貰えて、モルカーに限りなく近い何かのおもちゃをもらって帰った。

ゆーさんより

■観たもの:七夕、織姫と彦星、夏の星座

夕食後、ベランダから見上げても空は曇っていて、星は一つも見えなかった。閒の仲間や誰か知り合いたちからは、七夕の織姫と彦星をもう見たと聞いていたから、「あぁよかった、年に一度の逢瀬は見届けられたんだなぁ、別に俺が見なくたって、ここが曇っていたって、誰かが何処かで見届けたなら、まぁ俺はいいかな」そう諦めた。
でも、なんというか。誰かに見届けられたとか、今年は二人が逢えたらしいとか、そういう話じゃなくて。"それを俺が観たい"、"ここが曇っているのなら、雲の切れ間の向こうまで俺が行けばいい"と急に気が付く。閒でそんな話をしていたら、突然、本当にその気になる。キツイ坂道を久しぶりによいしょよいしょと登る。裏山みたいな公園の頂上、誰もいない、もうすぐ七夕の今日も終わる、間に合った、雲が切れて、織姫と彦星、夏の大三角形が、頭上に、見えている。
しばらく寝転がって眺めていると目が慣れる、星の光度に、星座の形に。はくちょう座、こと座、わし座。北斗七星、おおぐま座。あれはさそり座だろうか。これは木星だろうか。
雲が手前を素早く流れるから、星は本当に遠くとおくにあった。

しょーいちさんより

■読んだもの:中山茂『西洋占星術史』

中山茂『西洋占星術史』読了。斜め読み積読だったこれ、あわい内の自主発生読書会を機会に真面目に読みました。そして著者を故人としてではなく、大学教授だった文責者として記載内容を検討させて頂きました。要は、勝手に惚れ込んだり、文句言ったりしました。
今、中山茂氏の本体は雲の上か墓の下か無か、どこかの赤ちゃんしてるかは知らないけれど、「ちがう、ワシ言いたいんそういうことじゃない」って言っているかもしれません。
中山氏もなかなか言いたい放題で、以下、わたしの気に入った部分を引用します。

アルベルトゥス・マグヌスは、占星術が、キリスト教徒のいう人間の自由意志や行動の自由と矛盾するものではないと論じた。太陽の影響は誰もがうけているが、傘をさせば光をさえぎれるではないか。つまり、天体の影響はたしかにあるが、それを防いだり、調節したりする装置を人間はもっているというのである。
こうしたスコラ学者の論争の武器は論理であって、科学的観測や実験ではない。論議のための論議である。…彼らは、占星術賛成の立場でも反対の立場でも、どちらでも議論できる論争のプロなのである。

異常な暑さの初夏、本を読んでみんなで議論や雑談をして、まるで集中講義みたいないい思い出が出来ました。あとこの本を薦めてくれたわたしの占星術の先生は、薦めたことを覚えていませんでした。
人にものを教えるって、その位のユルさが丁度良いのかもしれないです。

sayakameさんより