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PLAYBACK NY in TOKYO

August 7th, 2015 Friday

At another Blue Note in Tokyo. Same jazz band, same opening song I listened in New York. What a coincidence, a friend invited me to his live last night. Bitter flavor of lager beer reminded my memory. About 1 and a half year has passed after I came back to Tokyo. Is it long? Still short? Doesn’t matter. I just enjoyed this wonderful night.

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His name is Takeshi Ohbayashi, a jazz pianist in NY. He’s originally born and grown up in Hiroshima, Japan. When I was in NY. a friend who was a friend with Takeshi in Hiroshima came to NY for a short travel, introduced him to me. We went to Blue Note NY, and listened his play. He was in TAKUYA KURODA QUINTET, a great NY Jazz band.

This time, another friend reconnected us. She’s working in a company that produces music instruments, and she’s in charge of producing and selling shinthesizer. One day she and Takeshi contacted, cos Takeshi was interested in her shinthesizer. She checked his Facebook and found that he and I were mutual friends. Soon we contacted together, and Takeshi invited us to the concert last night. What a small world!

Last night’s concert was, “JUJU JAZZ LIVE 2015 with TAKUYA KURODA QUITET from NY.” JUJU is a famous Japanese singer song writer, who I like very much. And, yes, TAKUYA KURODA QUINTET was the band Takeshi played and I listened in NY. The concert was really really nice. I forgot the time, and swung my body and heart.

After the concert, three of us met again, enjoyed whiskey for a while, and said good bye, promising to meet again NY, Tokyo, or somewhere in the world. Music must connect us!

友遠方より来る。それも2人。再開の地はBlue Note Tokyo。一人は演奏者として、もう一人はゲストとして。あの日NYで彼の演奏を聴いた時と同じ曲、場所は違えど同じBlue Note。ラガーの苦味が記憶を蘇らせる。

演奏者の友達は、Takeshi Ohbayashiという。広島出身のジャズピアニストで、NYを拠点に演奏しつつ、今回のようにツアーで世界各地を回ることもしばしば。僕がNYに滞在していた頃、偶然こちらに遊びに来た、彼と広島時代からの幼なじみである友人の紹介で出会った。

帰国してから1年半ほど経った今日この頃。これまた別の友人からの連絡が。大学時代の同級生・同居人で、いまは某社でシンセサイザーの企画・販売をしている。たけちゃんと仕事でやり取りすることがあったらしく、Facebookで共通の友人を調べたら僕がいてびっくり、とのこと。そのまま3人で連絡を取って、東京で会おうということに。タイミングが合い、たけちゃんの好意もあって、最終夜のライブへ招待してもらった。

この日のライブは”JUJU JAZZ LIVE 2015 with TAKUYA KURODA QUINTET from NY”。この黒田さんのクインテットが、NYでたけちゃんのピアノをはじめて聴いたバンドである。たけちゃんと黒田さんとJUJUの3人は、NYで出会った縁らしい。

ライブはとても楽しく、あっという間だった。1曲目がNYでのライブの1曲目と同じ曲で。そうだと思い出すのに一瞬時間がかかって、気づいた時の感動と言ったら!2曲目からJUJUが登場、明らかに体験談入ってるだろっていう、濃い〜恋の物語をMCでしゃべりつつの、恋にまつわるJAZZの名曲の数々を披露。なんか乙女とスナックのママを足して2で割ったというか、行ったり来たりしてるようなキャラでかわいらしかったけど(笑)さすがに歌も演奏も素晴らしく、「Take 5」なんか最高にオシャレでした。アンコールはJUJUのオリジナルナンバーである「PLAYBACK」をラテン調アレンジで。Blue Noteなのに会場ほぼ総立ちで手拍子とコーラス。

終わってから終電間際までたけちゃんともう一人の友人と3人で語らう。楽屋プレゼントの赤福を持ってきてくれて、ウイスキーと一緒に食べた。Blue Noteで赤福食べる人なんて僕達がはじめてじゃないだろうか。

今度はNYか浜松か東京だね、なんて言いながら解散。それぞれ住む場所は違うのだけど、プロの演奏者と、楽器を売る人と、ペーペーの素人と、「音楽が好き」というシンプルな1点で結ばれているよ。

Different scenery / ふたり、祝い、それからおうち

March 21st, Friday 2014

To attend my close friend’s wedding, I went to Yokohama, and on the way I looked over buildings in Tokyo from the train window. When I go through Nakameguro and Jiyuugaoka stations, I remembered that I had explained to those Japanese friends who traveled to NYC while I lived in Park Slope, Brooklyn, that Park Slope in NYC corresponds to or Jiyuugaoka or Nakameguro in Tokyo since they shared similar characteristics (quiet neighborhood, good café and restaurant, relatively higher-income residents). But, I’ve realized they are different cities. Though similar functions in the two metropolitan cities, everything is different: building, street, train, people, color in the sky… and then I again realized, I had left NYC and came back to Tokyo. Of course I don’t miss the past days. I don’t miss NYC. I don’t regret to come back to Japan. It’s not a question of which city I like better. In my life I’ve never ‘chosen’ places to live and work, I had just moved, stayed and enjoyed each time, and then moved again when I got the time. Well… so this description is nothing to do with my emotion. I just understand I’m back now, and I’ve found how I loved NYC.

「ブルックリンのパークスロープって、まぁ東京で例えれば中目黒とか自由が丘みたいなエリアでさ」なんて日本から遊びに来た友人に説明していたところの中目黒が、だけどやっぱり似ても似つかない街並みだということを見せつけられ、僕は電車に揺られそのまま横浜へ。午後からは友人カップルの結婚式、披露宴、二次会。かれこれもう7年ぐらいの付き合いになるのか、ふたりとは。

別に結婚でなくとも良いのだけど、2人の人間がパートナー関係にあって、そのどちらか一方とだけ友人なのは誰でも普通にあることだけど、カップルの両方とも知っていて、仲良しだというのはそんなに多くない。今回の2人はその数少ない友人カップルの1つで、なおかつ、2人のためなら自分にできることはなんでもしたいと思えるぐらい慕っていて大好きな、もっと数少ない2人組の1つである。

とても良い式だったのさ。

2人が添い遂げて、婚姻関係、家族関係に入るというのはとてもすごいことで、久しくそれがうまくいかないでいる僕には奇跡のように思える。とかいって、自分に引きつけて比べて考えるとどんどん自分のことばかり考えだしてしまうのは僕の悪いくせで、そうなるともう相手の話じゃなくなってしまうのだけど、今回は上述の通り数少ない僕の大好きな2人、2人として慕っている友人達の祝いの席なものだから、そんな小賢しいことを考える余地もないぐらい素直に嬉しく楽しく幸せな気持ちになった。

帰国が間に合って本当に良かった。

お祝いの品は何にしようか。

ところで2人が住んでいて、僕もしょっちゅう遊びに行き、しまいには昨年の夏、仕事での一時帰国中は居候させてもらっていた阿佐ヶ谷のシェアハウスがある。で、2人が結婚に伴い退去したので、僕が入居した。お客さんと居候を経て本住人である。このシェアハウスも、かれこれ6,7年続いているんじゃなかろうか。披露宴の席には、歴代住人とオーナーさん家族が集まっており、なんというかこう、会社や高校、大学、ご家族など他の枠でご出席の方々と並ぶぐらいの一大勢力をなしており、ここまでくると一族郎党と言って良いぐらいである。

2人が出て行って僕がちょこんと入ったわけだ。歴代住人とにもともと付き合いがあった人も多いけれど、なんだか今日は今までとちょっと違う心持ちになった。相変わらず未来は不透明の浮浪者気質で、阿佐ヶ谷にもいつまで住むか分からない。けれど、ともかくも、僕はこの町の市民として、この家の一員として、暮らすのだ。NYから帰ってきて、ここが次のホームなのだ。

そういえば僕は今まで住む場所や働く場所を、複数の選択肢の中から自ら「選んだ」ということがない。来たご縁を受け止めて、の繰り返しである(その意味では自ら意思決定しているけれど)。そうしたもんかな、とも思うが。

風は吹いたり止んだりする。

Any day, any time

Somewhere within the last days

“You’ve not been here long time.”
At Cafe Martin, beginning of March, He said to me.
“I’ve been crazy busy these days. I’ll leave NY next Monday.”
“Back to home?”
“Yes, Japan.”
“How do you like NYC?”
“I love it, I really enjoyed. I also like here.”
He never smiles as always, and pass me a cup of latte.

Yes, actually, I had been crazy busy during the last a few weeks of February and March before I went back to Japan. I had already finished my MPH course in December last year, but had stayed for 3 month more in NYC still. Working remotely for a research project on home care in Europe, I dedicated myself for the two events in early March to spread stories of my loving people in Tohoku. The first one was on 1st and 2nd March at J-LABO Brooklyn by J-COLLABO, “Kaleidoscoping Tohoku – 3 years after the disaster in 2011 –”. Second one was a symposium by Consortium for Japan Relief (CJR) “”

Cafe to cafe, meeting friend to friend, filled with love and caffein (and beer and wine at night).

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Before opening the CJR symposium. After 3 years since the Tohoku disaster, now I have more and more precious friends working together for Tohoku, across generation, language, nationality, ethnicity, place, and profession. I didn’t expect that when I came to NY in Fall 2012. I was empowered and raised up by NYC and you, friends here.

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The last jazz at subway station before my flight.

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My friends held a farewell party at my apartment for me. Much of love, food, drink and live painting. Thanks.

At Cafe Martin, on 10th March, in the morning.
“What time is your flight today?”
He asked me, without smile, as always.
“1 pm from JFK”
I answered, though I didn’t expect he remembered the exact day of my flight, and even asked me the time.
“Thank you so much.”
I received a cup of latte and said.
“See you next time.”
He replied.

「なんだぁ、帰っちゃうんだ。悠平くんそのままNYいるもんだと思ってた」
「いやぁ、次の仕事が日本であって」
「NY離れるの寂しいんじゃないの?」
「や、大丈夫っす、またすぐ帰ってくるんで!」
「お、言ったなー」

この街はいつでも誰でも受け入れてくれるから、だからいいんだ。

Ice vs. salt and shovel / 歴史へのまなざし

February 5th Wednesday, 2014

It got a little warmer, snow melted half, therefore streets are terribly tough to walk with dirty melted water at neighborhood. I enjoyed a cup of morning latter at Cafe Martin, read articles for a while, and then went back to home to do snow shoveling. This time’s harder than ever. Despite half melt snow, surface of the street was covered with hard ice. A snow plough I usually use never worked. So I bought bags of salt for melting.

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Sprinkled the road with the salt, and waited. But it rarely helped, the ice was so strong!

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A man working at a neighbor design studio helped me with stronger steel-made shovels. We used them and attacked the ice.

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Well, we’ve done well, now the road is safe. But… soon it began raining. I guessed it would be iced again during the night. Was my work in vain? Better than nothing, hopefully.

というわけで雪かき、というか削氷作業をしたのだけど、作業中に雨が降り出して、せっかく綺麗で安全になった路上にはまたポツポツ水が溜まり、今夜の気温如何によっては水は夜更け過ぎに氷へと変わることが予想だれ、全部とは言わないまでも路面の一部はツルツルに凍ってしまうのじゃないかという話で、まったくもって山下達郎どころじゃないよという心境であります。

誰だっけか、北海道に住む人がしていたツイートを思い出した。雪国に住むと、「やってもムダな抗いだけどやらないともっと酷くなること」の重要性を雪かきを通して学ぶことができるとかなんとか、そういうの。ここは雪国というほどではないけれど、まったく同感である。Better than nothing, hopefully. 世の中の仕事の多くはそういうものなんじゃないか、と思う。若いとイノベーションだのインパクトだの息巻くけど、雪かき的、あるいは沈みゆくボートから水をかき出す作業的なものってどうしても必要で、それが辛うじて社会を支えていたりもするのだろう。

帰国日は3/10に決めてチケットも取ったから、その日までの家賃をまとめて引き出したら、ドル口座の残金が200ドルぐらいになって、ちょっと笑えた。まぁ節制すればギリギリかなというのと、日本の円口座で入金される仕事をここ数ヶ月はいただいているから、そこでがんばれって日本のクレカ払いすれば大半問題ないのだけど、3月は3月で帰省やら引っ越しやらで出費がかさむし、4月が次の会社の入社月なので4月〜5月末までは3月までの仕事の収入でなんとか乗り切らなきゃいけないし、これはなかなか綱渡りでもあって、飛行機チケットや引っ越し荷物の発送など、大きな出費の引き落とし日を、クレカの決済タイミングによって微妙にずらすという芸当が求められる。ということで、大学院も終わって自由の身、NY満喫して帰る、というわけにもいかず、シコシコとデスクワークをしながら、合間にあまりカネのかからない遊び(学生証使って美術館行くとか、散歩とか)をして、3月には最後の仕上げとして東北関連のイベントをして、そんで帰国、ということになりそうです。デトロイトとか、ニューオリンズとか、サンフランシスコとか、願わくばショートトリップしたいなとか思っていたけどとてもとても。まぁ仕方ない。

夜は3月の打ち合わせも兼ねて食事をした。こちらでの暮らしが長い人は、やはり経験的に、色々なリスク想定が僕よりはるかに広く及んでいて、勉強になる。特に社会的イシューになると、色んな視点、価値観の人が、色々なことをおっしゃるから、全方位気を配って準備していかなければならない。がんばろう。うん。

打ち合わせをしながら、その人の生きてきた歴史に思いを馳せて、ちょっとひそかに感動したりもしていた。勝手に。今日みたいに、年長の方、自分より長く生きている方とお話するとよくある。いや、歳下や同年代でも勿論あるのだけど。こういう時にrespectという言葉がピッタリなのだと思う。

これまた雪かきのところでふれた話に戻るけど、若いとどうしても「今」に思考と目線が集中しがちで、そして若いということは確かに新しいものが見えているということもあるから、役割としてそれでも良いのだろうけど、やはり歴史へのまなざしが大切なのじゃなかろうかといつも思う。若い世代(僕もその中に入るのだろうけど)からしたら古臭く非効率でナンセンスに見えることは世の中に少なからずあるのだけれど、そうなった、そうある理由も必ずあって。その歴史を全体として見つめることができれば、少しは傲慢さが抑えられるのではないかなと思う。

歳が離れれば世代論、同世代間ではリア充・出世競争、所属が違えばエイリアン。とかく世間は騒がしい。世の中そうしたものさというペシミズムと、そんなものほんとはすり抜けられるはずなのにという諦めの悪さがある。現在だけを切り取れば価値観は否めない。惚れもすれば嫌悪もするだろう。だけど、その人や自分の中に刻まれ折り重なった、個人史・社会史・人類史への眼差しを持つことができれば、どうだろう。何かを悪く言うのは、とても難しいことではないだろうか。

「そう生きるしかなかった」結果の、たとえば木綿のハンカチーフを、どう掴むことができるかな。やさしくそっと受け取れるかな。

Meet with Chagall / 現在から見た未来と未来からみた現在

February 2nd Sunday, 2014

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After lining for almost one hour, I met with Chagall at the Jewish Museum on the last day of the Exhibition “Chagall Love, War and Exile.” The exhibition mainly focused on the era of WWII during which Chagall’s works highlighted his sorrow, anger and anxiety against the war and persecution on Jews (that also revoked his identity as Jewish). I really loved his early fantastic and beautiful works with silent night blue, but didn’t know well about the works of the era on the exhibition. These were, though still beautiful, astonishing and vivid expressions.I stopped and only kept standing by one of the works “Study for the Revolution.”

夜はブルックリンで友人と久しぶりに会って彼の彼女と、ちょうど来ていた日本の後輩と夕食を食べた。ピタが美味しい中東料理の店。今日はずいぶん暖かいけどまた明日は雪が降るらしい。参った。

その後輩は、大学4年生で内定者で最後の春休みで卒業旅行中である。ニューヨークで暮らしたり留学したいとのことで、仕事のことや暮らしのことを色々質問してくれた。正直な子で、それがとても良いことだと思うけど、26,7でまたヒヨッコの俺らが、ただNYにいるというだけのことでもって期待値を上げてもらっても、キラキラした将来を見ている22歳の彼女に何を言ったものかなというのは少し困った。困った、といってもキレイ事でごまかしたり遠慮する間柄でもないので、ただ思うこと、日々のことを話した。地味に。

帰ってFacebookを開いたら友人がハフポストの「仕事が残ってても休みます」経済大国ドイツの人の働きかた」を紹介していて、その際のコメントがバランスも取れていて自分の実感もこもっていて良いなぁと思い、少しチャットした。そのまま最近の「働き方論」の過剰さと、それぞれが感じていることをしゃべった。しゃべったというのはチャットね。FBの。当該記事自体は別にどっちでも良いのだけど、クオリティオブライフやらワークライフバランスやらの最適値が仮にあるとしても、働く本人のキャパや価値観って、自己認識も他者評価も変動的かつ不可知かつ個人差あるから、「働き方」「生き方」系の記事・コンテンツをいくら読んでも分かるもんでもないし、それゆえネタ配給は止むことがないなぁというのが思うところだ。

で、それで、夕食中に彼女にも言ったことなのだけど、キャリアと、それに付随する収入や社会的評価、できることって必ずしも単線的に伸びていくものではないから(たぶん)、芽が出ない時期もあるのだけど、ひとまずの仮説を元に、時には更新し時には捨て、日々を地道に重ね続けるしかないのだという話。現在から見た未来と未来からみた現在は違う景色だから。

In society / とどまる

Sometimes when I’m writing, I suddenly feel myself crazy. My thoughts sound abnormal, far from standard in society. Today was such a day. Almost became embarrassed or depressed. Safely I met with friends in the evening. A duck noodle I ate at a Thai food restaurant with them was delicious. While I was talking with them, or eating it, I realized again each people in the world, though having lots of sufferings and challenges for each one’s life, still manage to live a day, and keep going on. This simple fact saves me, encourages me, and remains me in society.

文章を書いてるとだんだん俺頭おかしいんじゃないかという感じになって社会生活に差し障りが出る。なんでまたインターネットに向かって言葉を投げているのだと、自分が狂人なんじゃないかという気がしてくる。生きるのが恥ずかしくなる。書いている文章も、世の中の皆様に害悪をまき散らしているに過ぎないような気がしてくる。こういうのは定期的に来る。しかし、セーフだ。夕方、友人と会う。近況を聞く。仕事、学業、子育て…今日もみんなはそれぞれ踏ん張って、どうにかこうにか生きている。晩飯にタイ料理やで食ったDuck Noodleが旨い。ちょうどまた調べ物の仕事が来た。忙しくできる。それらの事実に、社会との接点に助けられる。ふみとどまる。

Life goes on as such

January 16th 2014, Thursday

I still rarely do small talks with a silent master at a cafe near my house. I just order and he serves coffee without smile. But gradually he remembers my preference, last day he asked me “Latte?” before I order, and today he said “see you soon” when I leave. Life goes on as such, with subtle changes.
 
 
In the evening, I met with CJR members and talked about our symposium in March. Last month, still we couldn’t figure out what we will do and who we will invite for the third year anniversary after the northern east disaster in Japan, but these two weeks we had progresses. Soon we’ll finalize guests and venue and publish ads.
 
 
At night, went to an event by RICOH, “Beauty Beyond Boundaries,” which highlights RICOH’s new product “THETA,” spherical camera.
 

近所の小さなカフェのダンディなマスターは実に寡黙で、僕も未だ注文時ほとんど世間話などしないのだけど、通うなかで顔を覚えられ好みを覚えられ、先日は注文するより先に「ラテか?」と聞かれ、今日は帰り際に「また来いよ」と言われ、そういう風に日々は続いている。

「正しくお金を貰う」「正しくお金を払う」ということをよく考える。まっとうな価値を提供できているか、あるいは貰ったものに対する敬意をまっとうな額で示すことができているか。所属や居住地が流動的で、働き方も文化も関係性も様々だから、自分なりの物差しを常に意識して持っておく必要がある。儲けとか割に合うとかばっかり気にしてもよろしくないし、かといって自分だけが極端に疲弊するような使われ方をするのも、つらい。このバランスは難しい。自分の場合は留学関係でけっこうな額のお金を借りているということもあるから、あと何年間でいくら、みたいなのも意識しなきゃいけないのだけど、それと個別の仕事でバランスするかは別の話。早く借金を返したいというのは常にあるのだけど、だからといって儲けばかり考えて仕事はしたくない。一方で、「学生だから」とか「まだ若いから」って足元見られて小間使いさせられるのもしんどいものがある。我慢しつつ挑戦しつつ、感覚を掴んでいくしかない。借金とは別に、早くしっかり稼ぎたいなと思う大きな理由は、「作る人」にちゃんとお金で敬意を表したいというのがある。つまり、作ったもの、表現物を、気に入ったのならちゃんと自分のお金で買うってこと。今も、CDとか本とかは好きなアーティストの作品はちゃんと買うし、個展やライブやイベントはなるべく行く。ただまだ、絵画とか書画とか彫刻とか、どうしても単価が大きい作品は、良いなぁと思っても買えない物が多いから、これまた分野によってラグがある。我慢。

Welcome to America with a suspended degree

January 13th 2014, Monday

It was first time to come to campus after the year-end. I met a friend and her research colleague and had lunch together. She was in the same cohort during the first semester and also an international student from China. We were struggling with terrible classes and exams every week, but it’s almost one-year before and now we can just laugh on it.

Yes, it’s over. I’ve done all the program last month, and should receive MPH degree soon. But, here’s America, things don’t go smoothly. The reason why I came to campus today was, to talk with Dean of Students on a issue of my registration and tuition status which prevents my degree certificate. Last month on 19th, while I’m working on finals, suddenly the Office of Student Affairs emailed me “You owe school $16,754 in tuition, and cannot get a degree until you pay” “What!? I took all the course necessary to graduate and paid tuition each semester as billed!” After emails and phone calls now I figured out what happened on me. Columbia MPH Health Policy Management Department has choices of 16-month and 2-year programs, but most of us take 16-month one as default. But I was mistakenly registered as 2-year program as default, and neither I and my department faculties knew that, cos the office of Student Affairs never told or warned that. Tuition is based on flat rate, not per credit base for our school, and 2-year and 16-month programs have different rate per semester. So, accumulated difference of tuition per semester is now billed at one time, at the end of the year. OK, now I understand the official correct tuition for my 16-month program was higher than I paid, and agree I need to pay the remaining for graduation. But who expects $16,754 is billed at one time? If I was correctly placed on the 16-month program and told the correct tuition per semester, I could have taken actions to prepare money earlier.

The office closed from the week of Christmas. I checked all the previous document and email related to registration and tuition, and confirmed I had no fault. Then, today I met with the Dean of Students. They admitted their fault and gave me apology, but told they can nothing to do that happened. Because of segmented departments, Office of Student Affairs cannot compensate anything or discount anymore. They confirmed me to write any documentation to prove my academic qualification if necessary anytime, but an “official” MPH degree will be never issued unless I pay extra. I gave up cos it’s waste of time and needs further stress and energy if I sue them. Hopefully I can prepare money within a year by working hard.

年末急に降ってきたトラブル。プログラムの登録ミスで、僕に請求されていた学費の額が間違えており、正しく登録されていれば支払うべき学費に$16,000ほど足りない、支払うまで学位は出せないという通知が突然学生課の方から来た。僕は入学を一年延期したのだけど、その合格・延期・入学の間に学部のプログラムが変わり、そのとばっちりで登録ミスがあったのだけど、見落とされていたようだ。こちらにミスはなく、請求された額を遅滞なく払っており、過去のメールからもその違いを認識する余地はなかった。正規の額を払う分には文句ないが、いくらなんでも突然年末に言い渡され(謝罪もなく)、あと2ヶ月で用意しろと言われても無理がある。そりゃおかしいでしょ、なんでそんなことが起こったんですかと、学部・学生課の担当者に聞いてもお互い「分からない、あっちに聞け」となすりつけ合うばかり。結局今日、Dean of Studentsと話すことになった。結論から言うと、誤ってはくれたけど、支払いと学位の件は、担当部署が違うからどうにもならないと。ちゃんと学業を収めてMPHに値する能力がある旨を説明する書類は、必要となったらいつでも発行してくれるとのことだが、正式なMPH学位は支払いが終わるまでペンディング。Late feeは取られないし、まぁ4月からの勤め先も理解あるところなので、学位なんぞの紙切れがなくても人生に支障ないのだけど、それにしても納得がいかない。お金はまぁ、1年働けば用意できる、と思う。しかし今回被った迷惑に対する慰謝料とか、減免措置とかは無し。日本でお金を稼ぐから、支払う際もアメリカの口座への振替手数料かかるのだけど、そういうのも負担してくれるわけでもなし。訴訟とか面倒だから、これで我慢するしかないけど。なんだかなぁ。NY暮らしが長い友人には、Welcome to Americaって言われた(笑)

Snow and Latte

January 4th 2014, Saturday

Little earlier than last year, winter storm has come. My town Brooklyn are filled with snow, of course in front of my building. Maybe it is just the second or third time for me to shovel out.

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Chilly cold, but it’s ok, good exercise. Street is brighter than usual, thanks to snow reflecting the sunlight.

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All the trash, refuse, recyclable materials that I and other residents threw at night, are covered with white.

After that, I went to my favorite cafe near my house. When I stand by the counter to order, the cafe master, a dandy middle aged man, quiet with little words, asked me “Latte?,” and I found that he’s remembered everytime I ordered latte. Unfortunately, today I took a cup of regular coffee! But it was still happy to know that my life in this town is peacefully continuing from 2013 to now, 2014.

去年より早いウィンターストーム。除雪剤をガンガンに巻き、各ビルの暖房効果によって比較的雪が溶けやすいマンハッタンと違って、こちらはがっつり積もった。人生で2,3度目かぐらいの、雪かき。
近所のカフェには、寡黙なナイスミドルのマスターがいるんだけど、今日もそこに行ったら注文するより先に「ラテか?」って言われた。残念ながら今日は普通のコーヒーの気分だったのだけど、いつもここでラテばかり頼んでいるのを覚えてもらったらしい。仕事に追われてなんだか大晦日も正月も知らぬ間に通り過ぎてしまったようだけど、だけど生活の時間はちゃんと連続している。2013年から2014年。