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From East to West – A way to cultivate “New Local” /寒中見舞いたい。

January 12th 2015, Monday

Left Tokyo early in the morning, and now I’m on the way to Obuse-town, Nagano, 2-3 hours west from Tokyo. Though the smallest village in Nagano, Obuse, whose culture is open to outsiders, is famous for its unique way of community building. I’ll meet with one of my friends who moved to Obuse from Tokyo 2 years ago, and now committing himself to community building in Obuse. We’ll discus our project to write and publish a book about Obuse to spread a new vision and model for local community.

What we may call “new local” has a different characteristics from what previous local community had. Though people involved are committed to local community action, each of them do not necessarily live in the same are. I mean, though locally and mentally connected, they may be geographically remote. They work on small projects that aim to re-activate local town, business, food, culture etc. Each of them stands at different position, has different perspective, different skill set. Sometimes, a leader or majority of the project members are not original residents of the town where projects emerges.

Though I still only have hypothesis, I’m convinced such new movements is a key to vitalize local communities.

あ、年明けてた。2015ってか。あれだっけ、バック・トゥ・ザ・フューチャーの年だっけ、それからテレビ版エヴァな。「時は、西暦2015年」的な。汎用人型決戦兵器に乗って地球を守る中学生たちの、いつのまにやら倍の年齢になりましたよ僕は。アラサー。こんにちは2015年、さようならを言うヒマがあったっけ、2014年。

12月後半から。会社の方は、怒涛の冬期講習。よう働いた。夏より短い分、早くて、濃い〜。子どもたち、一年よくがんばった。冬期講習というのは年をまたぐので、全然収まったり始まったりの感覚がありません継続戦です。

年賀状、書けてません書けてませんはい書けてませんよ。はがき買ったんですよ。1/6に。気づいたら寒中見舞いの時期ですよ。払い戻して同じ枚数買い直す流れだよこれ。

年末に駅構内にデカデカと貼られた「ちゃんと年賀状、ちゃんと大人」の広告フレーズが頭をよぎりますはいダメな大人ですか私。いや、おっしゃることは分かるし、あと手書きの良さというものもある程度同意するし、こういう節目の慣習を無理やりにでも意識して継続することで、メリハリもつくってものだし、いや、まぁ、はいわかります。「大切な人だからこそ手間暇をかけて年賀状を」とか「忙しいなかでも逆算してタイムマネジメントをして宛名整理からデザインから宛名印刷から発送までを年内に終わらせるのが立派な大人です」とか「年賀状の字には人柄があらわれます」とか色んな正論が思考の彼方から飛んできます。でもねあれなんですよ、いまとなってはLINEやFBメッセの方が飛んでくるスピードが早いし、受け手からしてもそっちの方が楽だって人もいるし、必ずしも出すことが受け手へのベストな思いやりの表し方とは限らないあれにもなってきているわ、出すなら出すでちゃんとしたいわなのでお金も時間もけっこうなパンチとなるわで、色々トータル考えてるうちに時間が過ぎていくわけで年賀状どうする問題は意外と難しいのです。

とかいったら「年賀状かメールかの判断も含めて、相手の状況やニーズを事前によく見極め、新年の挨拶の経路方法タイミングを分け、それぞれが年始に間に合うように逆算して準備行動するのが立派な社会人です」とか更に正論を上乗せできそうなので、もはや黙るしかない。

出してくださった方ごめんなさい届いてます読んでます超嬉しいです近々寒中お見舞いしつつお返事お送りしますよごめんなさい。

冬期講習が終わりまして、早朝新幹線で長野県は小布施町に向かっております。去年取材に行ったご縁で、出版関連のプロジェクトが立ち、その相談とインタビューに。

以下、メモのような、ほんとにただの日記。

12/26(金)
子ども向けのプロジェクションマッピング講座、2回目。大盛況。ゲスト講師のみなさまお世話になりました。

12/27(土)
冬期講習。記憶、ない。

12/28(日)
冬期講習。会社の年内締め日。配属拠点は数字の上でもバッチリ結果を出して気持ちの良いお酒が飲めましたとさ。マネージャーとパイセンと3人でハブに流れこんで「終電までな!」と言いつつ見事に逃す。2amぐらいまで飲む。来年以降のこととか、根本的な課題のこととか、たくさん話す。タクシー相乗りで順次降りていく感じで解散。

12/29(月)
汝、論文を書くべし。渋谷の方の別の会社に出社。そっちも前週で締まったはずなんだけど、同い年のプロパー社員とオフィスを開けて仲良く作業。夜、担当記事のインタビュイーと合流してモツ鍋つつきながら追加インタビュー。完成は年明け持ち越し。夜の渋谷が思ったより人少なかった。

12/30(火)
汝、論文を書くべし。
書けた。

まだ東京にいた同居人2人と大掃除をした。共用スペースは綺麗になったけど、自分の部屋は、まだ。そもそも物が少ないが。3人で昼飯を食った。中華、と、ビール。阿佐ヶ谷の商店街、えらい賑わってた。年末感。

夜、友人のシェアハウス、通称「田端の実家」に顔出す。みんなで鍋つついて、そのまま当然のごとく宿泊。実家感半端ない。人生儲からんなっちゅう話をした。楽しいけど。
早く労働者からヒモに転職したい。

12/31(水)
渋谷の方の会社でお世話になってるパイセンと会って来年の相談をした。関われる時間も限られてるなか色々考えて挑戦させてもらってるので、よく考えねば。問い立てをもっと精緻化しよう。
良いものと、面白いものと、売れるものは必ずしも一致しないって話。売れっ子編集者さんの言。大前提として良い物を作らなきゃなので、起点の問い立てや動機は超大事だのだけど、その先、面白くして、売ってくところまでは、編集=演出が鍵。
来年は連載を持つぞぉ。

汝、メルマガを書くべし。
書けた。

汝、記事を書くべし。
1本、書けた。もう1本、書けてない。

夕方、新幹線で神戸の実家に帰ろうと、荷造りをして家を出た。そういえば、と、年の瀬の挨拶の電話を一本。バタバタしてて年末会えなかったので。「まだ阿佐ヶ谷にいるの?実家は終電で帰れれば良いんでしょ。高円寺に飲みにおいでよ」

行った。飲んだ。気づいたらオフィスに移動してみんなでボードゲームをしていた。いわきは「貴千」のかまぼこがあった。うめぇんだこれ。みどりのたぬきを買って年越しそばを食べた。ボードゲームをしながらテレビをつけて紅白を横目で見た。
年が明けた。2015!
あれ?
ま、いっか。

1/1(木)
3時か4時ぐらいまでボードゲームして解散。うち2名と近くの神社に初詣。まさか高円寺で年越しするとは思わなんだ。これもまたよし。
安定の末吉。
そのまま始発で新幹線乗れば9時台には神戸の実家に帰れるだろう、そのまえにいったん阿佐ヶ谷に帰ってシャワー浴び用。

起きたら8時。
あれ?

電話、実家母、呆れる。
実家家族、初詣は京都伏見が恒例。というわけでお昼頃に京都で直接合流することに。
伏見、めっちゃ人多い。去年より様々な国からのお客さんが増えた。飛び交う言語が多い。よきことだ。
参拝。山、登る。
途中から、雪。どんどこ降る。
祖父、もう90歳。元気は元気だが、やはり年なので、本人強がるが、休み休み、登る。
岡山の母方の方のじいちゃん、だんだん弱ってる。今回顔出せなかった。色々考える。
父、髪が薄くなった。仕事、苦労している。円安。

夕方、鶴橋へ。花園でラグビー観戦していた石巻の頃の団体のしゃちょー夫妻とその友人夫妻とあともう一人大学のパイセンと合流。試合観たかった。めっちゃ良かったらしい。
コリアン街、ほとんど店空いてなくてシャッターも降りており、ちょっとしたトルネコの不思議のダンジョン。
この頃すでに大雪。寒い。
予約してくれてた店に入る。あったかい。
サムギョプサルうまー。
良き新年会であった。

年賀状、書けてない。
はがき、持ってない。

12月の家計簿をつけた。
コンビニのレシートばっかりで、凹んだ。
食が、まずしい。まづしいよ。
専門はヘルスケアです。もっというと習慣形成とか行動変容です。はい。
来年は、いやいや今年は、もうちょい健康的な生活をだな。

1/2(金)
大阪で、久しぶりの再会。
初売りで、ルクアが戦場のようだ。
バーゲンに興味はなく、ランチ目当てだったのだが、えらい時間かかった。もうちょい中心離れた場所にすればよかったか。まあいいか。
ワインを開ける。ピザを食らう。

帰宅。隣の祖父母家に、茨木のおじおば、来る。挨拶。
実家の父母よりネットリテラシーある。
名前でググられてた。なんならツイッターとか見られてた。
白目。
まぁ、いいか。

夜、高校の同窓会。40人ぐらいか。うだうだ飲みながら話した。東京に来た人けっこう増えたね。仕事とかで。

からの、まさかの小学校同窓会。
びっくりした。
高校同窓会にいた、小学生からの同級生の誘いで参加。 男子8人。意外と覚えてるもんだ。
とても良かった。

なんばへ。
積雪の影響で夜行バスが出発一時間遅れ。
これ、長い旅になりそうだ。

1/3(土)
案の定、渋滞、到着2時間半遅れ。
新宿まで待てず横浜で降りて電車に切り替え。
阿佐ヶ谷に帰ったの10時。疲れた。
身体バッキバキやで。

シャワーを浴びて、なぜかそのまま7kmほど走った。
そのあとスクワットもした。
こういうのを1月病という。

翌日の仕事の準備とか、書き物とか、した。

年賀状、はがき買えてない。
原稿、まだある。

1/4(日)
仕事はじめ。
冬期講習は絶賛継続中。当然のフルコマ。
楽しかった。新年の挨拶もかわしーの。

でもなんだか体調がおかしい。寒い。
あと、すんげー筋肉痛。
完全にこれ昨日の長旅と運動のせいだわ。
知ってました。

1/5(月)
あ、これ、体調悪い。
知ってました。

昼、本社へ。
社内の英語講師と面談。
留学から帰ってから全然日本で英語使わないので危機感あって受講していたのだ。来期どうしようね、すでに余裕で合格ラインだよねって話。まぁ、そらそうだわなぁ。
自分でなんか企画して英語でリサーチや提言をするみたいなのにしようか。

午後、渋谷の方の会社へ出社。
明けましておめでとうございます。
が、打ち合わせしたい相手がいなかったので、ひとり作業。
あ、これ、体調悪い。
帰ることにした。

途中から寒気と関節痛がしたのね。
あ、これやばい、インフルだったら多方面に超迷惑かかるどうしようやばいれ
と思って慌てて阿佐ヶ谷のクリニックに行った。
めっちゃ混んでた。1時間ぐらい待った。
熱はかったら36度台。全然だった。あれ?
待ってる間にうたた寝。
起きたらちょっと楽なってた。
インフルエンザ、陰性。まぁ、熱なかったしね。
じゃあこれなんなんだ。
総合風邪薬だけもらって帰宅。
寝た。

1/6(火)
休みだけど会社の人とランチしながら面談。
来年度のことを色々話す。
やるぞぉ。

年賀はがきを買った。

あ、やっぱりこれ、体調悪い。
インフルじゃないのに。
吐き気と、胃腸の気持ち悪さ。
謎。
マツキヨで漢方を買う。
飲む。
家でなんかとりあえずしょうがとか健康に良さそう系の食材ありあわせであったかいもん食った
寝た。

1/7(水)
冬期講習、絶賛継続中。
記憶ない。
あ、やっぱりこれ、体調悪い。
早め、といっても21時半だが、に退勤して寝る。

ごめんなさいこれ年賀状書けないです。

1/8(木)
冬期講習。
よく覚えてない。
色んなものを飲んで体力は持たせた。
メールとかだけ済ませて、寝た。

1/9(金)
あ、回復気味。
出社。冬期講習。
外部機関の方と面談あり。
また色々考える材料をいただいた。悶々。
働いた。

1/10(土)
冬期講習。
働いた。

1/11(日)
冬期講習。
高校受験が近い。がんばれ。
また色々考える材料をいただいた。悶々。
冬期講習おわた…

Visit to Red Hook Initiative / 生活問題としての「書くこと」

January 20th-22nd, Mon-Wednesday, 2014

On Monday, I visited Red Hook Initiative, an organization to empower local community.

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Crossing by red brick buildings, went down to Red Hook area from my neighborhood Park Slope.

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Cross the river.

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Then I found their base, within 20 minutes from home.

Red Hook is one of the areas seriously damaged by Hurricane Sandy in 2012. I contacted them to know their efforts and actions after Sandy. They are providing several programs such as an educational support for children and youth in community, setting wifi networks around the neighborhood to close digital divide. These days, they’ve launched a campaign named 500 FUTURES to call for support for youth empowerment. I attended an information session to tell us what they do and will do, and to involve more allies into their actions. What impressed me was that high school students themselves are also dedicating themselves to RHI activities. AT the session, 3 youth members made a small speech and self-introduction. Though they looked a little bit shy, I felt they are surely proud of what they do and where they live. I made a small talk with staffs, and now think about if I can do something for or with them by sharing my experience at Tohoku, disaster area in Japan.

On Tuesday, a brutal winter storm come to our town. Soon the street become covered with snow. I just stayed at home, and did my research work, without imagining about going out into the cold night.
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On Wednesday, fortunately, storm ceased. I shoveled snow in front of the building again. I went to the cafe as usual, bought a cup of latte, and walked around streets in the quiet evening with a little breeze.
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先週末に書いた神戸の震災に関するエッセイに対して、地元の高校の先輩にFacebookでいただいたコメントにどう返したものかなと煩悶した週末だったけれどようやくそれを書いた。でも結局長々と書けば書くほど不可ない気がして、これはもうオンラインではどうにもならなず、3月に神戸に帰った時にお話できるかな、あるいは自分が各地を巡るなかで地元や神戸の震災や祈りについての思考や書き物を具体的に継続していくしかないかな、という感じである。どちらが正しいとか理解・誤解という問題ではない気がしている。文体やタイミングやメディアの問題でもあるかもしれない。いずれにせよ僕にはユーモアが足りない感じはする。だから落語をやりたいんだってば。

地元というのは、むつかしい。誰にとってもそうだろうけど、むつかしい。19年を過ごしてから東京に出て大学に進学し、卒業と震災が同じタイミングでやってきて石巻で過ごし、それから大学院でNYに行き、夏には東京に帰り、福島を訪ね、といったプロセスで、物理的にも心理的にも思考の面でも難しい距離が生まれたことはまぁ仕方がない。木綿のハンカチーフ現象というのは、誰の人生にもやってくる。

やれ文化資本だ学歴だ所得だ階層分化だとインテリぶって他人事の議論してるうちは気楽なもんだ。昔いたところを出る、自分も他人も変わりゆく、だけど捨て切れない、繋がっている。そんなのは誰にでも地べたの体験としてあり、自分の生としてそれにどう対応するかの方がよほどしんどい。また、しっかり考えなきゃいけない時期にきてる気がする。「」付きでない、のっぴきならない問題として。震災とか地元とか実家とか家庭とか恋愛とか介護とか健康とか障害とかお金とか会社とか学とか文化とか。3月半ばまで残りのNY生活、実家の神戸やじいちゃんばあちゃんの岡山に顔を出し、石巻へ帰り、ふくしま各地へ遊びに行き、再び東京へ帰って新生活の準備や手続きをし、4月から次のお仕事が始まり、そのぐるーっと回るプロセスで。

その手段として僕は結局書くことにしているのだけど、これもまた年を取るごとに難しくなってくるのだろう。リサーチの仕事を一緒にやっている会社の先輩と、打ち合わせのついでに、最近のこと、帰国後のこと、これからやっていきたいことなど話した。4月からの会社の人とも、よう話さなならんなと思う。務め人として事業的・組織的にやっていくことと、自分の日々の思索や書き物と、中心テーマが重なる場合はそう簡単ではない気がする。プロフィール欄によくある「発言は個人に属します」なんて防護壁、炎上事例を見るといざというとき何の役にも立たんだろう。

「個人の時代」とか「フラット化」とか「360度評価」って実際さほど牧歌的ユートピアでもなくて、場・相手Aに対応するペルソナAで思考・行動したつもりが、全然関係ないBやCの人から叩かれるということはいくらでもある。かといって、匿名でやれば良いという話でもなく、それでは絶対失われる文体がある。組織とか出自とか社会経済階層とか民族とか、そういう自分に付着するもろもろのラベル・絆(きずな/ほだし)・歴史を受け止めながら、間に橋を架ける文体を実現できればと思う。途中で破綻するかもしらんが。

書いたものを、どの範囲で、誰に向かってどの程度出すかというのは、日々自分と関わってくださる人たちと要所要所相談しなきゃなんない。社会の中に生きている限り、「表現は自由だ」なんてのはだいたいにおいて嘘くさい。
 
オンラインでin publicに書くのと、個人・コミュニティごとに話す・書くのと、二者択一でもなくって、うまくバランスとって社会で生きて、かつ表現してかにゃならん。

考えて、書いて、反応があって、また考えて、変化して、書いて…凝り固まらぬよう、その繰り返し。
 
教条主義に絡め取られないためには、言葉はだいたいいつでも消耗品だと思って生きるぐらいが良い。

Leaders coming to NYC from Tohoku / 希望も可能性もまだまだそこかしこにあるなということとか

13th November, Wednesday 2013

Still having lots of work, packing materials for that works, I rushed out Brooklyn in the afternoon, and went to Midtown East, Japan Society. It’s also chilly cold today. I’ll take a overnight bus to Boston tonight. Boston must be much colder, I don’t wanna think about it. Anyway, today, 5 leaders who are dedicating themselves to business and community development in Northern East of Japan after the disaster in 2011 came to Japan Society, and talked about their projects and stories to New Yorkers. I was invited to the meeting and had discussion with them. It is as usual and no longer I surprise, but we had lots of mutual friends in near fields. Also a person who guided the leaders was my friend from college. Well, it still needs time, money and man powers to reconstruct cities damaged by tsunami as a whole, but if we work from a micro, specific issue or field, we can make a good project or business quickly and flexible. People, products and stories can spread across countries over the sea, and we can collaborate together. Still not enough, and still it looks like tiny changes, but every time, social or structural renovation starts from small changes. Today, I also had good conversations and made new relationships. Further ideas are already floating in my head.

ジャパン・ソサエティにお招きいただいて、東北で事業に取り組んでいるリーダー5名のお話を聞いて、その後懇談をした。福島や雄勝や気仙沼や仙台や陸前高田の話。農業であったり学校であったり椿オイルであったり起業支援であったりコミュニティカフェであったり。ご多分に漏れず間に共通の友人知人はわんさかいたわけですが、今回の5人の方々と直接お会いするのは初めてで、お話を出来てよかった。今日に限った話でもなくて、NYや大学内の色んな機会でお話させていただく際の反応でも感じるけど、具体的な人や土地の名前、表情が海外に伝わる機会は、原発事故とかのニュースに比べるとやっぱり少なくて、そしてそれゆえに共感や協働の強力な呼び水になる。今回の震災に限らず、「事件」そのものの注目度や関心は時と共に薄れるのは当然のことで、それを「風化」と表現する人もいるのだけど、実は少し声を発すれば、少し手を伸ばせば、「あなたの物語」に心を寄せてくれる人はたくさんいて。NYと日本の間を行き来して過ごしていると特に感じる。東北各地のインフラ、地域全体の復旧にはまだまだ時間もお金もかかるのだけど、人やプロダクトや物語は意外と簡単に、そしてずっとお安く(それでもまぁ航空券は安くないけど)、海を越えることができるのだ。動ける立場にいて、思いと繋がりがあって、自分にできることもまだまだいくらでもあるなと感じた。

ところで今回の彼らのNY訪問をアテンドしていた財団勤務のスタッフがなんと学部時代からの友達で。Japan-ASEAN Student Conferenceという2010年の企画で一緒だった子。もはやこういう偶然の再会には驚かないので、自分のリアクションもだいぶ薄かったと思うけど、会合が終わって、それぞれの夕方の用事を済ませてから夕食を食べた。日本やASEANの友達の近況を知っている限り共有したり、お互いの久しぶりのアップデートをしながら、ジュニアーズでチーズケーキを食べた。

夜行バスでこれからボストンへ。滞在は3日間。相変わらず仕事やら課題やらを抱えたままだけど。なんというか、地域や国の移動それ自体がそこまで非日常ではなくなってきたので、どこへ行ってもだいたい同じテンションと同じペースで作業や仕事をできるようになっていかねばなるまいなと思う。別の地域に行ったら行ったで特定の目的や訪問先は発生するのだけど、NYにいたとしてもどうせ同じぐらいの時間がイベントやら大学院のクラスやらで拘束されているので、作業に当てられる時間自体はそんなに変わらないのかもしれない。細切れの時間でパパっと気分を変えて手と頭を動かせるようになる必要がある。まぁ今でもそこそこできているのだけど、やはり移動に伴う疲れとか眠気のロスはあるので、慣れと体力増強が必要かなぁ。

やさしさの手ざわり

福島市内にある、「Cafe桑の実」というお店に連れて行ってもらった。

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今年の4月にオープンしたばかりで、まだウェブサイトも無いのだけど、口コミでどんどん広まったらしく、今日もよく混んでいた。
「予約しとけばよかったね」と言いつつ、店内の様子を見ながら順番を待つ。木のぬくもりが感じられる落ち着いた空間。

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ランチメニューは、メインのパスタやタコライス、食後のコーヒーor紅茶に加え、こうやってビュッフェ形式で並べてあるサラダやキッシュなどのおかず、ケーキやゼリーなどのデザート、お茶やジュースが食べ放題・飲み放題。パスタの写真、撮り忘れたけど、どれも優しい味で、美味しかった。

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味のある木のテーブルやプレートは、地元の「はんどめいど家具 Olive」という家具屋さんのものを使っている。

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コーヒーや紅茶のカップは同じく福島県内にある会津地方の焼き物。一つひとつ店員さんがこだわって選んだらしい。コーヒーは「椏久里」という、もともと飯舘村にあった自家焙煎珈琲店から。「椏久里」は、全国から珈琲好きがわざわざ飯舘を訪ねてくるぐらい美味しくて有名なお店だったのだけど、震災後に福島に移転して営業を再開した。飯館はまだまだ線量が高くて飲食店営業が出来る状況ではない。

さて、このカフェなんだけど、位置づけとしては障害者自立支援法に基づく就労継続支援A型事業所と呼ばれる施設でもある。みなさんの住まいの近くにもあって見たことあるかもしれない、障害を持った方が働いてパンとかクッキーを売っているような施設。ああいった施設と同じ枠組み。自立支援法施行前は「授産施設」と言われていたような種類の施設。

「就労継続支援事業所」とは、障がい者自立支援法に基づく就労継続支援のための施設。一般企業への就職が困難な障がい者に就労機会を提供するとともに、生産活動を通じて、その知識と能力の向上に必要な訓練などの障がい福祉サービスを供与することを目的としています。同事業所の形態にはA、B二種類あり、「A型」は障がい者と雇用契約を結び、原則として最低賃金を保障するしくみの“雇用型”。「B型」は契約を結ばず、利用者が比較的自由に働ける“非雇用型”です。
(2011/9/26掲載)kotobank.jpより引用

言われなきゃ分かんないし、それ教えてもらったところで、へー、そうなんすかぁ、というぐらいの感じで。

福祉事業、授産施設、障害者雇用・社会参加、健常者、障害者、正常、異常、適応、不適応、格差、震災復興、被災地、地場産業、地域活性化etc.
そうしたもろもろの大文字の言葉たちなんか、料理や珈琲が美味しくて、器が素敵で、空間があたたかくて、そこで友達とおしゃべりして過ごす時間が幸せであるという、それだけのことでするっと抜けちゃえるんだよね。