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やさしさの手ざわり

福島市内にある、「Cafe桑の実」というお店に連れて行ってもらった。

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今年の4月にオープンしたばかりで、まだウェブサイトも無いのだけど、口コミでどんどん広まったらしく、今日もよく混んでいた。
「予約しとけばよかったね」と言いつつ、店内の様子を見ながら順番を待つ。木のぬくもりが感じられる落ち着いた空間。

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ランチメニューは、メインのパスタやタコライス、食後のコーヒーor紅茶に加え、こうやってビュッフェ形式で並べてあるサラダやキッシュなどのおかず、ケーキやゼリーなどのデザート、お茶やジュースが食べ放題・飲み放題。パスタの写真、撮り忘れたけど、どれも優しい味で、美味しかった。

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味のある木のテーブルやプレートは、地元の「はんどめいど家具 Olive」という家具屋さんのものを使っている。

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コーヒーや紅茶のカップは同じく福島県内にある会津地方の焼き物。一つひとつ店員さんがこだわって選んだらしい。コーヒーは「椏久里」という、もともと飯舘村にあった自家焙煎珈琲店から。「椏久里」は、全国から珈琲好きがわざわざ飯舘を訪ねてくるぐらい美味しくて有名なお店だったのだけど、震災後に福島に移転して営業を再開した。飯館はまだまだ線量が高くて飲食店営業が出来る状況ではない。

さて、このカフェなんだけど、位置づけとしては障害者自立支援法に基づく就労継続支援A型事業所と呼ばれる施設でもある。みなさんの住まいの近くにもあって見たことあるかもしれない、障害を持った方が働いてパンとかクッキーを売っているような施設。ああいった施設と同じ枠組み。自立支援法施行前は「授産施設」と言われていたような種類の施設。

「就労継続支援事業所」とは、障がい者自立支援法に基づく就労継続支援のための施設。一般企業への就職が困難な障がい者に就労機会を提供するとともに、生産活動を通じて、その知識と能力の向上に必要な訓練などの障がい福祉サービスを供与することを目的としています。同事業所の形態にはA、B二種類あり、「A型」は障がい者と雇用契約を結び、原則として最低賃金を保障するしくみの“雇用型”。「B型」は契約を結ばず、利用者が比較的自由に働ける“非雇用型”です。
(2011/9/26掲載)kotobank.jpより引用

言われなきゃ分かんないし、それ教えてもらったところで、へー、そうなんすかぁ、というぐらいの感じで。

福祉事業、授産施設、障害者雇用・社会参加、健常者、障害者、正常、異常、適応、不適応、格差、震災復興、被災地、地場産業、地域活性化etc.
そうしたもろもろの大文字の言葉たちなんか、料理や珈琲が美味しくて、器が素敵で、空間があたたかくて、そこで友達とおしゃべりして過ごす時間が幸せであるという、それだけのことでするっと抜けちゃえるんだよね。

人のいない町―福島県双葉郡富岡町、旧警戒区域訪問(2013年6月3日(月))

夜ノ森。はじめてその名前を聞いた時、なんて美しいんだろうと思った。春には桜が満開になって綺麗だよ、と教えてもらい、まだ行ったことのないこの場所に、不思議と惹かれていた。
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実際にここを訪れたのは昨日のこと。葉桜が繁っている。

福島県双葉郡富岡町。福島第一原発からほど近いこの町は、現在も帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の3区域に区分けされ、立ち入りや居住が制限されている。昨日、6月3日(月)、富岡町出身の藤田大さんにこの町を案内していただいた。夜ノ森駅より先は、原則立ち入ることが出来ない帰還困難区域となるため、進んだのはその手前まで。

炊き出しや仕出し等飲食業を行う鳥藤本店の専務である藤田さんは、現在富岡町からいわき市に避難している。いわき市の四倉に移った事業所を訪ね、お話を聞いてから車で出発する。国道6号線を走り、久ノ浜、末続と北上し、双葉郡に入る。そこから広野町、楢葉町、富岡町と進んだ。以下に写真と共にその道のりを紹介する。大雑把な地形イメージがつくように、こちらに双葉郡のGoogle mapのリンクを貼っておく。また、「福島民報 minyu-net」では「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」区域のマッピング(2013年5月28日現在)を見ることが出来るので、こちらもリンクを貼る。

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広野町と楢葉町の境目あたりにあるガソリンスタンド。この辺りから避難指示解除準備区域になる。ちなみに、避難指示解除準備区域で出来る活動はこちら、平成24年5月9日付 原子力被災者生活支援チーム 「避難指示解除準備区域内での活動について」にまとめられている。日中の通行や住民の一時帰宅、ガソリンスタンドなどの一部の事業活動(飲食、小売、宿泊業などは禁止)、除染・災害復旧など公益のための活動が可能だ。居住制限区域になると活動は更に制限され、事業活動も要件を満たす例外的なものしか許可されない(参照: 平成24年6月18日付 原子力災害現地対策本部 原子力被災者生活支援チーム 「居住制限区域における例外的な事業継続・再開の運用について 」 )。

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除染のため取り除いた土壌や枝木などが、黒い袋に詰められここに仮置きされている。

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田畑のほとんどは手入れがなされず、草がぼうぼうになっている。

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津波の被害も激しかった沿岸部、富岡町駅周辺へ。
「石巻いたんなら、津波の跡なんかもう見飽きたかもしれねぇけど」
藤田さんはそう言いながらも、ここは誰々の家があったところ、ここは行きつけの飲み屋、と、かつての町の記憶を教えてくれる。
「見飽きる」ということはないけれど、確かに津波の跡への「慣れ」というものはあって、基礎を残してほぼ全て流された町並みとその跡に雑草が生い茂る様子は門脇あたりを彷彿とさせるものだった。
「慣れる」ことができるのは、石巻にしろ富岡にしろ、僕が「その前」の光景を知らないからだろう。想い出を持たない土地に気持ちを寄せること、一見似たような風景の違いを知ることは、こうして藤田さんのような地元の人に伴走してようやくかろうじて可能になる。

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鉄骨とホームだけが残る常磐線富岡町駅。
「昔はこんなに海が近くはなかったんだぞ。駅の向こうの家が全部流されて見晴らし良くなったけんども」

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よく晴れた日、線路に花。富岡町駅、夜ノ森駅と続く常磐線は、現在は広野駅が終点となっている。

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月の下という、これもまた美しい名前の通りを進む。
「この辺りが富岡町のメインストリート」
実は福島県入りした初日の5月28日(火)にも、夜に車で富岡町駅や月の下辺りを別の人に案内してもらっていた。夜、家だけが残り誰もいない町に、信号と街灯だけが光る様子は少しゾッとするものがあった。昼間に通るとまた少し印象が違う。この辺りは波が来ていないので、基本的に建物は無事だ(もちろん、人が住んでいないので雨漏りなどで少しずつ腐敗していっている)。ゆえに沿岸部よりも暮らしの面影を感じやすい。それだけに一層、無事な建物から人だけがいなくなったという事実が存在感を持つ。

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夜ノ森辺りまで進んだところで藤田さんの説明を受ける。
「この車道を挟んで右側、バリケードがあるところからが帰還困難区域、左側は居住制限区域。同じ町なのに通り一本で隔てられんの」

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本記事冒頭に上げた夜ノ森の桜並木や公園では、毎年春、桜の季節によさこい踊りが見られたらしい。公園の手前まで来て、その後近くにある藤田さんのご自宅に上がらせてもらってから引き返した。
 
 
以上、写真でざっと紹介したが、下記に避難区域の区分けを紹介する。
引用元は同じく上記で紹介した福島民報 minyu-net 「富岡町の避難区域再編」(2013年4月1日現在)
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東京電力福島第1原発事故で全域が警戒区域に指定され、全町民が避難している富岡町は3月25日午前0時、帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の3区域に再編された。避難区域再編は8例目。

関連ニュース記事も紹介。Yahoo!ニュース 福島民報 5月28日(火)10時22分配信 「双葉町で区域再編 バリケード107カ所に増」

藤田さんがこのように旧警戒区域の富岡町を案内するようになったのは、富岡町からいわきへ避難してきた住民と、いわき市住民の関係のしこりがひとつのきっかけだという。

 発想の元は富岡町民のエピソード。いわき市に避難した町民は、最初は市在住の知人に厚遇されたが、東電の賠償金の差などからやっかみを受け始めた。一時帰宅があり、知人もカメラを持参して一緒に行った。だが、避難から時がたった家の惨状を目の当たりにして撮影できなかった。その後、知人のわだかまりは薄れたという。
 帰還を前提とする国の方針に疑問を持つ藤田さんは「現状を見て感じてもらえば同じ目線で会話できるのでは」と警戒区域が解除された自宅や勤務先を案内する。(毎日.jp 毎日新聞 2013年05月30日 01時29分 「記者の目:いわき市 避難者と市民の溝=町田徳丈」)

「おめたちとこ線量低いのに、お金ももらっていつまでも帰還しないで何やってんだべ、なんてことも言われるわけよ」
富岡町を始め、旧警戒区域内でも、上述3つの区分による受ける補償や賠償額に差が出てくる。一方でもちろんいわきの人びとも被災している。藤田さんの鳥藤本店は、幸運にも震災後の4月からいちはやく事業を再開することが出来たが、慣れない土地で新たな仕事を見つけることができない人、今までとは違う職種・業種へ転職することを躊躇う人も少なくなく、全ての避難民が仕事を再開しているわけではない。石巻でもパチンコ店が連日繁盛していたが、なまじ寄付金・補償金・賠償金の額が大きいと、自ら働き生活を立て直す力が失われてしまうこともままある。
放射線物質は風や雨の影響で様々なエリアへ不均等に拡がっていったから、行政が定めた帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の3区分と、線量のグラデーションは決してきれいに重ならない。
そうした様々な要素が絡み合い、いわき市内での市民・避難民間の軋轢が生まれている。
(参照: 毎日.jp 毎日新聞 2013年05月24日 東京朝刊 検証・大震災:福島・いわき市の現状 共生遮る誤解の連鎖)

「こうして一緒に回って、直接目で見てもらって話をすると、分かり合える部分もあると思うんだよな」

こうした分断状況をなんとかしたい、繋がりを生み出したいという思いから、有志の人びとが現在「いわき未来会議」という市民活動を立ち上げ、対話を続けている。藤田さんの旧警戒区域ツアーもこの未来会議から派生した活動だ。

差異や格差に注目してばかりいると負のスパイラルから抜け出せない。いかにして共通の土台を作っていくか。

藤田さんをはじめ、こちらに来て出会った人たちから感じた、強く前向きなエネルギー。
今日から北上して福島・相馬・南相馬へ。また来たいと思う。

※1
気になる方もいると思うので参考までに放射線関連の情報と補足説明を。放射線低線量被曝に関しては僕自身の専攻である公衆衛生(Public Health)が大いに関わる分野であり、それなりに勉強してきてはいるので、近いうちにまとまった解説記事を書きたいと思う。

まず、福島県放射能測定マップで空間線量の測定結果を確認することができる。ミクロに見ていくと同じ町内でもずいぶんと振れ幅があるが、今回回ったエリアはおおむね1〜2μSV/h(マイクロシーベルト毎時)といったところだった。水の流れなどが影響して、20μSV/hほどに跳ね上がるホットスポットとなっている場所もいくつかあった。
数字だけ出してもそれが何を意味するのか分からないと思う。上述の通りまとまった解説は後日に譲るが、下記ではざっくりと目安を。

被曝による健康への影響だが、広島・長崎の原爆被爆者の追跡調査やチェルノブイリ原発事故の被爆者追跡調査などで取得・分析されたデータが主要な予測・判断基準となっている。ICRP(国際放射線防護委員会)の公式見解では、自然被曝以外に生涯で通算100mSv(ミリシーベルト)を被曝すると癌で死亡するリスク(確率)が0.5%上乗せされるというものだ。生涯通算100mSv以下の被曝の場合の健康影響は、今のところよく分かっていない。そこで、わからないながらも被曝線量と癌死亡リスクの上乗せ率は比例関係にあるだろうと考えるのが、線形しきい値なし仮説(LNT)になる。これもあくまで仮説にすぎないが、保守的な見積もりとしては悪くない。

ところで、原発事故がなくとも、我々は日常生活のなかで自然に発生する放射線に被曝している。自然被曝の世界平均は、年間で約2.4mSv、日本は2011年末の調査結果で平均年間2.09mSvと言われている。X線診断などのいわゆる医療被曝というものもある。つまり、放射線被曝をゼロにするということは不可能である。その上で、自然被曝以外の余分な被曝をどのぐらい気にして、どの程度までおさえるべきかというのを考えなければならない。それを考える際に上述の先行研究が重要になる。

ICRPは今回のような原発事故が起こってしまった時の被曝基準を、事故直後の緊急時被曝状況と、事態が落ち着いた後の汚染地域での生活である現存被曝状況に分けて考えている。現存被曝状況では、年間1〜20mSvミリシーベルトの範囲のできるだけ低いところにとるよう勧告がなされている。

さて、富岡町周辺の空間線量に当てはめて考えるとどうか。
まず、ミリシーベルトとマイクロシーベルトの違いに気をつけなければならない。ミリはマイクロの1000倍である。上述の放射能測定マップで示されているのはマイクロシーベルト毎時、つまり一時間あたりの空間線量率だ。おおざっぱな年間被曝量の見積もりは、下記のようなものがある。
人は1日の24時間のうち8時間を外で過ごし、16時間を屋内で過ごし、屋内では放射線が4割の大きさに減るという仮定のもと考えると、8時間+16×0.4時間=14.4時間を屋外で過ごすと見なすことができる。この「1日の長さ」に1年の日数をかければ、14.4時間×365=5256時間≒5260時間となる。
よって、おおざっぱに一年間を約5000時間と見なして線量率をかければ良い。ミリはマイクロの1000倍であるため、空間線量率(μSv/h)の数字を5倍して単位をmSVに変えれば分かりやすい。
なので、1〜2μSV/h程度の地域に1年間住むと、外部被曝だけで1〜2mSV/yearの被曝となる。これらに呼吸や食事を通じた内部被曝が加わることになる。ICRPの現存被曝状況勧告範囲内に収まってはいるが、もちろん、原発事故も何も起こっていない、平時の被曝量よりはかなり多くなる。仮にここで80年間ずっと過ごしたとしたら、生涯80〜160mSVの被曝となるので、癌死亡リスクが有意に上昇するレベルだ。居住制限がかかるのも妥当と言えるだろう(上述の通り、3区分による地域分断など、被曝とは別の問題があるとはいえ)

一方で、僕のようにほんの1,2時間訪問・滞在する程度での被曝量は、ほとんど無視して良いレベルだと思う。
とはいえ、進んで余計な被曝をすることもないわけで、今回も手袋やマスク、靴を包む袋などを藤田さんから渡されて着用した。こうした防護策は、風邪や食中毒対策として普段から手洗いうがいを気をつけるようなレベルとして、多少線量が上がる地域ではやっておくと良いと思う。

※2
上記紹介記事・PDFは全て2013年6月4日(火)アクセス

岡山・美作、じいちゃんの田んぼ、カエルの音

母方の実家は岡山の美作にあって、この土日久しぶりに帰っていた。じいちゃんとばあちゃんは農家である。僕は生まれも育ちも父の地元である神戸だが、このじいちゃんばあちゃんのお米と野菜を食べて育ち、小さい頃の夏休みなどは、年のほとんど違わないいとこ兄弟と一緒に野山を駆け上がったりNintendo64をして遊んだ。

じいちゃんとばあちゃんは農家「である」と言ったけど、半分ぐらいは農家「だった」という表現も当てはまるかもしれない。ばあちゃんはまだ元気に畑をいじっているが、じいちゃんの方は、父方の祖父母とは比較にならないほどここ数年で衰弱してしまい、もう田んぼを耕せる身体ではない。そういうわけで、田んぼの方は親戚のおじさんが引き継いで管理してくれるようになった。じいちゃんが弱ったのは、心筋梗塞や肺炎などが色々と重なってのもので、今年僕がNYにいる間も、かなり危ない状態に一度陥った。母は、退院後に事後報告でメールをくれたが、親族一同、いよいよかと思うほどであったそうだ。今回帰ってきて僕自身がじいちゃんと対面した限りにおいては、1年前の印象とそこまで変わらなかったけど、それは別に元気ハツラツという意味ではなく、弱った状態でしかしどうにかこうにか命が続いてくれているというだけの話だ。毎食後に4,5錠ほどの薬を飲んでいる。よく痰がからむ。

じいちゃんばあちゃんの土地も含めて、家の周り一帯の田んぼでは田植えももう終わっていた。畦を散歩しながら、時折しゃがみこんで水の張られた田んぼを覗き込むと、大小様々な虫やカエルたちと出会う。帰ってくる直前に読んでいた本、宇根豊『農は過去と未来をつなぐ』によると、日本の田んぼには5,600種あまりの生き物がいるそうな。

夜、縁側に横になっていると、カエルと虫たちの鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。昼間とは比べ物にならない物量で、縁側の窓ガラスを一枚隔てた外の世界は、文字通り彼らの音で隙間なく満たされ埋められている。窓を開けて外へ出れば、きっと僕もその中に溶けることができたのだろうけど、帰国直後の東京と関西間の頻繁な移動による疲れと、NYとの温度差に驚き夜を半袖で過ごしたために、ここ数日少し風邪をひいてしまったものだから、立ち上がって駆け出すほどの元気も持たず、くしゃみをしながら座椅子でうたた寝をした。

さっきまで僕もいた台所では賑やかな話し声が聞こえる。食事の後もそこに残って飲んでいるのは、母と、いとこ兄弟の両親、つまり母の兄弟であり僕からしたらおじさん・おばさんと、それからその、じいちゃんの田を引き継いで耕してくれている親戚のおじさんと、そのおじさんの姪っ子夫婦。ばあちゃんは居間でテレビを見ている。じいちゃんはその隣の寝室で早々に眠りについた。僕がそこを抜けだして縁側に来たのは、まぁ里帰りの常で、NYで何をしている、将来どうする、仕事は結婚は…となかなか決まり悪く恥ずかしく答えにくい質問が飛んでき出したからで、要は緊急避難である。

ほどなくして、「風呂が沸いたからはよへぇれ」とばあちゃんが起こしにきた。続いて母も同じことを言う。もう少しじっとしていたかったけど、一度言い出すと僕が動き出すまで気をもんで何度も言ってくる二人だから、重い腰を上げて風呂に移動した。風呂は田んぼや畑がある側とは反対側だから、縁側ほどではないけれど、湯船のなかからもやはりカエルの声が聞こえてきて、そこでまたゆっくりする。布団に入って本を読みながらそのまま眠りにつく。

翌日日曜日は9時過ぎまでゆっくり寝て、午前中に母とじいちゃんばあちゃんと一緒に墓参りにゆき、山の中腹にあるその墓の草むしりをして線香をあげ、「ばあさんがいんでしもたらここに入れてくれな」などとばあちゃんに言われ、昼はそのばあちゃんがいつも揚げてくれる大好物のコロッケを頬張り、それから車で神戸へと発った。

[Exhibition] Rain Room at MoMA – Lark with gentle rain and light

Went to a special exhibition “Rain Room” at MoMA, the Museum of Modern Art in New York with my friends. Inside the dark room, we played with gentle rain, backed by a light.
友達と一緒にMoMAの特別展”Rain Room”へ行ってきた。暗室の中の、光と雨と、人の戯れ。

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From May 12 – July 28 2013, there is a temporary room for this exhibition next to the museum building.
会期は5月12日から7月28日。美術館横の広場に企画用の特設ハウスが建てられている。

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Once entered, you see it is raining in the room. You make a line and wait for a while. The number of people who can walk under the rain at one time is limited.
中に入ると、室内の天井から雨が降り注いでいる。列に並び、一定の人数ごとに通される。

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When you walk in, rain upon you wisely and gently avoid getting you wet. So you can walk as if you were Moses. The reason why they regulate the number of entrance at one time is, if too many people get into, all the rain will stop.
天井から雨が降り注ぎ、人が近づくとセンサーによってその場所だけ雨がよける仕組み。まるでモーゼのようだね。入場人数を制限しているのはそのため。一度に大勢入ると雨が全部止んでしまうから。

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There is only one light that illuminate us and rain drops.
室内には1つだけライトがあり、それが雨と僕たちを照らす。

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If you stand between the light and rain, you may see a small rainbow.
光と雨の間に立てば角度によっては虹もうっすらと見える。

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You can see each rain drop falling clearly. I felt, they were like lines on a broken TV. With the consistent sound of rain, I happened to hear a favorite song, which sings love in a small garden, inside my head.
光のおかげでひとつひとつの雨粒がコマ送りのはっきりと見える。なんだか映らないテレビの縦線みたいでもある。止まない雨の音と一緒に愛の歌が聞こえてきた。

女もすなる断食といふものを、男もしてみむとてするなり。

5月11日(土)〜5/15(水)の5日間、断食をしてみた。
別に宗教的理由でも政治的抗議でもダイエット目的でもない。単に好奇心である。

スタイルは様々だけど、身の回りの女友達に、断食をする習慣がある子が5,6人いる。男友達ではまだ出会ったことがない。それで、どんな感覚なんだろうという好奇心が前からあった。決め手は、最近入居したウェブマガジン「アパートメント」のこの記事。栗明美生さんの「断食、あるいは優しいということ」 断食明けのご飯の美味しさ、世界の優しさの描写に魅せられて、
自分でもやってみることにした。

期末試験の一番重たいやつが5月10日(金)にあり、またこのシーズン、色んな社交・外食の予定が埋まりやすいのだが、大学院生であるこの時期ぐらいしかできないと思い、けっこう前から友達とご飯を食べる予定が決まっていた5月10日(金)と5月16(木)の間を縫って敢行。

「断食」でググってみると、色んな情報が出てくる。ファスティングとも言うらしい。ダイエット効果だけでなくて、身体の老廃物を出して健康になるための手段としても考えられているらしい。断食スタイルも様々で、僕の友達のなかには、ほんとに水だけしか飲まない子、朝に軽くフルーツだけは食べる子、サプリメントで栄養だけは採る子などがいる。一番ストイックなのは、お寺に篭って修行するというやつだったけど。

僕の場合はどうしようかと思ったが、考えるのも面倒だし、人間水分を採ってりゃ1ヶ月は死なないので、とりあえず、5日間一切の固形物を口にしないことにした。基本はお茶で、あまりに飽きたら野菜ジュースぐらい飲むかもな、ぐらい。ちょうどアパート退去のタイミングでもあり、前日までに冷蔵庫の食材を全て食べ切った。

で、やってみた記録。果たして。

5月11日(土)
 初日。早朝にランニング。終日ルイボス茶だけを飲んで過ごす。前日たっぷり食べたからか、排便も排尿もすこぶる快調。大学院のfinal examsはまだ2つ残っている。比較的頭が働く初日のうちにtake-home examの方を片付ける。料理・食事を全くしないと一日が非常に長い。読書と試験を済ませてもまだ時間が余る。しかしあまり動きまわる気にはなれない。 空腹それ自体は「まぁこんなもんか」という感じで、別に我慢できないほどではなかったが、「これが5日続くのか…」と想像するとゾッとした。食事が自分のの中でずいぶん重要な楽しみの一要素なのだと改めて自覚する。街を歩いていて不思議だったのは、 移動販売車で売られているドーナツやらマフィンなどのアメリカ的スイーツやコーヒーにほとんど惹かれなかったこと。普通に食事をしている頃の方が、ついつい誘惑に負けて勉強の合間などに買ってしまっていたのだが。

5月12日(日)
 2日目。起き抜けにポロッとしたウンチが出る。やあやあおはよう、君があれかい、もしかして、宿便ってやつかい。相変わらずお茶だけ飲んで過ごす。初日ほどの空腹感は無い。慣れたのかな。 夢の中では食事が供されたのだけど、ナチュラルにそれにかぶりついてしまって、「あ、しまった!」と思い慌てて吐き出した(もったいないよね、普段はそんなこと絶対しない)。夢で良かった。日曜日なのでマンハッタンの其処此処で路上マーケットが開かれている。用事でリンカーンセンター周辺に行ったらそこでもやっていて、ケバブだのホットドックだの色んな食べ物が売られている。「よし、行ったろやないけ」と左右に連なる露店を突っ切ってみたところ、意外と平気だった。なんだこんなもんか。
 ところが夕方になってなんだか様子がおかしい。手足が若干しびれ、頭もクラクラする。勉強をしてもあまり内容が頭に入ってこない。おやまぁ。ルイボス茶も飽きたのでダシ汁を飲んだ。 ふらつきは収まったが、あと3日どうなることやら。

5月13日(月)
 3日目。もはやウンチくんも出てこない。空になったのか。もう少しすれば更にまた宿便が出たりするのだろうか。昨日ほどの空腹感はない。お茶をルイボス茶から番茶に変えた。 平日なので大学の図書館前のカフェテリアが空いており、通りかかるとコーヒーの香りが漂ってくる。が、特に惹かれない。というか、あれが食べたいこれが飲みたいという欲求がほとんど無いのだ。

5月14日(火)
 4日目。朝、ほんとにごくごく小さなウンチくんがポロッと出た。やあやあ。まだいる気がするんだがな、もう出てこないのかな。ところで食事をしないとオナラがほとんど出ませんね。さておき、この日は最後の期末試験。ちょっとぐらい栄養入れとくかってことで、大学近くの露店へ。フルーツジュースと野菜ジュースをその場で絞って売ってくれる。なんとなく、果糖を採るとこの断食トライアルのストイック度が下がる気がして、野菜オンリーのチョイス。ほうれん草とセロリときゅうりと人参。苦い。こっちの野菜はあんまり甘味がないからな。隣の露店—ホットドックやベーグルサンドやジャイロラップを売ってるお店から漂ってくる匂いが、心なしかいつもよりくっきり強く感じる。嗅覚が敏感になっているのだろうか。

5月15日(水)
 最終日。プリプリと、ウンチくんが再び現れた。君たちまだいたのか。5日目になったが、空腹自体は別に耐えられないというレベルではない。なんだこんなもんかという印象。ただ、さすがにもうお茶とダシ汁には飽きてきた。舌がその味で固定されていてなんだか気持ち悪い。明日で解禁と思うと、やたらとネットで料理に関する写真や記事を漁ってしまう。明日の最初の食事はわずかに残っている玄米と具無し味噌汁。 そこから出国日の土曜まで友達との食事が昼も夜も入っているんだが、胃腸が急にビックリしないかな。
 金曜の夜にクラスメイトとポットラックパーティーをすることになって、なんか日本のおかずでも作るかとスーパーに出かけた。居並ぶ食材の色彩豊かなこと。見るもの全てが美味しそうに思えてくる。あぁ早く食べたい。この5日間、食事をとらない以外は平常通り過ごしていたが、さすがにこの日は勉強や調べ物をする頭がなかなか働かなかった。鏡を見ると若干頬が痩せこけてきている。まぁ明日になりゃ食えるし、深刻なものでもないか。
 早く明日になぁれと、早めに寝た。が、困った全然寝れない。けっこう時間経ったかなと思い目を開けてみれば、まだ日付も変わっていない。どうやって時間を潰したものかと、とりあえず外に出る。すると、ここに来て急にフラフラする。あ、すごい、びっくりするほど歩みが遅い。牛歩よ、牛歩。家から一番近いスーパーに入り、夢遊病患者のようにフラフラ店内を歩く。明日の食事になんか一品加えるか、と思ったのだけど、結局何も買う気になれなかった。悲しいかな、近所のスーパーものすごく品質悪いのよ。見た目と匂いでも分かるんだけど、驚くのが、じゃがいも、腐るの。玉ねぎやパプリカも買った時点で傷んでるの。あと、棚から野菜が落っこちたままよく放ったらかしにされてるの。哀しい、食べ物大事にしようよ。もう食べられるならなんでも良いやと一瞬思ったけど、嗚呼駄目だ、ここのは食べる気になれない。

5月16日(木)
 断食明け。米を炊く、味噌汁をつくる。手を合わせる。
 うまい。嗚呼旨い。5日ぶりの食事。
 食べた後、横になると、身体中がドクドクと脈打っている。一回一回の鼓動ごとに、全身に血液が巡っているのだな。

 
 
 5日断食してみて、特に世界が劇的に変わったとか、感受性がビンビンになったとか、自分の場合、そこまでではなかった。どれだけ優しくなれたかも、知らない。ただやはり久しぶりのご飯は格別なもので、僕にとって食はやはり生活の歓びなのだなと。
 デトックス?がどれだけ進んだか、知らないけど、確かに断食中お腹の調子はスッキリしていたから、月に一度1日程度でも、食事を抜く日があっても良いかもしれない。

Instant harmony on S-train

11th May 2013, Saturday
 
S in S-train stands for “Shuttle.” The horizontal line runs 42nd street and takes me from Times Square to Grand Central only within a few minutes. In the afternoon I got on the S-train to go back to Times Square after cutting my hair at a salon in Midtown-East, and found there a man playing the guitar. Before the train starts, he lightly played his original song, and after that, as usual for train-performers, promoted his $5 album and called for donation. The train started, then he chose “Billie Jean” by Michael Jackson for our short run to Times Square. He played intro, mocking drums by his voice and playing a string line by his guitar. One guy on the same train said to him something (I couldn’t hear well though) and he replied casually, and then skipped several lines and jumped to the part “People always told me Be careful what you do” cos soon the train was arriving to the station. Most of the passengers looked enjoying his song and talk. Finally he sang “Don’t go around breaking young girls’ hearts” and said “everybody say!” “””Heee!””” we replied. “Thank you, thank you! Have a nice weekend!” We got off the train and he remained. I really love such an “instant harmony” in our daily Manhattan life.

Sound of A-Train

4th May 2013

It is no longer surprising for me to meet performers who suddenly play music or dance on subway in New York City since I’ve already stayed here more than 8 months, nor even no longer annoying. It never happens in Japan, but now I enjoy such performance without being irritated even though they interrupt my silent reading. To be honest, I do not like aggressive breakdance performance using pipes on the train by young boys so much, but still it’s ok unless they accidentally kick me. Most of the sounds of such subway songs and dances jolly and boisterous ones. But today’s sound I met in the afternoon was a little different, and therefore comfortable for me.

I was on an express A-train and going down to Canal Street in SOHO from 168th street in Washington Heights. I like A-train, cos he lightly passes most of the station within Upper-West Manhattan. I was reading an interesting book about “soundscape” by Raymond Murray Schafer, while the A-train was running through Upper-West without stopping from 125th to 42nd. At first I was concentrated on the book, but gradually become aware of a moody music coming to my ears, and I found one guy was singing the song with his CD playing. For a change, it was an R&B music, which I rarely hear on subway. He’s from Puerto Rico. His moody and melodious sound matched today’s mood of myself combined with a dark, continuing express road. I closed my book and listened to his sound, while looking out of the window from my seat, which was put parallel to the direction of the train. Outside of the window was almost dark, but sometimes blue light on the wall of tunnel cut across. I saw my face reflected on the window without thinking anything. Stable clickety-clack sound of the subway wheel made a session with percussions of his CD, and he sang on that. Whenever I meet such a gift from NYC, I imagine if you like this town.

Diary: 03/12/2013 Tue.

In the class morning, suddenly I choked on my spit and had a coughing fit a while. It’s not by cold, just what anyone can do sometimes. So I didn’t care itself, but at the same time I remembered one of my favorite songs “ANSWER” by a Japanese pop singer Noriyuki Makihara. The song describes a similar event at a subway station, and the man in the song, following the cough, cannot stop tears rising from his eyes (this time I didn’t cry, by the way).

というわけで槇原敬之の「ANSWER」がふと浮かんだわけなんだけど、好きです、この曲。改札で咳き込む最初のシーンも良いのだけど、最後の”春の強い風も夏の暑さも秋のさみしさも冬の寒さも”ってとこ。シンプルな歌詞なんだけど、メロディーの盛り上がりと相まってじんとくる。そういえば今日は雨も風も強い日だったよ。

Diary: 03/11/2013 Mon.

While walking down to the auditorium for class in the morning, I recognized I was a little down today. I know the reason. It happens often when my emotional valve open after receiving passion of many people. Also, this is just in my regular biorhythm, up and down. Just a ordinary day. I gratitude I live such an ordinary life.

少しぐったり、心揺れ気味。上がった後は落ちるという単純なバイオリズムなので、いつものこと。粛々と生を歩む。