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Working abroad, and cultural & ethnic roots / 海外で自分のルーツを活かすこと・男は直線、女は直角、の話・同窓会運営の諸問題 etc.

October 10th, 2013, Thursday

Visited The New York Asian Women’s Center (NYAWC) with a friend and talked with Japanese officer working more than 7 years there. They help women and their children overcome domestic violence and other forms of abuse by empowering them to govern their own lives. NYAWC is the largest organization that focuses on a DV issue for immigrants. Another young officer guided me their office and explained their jobs, 24 hours hotline, shelter services and so on. Their services are multilingual (Japanese, Chinese, Korean, Spanish etc.). Then I talked with them for 1 and a half hour.

DV is an important problem, maybe in every country, every society itself. But in addition to that, when it happens on immigrant couples (both are immigrants or, husband or wife is immigrant), it become more difficult to support because of cultural and linguistic barrier. In general, US people have a stronger “sense of entitlement,” I mean they know their own rights to sue the partner, or depart when it becomes intolerant. But immigrants do not know well domestic laws and legal systems, and what they can do or cannot as immigrants (also immigrant population tend to be marginalized, low SES status). And they do not know much about where is a service or organization that help them in their own language. In addition to that, cultural difference suffers them, especially women marry with domestic men. The young lady officer, who is on hotline counseling service and talk with Japanese in NY frequently, told us that Japanese women tend to bear even if they suffer from DV, and to think they themselves have something wrong, their partners were just in stress at the time of DV, or they should improve their relationships. So Japanese women are not so active to declare and use their own ‘rights’ compared to US women. Thus NYAWC officers tell them “know your rights,” cautiously and cordially consult with them, and provide them with options such as legal actions support, shelter services etc.

What was interesting for me was that the Japanese officer said, their own cultural or ethnic backgrounds are very essential and vital to be competence in such jobs accompanying in person counseling. Just being able to speak English doesn’t mean competent in abroad. However we foreigner make efforts, we cannot be native both in terms of language and cultural ‘codes.’ Thus, leveraging our own background is important to be unreplaceable.

NYAWCのオフィスを訪問してお話を伺った。上に書いた通り、アメリカでのDV被害の実情と対策のこと、immigrants特有、あるいは日本人特有の悩みやトラブルの傾向など、活動自体のお話もさることながら、日本人として海外で働くことについての話も大変興味深かった。

海外で言語・文化的な様々な壁を越えて代替不可能な人材としてネイティブと肩を並べて活躍するには、高度な専門スキル以外だと、自分ルーツとなる出身国・地域の文化・歴史的背景を活かせるかどうかってことになる。特にこういう対面カウンセリングを伴う仕事では、クライアントの文化的バックグラウンド、そこからくる暮らしや考え方を理解できるかどうかというのはかなり大きい。

一緒に訪問した、20代前半からずっとNYにいて現地機関でカウンセラーの仕事をしたこともある友人が「それでも私はこっちでは9歳児並みなの」と言った。「ネイティブ並み」ってのを言葉の流暢さだけじゃなくて、笑いとか歴史とか機微なところまで分かるレベルとしたら、どれだけ勉強してもなかなか…

日本で「グローバル人材」なんて叫ばれて久しいが、「ちょっと英語が喋れる」レベルならそこら辺にいくらでもいるわけで、それだけでは「誰でもできる仕事」しか回ってこない。現地に溶け込む、異文化を理解する努力も大切だけど、自分のルーツ、ローカリティはふんだんに活かしてなんぼだと思う。

僕もまぁ、こっちで色んな繋がりやチャンスが広がったのは、石巻での経験あってこそで、1年deferしてなかったかどうだったか分からない。MPHの授業でも、よく語れるのはCommunityやSocial capitalといったSocial determinants, Marketingなど日常生活に根ざしたもの。それからEthics, Law, Politicsなど学部のmajorと関連するもの。そこそこ慣れたけど、アメリカでお医者さんやってた人がアメリカの医療制度・現場実践を前提にお話する時とか、銃社会であったり連邦制度であったり、社会の成り立ちからして日本と全然違う部分での話題は、なかなか(苦笑)MPHも学部・専攻はかなり多様で、中国やインドやケニアやなどから来てる留学生は、BiostatsとかEpidemiologyなどスキル向上で対応できる要素が大きいところやPopulation & family healthみたいな途上国・開発援助色が強いところに行く人が多い印象。まぁ、なんちゅーか、勉強熱心な優等生であるだけで留学や海外就職してもなかなかアレで、したたかさと粘り強さと創意工夫あってこそなんだろうなぁ。

終わった後、ランチを食べながら一緒に訪問した友達と色々話す。
男女の恋愛観の話。

「男の人はね、真っ直ぐ進みながら色んな人と付き合っては別れるから、振り返ると色んな顔が見えるの。だけど、女の人は別れる度に直角に曲がって生きるから、振り返っても誰もいないの」

な、な、なんちゅー格言や!!


greenzで書いた夜明け市場の記事が公開された。
レトロなスナック街をリノベーション!福島いわき市の飲食店オーナーが、再出発をめざす「夜明け市場」

鶴巻さんに、「すっかりいわき担当だね」なんて言われて、確かにそうだなと思いつつ、来年またいわきに顔を出すことを楽しみにしている。

UDOK.のりけんさんが、こんな投稿をしていた。FBだが一般公開ポストだったのでリンクを貼っておく。下記一部引用。

「復興」と言ってしまうことで、問題の本質が見えなくなったり、何かに取り組む人の真意がぼやけてしまうことがあると思う。そして、ほんとうに復興が必要な問題を見えにくくすることもある。

しかしながら、実際のところは、冒頭のように、福島で行われる何かに対して、復興とか希望とか、そういう言葉でまとめられてしまうケースが多い。まあ、いろいろと都合がいいんだよね。誰も傷つけずにニュースの時間を消化できるし、「被災地の声」を届けたことにもなるし。

簡単に紋切り型の「復興」や「被災地」といった言葉を使わないでいかに届けられるかが、言葉を使う人、ニュースを届ける人の仕事だと思うのだよな。

翌日のPracticum Dayのプレゼン準備で切羽詰まっているときに、海の向こうのこれまた翌日にある同窓会に関する連絡の相談が後輩から。(今年は学年幹事に指名されて海の向こうからせっせと出欠催促のメールを同期に送っていて大変しんどかった…苦笑)

同窓会活動って、要は毎年集まってみんなで懇親会するのと、あと現役がなんか困った時に先輩がサポート(あるいは事前に教育)すること、それができるための体制を作って維持することに尽きると思うんだけど、そのための実作業はとても地味で、要は名簿・連絡先の管理・アップデートと、メンバーへの呼びかけ、会計などなどを卒業して働きながらやっていくことになる。

一般的には
・メーリスやオフィシャル連絡が機能しない問題
というのがありがちで、伴って
・ごく少数のメンバーの幹事業にしわ寄せが行く問題
があり、伴ってその人達も「やってらんねーぜ」となり
・年々出席率が下がっていく問題
があり、それをどう食い止めつつ、省エネモードで無理なく盛り上げていくかが難しい。

同窓会あるいは現役活動へのアラムナイの距離感が様々なのは当たり前のことで、自分の現役活動を終えたら離れていくアラムナイがいても良い、と僕は思う。基本的には加入も脱退も個人の意思なのだから。かといってオフィシャル連絡だけしてあとは知らん、というのもちょっとさみしい。あとは、自分たちも現役時代に色んな人のお世話になってきたわけだから、恩返しというか恩送りというかさ、そういうのは、大事だと思うわけですよ。コミット度合いの高い人達の熱意の押し付けになってはいけないけれど、こう、「連絡不精なだけで別にそのコミュニティを嫌いになったわけでもなく、顔さえ出せば楽しんで満足してくれる層」というのが必ずいて、いやまぁメールの確認・返信ぐらいちゃんとしろよとは思うわけですけど、やはりそういう人たちには是非途切れずに残ってもらって、たまにでも良いから来て欲しいわけです。久しぶりに会えるだけで僕は嬉しい。

自主性や自助努力や自己責任といったものは基本的に信用せず、「性怠惰説」を前提として、少しでも幹事業に負担がかからずなおかつみんなの「面白そう、久しぶりに行ってみようかな」の気持ちを刺激するかって話です。

コミュニティは、作るよりも維持すること、それも変化に応じながら維持していくことが一番むずかしい。

とはいえ、愛ですよ、愛。

日本にいる友達の具合が悪いようで心配だ。少しでもうまく睡眠をとれると良いのだけれど。

Fall deepens

October 9th 2013, Wednesday
It’s a clod day. Fall deepens. 朝晩冷え込んできた。

On Wednesday, I have a Strategic Communication class, by senior lecturer Alan P. Levenstein, who has a brilliant career as a business person and knows much about marketing (and also, every time humorous and wearing dandy suit). This semester we took a case of gun control and developed a communication strategies for Mayors Against Illegal Guns, and at last made a presentation to a officer from the organization.

Whenever I study about U.S. social issues, gun control, Obamacare, soda ban, tobacco etc., I see huge difference of between US and Japanese system and culture. Whenever political debate come to regulation on anything, US public debate (esp. from repub.-oriented persons) shows concern on, or allergy to, governmental regulation on individual freedom. It appears less time in Japan. Also there are huge varieties and autonomies between states under the federalism system. That makes them so difficult to realize nation-wide gun control or national health insurance. Japan tends to prefer equalized standard for everyone. It’s not a good or bad question, just a characteristics of each country, and it’s almost impossible to radically change the culture because of deep-rooted history (e.g. Independent War from Britan, defeat on WW2 and rule by US after), but at least give me interesting lessons.

親知らずを抜いた部分の腫れがちょっとずつひいてきた。ま、それはどうでも良いとして、僕は幸か不幸か、ほとんど大きな怪我や病気をしたことがない。ヘルスケアや病気や障害や災害やなんかについて語るとき、いつもつかみどころのない感覚を抱いている。用語や特徴や統計的分布や対策をどれだけ覚えたところでなかなか変わらない。惹かれるようにしてそこら辺の分野周辺をうろついているのは、結局身近な人の存在、が大きい。今まで出会い関わってきた人―友人や、昔の恋人やお師匠さん、最近ではじいちゃんばあちゃんもだんだん元気なくなってきた、で何かしら心身の大きな痛みや苦しみと闘っている人、そういう人に対する愛おしさとかやるせなさとか羨ましさとか、そういうもの。

NOGANの茂木さんのインタビュー記事がFBのシェアで流れてきたので読んだ。
ET Luv.Lab., 「横浜の創造力の舳先に」茂木 隆宏 – ノガン株式会社 コンサルタント

茂木さんとはじめてお会いしたのは2011年の1月か2月のこと。当時手伝っていた寿町の活動でインタビューに行ったのだった。
ないものを求めるのではなくて、そこにあるものを工夫して、というお話、当時とても印象に残っていたのだけど、そうか、それはその後の僕の石巻での仕事にも、今の暮らしにも、繋がっていたなぁ、と。

今回の記事で印象に残ったのは下記の部分。

【加藤】そう言えば、ノガンって名前の由来とかあるんですか?

【茂木】由来としては、世界で一番重い飛べる鳥の名前です。僕らは鳥を意識していて、始める時から「垣根は超えたいね」という話はしてたんですね。トータルデザインみたいなのが最初のコンセプトだったので。色々なところに飛んでいって、移動できて、ちゃんと中身詰め込んで飛べるギリギリのラインの鳥。

【加藤】なるほど。ギリギリのラインはすごい体力使いそうですけどね。

【茂木】いつも勉強している感じがします。僕、WEBできなかったんですよ。知らない世界でした。一緒にやっている浅野もプロモーションの仕事を今はガシガシやっていますけど、そもそもインテリアの出身なので。

【加藤】じゃあどんどんクライアントからの案件に合わせて新しいことを覚えながら。一緒ですね。僕、3年前くらいまでほとんどプログラミング触ってなかったですから。

【茂木】ええ!そうなんですか。それはそれですごくないですか。

【加藤】でも、結局、それで何とかできる人が、どんどん強くなっていく気がするんですよね。

そうか、そうだよなぁ。

NOGANのお二人、Webデザインからおでん屋さん(!)まで手広く活動されていて、まだおでんは食べたことがないのだ。また横浜に、寿町に行きたい。

Autumn leaves / 「日常」はどこにある

A little bit busy days with a lot of writing including class assignments (memos, reports), grant application, web-articles. Writing is hard, unproductive and wondering process to make good works. So it needs a courage to get started (I fall in sleep many times before starting), but once I started my mind will be sharpen up, and put myself on endeavor to weave a good story. Enjoying? Yeah, maybe, at the same time suffering, but just cannot stop it. It’s a way of living.

On the way to my home I overslept for one station, so I walked up to my street for about 3 avenues and 3 streets. Alongside pavements, broad-leaf trees standing (it’s so Brooklyn-like), and I found there were already some amount of fallen leaves. It’s autumn! Soon my street will need to clean-up, but I rather look for it cos I can enjoy sounds of leaves swept by my broom.

こちらの朝、向こうの夜に、小名浜UDOK.のみなさんとSkypeで話した。「日常」という言葉がキータームで、色々なことを話した。日常からはみ出していくこと、何気なく通り過ぎていく日常のなかに面白さを見つけること、あるいはその「日常」は実は当たり前ではない危うい存在なのだとときたま自覚すること。そこから生まれる、日常に根ざした表現活動があるということ。

彼らの活動の延長として来週末には小名浜本町通り芸術祭だ。それの紹介も兼ねて記事を書くからSkypeをしたのだけど。行きたいなぁ… 
まぁまた来年以降いつでも行ける。フラッと顔出せば、そこにはみんながいるし。

地域に根ざした表現活動というものは、その土地に暮らす「地元民」だからこそできることであるが、一方で、「日常」からある種の「非日常」を発見する行為は、その「地元民」を一時的に「観る者」≒「ヨソモノ」へと変える行為でもあるだろう。「日常」と「非日常」、「地元民」と「ヨソモノ」は、実はいつでも転倒し得る。それが面白いと僕は感じる。

ところで僕の「日常」や「地元」「ホーム」はどこにあるのだろう。いやもちろん出身地とか長く過ごした土地というのは存在するのだけど、今日話したような色々な機能を果たす時間や空間としての「日常」や「地元」というものを純粋な意味ではどこにも持っていない気がする。いつもふらふらしている。それが悪いこととか悲しいこととは思わないけど、「土地に縛られる」という感覚をついぞ持っていないままここまで来ている。どこに行っても、誰といても「ヨソモノ」である感じはする。
あ、昔のヒト、あるいはそのヒトと関連するモノ・コトに縛られたり取り憑かれていることはちょっとあるかもしれないな。人生そんなもんかな。

お仕事やお手伝いでもって、書くこと、あるいはその前後段階としての物語を編むことでお役に立てる機会が少しずつ増えてきている。それは嬉しいことなのだけど、なかなか自分のことをゆっくり整理して書き落とす時間がとれていないな。

とはいえ、仕事としてやらせてもらうのは、気がシャキッとして、良い。この人のために、もっともっとうまく書きたい、伝えたいって前向きな気持ちでやれる。

これポストしたらちょっと寝てUDOK.の記事書こう。

P.S. 1
日本に帰って何がしたいって、親知らずを抜くことしかない。抜かずに放置していたやつが暴れだして、この夏の東京勤務中にけっこう腫れて痛くなったのだけど、留学中は国保入ってないから、歯を抜くお金はねーなと、とりあえず抗生物質で収めたのだけど、個々数日また再発。こっちの学生保健も歯科はカバーされていないから、同じく実費で抗生物質だけ処方してもらった。うーん、対処療法。早く抜きたい。

P.S. 2
現在の居所(NY)と実家(神戸)と海外転出前最終住所(石巻)と帰国時の主たる勤務地(東京)がバラバラだから色んな書類や荷物の受取・保管とか給与や税金の支払とかややこしい。住民票もないし。夏に税務署で相談したけど担当の方困ってた。帰国が3/15を過ぎるか否かで確定申告の対応も変わるようだ。でも俺そのタイミングがちょっと分からんからなぁ。今日も、日本と遠隔でやってる仕事で、請求書の住所どうしようかという話になった。
ノマドらない、ノマドれない、ノマドりたくない。むしろ定住したい。引きこもりたい。無理か。
いや、ちょっとウソだな。ノマドとかはどうでも良いのだけど、実際のところ、いつの間にか安定願望とか定住願望というのが消えてしまっている。えー、俺こんな性格だったっけ。人生分からんもんだよ。楽しいけど。

Back to Big Apple

2013.09.07 Sat.

I’m back to NY and fall has come! It is a time of “Hello!” to new comers, and “Welcome back!” or “Good bye” to friends (of course I know it happens every time, every season under the Big Apple, but…).

Immediately after being back to NY, I started the Fall semester with jet lag, finding that some of friends of our class are still working abroad (for global internship), some had already graduated in May and no longer there. On Friday, I met a friend from Burma (he graduated another school in May), spent just an hour with a cup of coffee before he’ll go back to his country. He got a job in his home country, with great passion for the future of Burma where a lot of changes are happening towards development and democratization and market is opening to foreign capitals. It won’t be an easy task to handle power games between and within countries and seek for decent society, there must be light and shadow. But anyway, I send my best cheer to him and other Burmese friends, hoping they’ll be fine and seek for their dreams.In turns, new students have come to campus, including my friends from Japan. I was surprised that already one year had passed since I came to NY. It is now a funny memory, but during the first semester I felt pretty nervous and depressed. Now I know rainy days never stay. On Saturday, I met one of my friends from Japan and had lunch. We studied at the same undergraduate college but it may be already about 2 years since we last met, though we had Skype talks. Given her interests and personality, the mood in this city may fit her.

Artists, designers, businessmen, students with ambition and dream come from everywhere and leave here anytime. Hard competition and huge disparity, but still this chaotic, crazy but lovely city welcomes everyone. Nothing normal, nothing special. We are allowed to do anything, and with any luck, can enjoy 15 minutes of fame.

始業の前日に帰ってきて、時差ボケを引きずりながら低空飛行で新学期を開始。来週からようやくブルックリンへ移る。
夏の間に幾人かの友達がクニへ帰ってしまっていたことを知る。代わりに新しい顔ぶれがわんさかやってくる。この街では毎日のように人が吸い込まれては吐き出されているから、そんなことは珍しくもなんともないはずなのだけど、季節や学期の変わり目はやっぱり別れが目立つ。とにかくみんな達者でやっとくれ。僕も、そうだな、あと半年。マンハッタンは相変わらず過剰に狂った街だと思うけど、だからこそ…何やったって良いのだ、ここでは。

雨とワックスのにおい

本を読んでもノートを開いても、文字が頭に入ってこない。
こんな日もあるかと、電車の座席に座って思考を止めた。
丸の内線は実は荻窪まで伸びている。

降りる駅だと思って席を立ったが、あとひと駅先らしい。
空いた車内で一人立っていることの意味を考え続けるほどの力もなく、
さっきの座席の斜め向かいに座り直した。

さっきまで僕と同じ列、2人分ほど空けて座っていた男性は、
落ち着きなく辺りを見回し、僕と目が合うとぼそり「なんだよ」と吐き出す。
そうだな、僕は、なんだろう。

アナウンサーがカメラのレンズの少し上を見るようにして、彼の輪郭をうつろになぞる。
突然課された宿題の答えが出ぬまま目的地に着いたので、
手すりをだらりと持って身体を引き上げ、彼の横を通って車外へよじり出た。

ホームに降り立つと雨のにおいがしたが、階段を登って地上に出てみれば、とっくに上がった後だった。
そしたら今度は、ついさっき美容室でカットの後につけられたワックスのにおいが妙に鼻にさわり出したから、
足早に家に帰ってまとめてシャワーで洗い流した。

SAMSUNG

今日は土曜だと思っていたら、どうやら日曜らしい。
手持ちのケータイは手ブレがひどくって不可ない。

自己責任論のズレ

田中龍作ジャーナル | 「奨学金」という名の学生ローン 1,000万円超す借金抱える若者も
奨学金を自己責任の問題にすると日本が滅ぶ – 技術教師ブログ

奨学金の返済困難や就職難といった、若者の社会・経済的苦境の話題になると必ず出てくるのが自己責任のシバキアゲ論なのだけど、あれがなんでズレてるかって、ああいう言説の適用範囲を想像してないからなんじゃないかなと思う。

自分の人生をどの程度主体的にコントロールできるか、と考えたときに、その度合い(能力面でも意思の面でも)が大きければ大きいほど自己責任論はすんなり受け入れられるのだろうけど、その逆、個人じゃどうしようもないレベルまでトマホークをぶん投げるから不味い。

現在から見て未来を考えて作っていく場合であれば、先のことは分からないわけだし、また意思決定の主体が社会的にも自立した大人であれば「自分の人生は自分で考えてなんとかしろ」と言っちゃえるのかもしれない。
で、そういう言説を好むのは、だいたい社会的にもある程度成功して、「自分の人生は自分で切り拓けるし、切り拓くべきだ」という信念を強固にした方々なのだろうけど、彼らが自分と近しい人・近しい環境―たとえば、激務の外資系コンサル・投資銀行に自分から就活して入ってきた、それなりにタフな学生・若手社会人に対して上司・部下の関係で言うならまぁ分かる。
だけど、その言説のスコープを社会全体に広げるのは無理がある。子どもたちにはコントロールできない生まれ・育ちの時点での社会・経済的格差や、青年たちにはコントロールし切れない景気・就職の動向や卒業後の稼ぎの見通し、教育の質を無視してマッチョになれと言われても、無茶でしょ、と思う。

難しいのは、こうした話題の渦中にある20歳前後の青年期が、保護・教育の客体としての側面(子ども)と自主・自立した主体としての側面(大人)が折り重なった時期であるからだろう。加えて、社会が成熟するにつれてモラトリアム期も長くなっていく傾向にあるから、すでに中年・壮年となった方々の当時の若者感覚とは当然ギャップが生じるのであり、最近の若者は情けない・根気がない・のんびりしている・覇気がない⇒だから就職できない・奨学金を自分で返そうともしない、みたいな発想に陥りやすいのだと思う。

借りたお金は返す、というのは当然のことだし、学生支援機構の奨学金も、名前は「奨学金」だけど実態は貸与ローンであることぐらい、申し込み時にどんな学生だって書類を書きながら普通は自覚・理解する。返す当てがないなら借りるな、それぐらいの金銭的・経済的判断・マネジメントは大人なんだからちゃんとやれ、と言う人もいるかもしれない。
とはいえ、多くの学生は、高校・浪人から上がって大学に入ったばかりタイミングで学生支援機構の奨学金(ローン)を申請するわけだし、その時点に様々な不確定性・リスクを見越して、奨学金を借りるかどうかの判断を下したり人生設計をできる学生なんてほとんどいないと思うんだけど。ましてや、最初から返す気が全くなくて踏み倒してやろうなんて気で借りる人なんかほっとんどいないはず。
入学後も学業や課外活動や就活に追われるうちに、そうしたフィナンシャルプランを立てることは後回しになりがちだ。それぐらい在学中にできるようになりなさいというなら、それを教える・促す人や仕組みや教育機会はもうちょっと必要だろうとも思うし。

高い教育を受けて、ビジネスの世界でも組織を運営したり仕組み・構造を作る側に回っているような優秀な方々が、こういう話題になると急に視野狭窄のマッチョ自己責任論を振りかざすのを見ると、なんだかなぁ、と思う。

P.S.
というわけで、渦中の若者世代からしたら、なんでもかんでも自己責任論にせずに、きっちり構造上の議論や法制度改正をしてくださいよってことなんだろうだけど、「若者」という集団・立場さえもとっぱらって、一度切りの自分の人生を生きる、根源的な当事者たる「わたし」の立場からしたら、結局「今、ここ」から出来る最大限の抗いをするしかないのだ。

一度きりの人生単位で考えたら、「わたし」の生まれたタイミング・環境が不運にして相当程度不利だったり、そうした状況に対する社会的・構造的な是正措置が取られない、あるいは間に合わないこともある。それはもう当たってしまった以上仕方ないことだから、頭使って一番マシな戦略を探して行動し続けるしかない。文句言ってても誰かが助けてくれるとは限らないし、諦めたって状況は好転しない。
1)既存の仕組み・環境のなかで最大限頑張ってマシな待遇を得て、サバイブし続ける。
2)既存の枠組みを変えて新しい仕組みを作る、そのためにできる様々な働きかけをし続ける(記事にあるようなデモもその一つかもしれないけど、必ずしも有効で賢い戦略とは言えない)。
3)今いる環境から逃げ出し、よりマシな、より自分にフィットする環境や社会を見つける。  

できることってだいたいその3つしかない。あるいはその3つを同時進行的に、あるいはこまめにスイッチしながらトライアンドエラーを繰り返すしかない。

あわいを生きてる

公開しない体で日々の日記をつけていたけど、ここ数日の出来事や考えに共通点があったので、
そのまま載っけちゃおうかと思って。たまにはね。

何かと何かの、間
あわい
そんなテーマで。
(だからこの記事も、構成と非構成の、間にあるのだと、そんな言い訳をしてみるのです)

2013/07/04 Thu.

スパイラルに陥らないように。
その瞬間の自分の素直な感覚に従うことも大切だけれど。
一方で、「そう思おうとしている」自分の存在、無意識に形成された強迫観念を、ある程度対象化することも大切。
まぁ、意識する、気をつける、では習慣は変わらないのだけど。
どこかのコンサルのおっさんが言ってた、時間の使い方、環境、人付き合いを変えろ、という主張だけど、
habit(習慣)に関する学術研究においてもおおむね同じ事が指摘されている。
 

 
「誰もお前の細かい行動なんか気にしてないよ」

時折自分に言い聞かせる。

* 
 
社会は巨大なお芝居の舞台で、人生はその中でいくつかの役割を順に、あるいは同時に、あるいは交互に演じていくことなのだという話をした。
理解した上で、役割に準ずる、時に外す/トチる、反逆する人
理解しないままで、踊らされる、反発する人

ひとつのペルソナだけを見て、相手の「人間性」を断定したくないといつも思っている
知らないところ、覆い尽くせないところはいつでも残るから
それでも知りたい、重なりたいと思うのが人情だけど
永遠の追いかけっこ

東京という街で生きることをどう表現したものかって、たぶん、その身を「浸し」ているというのが一番感覚に近い。今のところ。

同じ都市と言ってもNYとはまた違う。NYでは骨と輪郭を持って舞台の上に立っているような感覚が強い。
NYは街全体がジャズのようですね、と言った人がいた。

2013/07/05 Fri.

担当していたインタビュー記事を朝に仕上げて入稿。
ちょっとずつ、書くお仕事、していきたい。

書くことに限らず、社会と接続してバランスを取るためには、
何かしらのお仕事を持っていることはやっぱり大切だな、と何度も思う。
僕のように内側に潜りがちな人間は特に。
そんなものがなくても出来る、というのが理想だけど、
締め切り、読み手、上司・同僚、クライアント、商品・サービスの購買者・購読者etc.
仕組みやスケジュールのなかで否応なく他者の存在が可視化されているというのはやっぱり有難い。

お勤め3週目が終了。早かった。

それにしてもキャッシュが無い。
試用期間が終わり今週からお給料が発生しているのだけど、
振込は来月になるから今月は緊縮財政。

心は錦ってね。

ここ数週間ずっと咳が出る。なんでだろう。
風邪ぽっかったけどくしゃみとかはもう治ったしなぁ。
この夏は無保険だから病院行くわけにもいかない。

ノマドとかそういう流行り言葉はどうでも良いのだけど、
図らずもそっち界隈に近いライフ・ワークスタイルになりつつあって、この先どうなることやら。
国籍、戸籍、住民票、国民保険、年金、住居、そういうハコにちゃんと収まっていない不安定さはある。
移動が多いと荷物を多くできないから、家具とかかさばるものは買えない。買うお金もないが。
(本だけはどんどん増えていくから困る)
ま、なんとかなるんだろうけど。
確固たる足場や肩書きを外部から与えられなくても、
自分でちゃんと生きてる人の具体例が身近に多すぎるからな。
国籍ひとつとっても、日本とアメリカの(こっそり)二重国籍だったり、
あるいは故郷を追われて難民となった人だったり、
在日外国人だったり帰化したり、色々いるからな。
それぞれの人がその境遇ゆえに背負った大変さもあるし、
社会現象としてどう議論し対処すべきかというのは別の議論としてあるけど、
ひとりの人間が、生きる、生き抜くということからしたら、究極的には瑣末な問題だ。

一方で、HOMEがある、HOMEを持っていると思えることは、人が健やかに生きてゆくうえで大きな支えになる。
「ただいま」と「おかえり」を言える関係性、日常。
最低限それだけでも、みんなが持てる社会だと良いなぁと思う。
それは必ずしも「地元」的なひとつの土地や街でなくたって良くて。
時期によって変わったり、複数持っていても良くて。

ふらふらと移ろいながらも関わってきたいくつかの分野に共通しているのは、
自分自身の居場所や役割、心身や健やかで穏やかな暮らし、あるいは安らげる暮らしを持てなかったり、
そういう出来事に直面した/している人たちがいる、ということだろう。
紛争、障害、災害etc.

富岡や小高や飯館や浪江の人たちのことを想う。
いつかの将来に(場所によっては数世代先になるだろう)、帰ることが出来れば幸いだけど、
新しい場所での直近の暮らし、ここでも別のHOMEを持つことができますようにと願う
 

 
本当は、 
「大丈夫であるように」と、そう願っているのは他ならぬ僕自身でもある。

2013/07/06 Sat.

起きてみたらなにこの暑さ。
梅雨、もう終わり?まだ?もうすぐ?

梅雨と夏の間。

少なくとも、僕の今日の気分は夏、夏だってばさ。

夏だ!と思った時に聴く曲は決まっている。

JUDY AND MARY Brand New Wave Upper Ground

おいかぜーをーたっどぉればーくもーがーはーれてゆくー!
ってね

少し前にちょっとおセンチな気分になって、あまり人がいない静かで肌寒い海に行きたい、なんて言ってたけど、
太陽いっぱいの夏の空の下、海辺や桟橋を走るようなこともしたい。

女心と秋の空、なんて言いますが、
男だって、夏だって、いつでも表情と気分は変わるんです。
昨日と今日の間。
ネアカとネクラの間。

2013/07/07 Sun.

昨日公開したみちのく仕事のインタビュー記事がけっこう好評で嬉しい。
書き手冥利に尽きる。

震災後、「東北との関わり方」をどうしたら良いか/どうすべきか/何ができるのかといった悩みや相談と出会うことが多かった。
あるいは最近は、震災に関わらず、主に若い世代の間で、「働き方」や「暮らし方」そのものを考えなおす/問いなおすということがちょっとしたトレンドになっているように感じる。

伴って、方法論や形式論が盛んに議論される。株式会社/NPO/一般社団法人/任意団体、雇われ/起業/フリーランス、都会/地方、Uターン/Iターン、日本/海外、就職/進学/休学 etc.
こうした話題がトレンドになるのは、今まで主流となっていた(らしい)働き方に疑問が持たれ始め、ある種の過渡期にあるからだろうと思う。震災が人びとの心を揺さぶり、こうした問いかけや悩みを加速させた面もあるだろう。
方法や形式が内実を左右する割合はとても大きいから、自分にとってどの方法・形式がピッタリなのか考え続けること自体は大切なことだと思う。

ただ実際は、二者・三者択一で選び取られるほど働き方というのは単純なものではないし、どれかひとつの形式が他に比べて優れているというわけではない。
なので、考えること自体は大切なのだけど、一方、考えているだけで答えが見えるわけではないのも事実で。
また、最初から不変不動の最終的な答えがあるはずもないというのも事実で。
やってみて初めて分かる、ということもたくさんある。

流動的な状況・自分自身の変化・成長に合わせて少しずつシフトチェンジがなされ、だんだん落ち着くべきところに落ち着いていくもんだと思う。
人間ひとりの人生単位で見たときには、上記のような形式論の粒度では掬いきれないだけの多様性と流動性がある。何かひとつを選んだように思えても、2,3年後には考えも働き方も大きく変わっているということは十分あり得る。

昔誰かが言ってた「会社に人生を預けるな」という言葉には共感するところだけど、
自分以外の誰かが掲げる「働き方論」に自分の選択を預け切ってしまうことも、組織に身を預けることと本質的には変わりない。
山を登る時に、得体の知れない「誰か」に上からロープを垂らしてもらうよりは、
時間がかかっても、ハーケンをひとつずつ打ち込んで、自分で登っていきたい。
 
 
「答え」なんてものが仮にあるとしたら、それはいつも何かと何かの「間」にだろう。
掴めるようで掴み切れないから、リアルタイムで触れてはすれ違う。
「わたし」と「あなた」の間
「個人」と「組織」「社会」の間
「自分の働き方」と「あなたの働き方」の間
「現在の自分」と「未来の自分」の間
「実践」と「言論」の間

あわいを生きてる。

文の月

「2週間ぐらい文章を書かないでいるとほんとに筆が進まなくなるよね」という話をつい先日、友達としたところだけど、まさにそんな状況に陥っていたところ、6月が終わり、文の月。

福島から東京へ帰り、お勤めが始まり、阿佐ヶ谷仮住まいの渋谷通いの日々。
最初の2週間、先行研究のレビューを担当したが、
あまり研究が進んでいない領域のため、問題や仮説設定、仕事の出口も見えづらく、
社員さんと相談しながら手探りの日々。ここ数日でようやく道筋が見え、それを共有できたところ。
気持ちも思考も上向きつつある。
ここからが研究の本番。丁寧で精緻な思考と作業が大事。
 
 
ここ2週間ほど、トンネルや霧のなかにいるような感覚があった。
 
 
生老病死を仕事や研究の上で扱うことって、じわじわと心に来る。
東京に帰ってきて働き出す前に3週間を福島で過ごしたこと、その前に実家に帰って家族と会ったことなど、
いくつかの要素が今の自分に効いていることもあるけど、
健康や病気に関わることゆえ、機械的に作業をひたすら進めることもできず、色々と考えてしまう。

人の心理や行動を色々な要素を切り分けて統計的に分析していくアプローチ、
限定した変数に注目して相関を見出し、集団に対して大雑把に面で介入していく公衆衛生の営みでは、
生命を全体として見たときの奥深さと儚さに接近することはどうにも難しいように感じる。
それが必要無いとか無駄だとは言わない。
集団レベルで判明したことは、個人が生きるうえでもやはり有用な指標や目安となるから、むしろとても大切なこと。

たくさんの先達の取り組みがあること、批判と再検討の繰り返しのなかで、
全体像を掴む努力が続けられてきたことも勿論分かっている。
(広島・長崎の原爆、チェルノブイリ事故、その他多くの核実験・事故の犠牲者がおり、
そうした人たちの存在を無駄にしないためのたくさんの研究があったおかげで、
今回の福島第一原発事故において過去の事故よりかなり被ばくを抑えることができた。
もちろん災害対応が完璧だったとは言えないし、健康被害に関してもまだまだ予断を許さない要素はあるけれど)
無駄なことなんてない。漸進的な探求の一端を担う意識と自覚は持ってなきゃ、と思う。
探求の結果、新しいことを知ると、単純に嬉しいし、楽しいし。
 
 
だけど車の両輪として、やはりもう一方のアプローチも必要に思う。
少なくとも僕が生きるうえではそちらが欠けると気持ちが悪い。
個別具体性を捨てない、「私」の主観的な感覚からスタートする、
そういう、個を掘ることで普遍性に接近するような営み。
禅とか踊りとか祈りとか歌とか写真とか、人によって手段は違うのだろうけど、
僕にとってはそれは文章を書いて言葉を編んでいくこと。

それが全然できてなかったのがここ2週間ぐらいのこと。
 
書きたいことはいっぱいあるはずなのに、原稿用紙やブログに向かってもほとんど何も書けない日々が続く。
モヤモヤとフラストレーションを抱く。それらは次第にさみしさと欠乏感へと転化される。
内心状態の揺れはさて置き日々のルーチンをあまり問題なく送れるぐらいには平静を保つ術を身につけてきた今日この頃。
幸か不幸か、それゆえに身体の内側に濁りが留まり溜まってゆく。

文章を書いて、膨らましたり削ぎ落としたり、その過程で内省したり、
丁寧な歩行を出来ていない状態で、
呼吸が浅いままに惰性でSNSなんかに言葉を放流しても仕方がない。

それっぽいフレーズ。
毒にも薬にもならない。
誰も傷つけないけど誰も救わない。
伝えたい想いも傷つく覚悟も備わっていない。
そこに熱も重みも乗らない。
自分がいちばん分かっている。

自分の感受性を守るのも、取り戻すのも自分しかいないのだということ、
それも知ってる。

NYにいた頃にやっていた日々の営みを、ここ1週間で少しずつ取り戻している。
身体のストレッチ、お茶を飲むこと、自己流だけど、お祈りとか、瞑想とか、そういう些細なこと。
「忙しさ」に自分の心を差し出さない。
 
 
渋谷駅南口、首都高3号下の歩道橋で、玉川通りを走る車を昼休みにボーっと眺める。心が凪いでいく。
お昼に外の空気を吸って街や空を眺めることさえ忘れていた。

今日は風が吹いていて涼しい。空は曇っているけどジメジメした湿気はない。もうすぐ梅雨明けかな。

文の月。弛緩してないで、書くことにちゃんとしがみつこう。リハビリから。
やっぱり好きだし。

Jヴィレッジのいま – 2013.6.8訪問

福島第一原発で働く作業員の中継基地となっている「Jヴィレッジ」を見学してきた。福島県立医科大学が主催する第4回福島災害医療セミナーのコーディネートで、セミナー参加者の医師・看護師・放射線技師などの方々と共に訪問した。施設内は担当の東電社員の方にご案内いただいた。写真撮影は許可されていないので、文章で出来る限り現在の様子を伝えようと思う。

今でこそ原発事故収束のための拠点として名前が知られているけれど、Jヴィレッジはもともと日本最大級のサッカートレーニング施設だった。設立から現在までの経緯はWikipedia記事に概要が載っている。東京電力も出資社の一つだ。

福島第一原発からちょうど20kmのところに位置し、2011年3月15日からは、政府・東電・自衛隊・警察・消防隊などが事故収束に当たるための最前線基地として機能していたが、同年9月以降は、作業員の宿泊施設がいわき市内に移ったため、Jヴィレッジは作業前に作業服に着替えるための中継基地となった。

最初に案内されたのは、福島第一原発で勤務する東電社員や作業員の怪我・疾病に対応するための診療施設である「Jヴィレッジ診療所」。2年間で約6900人が利用し、受診者の症状の半分は感冒症状(要は風邪)であり。他には、ゴム手袋の長期着用による皮膚かぶれなどの症状が多いとのこと。受信者の2割ほどが東電社員で、残りはほとんどが作業員とのこと。100人程度はその他、周辺地域で除染作業に従事していた人や周辺一般住民が日中怪我をして運び込まれてくるケースなど(一般住民も当診療所を利用可能)。大人数が駐在する施設であり、感染症の蔓延も重要なリスクであるため、インフルエンザの予防接種なども行われていた。

次に案内されたのが、作業員の着替え・装備着用の部屋。もともとロッカールームだったであろう部屋で、作業員の方々が防護服に着替え、手袋などを着用していた。その隣の部屋には作業用マスクが置かれていた。作業する場所によって粉塵などのサイズも違うため、大型の特殊なマスクから簡素なものまで、いくつかの種類があった。説明を受けている時に、作業員の方が何名か入ってきて、リーダーらしき人が、その日初めて派遣されてきたであろう人に、マスクの種類やサイズの説明をしていた。福一での作業を終えた作業員が脱衣・スクリーニングをするための設備が置かれた部屋も案内された。汚染拡大を防ぐために入退出の導線が管理されている。

敷地内には小さな売店もあり、近くでは防護服を着用した出発前の作業員の方々がタバコを吸ってくつろぐなどしていた。ランチは施設内のカフェテリアでいただいたが、「ハーフタイム」という名前で、なんともサッカー施設らしい。館内を歩くと、もともとのサッカー施設としての名残を感じさせるポスターやタペストリーに、東電や作業員への応援メッセージが書かれた色紙、横断幕や、種々の事務案内(バスの時刻表や、東電からのお知らせや、社外相談窓口など)が混在していた。

震災直後は相当に緊迫した現場だったのだろうけど、今となってはとりたてて張り詰めた雰囲気はなかった。正社員もおり、バイトの中でも経験日数の多いリーダーも新入りもおり、短いながらも休憩時間があり、出発前には他愛のない世間話を交わす。昔何度か経験した派遣の日雇い肉体労働と似た雰囲気を感じた。

働きに行く現場が福島第一原発であること、被曝に備えるための装備・検査が徹底されていること、積算被曝線量が基準値を超えたらそれ以上は働けなること、危険度が高い分だけ日当が高いこと、そうしたいくつかの点は「特殊」だと言えるだろうけれど。
 
 
 
さて、このJヴィレッジだけど、6月末をもってその機能が大幅に縮小する。こちらの資料で発表されている通り、入退域管理施設が福島第一原発の正門付近に新たに建設され、6月30日から運用開始予定だからだ。作業員の本人確認や装備着用、スクリーニングや除染、疾病・傷病者の医療・診療行為は全てその入帯域管理施設で行われることになり、Jヴィレッジは自宅や宿から集まった作業員の構外移動車両への乗り降りと、その車両のスクリーニング・除染を行うのみとなり、中継基地としての役割は終了する。

Jヴィレッジの敷地全体はJFAのものだが、このJヴィレッジ診療所のみ楢葉町の所有物であり、当診療所は6月末で閉鎖されて楢葉町に返還される。診療所内にあるWBC(ホールボディカウンター)は町民の健康調査のために引き続き利用されるらしい。

JFAはJヴィレッジをいずれサッカー施設として再び利用する計画らしい。太陽の下、ここでサッカーのプレイ風景が再び見られるのはいつのことだろうか。