「がんとわたし」を考えるワークショップ イベントレポート②: ケースワーク「わたしならどうする?」

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配布資料の抜粋を掲載した前回の記事に続いて、参加したみんなでやってみたケースワークの紹介とレポート。

※追記
一緒に企画した友達がブログに感想を書いてくれました。
「がんとわたし」を考えるワークショップ:レポートという名の雑記 ― みみっこだより

参加者は20代半ば〜後半だったので、一番自分たちの年齢に近いケース2は、診断結果通知後の恋人同士の会話、というシチュエーションでロールプレイをやってもらった。
FacebookとTwitter経由での告知だったから、自分に近い年齢の友人中心となるのは自然な流れだったし、はじめての試みだったからそれぐらいがちょうど気楽で良かったとも思うけど、次回以降こういったワークショップをやるなら、もっと幅広い世代で集まってみたい。

主催しておきながら、やっぱり自分自身ががんの「痛み」をほとんど経験していない(身近な人が何人かがんになったり亡くなったりしたけれど、自分ががんになったことはない)から、まだどこか実感が湧かないところがある。

とはいえ、一人ひとりの性格やこれまでの経験が反映されてか、色んな発言や視点が出てきて、とても面白いワークショップだった。

ーーー

ケース1: 60代、定年退職間近、酒をこよなく愛する男性会社員。健康診断の結果から、精密検査を勧められ、その結果肝臓がん(ステージⅣ)を発見。すでに転移が進んでおり、外科手術での切除は不可能。放射線治療や抗がん剤でも根治はできないが、長生きできる確率は上がる。しかし、薬物投与量に応じて副作用は増大。医者からアルコールは直ちに止めるよう言われる。妻と2人暮らし、20代の息子・娘は他の地方で働いているが、関係は疎遠。

  • 治療する: 1年生存率80%、5年生存率50%
  • 治療しない:1年生存率40%、5年生存率20%
  • がんそのものがステージⅣというかなり深刻なレベルに達しているのみならず、それまで人生の中心にあった「仕事」という生き甲斐を喪失する、定年というタイミング。加えてお酒も止められ、仕事一筋でがんばってきたツケか、疎遠になってしまった家族との関係。妻や子どもたちに、どう伝えるのか。定年後の人生を通して、がんと、そして家族とどう付き合うのか。

    がん宣告のショックや不安から、お酒を止められたとしても自分だったら飲んでしまうと思う。
    息子たちに連絡して素直に相談できるか、支えてもらえるか、自信がない。
    がんが末期な上に、仕事もできないとなれば、自分の社会的価値を感じられなくなりそう。
    などの声があった。
     
     

    ケース2: 20代後半、婚約中の女性会社員。長らく連れ添った恋人との結婚を来年に予定している。妊娠3ヶ月目、産婦人科での検査で子宮頸がんを発見した。これからパートナーや主治医と相談する。両家家族同士の関係は良好で、どちらの両親も、孫が生まれることを楽しみにしている様子だが、まだ診断結果は話していない。

    部分切除が可能なステージ0の段階で発見されたという設定で、僕が主治医として、この女性と、同席した彼氏(年下若手サラリーマン)役の2人に話すところからスタートした。僕が治療方法やリスクの説明(治療は可能だが流産リスクが高まる)をしたのち、二人だけで今後のことを相談してもらう。他の参加者はその様子を眺める。

    「がんだってさ」「がんかぁ」「どうする?」「…どうしようね」

    戸惑いながらも、二人の会話が始まった。
    詳しい治療計画などは、次回僕(主治医)と会った時に相談するという設定でロールプレイを始めたため、
    ほどなくして二人の会話の焦点は双方の両親にどう話すか、というところに移っていった。

    「え、いつ話す?」「どうしよう…」
    「孫ができるって楽しみにしてたからなぁ。ショック受けそう」「特にあなたの方のご両親ね。あなた長男だし」「うん…」
    「今から話すか、あるいは来週先生ともう一回会ってからか、それとも治療が終わってからか…」
    「どっちにしろ、二人で足並みそろえてというか、それぞれの家に対して同じタイミングで同じ内容話した方が良いわよね」
    「それは、たしかに」

    会話内容はうろ覚えだけど、どのタイミングで話すか、というのがここでの二人の悩みだった。
    ひとつ印象的だった提案が、彼女役の参加者からの
    「逆に、がんのことはまるっとカットして、親には何も話さないというのは?要は、がんがあろうとなかろうと、ある程度の確率で、流産が起き得るわけだし」
    というもの。0か1かじゃなくて、確率論なんだから、結果だけ知らせれば良いじゃんという考え方。
    僕自身、二人のロールプレイを見ながらちょうど同じことを思いついたタイミングだったから、「そう、それもありかも」と思って聞いていたのだけど、その後すぐに、「あ、これって僕らぐらいの世代に特徴的な発想や距離感かもな」と気づいた。身内である親に対しても、いや身内だからこそ、個人的なことは話さない、みたいな。

    …でも、それは妊娠前期で、まだがんも早期だから、あるいはロールプレイだから比較的落ち着いて話しているだけかもしれなくて。手術や出産が近づくと、女性はだんだんナーバスになるだろうし、その時に彼氏だけでなく、親の助けも借りて、みんなで支えあっていくことが必要になるんじゃないだろうか。世代観や価値観よりのっぴきならないものが迫ってくるんじゃないだろうか。未だ結婚も出産も知らない僕にはそこから先はなんとも言えない。

    ほとんど自分の感想になってしまった。年齢が近い設定だったことと、カップル役の二人の名演もあって、のめりこんで聞き入ってしまったため、終わったあとの他の参加者からのコメント・感想をほとんど覚えていない。それぞれ面白いこと言ってくれてたんだけど…

    ともあれこのケース2が一番盛り上がった。
     
     

    ケース3: 30代後半、エステサロン経営者の独身女性。乳房のしこりを発見し、検査を受けて乳がんを発見したが、乳房の外には転移していないステージⅠだった。恋人はいるが、年齢や仕事環境も鑑み、出産は考えていない。小さなサロンであり、自らがお客さんと対面、サービス提供することもある。貯金はそれなりにあり、今後の治療方法に関して経済的な心配はない。
    乳房の全部または一部を切除する外科療法、ホルモン療法の組み合わせ、抗がん剤による化学療法(脱毛、肌あれ、体力低下などの副作用あり)の1つまたは組み合わせによる治療を行う。

    ケース1ほどじゃないけど、これも自分たちと少し世代が離れたケース。

    女性の参加者からのコメントが印象的だった。
    「この人の場合、出産は考えていないってことだから、そのうえ乳房まで切除してしまったら、自分の女性性というものがどうなるのだろうって、思う」
    これは僕がケース設定で「乳房の全部または一部切除」と書いたゆえの反応でもあるだろうけど、その後医者の卵である男性参加者が補足してくれて、「ステージ1であればほとんどの場合は一部切除で済むし、切除した部分を復元する、乳房再建というものがある」と教えてくれた。
    また一方で、
    「見た目や女性性のことはあるけど、でもそんなことより命が大事だとわたしは思うから、治療する以外の選択肢は考えられない」 
    という人もいた。

    がんという病気が、身体への負担や痛みだけでなく、アイデンティティへも揺さぶりをかけてくることがわかる。
     
     

    ケース4: 70代、年金生活者の女性未亡人。屋外スケッチや詩作を趣味としている。元気で快活な女性だったが、最近、体調が悪化。子に付き添ってもらい、病院の検査でがんを発見。すでに全身様々な部位に転移が広がっているステージⅣであり、外科手術による治療はできない。放射線や抗がん剤による治療は可能だが、入院しての闘病生活となる。加齢に伴う体力の低下と、治療による副作用のバランスが難しい。治療する: 1年生存率40%、5年生存率20%、治療しない:1年生存率30%、5年生存率8%

    今度は70代のおばあちゃん。当事者になりきるというより、この人の子どもや孫になった想定で考えた方がイメージしやすいかもしれない。

    治療の選択肢とその負担を明記したが、お医者さんの卵である参加者が、「僕だったらこの場合は絶対緩和ケアを勧めますね」と発言してくれて幅が広がった。投与量や照射量を調整して、がんをやっつけるより、痛みを緩和することを目的とし、極力入院や副作用を少なくするようなケアを行うということ。この趣味人をずっと病院にしばりつけて闘病生活させるより、少しでも家にいたり外で過ごせる時間を長くする方が幸せで健やかなのではないか、と。

    僕も、「うん、まぁその方が本人のためになりそうだよねぇ」と聞いていたのだが、ここで更に面白かったのが、一緒にイベントを企画した友達からの発言。
    「たしかに緩和ケアを望む人が多いかもしれないけど、でも人によっては、がんと最後まで闘い続けるという信念の人もいるんじゃないのかなぁ」
    それは彼女が最近、がんと闘って克服した自転車選手であるランス・アームストロングの自伝『ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく』を読んだことも背景にあってのことだと思うけど、他の参加者からも、同じくがんと闘った一例としてスーザン・ソンタグのエピソードが挙げられ、スピリチュアルな試練としてのがん、という視点を感じることができた。

    一方、アームストロングにしろソンタグにしろ、トップアスリートや哲学者だったわけで、すべての人が「がんと闘って打ち克つ」という意志と強さ、あるいはそれをサポートできるだけの最先端の医療人材・技術と繋がり、多額のお金を用意できるとも限らないね、という話もした。意志や価値観とは別に、そもそも個々人にとって使えるリソースが違い、そのこともがんとの向き合い方をプラクティカルに左右する。
    ーーー

    とまぁ、こんな感じで4つのケースを扱いながら、やいのやいの語った会であった。
    みんなの表情から、それぞれが自分なりの発見、面白さ、モチベーションを得てくれたように見え、やってよかったな、と思う。

    僕自身にとっても、普段のパブリックヘルスの研究や仕事と、ミクロな個々人の暮らし・人生との接点が見えた気がして、良い手応えだった。
     
     

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