トランジット

Pocket

 飛行機での国際旅行は、いつも時空が狂ってわけが分からなくなる。距離が大きいとなおさらだ。どこかの国に留まっている間は、日本と比べて時差がどれぐらいで、「あぁ今頃あっちは朝だな」とか考えられるけれど、移動中はそうもいかない。地球の自転があって、それに従うにしろ逆らうにしろ、その上を飛行機で移動しているから、日本から目的地までいったい何時間かけて移動しているのか全く実感が湧かない。

 今回は、行きも帰りもアエロフロートで、成田発、モスクワ空港経由、NYのJFK空港到着の便を利用している。それが一番安かったものだから。日本にいる人たちに航路を聞かれて「モスクワ経由38時間の旅です」なんて答えたけど、この38という数字だって、チケットの予約画面で見たような気がするから言っているだけで、その後ちゃんと数えたり確認したわけではない。

 13時過ぎに成田空港を発った。上空に行くと、窓から差し込める太陽の光がちょっと眩しかったので、じきにブラインドを下ろした。前日から読み始めた本を9割方読み終えたあたりで眠くなってきて、そのまま読みきってしまおうか休憩しようかと思ううちに眠りに落ちた。目が覚めてブラインドを上げると、外は暗くなっていた。水平線から登るオレンジから藍までのグラデーションがとても綺麗で、しばし見入っていた。その後一瞬、「今は何時頃かな」とか「写真撮れるかな」とか考えたけど、腕時計もしていないし、携帯電話は電源を切って荷物入れの鞄の中で、どちらも無理だと分かってどうでも良くなった。それから読みかけの本を読み終えて、よしもとばななの小説に移った。途中、機内食の晩御飯がやってきた。日本滞在中に美味しいものばかりご馳走になっていて、当然のことそれらと比べようもないぐらい味は落ちるのだけど、僕はだいたいどんな機内食でも文句なく食べられる質で、それはそれとして楽しんだ。三冊目の本に入って少ししたら、また空の様子が変わってきたのでそれを眺めた。今度はオレンジシャーベットみたいでずいぶん明るい。窓から飛び降りて、眼下に広がる雲の大地を駆け抜けて、あの海まで遊びに行けるんじゃないかと思ったけど、しばらくしたら空が白んできて、シャーベットも蒸発していったから、あれが海ではなくて夜明けの空なのだとしぶしぶ認めざるを得なかった。空を見飽きたのでまたその三冊目の小説に戻った。本を読んでいて、最後に眠気が来たのは飛行機が着陸準備に入って高度を下げ始めた時だった。次に目が覚めたのは、すっかり乗客がいなくなってから、CAの一人に肩を叩かれた時である。「すんませーん」って、荷物をまとめて飛行機を駆け下りた。

 さて、モスクワ空港に降り立って、パスポートを見せて渡された2枚目のチケットには、NY行き10:50発と書いてある。さっき歩いていた時に見かけた掛け時計の短針は6時あたりを指していた。「前回より待ち時間短いな」と思って電光掲示板を見てみると、どれだけ待ってもNY行きの便の情報が出てこない。「あれ、おかしいな」と思って近くの案内所で「今何時ですか?」と聞いてみたら、18:35とのことだった。「んん?18時だって?午前6時ではなく?」すると、ついさっき僕が朝焼けだと思って見ていたあの空はなんだったのか。ともかく、今日はまだ1月11日で、フライトは翌日なのだな。「今夜この空港内で夜を明かすことは出来ますか?」「ええ、出来ますよ」どうやらここに居座ることは問題ないらしい。

 なんて自由な旅なんだろう。そう思いながら通路を歩いていた。腕時計を外しておけば、夜も朝も関係ない。寝たい時に寝て、起きたい時に起きて、好きなだけ本を読んだり映画を観たりして、たまに水平線とにらめっこする。旅慣れた人は、時差も計算して、目的地到着後の昼夜サイクルにスムーズに移行出来るよう、飛行機の中で寝るタイミングと長さを調整するらしいが、なんだってそんなにあくせくする必要があるのだろう。どうして、降りたあとのことばかり考えるのだろう。空の上ではこんなに愉快に時空が歪んでいるのに。

Pocket

Leave a Reply

  • (will not be published)