「」(カッコ)を外すたび ー 「被災地」と呼ばないで…?

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NYにいると、震災後の東北のことはもうほとんど話題にならない。Tohokuっても大概通じないし、Disasterと言ったってアメリカ東海岸のハリケーン・サンディ(2012)やらフィリピンの台風ハイエン(2013)やらその後も色々世界各地で自然災害が発生しているわけで、すぐに東日本大震災にはリンクしない。Northern East of Japan, hit by the tsunami in 2011ぐらいの語数を最初に費やす必要がある。むしろFukushimaとかNuclear Disasterの方が外国人にとってはイメージしやすい。無理もないことだとは思うから別にそれは問題としない。

イメージが湧かないというのは、単純に外国だから土地勘がないというだけで、具体的に話せばけっこう興味関心を持ってくれる。距離があるゆえ、理が通るだけの冷静さがある。というか、価値判断を下すほどのインプットがそもそも無いと言う方が適切だろうか。福島県は日本で3番目に大きくて、東北3県となればもっと広大で、津波や放射線で全土がやられているわけではなく、被害や課題や復旧・復興のプロセスも様々で、グラデーションの中に人々の暮らしがあって一括りに話せない、と伝える。その上で、僕が知っていることとして、1年間暮らしてきた石巻や、昨年夏に訪ねた福島県で見てきた風景を話す。そうすれば割りとすんなり通る。関心を持つポイントは、OCICAのようなクラフトであったり、人々の健康状態だったり、原発事故のことだったり、人によって様々だけど。むしろ、東京のように中途半端に「近い」ところにいる人々との方が、政治争点としての「原発」が前面化したりして、冷静なコミュニケーションは難しいのかもしれない。

勿論、震災直後から今まで様々な形で東北と関わり続けてくれているNon-Japaneseの友人・知人も多くいる。その人たちにとっては、浪江とか閖上とかいわきとか石巻とか南三陸とか、具体的な土地と、そこに住む生身の人間の顔を伴った話になる。一緒に活動をすることもある。が、大半の人は上に書いたような感じだろう。いずれも自然なことだと思う。

言葉が難しいのは、在NYの日本人とお話する時。今でも東北の様子を心配し続けている人が少なからずいて、「今、東北はどうなってるんですか」「被災地のために何かできることありませんか」「震災当時、海外にいて何も出来なかった…」など、言葉の端々から気持ちが伝わってくる。物理的に距離が開いていて、入ってくる情報量も少ないという点ではNon-Japaneseな人々と同じなだけ、余計にもどかしさが募る。東北出身で、親族や友人を亡くしたという人も。そういう時は、頬から首筋、背中にかけてジワッとなる。黙って話を聞く。
 
 
 
去年の秋のことだった。津田大介さんの東日本縦断ロードムービー「おくの細道2012」(監督: 小嶋裕一さん)の上映会をNYでやるということで、主催の方からお声がかかった。自分で観るとものすごく恥ずかしいのだけど、石巻にいたので、劇中に出演しているのだ。遅くまで大学院にいたので、上映終了後の到着となってしまったけど、映画の共同監督金田浩樹さんとSkypeで繋がって来場者と質疑応答を交わしているところに混ざった。

会場には、上に述べたような東北に関心を持つ日本人が集まっていて、「今、被災地の復興はどうなっているんですか」「2013年の続編制作予定は無いんですか」といった質問も出た。2012年の年初に撮られたこの映画、スタッフロールの後はTo be continuedの文字が出るのだが、これは、東北に興味を持ったなら自分自身で歩いて、自分なりの「おくの細道2013」を見出して欲しいという、製作陣からのメッセージであった。そこで金田さんは、概要、以下のようなお話をされた。

「東北各地に行ったことがあって、距離が近くなった人ほど、『被災地』とは呼ばないで、具体的な土地や人の名前で話すんですよ。鈴木さんも、石巻や牡鹿っていう具体名で話してくれたでしょう」
「もし東北に興味を持ってくださったなら、『被災地はどうなんですか?』『2013年版はいつ出来るんですか?』ではなくて、自分自身で東北に行って、映像の中の土地を訪ねてみてください。あるいは、現地に行けなくても良いから、観た映像の感想を、隣の人やNYの友人と話してみてください」

このこと自体は僕も同意するところなのだけど、終わった後、何人かの方と立ち話をしていて「被災地の…あ、被災地って言っちゃいけないんでしたよね」というように言葉を訂正される方がいて、”べき論”として捉えられてはちょっと金田さんの思いとは外れるな、と懸念した。あるいは、僕や金田さんの、現場に行ったことがある人間の(悪意ではないにせよ)強権・傲慢になることを恐れた。

それで、名刺をいただいた人には帰ってからメールを送った。

最初に書いた通り、日本人であろうとなかろうと、その土地のことを知らなければ、漠とした「被災地」「フクシマ」といった言葉しか浮かばないのも無理はない。それは、NYに行ったことがない人が、Sex and the Cityとかのきらびやかなイメージでこの街に無邪気な憧れを抱くのと同じことだろう。NYでの暮らしと仕事があって、行きたくとも行けない、「被災地」より先の具体名になかなか入れない人もいるだろうと思った。

「こう語る”べきだ”」「被災地と言っては”いけない”」というものではなくて、自分にとって実感のある言葉を一人ひとりが探していくことが大切だと思う、という旨の補足メールを書いた。書いていて、これもまたなんだか、ちょっと上から目線の経験主義だなぁと危惧しつつ、しかしひとまずはそう書くぐらいしかないか、と思って送信した。
 
 
お一人から、こんなお返事をいただいた。

でも私はこれからも「被災地」と言い続けると思います。私自身、東北には土地勘が殆ど無いので、
場所の名前を言われてもちんぷんかんぷん。きっとそういう人も多いと思います。
そして「被災地」と聞いた時に浮かぶイメージ、その一瞬が大切だと考えるからです。

 
 
その人は続く文章で、9.11テロで受けた心身のショック、その後の暮らしの厳しさ、広島・長崎記憶の伝承活動に携わる現在のこと、3.11直後のNYの様子のことを話してくださった。
 
読んで、血管がキュッと締まった。短いメールの中で、その人の悲しみに、歴史に、一瞬触れた気がした。そして、若い自分の未明と幸運と気楽さを知った。

僕にとっての「石巻」や「牡鹿」が、僕自身に癒しと安らぎをもたらした、新しい「ふるさと」の言葉であると共に、この人にとっての「被災地」は、他ならぬご自身の痛みの記憶と共にある言葉なのだと思った。
 
 
「被災地」「被災者」ではなく具体的な土地と人の名前で語ることは、震災がきっかけで東北と関わり始めた多くの人間にとって、地元の人たちとの関係形成に伴う自然な帰結でもあると思う。しかしそれは一方で、外から東北入りする「よそ者」の間に共有された礼儀、機能的なコードでもあるから、違う立場、視点を持つ人にそのまますんなり共有されるものでもないし、する必要もない。
 
そうではなくて、求められるのは、絶えず「」(カッコ)を外していくこと。
上から吊り下げられた「正解」ではなく、その時その時の自分の琴線に沿う単位で語ること。
それを見つけるまでの時間と、ぎこちなさを、自分にも他人にも認めること。
 
 
 
あれからもうすぐ3年になる。
 
 
先日見つけたHUFFPOST JAPANの記事「被災者としての誇り」。相馬市在住の武藤順子さんの言葉には凛とした強さが実る。

老いの身では何を語っても行動が伴わないのだけれど、自分でできることは身体が動くうちは自分でやりたい。こうしてブログというものに私の思いを駄文ながらこれから書き連ねることも、そのひとつだ。これはあくまでも私自身の覚悟であり、小さな誇りでもある。
様々な援助も受け、御恩に報いるためには、被災者自身が覚悟を決めて立ち上がらなければ前には進めないのだと思う。それが、被災者としての誇りでもある。

 
 
武藤順子さんがその身で背負う言葉。普段、悲劇のシンボルとして扱われがちな「被災者」という言葉が、ここではこんなにも力強く、美しい。

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